カイトのバイト
『将来、僕の癌細胞を食べて下さい』9
・カイトのバイト
大学卒業後、正式にキャンの事務所に来て約五ヶ月が過ぎた。今はとにかく自分の癌治療の借金を返さなければと精一杯この事務所で働こうと張り切っていた。しかしそんな仕事はそうそう来ることも無く、ただ暇な日が続いた。キャンは普段バイトをしていると言うし、自分も何かバイトでもしようかと、スマートフォンでバイト探しをする事にした。まぁ今でもキャンの食事と掃除、その他雑務で小遣い程度は貰えているが、それでも暇だったし、もっと稼ぎたかった。どこか適当に休暇の融通が利く割の良いバイトでも無いか探していた。事務所のソファで調べていると、キャンが煙草を吸いながらコーヒーを持って近付いてきた。
「さっきから真剣な顔付きでスマホ弄ってるけど、何?アプリゲーム?」
「違いますよ。仕事探しです」
カイトの言葉に、キャンは言葉が詰まった。
「そうか……ここを出て行くのか……カイト、君には世話になったな……」
「は?」
「新しい伴侶を見付けて、幸せに、正規の医者として過ごすのも悪くないだろう」
「ちょっとちょっと」
「今までありがとう。私は、この十二年間、楽しかったよ……」
「待て待て待て待て!俺、出て行きませんよ!?」
「えっ?でも仕事探しって……」
「それは普段があまりにも暇だからです!キャンさんみたいに普段はバイトをしたいんですよ!」
「何だい。そういう事だったのかい」
「そうですよ!」
再び真剣に求人広告のサイトを眺めているカイトにキャンはある提案をした。
「じゃあウチの店で働かない?」
「メイド喫茶で?」
「そう」
キャンはコーヒーを飲んだ。
「俺、メイド服似合うかなぁ~?」
「ブフゥッ!」
あまりにも意味不明な解釈に、キャンはコーヒーを噴き出した。
「君がメイドになる訳無いだろう!コックだよ、コック!」
「あぁ、そういう事でしたか」
「丁度今月でコックが一人辞めるんだ。君は料理上手だし、ピッタリなんじゃないかな?」
「良いですね、それ!キャンさんと一緒に居られるし!」
目を輝かせてキャンの提案に乗ったカイト。キャンはすぐさまスマートフォンでバイト先に電話し、面接の場を設ける事となった。翌日、カイトは『メイド喫茶サトー』に向かった。従業員用出入り口から入って来いとの事で、扉をノックした。すると、年配男性の低い声で「どうぞ」と聞こえてきたので、中に入った。そこにいたのはオーナーだった。オーナーは休憩室にカイトを通した。オーナーは威厳のあるオジーチャンで、第一印象は怖かった。カイトは履歴書を渡した。
「初めまして、倉部カイトです。宜しくお願い致します」
「あぁ、はい……メイド喫茶サトーのオーナーの佐藤清三です」
中身も厳格な人なのか、高圧的な雰囲気で面接が始まった。
「ウチは表向きはメイド喫茶だが、料理の中身で勝負している。それは分かってるか?」
「いえ、初めて聞きました。でも以前食べた時、とても美味しかったのを覚えています」
「そうか。ウチは審査基準は厳しいぞ」
「そうですか」
「君は……えっ!?あの有名な渋井大学の医学部だったの!?」
「はい」
「医者にはならなかったの?」
「うーん……まぁ、(正規の)医者にはなりませんでしたね」
「何で?国家試験落ちたの?」
「いえ?受かりましたよ?」
「じゃあ何で医者にならなかったの?」
「他にやりたい事(キャンと一緒に闇医者)があったので」
「えぇ……ちょっと、バーサン!バーサン!」
厨房からオバーサンが顔を出した。
「何よ!?何かあった!?」
「医者がここで働きたいってよ!」
「えぇ!?何!?医者が!?アンタ死ぬの!?介護が必要なの!?」
「違ぇよ!医者がここでバイトしたいんだってよ!」
「はぁ!?何それ!?」
オバーサンの佐藤芳江は手をエプロンの下で拭きながら部屋に入ってきた。
「初めまして、妻の芳江です。店長やってます」
「初めまして、倉部カイトです」
「あぁ、昨日キャンちゃんが言ってた子?」
「そう。厨房のバイト志望の人がいるって奴」
「へー……」
芳江はカイトを舐めるように上から下まで見た。そして清三の肩を思い切り叩いた。
「良いじゃな~い!こんなハンサムな子が来てくれるなら大歓迎よ!」
「痛ぇ!でも料理の腕を見ない事には……」
「あ、それもそうね。倉部君、だっけ?」
「はい」
「ちょっとこっち来て」
芳江に厨房に連れて行かれ、カイトはエプロンを着せられた。そしてコンロの前に立たされ、卵を三個用意された。清三と芳江は後ろからカイトを見ていた。
「プレーンオムレツ作ってみて」
「プレーンオムレツって、卵だけで作るやつですよね?」
「そうね」
「分かりました。お酢と砂糖とバターとケチャップありますか?」
「おっ、分かってるねぇ。これだよ」
芳江は棚の上を指した。カイトは調味料を手に取り、調理台の上に置いた。そして卵を割ってボウルに入れ、酢と砂糖を適量加えて手際よく泡立て器でかき混ぜてからザルで漉した。その後、フライパンを熱し、バターを乗せて広げた。溶けたバターに卵液を半分入れ、かき混ぜながら半熟になったタイミングでまたもう半分を入れ、同じようにかき混ぜ、ひっくり返した。
「手際は合格ね」
「そうだな」
カイトはそれを皿に盛り付け、最後にケチャップでハートを描き、ハートの中にLOVEを書き、二人の前に差し出した。
「出来ました」
「何でハートにLOVEって書いたの?」
「メイドさんがお渡しする時に完成させた状態にしなきゃと思って」
「文字やマークを書くのはメイドの仕事。しなくて良い」
「そういえばそうでしたね。すみません……」
「でも、見た目も合格ね」
「あぁ」
清三と芳江はプレーンオムレツを食べた。
「……美味いじゃないか!」
「えぇ、美味しいわ!」
「良かったです」
「手際の良さ、知識、盛り付け方、味も合格。良いんじゃない?この子」
「そうだな。試験は合格。君を雇おう」
「ありがとうございます!」
カイトは頭を下げた。
「いつから入れる?」
「いつからでも平気です」
「そうか。じゃあ早速明日から入れるか?」
「はい!宜しくお願いします!」
「じゃあ明日は仕込みとかあるから朝八時に出勤してもらって、少し料理の指導を受けてから作ってもらう。一ヶ月間は研修期間だ。そのつもりで」
「分かりました!」
「それとここの時給は1500円だが研修期間中は1000円だ。残業してもらう事もあるけど、その分は出す。休日は火曜日と木曜日。頑張ってくれよ」
「はい!」
面接が終わり、帰り際、履歴書を改めて見た清三が言った。
「あれ?倉部君、明日誕生日?」
「あっ、明日九月十日か。そうですね」
「そうか。本来なら誕生日はまかないが一品無料になるんだが、明日は研修期間って事もあるし、我慢してもらっても良いか?」
「はい!大丈夫です!」
「それと、まかないは普段一品お客様に提供している値段の半額でやってるからそのつもりで」
「はい!分かりました!」
そして芳江からレシピカードを数枚渡された。
「これは?」
「この店のレシピ。まずはこのメニューを家に帰って練習してみて?全部覚えたら返してね?」
「はい、分かりました」
「それと、ウチは急な休みにも対応してるから、急な用事が出来たら遠慮なく休んで良いからね」
「はい。分かりました。ありがとうございます」
その日は家に帰ろうとし、外に出ると、キャンが入れ替わりでやってきた。
「やぁ、カイト。面接はどうだった?」
カイトは右手でVサインを送った。
「そかそか。良かったな」
「はい!これでキャンさんと一緒に働けます!」
「あぁ、そうだな。いつから入るんだ?」
「明日の朝八時からです」
「そうか。私も明日は九時出勤だから一緒だな」
「そうなんですか?わー、何だか楽しみだなぁ」
「じゃあこれから出勤だから」
「はい、行ってらっしゃい」
「行ってきま~す」
キャンは手をヒラヒラとさせて従業員用出入口に入って行った。
カイトは家に帰ると、貰ったレシピを見ながらいくつか一人前分の料理を作り、キャンにも試食してもらおうと料理を半分に分けて、食べてみた。どれも美味しかった。キャン用の料理を冷蔵庫に入れ、「冷蔵庫にいくつかバイト先の料理を作ってみたので、帰ったら食べてみて下さい。明日は早いのでもう寝ます」とメッセージを送ってその日は風呂に入って寝た。
翌日、カイトは早起きして二人分の朝食とキャン用の昼食の弁当を作り、自分の朝食を食べてからメイド喫茶に向かった。
「おはようございます!」
「あぁ、おはよう」
出迎えたのは清三だった。カイトは更衣室に向かい、コック服に着替えて厨房に入った。
「おはようございます!」
「おはよう!倉部君!」
芳江は料理の下拵えをしていた。
「何か手伝う事ありますか?」
「じゃあオムレツとオムライス用にボウル五つ出して、それぞれに卵三つずつ割ってかき混ぜてくれる?」
「分かりました」
カイトはボウルを五つ取り出して卵を十五個出し、それぞれ三つずつボウルに割って入れ、酢と砂糖を適量入れて泡だて器でかき混ぜた。
「終わりました」
芳江は一旦手を止め、カイトの方を見た。
「倉部君、ハンバーグのレシピは覚えた?」
「はい。昨日家に帰った後、実際に作って食べました」
「仕事が早いねぇ!じゃあハンバーグ一人分作ってみて?」
「分かりました」
カイトは冷蔵庫から人参とピーマンとタマネギ、合挽肉とを取り出した。人参とピーマンとタマネギを微塵切りにして、挽肉と共に醤油、胡椒等を適量ボウルに入れて混ぜた。そしてフライパンでタネを焼き上げ、既に仕込みの終わった付け合わせも皿に盛り付けて芳江に差し出した。
「出来ました」
「やっぱり仕事が早いねぇ」
「ありがとうございます」
芳江はケチャップを掛けてハンバーグを食べた。
「これ、ウチのレシピ通りの味だわ……これ、家でどれだけ作ったの?相当練習したでしょ?」
「いいえ?一回だけですよ?」
「嘘だぁ。一回だけでこんなに味が再現できる訳無いわ」
「じゃあ試しに何個か他の料理も作りましょうか?」
自信満々の笑みに。芳江はジッとカイトを見詰めた。
「……いや、信じるわ。それにしても凄い新人が現れたわね……」
「そうですか?ありがとうございます」
「レシピは全部頭に入ってるの?」
「はい」
「流石お医者さん……暗記なんて訳無いのね」
「そうでもありませんよ。必死で覚えようとしただけです」
「いやいや、そんな謙遜しないで。立派な才能よ」
「ありがとうございます。ではこれはお返ししますね」
カイトはレシピカードを芳江に返した。
「家では他に何を作ったの?」
「全部作りましたよ?」
「全部って……全部?」
「はい。ハンバーグの他には、ミートソーススパゲッティとカルボナーラスパゲッティとオムレツとオムライスですかね」
「随分食べたわね……」
「同居人が居ますから」
芳江はギラリと目を光らせた。
「恋人?」
カイトはその目に一瞬怯んだ。
「えぇ、まぁ……」
芳江はそれを聞いて微笑んだ。
「それを聞いて安心した」
「何でですか?」
「ウチ、従業員同士の恋愛は禁止してるから」
その言葉にカイトは顔を引き攣らせた。芳江は従業員用出入り口までカイトを手招きし、外に出た。そして芳江は煙草を取り出した。
「あ、煙草、平気?」
「はい。父も彼女もヘビースモーカーなので」
「そう。貴方は吸わないの?」
「体に悪そうなんで」
「実際悪いよ」
芳江は微笑んで煙草に火を点け、吸った。
「前にね、従業員同士で恋愛沙汰がって、揉めた事があったのよ。警察沙汰になるくらいの揉め事がね。それから、社内恋愛は禁止してるの」
「そ、そうですか……」
歯切れの悪いカイトに、芳江は気付いた。カイトはキャンに惚れている事に。
「倉部君、貴方、ウチの従業員に惚れてここで働こうとしたんじゃない?」
事実を突き付けられ、カイトは取り乱した。
「い、いえ!そんな事はありません!」
芳江はカイトに詰め寄った。
「本当?」
カイトは思わず目線を逸らした。
「は、はい……」
芳江はカイトから離れた。
「確か、キャンちゃんからの紹介だったよねぇ?」
「はい。職探しをしていたところにキャンさんが紹介してくれたんです」
「へー、あのキャンちゃんがねぇ……って事は、今、付き合ってるのはキャンちゃんだね?」
「へ!?」
芳江の鋭い勘に、カイトは何も言えずに黙り込んだ。芳江は大きく煙を吸って吐いた。
「出会ったのは?」
「十二年前です」
「そう。丁度その頃からなのよね。あの子、最初の一年間は昼休憩は煙草を吸うだけでまかないとか食べなかったんだけど、その頃になって突然お弁当を持って来て食べるようになったのよね」
「そうだったんですか」
「彼氏の為に一生懸命お弁当作ったんだろうなって感心しちゃった」
「いえ?作ったのは僕ですよ?」
「え?じゃあその頃から付き合ってたの?」
「正式にお付き合いが始まったのは五年前です」
「どういう事?」
「まぁ、ひょんな事から中学生の頃から同居してたんです」
「ふぅん……?よく分からないけど、訳アリなんだね?」
「はい」
「ここで働きたいというのは本気なんだね?」
「はい!それは是非!」
「キャンちゃんとはどこで知り合ったの?」
「あー……えーっと……」
カイトは言葉を選んでフィクションを交えながら話した。
「キャンさんが本業をやっているのは知っていますか?」
「本業?」
「はい」
「あー、何か心理カウンセラーとかセラピストやってるとか言ってたかな?」
カイトは「これだ!」と思い、利用する事にした。
「そこで僕がカウンセリングを受けたんです。真摯に黙って全部聞いてくれる上にアドバイスもしてくれるキャンさんにいつしか心惹かれて、次第に仲良くなってデートを何回か重ねたんです。そして何回目かのデートで告白したら、OKを貰ったんです」
芳江は「そう……」と呟くと、煙草を大きく吸い、吐いた。
「まぁ、ウチでは働いてる最中に起こる恋愛を禁止しているだけで、最初から付き合ってるアベックを別れさせようとはしないよ」
「あ、ありがとうございます!」
カイトは勢いよく頭を下げた。
「でも、何かあったら承知しないからね」
「はい!」
「ちなみにキャンさんっていつから働いてるんですか?」
「えーっと、彼女が十五歳の頃から働いてるから、もう十二年になるのかな?ベテランだよ。あの頃から大人びていたけど、全く変わらず今に至るから、給料の殆どをブランド化粧品に使ってるんじゃないかしら?」
「あの人、自分の事二十七歳って言ってるのか……」
カイトは思わず声に出てしまった。
「えっ?何?」
「いえ、何でもありません」
そう交わして二人は厨房に戻っていった。丁度午前九時を回ったところでキャンが「お疲れ様でーす!」と言いながら出勤してきた。後ろには何人かの可愛い女の子達を連れていた。キャンと渋井美優、木下洋子、河野涼子だった。更に次々と男性三人が厨房に入ってきた。
「お疲れ様でーす!」
「お疲れっすー」
「おつでーす……」
真面目に元気良く挨拶した男は田中守夫。二十歳の大学生。少し気の抜けた挨拶をして入ってきたのは山口幸彦。22歳のフリーター。そして最後に元気無く入ってきたのは意外な人物だった。大学生時代、悪魔研究サークルの部長だった真島秀太だった。
「お疲れ様でーす!あっ!?真島先輩!?」
「あ?あぁ!?倉部!?」
感動の再会、ではなかった。秀太はカイトに詰め寄った。
「テメェ!テメェのせいで俺の人生は滅茶苦茶だ!」
「な、何がですか!?」
「お前がいなくなったら史枝ちゃんがいなくなるしよぉ……!」
「まぁ、ストーカーとか色々問題起こしてましたし」
「そのせいでサークルは部員不足で潰されるしよぉ……!」
「それはやっぱりサークル名がヤバい宗教団体に見えたからでは?」
「そのせいで俺、勉強が手付かずになって三留して退学させられるしよぉ……!」
「それは自分自身の責任でしょ?」
「そして親は『お前は勘当だ!』って家追い出されるしよぉ……!」
「それも自業自得でしょ?」
いちいち反論してくるカイトに、秀太は苛立ちを隠しきれず胸倉を掴んだ。
「お前さえ!お前さえ来なければ俺は!」
騒ぎを聞きつけた清三が厨房に入ってきた。
「何の騒ぎだ?」
「あ、オーナー」
「オーナー!何でコイツがここに居るんですか!?!?」
「何でって、面接して良い雰囲気と経歴だったし、試験も合格したから信用出来ると思って雇ったんだが?」
秀太はカイトに聞いた。
「医学部卒だよな、お前」
「はい、そうですが?」
「首席で卒業したそうじゃないか」
「えぇ、まぁ」
それを聞いて、秀太はニヤリと笑った。そして秀太は清三に向かって行った。
「オーナー!コイツ、使い物になりませんよ!」
だが清三はドスを利かせた声で秀太に聞き返した。
「何で?」
その声に秀太は一瞬狼狽えたが更に言い募った。
「だってコイツ、首席で医学部卒業してるのに、こんな所でバイトですよ!?絶対性格悪くてどこの病院も相手にしてくれなかったに違いありません!」
秀太の言葉に清三は眉間に皺を寄せた。
「こんな所?」
「あ、いや、その……」
「それに性格が悪い?」
「あ、はい!絶対そうです!」
「面接をした限り、真面目な好青年って感じだったぞ」
「それは演技です!」
「どうしてそう言い切れるんだ?君は倉部君の何なんだ?」
「大学時代のサークルの先輩です!」
「で?大学時代は倉部君はどうしてたんだね?」
清三はカイトの方を見た。
「最初の一ヶ月くらいは毎日サークルに出てました。ですがとある女の先輩にストーカー被害に遭って半年で辞めました。それからは勉強、実験、実習、研修の毎日でした」
「医学部だしそうだよな。で?その一ヶ月間で何があったの?」
「何も。強いて言うなら、さっきも言いましたが、女の先輩にストーカー被害に遭ってました」
秀太はキッとカイトを睨んだ。
「何だお前!?自慢か!?」
「違いますよ。事実、史枝先輩に監禁されましたし」
「史枝ちゃんが監禁……!?何だその嘘の妄想は!?仮に事実だとしても羨ましい限りだろうが!」
清三は秀太に拳骨を喰らわせた。
「今話をしているのは私だ!お前は黙ってろ!」
「……はい、すんません……」
シュンと大人しくなる秀太。清三は続ける。
「今の話を聞く限り、倉部君に非は無いな。今の時点ではね。でも病院に就職しなかったのは何でなんだ?」
「昨日も申し上げましたが、他にやりたい事があったので」
「それは何だ?」
「それは言えません。すみません……」
「……何か訳アリなんだな?」
「……はい……」
「そうか。まぁ今のところは良い。で、バーサン、腕の方はどうだ?」
清三は芳江に話を振った。芳江は明るい声で言った。
「倉部君って凄いのよ!レシピはもう全て頭に入ってるし、味の方もレシピ通りで文句無く美味しかったわ!」
「手間取ったりはしなかったか?」
「どこにボウルがあるかとか、どこにフライパンがあるかとか、そういうのはあったけど、手捌きは完璧だったわ!」
「そうか。分かった。倉部君」
清三はにっこりと微笑み、カイトの方を見た。
「君はここで働いてもらう。どうかこれから宜しくね」
「ありがとうございます!こちらこそ宜しくお願いします!」
カイトは頭を下げた。
「でも、いくらレシピが頭に入っているとは言え、とりあえず覚えた物から順に作ってもらおうか」
「分かりました!」
「じゃあこの二週間は研修期間って事で、毎日まかないでこの店のメニューを全部作ってもらおうか」
「はい!」
秀太は苦虫を嚙み潰したような顔をしてカイトを睨んでいた。清三はカイトに外にどれだけ待ってる客がいるか確認するように言って、整理券を渡した。そんなに並ぶのか?と思いながらもカイトはフロアの方に行き、出入り口から外に出た。すると、そこには平日の開業三十分前だというのに長蛇の列が出来ていた。非常に驚いたカイトは、慌てて整理券を客に配った。配り終えると、またフロアに戻った。そして業務開始十分前となり、テーブルや椅子を消毒していたメイドさんも一旦作業を止め、コックと共に一同はフロアに集まった。清三は開店前のミーティングを始めた。
「じゃあ、今日も一日頑張りましょう!」
一同は「はい!」と元気良く返事した。
「それともう一つ。今日は厨房に新人が入る。倉部君、挨拶を」
「はい!今日からお世話になります!倉部カイトです!精一杯頑張りますので宜しくお願いします!」
一同は「宜しく」と言いながら拍手した。そして清三は重ねて言った。
「倉部君は医大を首席で卒業している。でも夢の為にここに来たという。どうか温かい目で見守ってくれ」
一同はざわついた。が、清三は手をパンッと叩いて言った。
「さ、もう開店時間だ!お客様を迎え入れるぞ!」
一同は「はい!」と言ってそれぞれ配置に着いた。カイトは厨房に行き、何をすれば良いか分からず立ち尽くしていると、秀太から叫ばれた。
「倉部!カレー用のジャガイモの皮を剥け!」
「は、はい!」
カイトはジャガイモの皮を剥こうとしたが、何個向けば良いか分からず、カレーを作っている守夫に聞いた。
「田中さん、どれくらい剥けば良いですか?」
すると守夫が答える前に秀太が大声で答えた。
「そこの全部の箱のジャガイモ!全部だよ!」
「えっ、でも結構量がありますよ?」
「良いから黙ってやれ!」
「……はい」
「ちょっと、真島さん。いくらなんでもそれは……」
「良いんだ!お前は口を挟むな!」
守夫は不服そうにカレー作りを再開した。カイトは無心でひたすらジャガイモの皮を剥いた。丸一日、ジャガイモの皮を剥くのか。まぁ下働きってそういうものなのかな。と思いながら必死でジャガイモの皮を剥いた。暫くして客足が引き、午後四時。昼休憩に入る事となった。そこへ清三がやって来て、厨房スタッフに声を掛けた。
「おーい、昼休憩だー」
一同は「はーい」と言って手を止めて昼休憩をする事にした。カイトの下へ清三が向かった。
「倉部君、昼休憩だぞ」
「あ、後これだけなんで、これが終わったら休憩します」
清三は剥いたジャガイモの量を見て驚いた。段ボール二個分だった。
「何でこんなに剥いた!?」
「えっ、それは真島さんから……」
カイトが秀太から言われた事を伝えようとすると、そこへ秀太が現れた。
「倉部!お前何て事してくれたんだ!」
「はい?」
「真島君。君が指示したのかね?」
「指示をしたのは確かですが、こんなに剥けとは言ってません!」
「そうなのか?」
清三はカイトの方に向き直った。
「いいえ。そこにある段ボール全て、と言われました」
「……そうか。まぁ誰にでも失敗はある、倉部君。真島君、キチンと分かりやすい指示をこれからは出すように」
「はい。すみません」
そしてカイトはまかないを作る事にした。メイド含め、清三や芳江、厨房スタッフの一同は厨房に集まった。すると清三は言った。
「普段、研修生にまかないを作ってもらう事はしないんだが、君は特別だからね。やってもらうよ。良いね?」
「はい!」
「真島君、サポートしてやってくれ」
「はい!」
真島はニヤリと笑い、カイトと共に厨房に立った。そしていくつか店のメニューの料理を作り、テーブルに並べた。
「出来ました」
「見た目は百点」
清三達は料理を食べた。すると、すぐに不満を言った。
「おい、これはどういう事だ?」
「はい?」
「ハンバーグが甘いぞ」
「えっ?」
するとメイド店員の河野洋子も顔をしかめた。
「パフェがしょっぱい……」
同じくメイド店員の吉村清美も顔をしかめた。
「私のも……」
「えぇ!?」
清三は腕を組んで頭に手を当てた。
「倉部君。君、砂糖と塩を間違えたね?」
「そんな筈は……!」
「今日は勘弁してあげるけど、明日も同じようなら、給料減給も考えるからね」
カイトは気付いた。砂糖と塩を入れる時、秀太に取るように頼んだ。きっと秀太がわざと砂糖と塩を逆に渡したのではないのかと。そう思ったが、確証が無い。その場は謝る事にした。
「……すみませんでした」
「全く……期待の新人が現れたと思ったのに……ガッカリだよ」
「すみません……」
カイトは皿洗いをした後、一人従業員用出入口に向かった。溜め息を漏らしながら扉を開けると、そこではキャンが煙草を吸っていた。
「おや、カイト」
「あぁ、キャンさん」
「どうしたんだい?こんな所に来て」
「ちょっとまかないで失敗してしまって……」
「あぁ、君は期待されてたからな。まぁ、長い人生、失敗する事もあるさ。気にするな」
「超ショックなんですよ……俺、嵌められたんです……」
「何だって?」
「サポートに回ってた真島先輩に、砂糖と塩を逆に渡されてたんです……確証は無いけど、きっとそうです。その時しか考えられません……」
「ふぅん……?そうか……まぁ、心当たりはあるな」
「えっ……?」
そう話していると、芳江と秀太と守夫が現れた。
「あら、倉部君。ここに居たのね」
芳江と秀太と守夫は煙草を吹かした。
「まぁ、倉部君。誰にでも挫折はあるから。気にしないで、この後と明日以降も頑張りなさいな」
「はい……ありがとうございます、店長……」
「そうだぞ、倉部。ま、頑張れよ」
お前が仕組んだ事だろうが、とカイトは思ったが、それを飲み込んだ。するとキャンが煙草を揉み消し、カイトの頭を撫でた。
「ま、次から頑張れば良い。根気良くここに馴染む事だね」
「キャンさん……ありがとうございます」
「うん。じゃあ私戻るから」
「はい」
キャンは従業員用出入り口から中に戻っていった。すると、秀太が詰め寄ってきた。
「おい、お前!キャンさんとどういう関係だ!?」
「……ただの知り合いですよ」
「ただの異性の知り合いが相手の頭を撫でるか!?」
「それだけ仲が良いんですよ」
「そんな事あるか!良いか!?キャンさんはな、このメイド喫茶の指名数ナンバーワンなんだ!彼女目当てに来る太客が多いんだ!」
「へー、そうなんですか。流石キャンさん」
「もしそんなキャンさんに彼氏が出来たと言ったらどうなる!?店から客が遠のくんだぞ!」
「それは大変ですね」
「だからこれ以上キャンさんに関わるな!店の為にな!」
あまりにも必死な秀太に、察したカイトは言った。
「真島さん、キャンさんに惚れてますね?」
意表を突かれた秀太は、ムキになって答えた。
「あぁ、そうだよ!俺はキャンさんの事が好きだ!」
すると芳江が秀太の頭を拳骨で殴った。
「従業員同士の恋愛禁止!」
「……はい!すんません!」
「それに、キャンちゃんにはもう彼氏いるよ」
「えぇ!?」
また意表を突かれた秀太は目を丸くして芳江の方を見た。
「どこのどいつですか!?どんな野郎ですか!?」
芳江はカイトに目線を送った。カイトは自分が彼氏ではないと言ってほしいと言う目線を送り、頷いた。すると芳江は言った。
「倉部君だよ」
「何だと!?」
「ちょっと!店長!?」
芳江の言葉に、カイトと秀太は声を荒げた。
「ちょっと店長!それ言っちゃ駄目ですって!」
「あら?あの頷きはそういう事かと思って」
「違いますよ!」
秀太はカイトに詰め寄った。
「お前!ここは恋愛禁止の職場だって知ってるだろ!」
「知ってますよ。面接の時言われました」
「だったら別れろ!」
「嫌です」
「店長!社内恋愛禁止ですよね!?キャンさんはここの看板娘だからクビは止めてほしいですが、昨日今日会ったばかりのコイツはすぐにクビにして下さい!」
芳江は煙を大きく吸い、吐いた。
「社内恋愛は、働いてる最中に出会ったアベックが出来たらクビにするってだけで、最初から付き合ってるアベックが来たところでクビには出来ないよ」
「そんなぁ……」
そこへキャンが再び現れた。
「随分私の話で盛り上がってるじゃないか」
「あ、キャンさん」
「キャンさん!」
「キャンちゃん。どうしたの?」
「やっぱりもう一本吸ってから仕事に戻ろうかと思って扉の前まで来たんだけど、聞き耳立ててたの」
キャンはカイトを抱き寄せて口付けをした。それを見て笑う芳江と絶望の顔をする秀太。
「私はカイトのものよ。誰にも靡かないわ」
「そ、そそそ、そんなぁ……」
へたり込む秀太。それに追い打ちを掛けるように芳江は言った。
「それにね、私、見てたよ。真島君がジャガイモを大量に剥くように指示したのも、まかないで砂糖と塩を逆に渡すところも。後できっちりオーナーに言っておくからね。あの時すぐに指摘してあげなくてごめんね、倉部君」
それまで口を挟まず煙草を黙々と吸っていた守夫も言った。
「俺もそういった指示を出してるの見てましたよ。止めたのに、大量のジャガイモを剥けとか」
「えぇ!?そんな事してないですよ!」
するとそこへキャンも追い打ちを掛けた。
「私も見てたよ。たまたま厨房を覗いた時、ジャガイモを大量に剥けとか、さっきのまかないで砂糖と塩を逆に渡してるところ」
「キャンさんまで!酷い……!」
するとキャンがしゃがんで言った。
「私ね、卑怯な真似をするような人は大嫌いなの。私の事は諦めなさい」
キャンは立ち上がり、煙草をもう一本吸い始めた。
「キャンさぁん!」
抱き着こうとする秀太をキャンは避けて、秀太に平手打ちをした。
「貴方、最低よ」
すると秀太は従業員用出入り口の扉を勢いよく開けて中に走り去っていった。キャンは不敵な笑みを浮かべてカイトを見た。
「ベストタイミングだった?」
「えっ?」
「丁度入れ替わりで煙草から帰る時に真島君が行ったから、もしやと思って聞いてたんだよね」
「そうだったんですか……ありがとうございます」
「私からもキャンちゃんからも田中君からも今日の事はオーナーに言っておくから、安心してね」
「ありがとうございます!店長!」
カイトは頭を下げた。芳江はカイトの肩をポンと叩き、笑顔で覗き込んだ。
「これからもよろしくね?この店の事も、キャンちゃんの事も」
「……はい!」
「さぁ、夜も頑張っていきましょ~!」
「はい!」
その後、閉店作業を終えて、キャンとカイトは帰って行った。翌日、カイトへの嫌がらせに対して、秀太はオーナーからクビを宣告された。普段から勤務態度にも問題があった。やる気が無い事や、ミスの連発、キャンへのアプローチ。そしてカイトへの嫌がらせが決定打だった。
ある日のバイト終わりの夜の帰り道、キャンとカイトは近所のスーパーで買い物をし、家に帰ろうとした。すると薄暗い街灯の中、後ろから何者かが走って来て、カイトは突如右わき腹に激痛が走った。
「ぐぁっ!?」
「カイト!?」
カイトはその場で倒れ、キャンは屈んでカイトの様子を見た。右脇腹から大量出血をしていた。刃物で刺されたような傷口だった。犯人の方を見ると、その人物は、秀太だった。秀太は血塗れの包丁を持って、震える声で言った。
「お前が……!お前が悪いんだ……!お前さえいなければ、史枝ちゃんだって、キャンさんだって、大学だって、サークルだって、バイトだって、実家だって……!」
秀太は今度は叫びながらキャンに向かって包丁を握り締めて振り上げた。キャンは合気道で秀太を確保し、救急と警察に通報した。すぐに救急車とパトカーが到着し、秀太は警察に連行され、カイトは救急車に乗せられ、キャンは同乗した。行き先は渋井大学附属病院を指定した。病院に着くと、諸々検査した。刺し傷は腎臓まで届いており、緊急手術をする事となった。キャンはすぐに手術着を着て手術室前まで来た。すると同じく手術着を着た孝之が前に現れた。
「何だ?」
「君の専門は癌だろう。この手術は、私がやる」
「いいや、私がやる。そこを退け!」
キャンは孝之を殴り飛ばすように無理矢理押し退け、手術室に入り、麻酔が効いてるカイトに縫合手術を施した。孝之のサポートもあり、手術は成功。十日後、無事カイトは退院した。孝之や看護師達にお礼を言って事務所に帰った。まだ痛みがあるのか、カイトは脇腹を抑えながらソファに座った。
「いつつ……」
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございました」
「いやいや。恋人の命を救う事が出来て私も嬉しいよ」
「それで、真島先輩はどうなりました?」
「実刑は免れないだろうなって刑事さんが言ってたよ」
「そうですか……」
「何だ?何か浮かない顔をしているな」
「いえ……‥俺が医者を目指さなければ、こんな事にならなかっただろうなって思って……」
「そんな事無い。ああいう奴は遅かれ早かれどこかしらで似たような事してただろう。気にしなくて良い」
「でも……」
「カイト。君は優し過ぎる。そんな事じゃあ、私の下で働けないぞ?」
「……分かりました」
「時には非情にならないといけない事がある。これから先、厳しい仕事は色々ある。それが嫌なら、ここを辞めてキチンとした病院に就職をだな……」
カイトはキャンの言葉に被せて言った。
「俺はここを辞めません!一緒に居ます!」
「……そうかい」
カイトはふと思い出した。治療費の事だ。
「キャンさん。今回の治療費はいくらですか?」
キャンは疑問符を頭の上に浮かべた。
「無料だが?」
キャンの回答に、カイトは驚いた。
「いやいやいや!治療費くらい払わせて下さい!」
「良いんだって。私は癌の専門医だ。それ以外の治療は基本的にしない事にしてる」
「でも俺を助けてくれたじゃないですか!」
「それはそれ。これはこれ。緊急事態だったからやったまでだ。それに身内から金は取らんよ」
「入院費の事もありますし、払わせて下さい!」
カイトの剣幕に圧倒され、キャンは観念した。
「……分かったよ。じゃあ入院費込みで治療費1000万円ね」
「分かりました」
カイトは笑った。
「何?」
「いや、流石モグリだなって思いまして」
「何で?」
「怪我の手術でも1000万円。ボッタクリでしょ」
「命の危機に瀕していたんだぞ。これでも安いくらいだ」
「あはは、そうでしたね」
キャンは窓の前に立ち、煙草を吹かした。カイトも窓の外を見た。夜空には、満月が光り輝いていた。
「今日は月が良く見えるな」
「そうですね」
暫く沈黙が続いた。すると二人は同時に言った。「月が綺麗ですね」と。二人はハモッてしまった事に微笑み、顔を見合わせた。そして口付けをした。
「本当は続きをしたいんだけど、その腹じゃあね……」
「いや、俺、大丈夫です」
「本当か~?」
キャンはカイトの傷口を突いた。するとカイトは少し痛がった。
「何するんですか!」
「ほれほれ~」
何度もカイトの傷口を突くキャン。カイトはキャンから離れた。
「意地悪……」
「そう、私は意地が悪いんだ」
二人は笑い合った。そしてキャン、カイトの順で風呂に入り、それぞれの自室に戻り、就寝した。




