17-B
建物の影から、橋の方をそっと窺う。
「……結構いるな」
橋の上やその付近だけでなく、川沿いも警官たちが巡回している。
「とにかく、どこかから自然な形で紛れ込んで、橋に近付こう」
「そうですね」
再び狭い路地に戻って別の出口へ駆けた私たちは、そこからまた警官たちの様子を注視し、一瞬の隙を見て巡回と巡回の間に入り込むことに成功した。
「……よし。じゃあ、橋を目指そう」
ほかの警官たちを見て、その挙動を真似ながら、じりじりと橋へ歩み寄っていく。
駐在所から真っ直ぐ行ければ早かったんだけど、さすがに真正面から行くのは気が引けた。
だからだいぶ遠回りをして、ようやくここまで辿り着いた。
後は、橋のところまで行って駆け込むだけだ。
鼓動が、激しくなっていく。
端から見て、私たちにどこかおかしなところは無いだろうか。警官ではなく、ただの不審者になってはいないだろうか。
ほかの警官に声を掛けられたらどうする? 無事に、橋まで辿り着けるのか?
止めどなく流れていく思考が、私の呼吸を荒くしていく。
「!」
冷たい汗が流れる感覚の直後、何かがそっと背中に触れるのを感じた。
「ティナさん。落ち着いて」
それは、フランカの手のひら。
どうやら、緊張が思いっきり顔に出ていたようだ。
「ありがと……」
今ので、私の鼓動を荒れさせていた思考が途切れてくれた。
そうだ。とにかく、自然にしていないと。もう、後には引けないんだぞ。
失敗は、許されない。
どうにか何事もなく橋の近くまで辿り着いた私たちは、そこで橋の上を窺う。
橋の監視も彼らの任務なのだから、当然、橋の上にも数人の警官がいて、辺りに目を光らせている。
「あそこに混ざろう」
前後の巡回の様子を見て、少し早足に橋の方へ曲がる。よし。あと少し。
すれ違う警官たちが、私たちを一瞥していくものの、特に気にされるということもなく、順調に橋の中央を越えた。
普通に歩けばすぐに渡り切れそうな橋が、今はとてつもなく長く感じる。
それでも、あと少しで向こう岸というところまで来た。
「そこの」
「――!」
突然声を掛けられ、心臓が胸を突き破りそうになる。
恐る恐る振り返ると、いつの間にか私たちの真後ろにまで警官が来ていた。
……ヤバい。バレたか?
「お前たち、新人か? 速く歩き過ぎだぞ。もう少し周囲に気を配れ。わかったか」
バレ……てない?
「は……」
返事をしかけて、声を飲み込む。
ちょっと待て。ここで声を出したら、女だってバレちゃう。
いや、でも、返事をしないのもおかしい。
……仕方ない。
「りょ、了解です。気をつけます」
できるだけ不自然にならない程度に声を低くし、そう答える。
ど、どうだ……?
「うむ。わかればいい」
納得したように一つ頷いた警官は、踵を返して持ち場へ戻っていく。
よかった。大きく息を吐くと共に、ガクッと肩の力が抜けた。
額から頬へ、汗が流れる。
「よし。行こう」
私たちは再び早足で橋を渡りきり、隙を見て巡回の列から外れ、無事に暗黒街への侵入を果たした。
「危なかった……」
薄暗い路地を歩きながら、呟く。
「先程の声、男の子のようでしたね」
こっちはまだ手足が震えてるっていうのに、フランカはまるで平気な顔をしている。
「……まぁ、元々、そこまで声高くないし」
「私では、あんな声は出せませんでした」
「だろうね」
フランカの綺麗で可愛らしい声では、無理だったろう。
「でも、うまくいくとは思ってなかったな。賭けだったよ」
深呼吸をして、鼓動を和らげることに努める。
「うふふ。カッコ良かったですよ」
「やめてよ……」
のんきなもんだよ、ホント。
「さてと」
そんなことより、ここからどうしよう。
辺りを見渡す。
暗黒街なんて呼ばれている通り、まだ昼間だというのに妙に薄暗い。
いや、上を見上げれば空は青くて明るいんだけど、建物の密度が高いからかな、影が多い。
毎日のように犯罪が起こっているというのも頷けるというものだ。
ここには、そんな殺伐とした雰囲気しかない。
「……人の気配がありませんね」
「うん……」
確かに、建物はたくさんあるのに、そのいずれからも人の気配を感じられない。
近くの民家のような建物の中を覗いてみれば、ヒビの入った窓ガラスの向こう側には、荒らされたままの室内があるだけだ。
「たぶん、普通の人はもう住んでいないんだと思う」
どの建物を覗いても、人の姿は無いし、生活感も無い。
ここはもう、悪い奴らの吹き溜まり以外の役割は担っていないんだろう。そんな気がする。
「とにかく、進もう。どこから何が出てくるかわからないから、慎重にね」
「そうですね。気をつけましょう」
目を見合わせ、そして前に向き直り、剣を抜く。
静かな闇へ、私たちは一歩を踏み出した。
体感で1時間ほど歩いた先、少し開けた場所に出た私たちは、眼前の光景を前に立ち尽くしていた。
「……」
視界を埋める、どす黒い赤。その中に溺れるように倒れる、物言わぬ人々。いずれも、もう息をしていないことが一目でわかる。
しゃがんで足元の赤に触れ、指を見る。
「……ここの戦闘が終わってから、もうだいぶ経ってるみたいだね」
指には、乾いてカサカサになった血の塊が、砂と一緒に付くだけだ。
「? フランカさん?」
立ち上がった私は、隣で沈黙を守っているフランカに目をやる。
彼女は、この一帯に散乱している、何十人分もの死体の群れを凝視したまま硬直していた。
無理もない。こんな光景を見るのは初めてだろうから。
でも、それを言うなら私だって同じだ。心の中でかさを増していくのは、ただただ恐怖の感情のみ。
ここに倒れてる奴らはきっと、どこかの組織の人間だろう。
どいつもこいつも、見るからにそれっぽい格好をしている。
きっと、警察に抵抗して返り討ちにあったんだ。
「……」
見渡しても、警官の死体は無い。どうやら、警官でも倒せるレベルの相手だけしかいなかったようだ。
それとも、警察と一緒に行った傭兵の力によるものか。
「先に進もう、フランカさん。みんな、もっともっと奥に進んでる」
そう言ってぽんと肩を叩いてやると、フランカは我に返ったように「はい」と返事をした。
「それにしても、容赦無いね……」
死体溢れる一帯を迂回しながら、横目でそれらを眺めていく。死体の顔は、あまり見ないようにした。
胴を斬られている死体が多い中、四肢のいずれかや首が無い死体もいくつかある。
そいつらの身体から噴出しただろう血液は、地面に海を作るだけでなく、周囲の建物にも独特な模様を描くように飛散し付着している。
ここでの戦いは、かなり激しいものだったに違いない。
そして覚悟する。きっとこの先には、こんな光景しか無いだろうということを。
予想通りの光景の中を繰り返し進み続け、ようやく戦いの音が届く場所まで辿り着いた。
「向こうの方から聞こえる」
まだだいぶ距離がありそうだけど、男たちの声、足音、そして、響き渡る金属音。それらが一体となって、ここまで押し寄せてくる。
「ティナさん」
「?」
そちらへ歩き出そうとした私の服の袖を、フランカが引っ張った。
「どしたの?」
見れば、訴えかけるような瞳がある。
「どのように戦えば良いのでしょうか」
「え?」
「人を斬らずに倒すには、どうすれば良いのでしょうか」
「……!」
問われて、ようやく気付いた。手にある剣を、おもむろに見下ろす。
訓練や試験で人を相手取ったことはあっても、真剣で斬り合ったことなんて無い。
そして私たちは、人を斬るわけにはいかない。
じゃあ、どうやって戦えばいいんだ?
どうして、ここに来るまでにそこに考えが至らなかったのか。
……待てよ? 斬る以外に、相手を倒す方法は本当に無いか?
いや、あるだろ。
「殴る」
「え?」
「剣で殴り倒せばいいんだよ」
そう言って、持っていた剣を鞘に戻し、抜けないようにロックした後、鞘ごとベルトから抜いて見せる。
「これなら、相手を斬らなくて済む。“斬る”を“殴る”に変えるだけだよ。殴って気絶させれば倒したことになる。そうでしょ?」
自分でも、なかなか過激なことを言っているなとは思う。だけど、私たちにできる戦いは、それしか無いのも事実。
「殴る……」
フランカはおもむろに剣を鞘に戻し、私と同じようにベルトから外した。だけど、彼女の顔は晴れない。
「……しかし、本当に殴れるのでしょうか。相手は、人間なのですよ?」
「できる。だって、散々やったじゃない。試験のための訓練で。ほら、思い出して」
擬似剣で、相手を殴る。あの時のことは、まだ鮮明に思い出せる。
「二次試験の……」
「そう。あれとほとんど同じだよ。違うのは、相手を本気で殴り倒さなきゃいけないってことと、相手が本気で私たちを殺しにくるってことだけど、でも、きっと私たちなら大丈夫」
その「大丈夫」だって、何の根拠も無い。
だけど、ここまで来ちゃったら、もう覚悟を決めるしかないんだ。
「ただ、一つだけ決めておこう。もしも、私たちの力が全く通用しなかった場合、その時は、素直に逃げること。こんなところで、死ぬわけにはいかないからね」
「……わかりました。行きましょう」
頷くフランカに、私も頷く。
そして戦場の方へ向き直り、2人揃って駆け出した。




