16-B
商業都市ビダオラの南西、幅の広い川で隔てられた一帯では、日々、様々な犯罪が横行している。
一日中ほとんど明かりの無いその一帯を、ビダオラの住民たちは暗黒街と呼び、恐れていた。
暗黒街の面積は、ビダオラの総面積の20分の1程度で、その数字だけ見るならそれほど広くないように思える。
建物だって、中心街に建ち並ぶような大きな物は無い。どれもこれも、一昔前の古い物ばかりだ。
でも、きっと捜査には時間がかかるだろうなと、私は思った。
大きな建物は無いけれど、その密度は高い。見渡す限り、古い建物の密集地帯だ。
もしも、それらを一つ一つ調べるつもりなのだとしたら、とてもじゃないけど今日1日では終わらないだろう。
けれど、聞いた話によれば、どの辺りを重点的に探ればいいか、それなりに目星はつけてあるようだ。
……それでも、かなり時間はかかるだろうけど。
その目星をつけた場所まで、すんなり行けるなら話は別だ。
だけど、そうはいかないだろうと、ノエリアは言っていた。
暗黒街が、どれだけの犯罪組織の根城になっているのかは見当もつかないけれど、だからこそ、警察の捜査をすんなりと受け入れるはずがない。
きっと、何かしらの邪魔や抵抗をしてくるはず。
そういったものに対処するために、傭兵も同行するんだ。警察の護衛という形でね。
日々、強大な力を持つ化け物たちと死闘を繰り返している傭兵たちがいれば、ただの人間なんて相手にならない。
捜査を円滑に進めるために、傭兵は欠かせない存在というわけだ。
ただ一つ気になったのが、その人間を相手にすることについてだ。
「必要に迫られればね」
これは、「人を斬ることもあるんですか?」という私の質問に対するノエリアの返答。
「殺すつもりで襲ってくる相手に、手心を加えてやる必要はないから」
沈黙する私とフランカに、ノエリアはこう言った。
その時の彼女の顔には、ゾッとするほどの冷たい笑みがあったのを覚えてる。
……でもそれって、殺人になるのではないか?
相手が極悪人であるとしても、人間であることには変わりない。そう考えるのは、おかしなこと?
犯罪者は、捕まった後に裁判で裁かれるのが普通なんじゃないの? そうして死刑になった場合のみ、殺すのを許されるんじゃないのかな。
そんな感じの意見をぶつけてみての、ノエリアの答えはこうだ。
「あなたの言っていることは正しいよ。どこもおかしくない」
そこで言葉が切れ、「でもね」と続く。
「例外的に、殺人を許される場合もあるの。罪が免除されるっていうのかな。その例外というのが、正当防衛にあたる状況の場合よ。つまり、相手がこちらを殺すつもりで襲ってきた場合のみ、返り討ちにしちゃってもいいってこと」
どうやら、そういう法律があるようだ。
今回の場合は、警官と傭兵のみが、免除の対象になるとのこと。
その法律については、フランカは話を聞いて思い出したみたいだけど、私は全く知らなかった。
……なんかちょっとすっきりしないけど、私の心は納得する方向へ傾いていった。
早朝に暗黒街へ入っていった先遣隊は、次々に新しい情報を捜査本部へともたらした。
その中には、暗黒街各地で小競り合いが発生しているというものも含まれていた。
戦っているのはもちろん、犯罪組織と先遣隊だ。
観念して、捜査をすんなりと受け入れるところもあったようだけど、それはほんの一部。
たぶん、抵抗している組織はよっぽどのことをしているってことなんだろう。
時間が経つにつれ、主に傭兵の手によって犯罪組織の抵抗は鎮圧されていき、思いの外、暗黒街の捜査は順調に進んでいった。
警察官に怪我人が多数出ているものの、今のところ犠牲者はいないようだ。
だけど、それは先遣隊の話であって、鎮圧された犯罪組織の被害については伝わってこない。
……きっと、すでに何人か死んでいる。そんな気がした。
先遣隊から遅れること6時間。
ビダオラの警察官100人弱と、ビダオラ周辺の街の警察署からの応援約500人。それと、協会の協力要請に応じてくれた傭兵26人で構成された部隊が、暗黒街へ入っていった。
傭兵26人の中には、ノエリアも含まれている。
私とフランカは、こちら側と暗黒街の間を流れる川のそばから、ノエリアたちを見送った。
それから1時間。私たちは、ビダオラの中心街を歩いていた。
傭兵ではない私たちは、捜査本部にはいられない。協会支部も、ほぼ全員が出払っている状態だ。
情報を得ようにも、手段が無い。
宿に戻ることも考えたけど、作戦が終わるまで部屋で待つ気にもなれず、せめてもの気晴らしに、中心街に並ぶ店を見に行こうと決めた。
……ここは、とにかく人が多い。小さな通りも大きな通りも、人で溢れ返っている。
私たちは、荒れ狂う人の波の中を泳ぐように、かき分けかき分け進んでいく。
とてもじゃないけど、ゆっくり一つ一つ店を見て回る余裕なんて無い。……少なくとも、私は。
だけどフランカは、その人ごみの中を平気な顔してひょいひょい進んでいく。私は、彼女とはぐれないようにするので精一杯だった。
「あっ、ほらほら、見て下さいこれ。可愛いですよ」
通りの端にずらりと並んだ露店の商品を手に取っては、笑顔で私に見せてくるフランカ。
そのなんとも言えない楽しそうな様子に、私は笑顔で応じるしかなかった。
一瞬、家族に何か土産でも買っていこうかなと考えたけど、今はそんな時じゃないなと思い直し、またフランカの後を追って歩きだす。
「――!」
その時、私の視界に何かが入った。
急いで視線を巡らせ、見失いかけたそれを追う。
「あれって……」
人ごみを横切っていく、3人の男たち。その身は、フード付きの黒いコートで包まれている。
「フランカさん」
彼らを目で追いながら、フランカを呼ぶ。しかしフランカは、商品を見るのに夢中だ。
「フランカさん!」
今度は、声を張り上げて、彼女の肩を掴む。そうしてようやく私の顔を見たフランカは、「どうしました?」と首を傾げた。
「あいつらだ。行こう」
「え? ちょっと、ティナさん?」
フランカの腕を掴み、問答無用で引っ張っていく。
奴らは、建物の間の細い路地へ入っていった。
「ティナさん? 一体、どうしたというのです」
「いたんだよ。あいつらが。フード付きの黒いコートを着た奴らが」
「えっ?」
人ごみを出て、早歩きから駆け足へとシフトするのと同時に、フランカの腕を放す。
すると彼女は、すぐに私の横に並んで走りだした。
「どちらに?」
「今、あの路地へ入っていった」
指差しながら、速度を上げる。
そして路地へ駆け込むのと同時に、一旦、立ち止まる。
「……足元に、気をつけて」
緊張のせいか、鼓動が速くなる。軽く深呼吸をしてから、路地を進む。
そして、少し歩いたところで、曲がり角から複数の男の声が聞こえてきた。
建物の壁にぴったり貼り付き、その角からそっと顔を出して窺う。
黒いコートの男たちは、狭い道いっぱいに広がって歩きながら、何やら話していた。
「これで、ここらの集金は終わりか?」
「ああ。ようやく帰れるな」
「なら、ちょっと遊んでくか」
「金を届けてからでいいだろ。遅れるとうるせぇ奴もいるしな」
「あー、あの女か。ヒステリーさえなきゃ、いい線いってんだがな」
「冗談だろ。ありゃあ、ヒステリーどころか、性格も相当やべぇぞ」
……? 特に引っかかるところのない会話だ。
だけど、ここから会話の内容がガラッと変わる。
「ところで、計画はうまく進んでんのか」
計画?
「ああ、それなら問題ねぇよ。この街の警官どもは、囮を探すのに夢中さ」
「……!」
囮?
「傭兵まで集めて向こう側へ行ったみたいだな。そのおかげで、こっちはだいぶ動きやすくなった」
「以前から、俺らのことをこそこそ嗅ぎ回ってたみてぇだが、こっちがいつまでも気付かずにいると思うなってことだな」
「ああ。とりあえず、ここの拠点は捨てる。囮の連中も、うまくやってくれるだろ」
囮って、……もしかして、例の幌馬車のこと?
「そういやあ、キュラールだったか? あそこで、商品を仕入れたんだろ? そいつはどうするんだ」
――キュラール?
……やっぱりこいつら、あの幌馬車と関係してる!
「無駄にはしないさ。言ったろ、囮の連中がうまくやると」
「ああ、奴らに直接引き渡すんだったな。だが、傭兵どもが厄介じゃねぇか?」
「おい、忘れたのか? こっちにもいるだろ、傭兵崩れの警備隊長殿がよ」
「ん? ああ、そうだったな。奴がいりゃあ、その辺の傭兵なんざ相手にならねぇな」
「そうだ。だから、何も問題は無い」
それ以降の会話は、もう届かない。
奴らが、建物の角を曲がって姿を消したからだ。
「ティナさん。どうします? 追いますか?」
「いや、あいつらはもういい。……そんなことしてる場合じゃない」
私は身を翻し、通りへ向かって歩き出す。
「ティナさん。どこへ?」
横に並んだフランカの問いに、「伝えなきゃ」と返す。
「さっきの奴らの話を、早くみんなに伝えないと! 嫌な予感がするんだ」
胸が、ざわざわする。特に、傭兵崩れの警備隊長っていうのが気になって仕方ない。
「……わかりました。では、橋の近くにある駐在所へ向かいましょう」
「うん、行こう!」
再び人でごった返す大通りへ出た私たちは、そのまま通りを横切って、人ごみをよけるために遠回りしながら橋がある方へ走った。
暗黒街に、あの子がいる。リネットの妹、シーラが。
その確証を得たのは大きいけど、不安は増した。
奴らは、キュラールから攫った女の子たちを、何者かに直接引き渡すと言っていた。
つまりそれって、暗黒街の中で取引が行われるってことじゃないの?
だったら、急いで彼女らを見つける必要がある。取引が終わってからじゃ遅いんだ。
走っても走っても前に進んでいない気がして、焦燥が増していく。
もっと速く! 早く、伝えないと……!




