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黄道史枝

『将来、僕の癌細胞を食べて下さい』6


・黄道史枝


 一ヶ月もすると、カイトは大学生活にも慣れ始めた。秀太からは一年生から三年生までの過去問を貰った。日々の勉強と実験に苦戦しながらも、キャンの手助けのお陰で何とか中間試験では全て秀だった。キャンからは「もう立派な医学生だからお祝いの金額をアップしよう」と提案され、高校生までは満点だった教科一つに付き1000円だったものを1万円に上げられて渡された。最初は遠慮したカイトだったが、キャンから半ば強引に渡された。そして部活はそこそこ楽しめていた。キャンが召喚したような悪魔の研究が、他にも無いか。自分でも出来ないか。それを調べていた。そしてよく史枝からサシで飲みに誘われる事が度々あったが、キャンからの言葉もあり、距離を置く事にしていた。そのやりとりにサークルメンバーは苦虫を嚙み潰したような表情でカイトの事を睨み付けているという、そんな日々を過ごしていた。夏休み中は合宿と銘打ってサークルメンバーは思い切り遊んだ。色々悪魔降臨の儀を行ってみたが、どれも不発だった。合宿が終わると、カイトは後れを取り戻す為に猛勉強した。そして十月に入り、文化祭が行われた。文化祭で史枝はミスコンに二度目の優勝を果たした。悪魔研究サークルのカイト以外のメンバーは全力で彼女をオタ芸で応援していた。

 カイトは大学に入学した後も暇が出来た時、キャンの手術の助手をしていた。更にカイトは悪魔についても猛勉強した。

 ある日、ずっと断り続けていた史枝からの誘いにカイトは乗った。ある事を聞く為に。史枝はカイトを居酒屋に連れて行った。それを、他のサークルメンバーはまたハンカチを咥えて見送った。以前来た居酒屋に着くと、前と同様にように史枝はビールを、カイトはジンジャーエールを頼み、乾杯した。

「珍しいね。いつも断るのに」

「今日はちょっと聞きたい事がありまして」

「なぁに?」

 カイトは前のめりになって史枝に聞いた。

「サイン・キャンという方を知ってますか?」

 史枝はビールを飲むのを止め、ジョッキをテーブルに置いた。

「さいん、何だって?」

「サイン・キャンです」

 少し間が開いた。そして史枝は何事も無かったかのようにビールを飲んだ。

「さぁ?知らないわね」

「本当ですか?」

「こんな事で嘘吐いて何になるって言うの?知らないものは知らないわよ」

「そうですか……」

 史枝はジョッキを空け、お代わりをした。すぐにビールが運ばれて来た。史枝は煙草を吹かした。

「で、何でそんな事を聞いたの?」

「サイン・キャンという女の人と今住んでて、史枝先輩の話が出たんです」

「何?あの女、カイト君と暮らしてるの?」

「あの女って……やっぱり知ってるんじゃないですか」

「あぁ。知ってるよ。だがまさか君みたいな若造に惚れ込んでいるとはね。これは驚きね」

「キャンさんは僕は眼中に無いって言ってましたよ」

「そうかなぁ?君、彼女の元旦那とそっくりだよ」

「えっ?そうなんですか?」

「えぇ。もう、あの女、カイト君の事を男として見てるんじゃないかしら」

「そ、そうなんですかね……?」

「多分ね。元旦那、ハンサムだったし。カイト君とよく似てる。私が恋した人を、あの女はお見合いで奪ったのよ」

「奪った?」

「あぁ、こっちの話。気にしないで」

「気になるんですけど」

「まぁまぁ。それより、本題があるんじゃないの?」

 ハンサム等と嬉しい事を言われて浮かれたカイトだったが、恋した人を奪った話は後で聞くとして、核となる話を聞く事にした。

「史枝先輩。何故キャンさんにあの儀式を勧めたんですか?」

「知的好奇心」

「……は?」

「知的好奇心だよ。実際、悪魔と契約出来るのか知りたくてね」

「じゃあ自分でやれば良かったじゃないですか。何故キャンさんを巻き込んだんですか?」

「どんなリスクがあるか分からないじゃない。だから実験したの」

 カイトは激怒した。

「友人を犠牲にしてまで実験だと?ふざけた事を言うな!それでキャンさんがどれだけ苦しい思いをした事か分かってるのか!?」

 史枝は煙草を吹かした。

「それについては私も悪いとは思ってるわよ。でもね、私の夢を叶える為には小さな犠牲に過ぎないのよ」

「小さな犠牲?ふざけるな!キャンさんだけは助かったけど、家族は皆殺されたんだぞ!」

「だーかーらー、それについてはごめんなさいって思ってるわよ。だから私はキャンの元を去ったんだから」

「謝罪はしたのか!」

「あー、そういえばしてないねぇ。何か気まずくて」

「気まずいって理由だけで謝ってないのか!?ふざけ続けるのも大概にしろ!すぐにでも謝りに行け!」

「今更どの面下げて謝れって言うのよ?」

「今更とかそういうの関係無い!キャンさんは史枝先輩をまだ許してない!」

「根に持つ女ね」

「それだけの事をしたんだろうが!」

 カイトの剣幕に押され、史枝は煙草を揉み消した。

「ま、会う機会があれば謝ってあげる」

「いつでも家に来て下さい。いつでも会えますから」

「はいはい。その内ね」

「絶対、絶対に誠心誠意謝罪して下さいね!」

「はいはい。分かったわよ」

 史枝は煙草に火を点けた。そしてカイトは史枝にもう一つの話を聞く事にした。

「ところで話は変わるんですが」

「今度はなぁに?」

「史枝先輩とキャンさんって同い年なんですよね?」

「えぇ、そうよ?」

「キャンさんは儀式で不老の力を得て今も生きていますが、史枝先輩はどうして長生きしてるんですか?」

「いいや?長生きとはちょっと違うわねぇ」

「どういう事です?」

「それはまだ言えないなぁ~」

 はぐらかされたカイトは苛立ちを抑えられず、またこれ以上は話してもらえそうにないと感じると、財布から5000円札を一枚取り出し、テーブルに置いた。

「分かりました。では後日みっちり聞かせてもらいますので、そのつもりでいて下さい」

 カイトは席を立ち、退店した。事務所に帰った。すると事務所の二階の窓から煙草を吸いながらキャンが手を振っていた。

「おーい、少年ー」

 カイトは億劫そうに手を挙げただけで事務所に入った。

「ただいま……」

「おかえり。あれ、少年、元気ないね?大学で何かあった?」

「黄道史枝先輩と飲みに行きました」

「シエと!?何て言ってた!?」

「儀式の細かい契約内容を伝えなかったのは悪いとは思ってるらしいですが、基本的に謝る気は無いそうです」

「そうか……」

 キャンは煙草を吹かした。

「まぁ、もう昔の事だからな……でも気にしてないと言うとそれは嘘になる。いくら謝ったって、絶対に許さないよ」

「そう、ですよね……」

「少年。六年分の過去問を貰ったらすぐにそのサークルから抜けて史枝とはもう関わり合うな」

「……分かりました」

 その日はカイトは風呂に入って、少しだけ勉強して眠りに着いた。一方、事務所の外では、史枝が事務所を陰から見ていた。

「サイン。ここにいたのね……」

 史枝は帰って行った。

翌日、大学に向かい、講義を終えてサークルに向かうと、秀太や正敏がカイトに詰め寄ってきた。

「倉部ぇ!」

「は、はいっ!?」

「お前ら、昨日飲みに行ったよな!?」

「は、はい。それが……?」

「前にも二人だけで行ったな!?何があった!?」

「え、飲みに行っただけですけど?」

「馬鹿野郎!その後だよ、その後!夜の街に行ったのか!?」

「は?行ってませんけど?」

「本当か!?」

「嘘吐いてどうするんですか」

「抜け駆けはしてないな!?」

「神に、いや、悪魔に誓って何もありません!」

 カイトの真っ直ぐな瞳に、秀太と正敏は引いた。

「……分かった。その言葉、信じよう」

「ありがとうございます」

 秀太と正敏は席に着いた。カイトも席に着いた。

「あの、部長……」

「何だ?」

「医学部の過去問の事なんですけど……」

 秀太と正敏は「あぁ」と言って鞄から大量の過去問を取り出し、カイトに渡した。

「はい、これ、六年分の過去問ね」

「ありがとうございます」

 カイトは受け取ったは良いが、どうやって持って帰ろうか悩んだ。すると正敏が本棚の上にあった紙袋を手に取り、カイトに渡した。

「これに入れて持って帰りな」

「ありがとうございます」

 カイトが紙袋を受け取り、過去問を入れていると、史枝が部室に入ってきた。

「お疲れ様で~す」

「あぁ、史枝ちゃん。お疲れ~」

「おっつ~」

「お疲れ様です……」

 昨日の事で気まずいカイトは、とりあえず素っ気無い挨拶だけして過去問を紙袋にしまった。すると史枝はカイトの肩を抱き寄せた。

「カイト君、昨夜は楽しかったね」

 そう言って史枝はカイトの隣に座り、持ってきていた悪魔に関する本を読んだ。その様子に、秀太と正敏は強引に部室の外にカイトを連れて行った。

「おい!どういう事だ!?」

「な、何がですか?」

「昨夜は楽しかったって史枝ちゃん言ってたろ!何があった!?」

「別に何もありませんでしたよ!」

「じゃああの史枝ちゃんの態度は何だ!?」

「知りませんよ!」

「昨夜何があった!?」

「何があったも何も、飲みに行っただけですよ!」

「嘘吐け!ホテルにでも行ったんだろう!?」

「行きませんでしたよ!信じて下さい!」

「信じられるか!」

 そう大声で言い争いをしていると、部室から史枝が顔を出した。

「安心して。私とカイト君は、昨日本当に飲んで帰っただけだから」

 その言葉を素直に信じた秀太と正敏は機嫌を直し、部室に戻っていった。カイトは荷物を纏める為に部室に戻った。そして帰り支度を始めると、史枝が声を掛けた。

「あら?帰っちゃうの?」

「過去問を頂いたので、家で勉強しようと思いまして」

 すると正敏が言った。

「ここでも良いじゃないか。何も悪魔の研究をする為だけにいる必要は無いんだぞ?」

「一人の方が落ち着くので。それに、そろそろ抜き打ちテストがあるという噂もありますし」

「そうか~。医学部生って大変なんだな~」

 呑気に頭の後ろで腕を組む秀太と正敏。すると史枝は荷物を纏め始めた。

「そう。じゃあ私も帰ろうかしら」

 秀太と正敏は驚いた様子で「えっ?何で?」と史枝を見た。

「カイト君、帰るみたいだし。私も帰ろうかなって」

 カイトはまた誤解が生まれると思い、史枝を止めた。

「史枝先輩、そういうの困るんで止めてもらって良いですか?」

「そういうのって?」

「僕は心に決めた人がいるので、そういう噂立てられるの困るんです」

 史枝はニヤリと笑った。

「心に決めた人って、サインの事?」

 意表を突かれたカイトは狼狽えた。

「え、いや、あの、その……」

 秀太は正敏にこっそり耳打ちした。

「サインって何?」

「知らない。契約書か何かじゃないか?」

「何なんだろう?」

「さぁ……?」

 カイトは秀太と正敏の会話が聞こえていた。なので強い口調で史枝に言った。

「とにかく、もう僕とはこういう関わり方をしないで下さい!じゃないと……!」

「サインに言う?」

 余裕たっぷりな表情の史枝に、カイトはたじろいだ。

「言ってどうするの?私を退学でもさせる?」

「そ、それは……!」

 カイトは何も言えなかった。しかし震える声で言った。

「もう、僕の事は構わないで下さい……!」

 カイトは部室を飛び出して事務所に帰って行った。残されたサークルメンバーは「一体何なんだ?」と頭に疑問符を浮かべてその状況を飲み込めずにいた。カイトは事務所に帰ると、一気に体の力が抜け、ソファにどっかりと座った。そこへキャンが現れた。

「おかえり、少年」

「あぁ、キャンさん……ただいま……」

 カイトの疲れ切った顔にキャンは微笑みかけた。

「どうした少年?もう学校の勉強に着いて行けなくなったかい?」

「いえ、そうじゃないんです……」

「じゃあ何だい?」

「それは……」

 史枝の事を話そうかどうしようか悩んだ。正直に話して良いものなのかどうか。黙っていると、突如出入口の扉が開いた。そこには史枝が立っていた。

「シエ……!」

 キャンは史枝に詰め寄り、胸倉を掴んだ。

「貴様、何しに来た!?」

 史枝は全く動じず、不敵な笑みを見せた。

「あら、感動の再会なのに、随分な態度ね?」

「何が感動の再会だ!私の事を実験台にしておきながら!私の家族を殺しておいて!」

「やったのは貴方でしょう?私は不老不死の話を聞かせただけよ?自業自得でしょう?」

「私は全てを失った!私はお前を絶対に許さない!」

 キャンは台所から包丁を取ってきて史枝に向かって走っていった。カイトは慌てて止めようと史枝の前に立った。しかし史枝はカイトを突き飛ばし、前に出た。包丁は史枝の心臓を貫き、血が溢れ出た。

「史枝先輩!」

「ぐっ……!不死身になっても、痛いものは痛いのね……!」

 キャンは史枝を押し倒し、めった刺しにした。

「がっ!はっ!ぐぁ!」

 それを見てカイトはキャンを羽交い絞めにして止めた。

「キャンさん!止めて下さい!」

「離せ少年!こいつだけは!こいつだけは許せない!」

 キャンの凄い力でカイトは引き離され、キャンは史枝を刺し続けた。やがて動かなくなった史枝を見て、キャンは包丁を床に落とし、涙を流した。

「はぁ……はぁ……!」

「キャンさん……」

 キャンは血溜まりの中ゆっくりと立ち上がり、ソファに座り込んだ。カイトは近くにあったブランケットをキャンに掛け、背中を擦った。とんでもない事になってしまった。医者であるキャンが人を殺してしまった。それもカイトの大学の先輩を。これからどうするべきか考えていると、史枝の手の指がピクリと動いた。すると史枝は仰け反りながら起き上がった。史枝は服をあちこち引っ張って確認した。

「あーあ、服に穴が開いちゃった」

史枝の傷口は跡も無く塞がっていた。キャンとカイトは眼を見開き、呆然と口を開け、ただただ史枝を見た。

「な、何故生きてる……!?」

「まさか、先輩も悪魔との契約を……!?」

 史枝はニヤリと笑った。

「えぇ。そうよ。蟹座の悪魔と契約したのよ」

「でも、お前は何も失ってない……私と同じように移植したのか……?」

「いいえ。私は旦那と子供を生贄にしたの」

「何だと!?」

「ま、大した男じゃなかったし、最愛の妻がいつまでも若くいられるって言ったら乗り気でね。子供は赤ん坊だったから事情は分からなかっただろうけどね。サインのように自分の体を犠牲にしたくなかったから詳しい内容は教えずに代わりに生贄になってもらったのよ」

 キャンは叫んだ。

「ふざけるな!人の命を何だと思ってる!?」

「それ、貴方が言う?人の事、殺そうとしておいて」

「ただの復讐だ!それにお前に人の命をどうこう言う資格なんて無い!」

 次第にヒートアップしていくキャンを、カイトは止めた。

「キャンさん、ちょっと待って下さい!」

「少年は口を挟むな!」

「気になる事があるんです!」

 カイトの気迫に気圧され、キャンは口を噤んだ。

「先輩、貴方、蟹座の悪魔と契約したと言いましたね?」

「えぇ。そうよ?それが?」

「なら何故、こんな事をされて生きていられるんですか?」

「どういう事かしら?」

「蟹座の悪魔との契約は、不老、寿命の延長、病気にならない事、でしたよね?」

「そうね」

「だったら何故こんなに外的要因による傷害で死なないのですか?」

 史枝は懐から煙草を取り出し、火を点けた。

「……私はね、死神なのよ」

 カイトとキャンは史枝の意外な言葉に声を揃えて「はぁ?」と言った。

「私は疾うの昔に死んでるのよ。かれこれ100年前くらいかな?戦争で空襲を受けて死んだの」

「それが死神とどう関係があるんですか?」

 史枝は語り出した。蟹座の悪魔と契約し、自分の夫と子供を生贄にした。それから遊郭で働いていた。病気にならない事を逆手に取り、どんな客でも相手をし、花魁まで上り詰めた。そして癌細胞を持つ、またはこれから発症する結婚相手を見付けて遊郭を抜けると、その旦那を殺し、癌細胞を食べた。そしてまた別の遊郭に入ると同じ事をして……と、それを繰り返し、夫達を食べて生きながらえていた。やがて日本が戦争をするようになり、空襲で死亡した。死後、三途の川を渡り、あの世で死神になり、死神が働く会社に入社した。死んだ者の魂を回収する仕事を行うようになった。暫く何事も無く仕事をしていたが、急激に体調が悪くなった。もしや癌細胞を食べていないからか、と思い、すぐに現世に向かって某病院に廃棄処分されている病理廃棄物から癌細胞を拝借して食べた。するとそれまでの体調不良が嘘のように体が軽くなった。そして最近は有給休暇を取り、現世に行き、癌細胞を探して食べ歩いていた。そこで自分が医者になれば、癌細胞を食べ放題になるんじゃないかと思い始め、医者を目指すようになったと言う。キャンは怒りを露にした。

「何て身勝手な奴だ……!」

「私だって後悔してるのよ?まさか死んでも契約は継続するなんて知らなかったんだし」

 今度はカイトが怒りに震えて言った。

「犠牲になった人達に謝罪の気持ちは無いんですか!」

「あー、悪い事しちゃったなー。とは思ってるよ」

「貴様ぁ!」

 キャンが再び史枝に掴み掛ろうとしたが、カイトはまた止めた。そして史枝に向かって質問した。

「で、今日は何しに来たんですか?」

 史枝は「あぁ!」と手をポンと叩いた。

「そうそう。今日は謝罪しに来たのよ」

「謝罪?誰に?」

「サインに」

「私に謝罪だと……?」

「えぇ。もう時効だし、会う事も無いと思ってたんだけど、カイト君から言われたからね。サインに謝れって」

「それで?」

「もう過去の事は水に流して、お互い仲直りしましょう?ごめんねー、悪い事しちゃってさー」

 史枝の謝罪とも言えない言葉に、キャンとカイトは肩を震わせた。

「ふざけるのも大概にしろと言った筈だ……!」

「じゃ、謝ったし、過去は過去としてこれでお終い!じゃあね~」

 史枝は出入り口の扉を開けて出て行った。それをキャンとカイトは睨み付けていた。

「シエ……!」

「史枝先輩……!」

 その日はキャンは疲れたのか。真っ直ぐ自室に向かい寝た。カイトは部屋の血を掃除し、夜食と翌日の食事を作ってから風呂に入って寝た。

 翌日、カイトは早起きした。退部届を出しに行く為に。早朝なら誰も居ないだろうと思い、カイトは大学の部室に向かった。するとそこには秀太が寝ていた。一瞬驚いたが、起こさないように退部届を出して去って行こうとした。しかし扉の開閉音に気付いたのか、秀太は起き上がった。昨夜、帰らず泊って寝ていたようだった。

「誰?」

「…………」

 カイトは何も言わず、ただ退部届をテーブルに置き、去って行った。それ以来、悪魔研究サークルには顔を出さず、史枝とも距離を取って生活していた。半年後、二年生に進級した。二年次のレジュメの説明を一番後ろの席で受けていた時、隣にある女性が座ってきた。史枝だった。

「やぁ、カイト君」

「史枝先輩!?」

 先生と生徒の一同がカイトを見た。カイトは咳払いをした。

「すみません。続けて下さい」

 先生は説明を続けた。

「どうしてここに居るんですか?三年生の授業は別の棟でしょう?」

「私、留年したの」

「はぁ?あの悪魔研究サークルに入り浸ってからですか?」

「いいえ。違うわ」

「じゃあ何で?」

 史枝は不敵な笑みを浮かべてカイトを見詰めた。

「カイト君と一緒に居たいから」

 その笑みと言葉に寒気を感じ、席を立って別の席に移動した。史枝はクスリと笑い、その日は特に接触する事無く一日が終わった。それからというもの、史枝はカイトの座る席の真隣りに来て講義を受け続けた。嫌がるカイトだったが、それを気にも留めず隣に来続けた。実験でも同じ班となり、逃げられずにいた。カイトは諦めて史枝と共に過ごすようになった。授業でも実験でも解剖でもずっと学校にいる間は一緒だった。そして観念して、カイトは昼休みに史枝を誘った。ある事が気になっていたからだ。

「やっと二人きりになれたね」

「周りに生徒がいますけどね」

「で、何の用?」

「死神ってどういう事なんですか?」

「おっ、そこ聞く?」

「意味が分かりませんからね」

「そうねぇ……規則として教えちゃいけないんだけど……まぁカイト君は私の特別だから教えてあげようかな?」

「は、はぁ……」

 史枝は席を立ち、手招きしてカイトを呼んだ。二人は棟から離れた人がいない喫煙所に向かった。

「ここで話すんですか?」

「こういうのは煙草を吸いながらでもないと話してられないのよ」

「でも誰かに聞かれたら……」

「ここは棟から離れているから滅多に人が来ないのよ」

「そうなんですか」

 史枝は煙草を一本取り出し、火を点けた。大きく吸い込み、煙を吐いた。

「で、本題だけど」

「はい」

「カイト君、『デス・コーポレーション』って小説、知ってる?」

「えぇ。有名な小説ですよね。死神が三途の川で死者の最期の願いを叶えるっていうストーリーですよね。それが何か?」

「あれは本当の事が書かれてるのよ」

「ど、どういう事ですか?」

 困惑するカイトに、史枝は無視して語り出した。死神とは、死んだ人間がまず三途の川に逝く。そこでは死神が待っており、最期の願いを叶えてくれると言う。その願いを叶え終わると、あの世に逝く。あの世は食事も睡眠もいらない、病気も無い、疲れも無い、犯罪も無い、多幸感が溢れる空気が漂うユートピアだった。働く必要の無い世界だが、いくつか仕事場がある。その内の一つが死神業だった。死神は死んだ人間の魂を回収し、最期の願いを叶えてあの世へ導く。というものだった。

「その死神に、先輩が成った、と……?」

「えぇ」

「でもあれは創作の話でしょう?」

「事実なのよ」

「そんな話、信じられません」

「私とサインの関係を考慮しても?」

 カイトは黙り込んだ。確かにその通りかも、と。史枝は煙草を揉み消して吸い殻入れに入れ、二本目を取り出して吸った。

「で、病気もしない体なのに何故現世に降りてきたんですか?」

「蟹座の悪魔との契約が続いてるみたいでね。現世に降りて、癌細胞を食べているのよ」

「食べないとどうなるんですか?」

「目眩で立ってるのもやっとって感じになるわね」

「そんなデメリットがあるなんて……」

「私だって吃驚したのよ?死んでも契約が持続するなんて」

「でも何で死神になんてなったんですか?」

「死神はね、死者と生者の狭間の存在なの。だから、上から許可が下りれば自由に現世に戻って来れるのよ」

「成程……で、何故大学の医学部に?」

「前にも言ったけど、医者になって個人で開業すれば、癌細胞には困らないって魂胆よ」

「キャンさんと同じか……」

「まぁね。癌専門のモグリの医者の噂は聞いていたけど、まさかサインだったとはね」

 史枝はケタケタと笑った。

「今ではもう闇医者ですがキャンさんが、100%癌細胞を治す仕事を先にやっています。史枝先輩では敵いませんよ」

 カイトの言葉を聞いて史枝は更に笑った。

「さぁて?それはどうでしょ~?」

「どうしてです?」

「私はこれから正規の医者になる。絶対に癌を治す医者としてね。それも正規の値段でやるとなったら、サインの仕事は無くなるんじゃないかしら?」

「それは……!?」

 昼休憩終了のチャイムが鳴った。

「あら、お昼休み、終わっちゃったわね」

「そうですね。俺、もう行きますけど」

「私はもう一本吸ってから行くわ」

「俺達同じ班で、次は実験なんですから絶対に遅れないで下さいね」

「分かった分かった」

 カイトは棟に戻っていき、白衣を着て実験室に入っていった。暫くして、史枝は講義開始時間のギリギリに白衣を着てやってきた。実験は滞りなく進むかに見えたが、失敗し、意外にも長引いてしまっていた。日も暮れ、もう夜の十時を越えていた。カイトは早く家に帰って今回の実験のレポートを書こうとし、そそくさと実験室を出ようとした。すると史枝が話し掛けてきた。

「ねぇ、レポート、一緒にやらない?」

 史枝となるべく関りたくなかったカイトは丁重にお断りした。

「いえ、家でじっくり自分でやりたいので、今回はお断りします」

「またサインに教えてもらうの?実験の場に居なかった、モグリのサインに?」

「えぇ。そのつもりですけど。でも基本的には自分でやります」

「そう。でも今回の実験は失敗しちゃったし、私はその理由は分かってる」

「何でですか?」

「去年も同じ失敗したから。カイト君は今回の実験の失敗理由、分かってる?」

「あ、いや、それは……」

「すぐに終わる話だから、楽出来るよ?どう?」

「…………」

 カイトは悩んだ。確かに今回の実験の失敗は複雑だった。仮にも去年二年生を一回やっている史枝に着いて行けば、時間短縮にもなるし、その分、翌日以降の予習やこれまでの復習が出来る。

「ちょっとキャンさんに連絡して良いですか?」

「良いよ~」

 カイトはスマートフォンを取り出し、キャンにメッセージを送った。

「今日は実験が長引いてしまって帰りは遅くなります。ご飯は有り合わせの物でお願いします」

 そう送ると、キャンから返事がすぐに帰ってきた。

「お疲れ、少年。どこかに泊るのかい?」

 正直に言おうか迷ったが、ここは一部誤魔化してやり過ごす事にした。

「泊りません。行き先は先輩の家です」

「おっ、遂に彼女が出来たのかい?」

「違いますよ!ただの先輩です!」

「照れるなよ~。じゃあまたでな」

「はい」

 キャンからの承諾を受け、カイトは史枝の家に行く事にした。電車に十五分くらい乗り、十分程歩くと高層マンションの前に辿り着いた。エレベーターに乗り、最上階の50階に到着した。その間、カイトは耳鳴りがあった。

「ここって、一流の人達が住むような高級マンションなんじゃ……?」

「そうだよ。私はお金持ちだからね~」

「何でそんなにお金持ちなんですか?」

「給料の話は普通、人には聞かないものだよ」

「あっ、すみません……」

「まぁ良いよ。ここまで来たんだし、教えてあげる。死神業って儲かるんだよね~」

「その分お仕事も大変なんじゃ?」

「そうそう。分かってるじゃない」

「でも仕事放っぽり出して学生生活送ってて良いんですか?」

「何で?」

「クビになったりとか」

「あぁ、それは大丈夫。留学って形にしてもらってるから」

「へー」

 史枝はカイトにソファに座るよう促し、史枝はコーヒーを淹れ、マグカップ二つを持ってきた。

「砂糖とミルクは?」

「あ、ブラックで」

「おっとな~」

 史枝はカップを一つカイトの前に置き、もう一つを隣に置いた。史枝はカイトの肩に寄りかかるように隣に座った。カイトは気味悪がって少しズレた。二人はコーヒーを飲み、史枝は一服した。そして史枝は言った。

「じゃあ、始めましょうか」

「そうですね。さっきの実験、僕なりに考えてみたんですけど……」

 カイトが話し始めた途端、突然史枝はカイトに口付けをした。カイトは咄嗟に口を離した。

「なっ!?何ですか!?」

「分かってる癖に……一人暮らしの女の家に上がったんだよ?ヤる事は一つでしょ?」

「いや!僕にはキャンさんって想い人が!」

「あんな女の事なんか忘れちゃいなよ。今は、快楽だけを求めてさ……」

 史枝は服を脱ぎ、下着姿になってカイトを押し倒した。

「据え膳食わぬは男の恥、だよ?」

 史枝はカイトの下半身を弄った。しかしカイトは史枝を突き飛ばし、実験データとバッグを引っ掴んで逃げるように帰って行った。道中、泣いてしまった。そして事務所に帰り、扉を勢いよく開けた。中ではキャンが癌細胞を生肉のまま食べていた。

「おや?少年?意外と早く帰って来たね」

 カイトはそのまま鞄を投げ捨て、キャンに抱き着いた。

「おっ!?おい!少年!どうした!?」

 カイトは泣いたままキャンを抱き締めた。キャンは何か察したのか、優しく抱き返した。暫く抱き合っていると、カイトの方から離れた。

「どうしたんだい?少年」

 カイトはさっき会った事をありのまま話した。キャンは何も言わず。真摯にカイトの話を聞いていた。話を聞き終えると、キャンはコーヒーを淹れ、カイトに差し出し、自分は煙草を吸った。

「だから言っただろう。あの女には関わるなって」

「はい……すみませんでした……」

「まぁ、良い人生経験だと思って肝に銘じるんだな」

「はい……」

「レポートの課題があるんだろ?それやって、寝な」

「はい……」

 カイトは自室に帰り、レポートをやり、風呂に入って床に着いた。

 一方その頃、自宅にいる史枝はベランダで煙草を吸いながら笑っていた。

「サイン。貴方の全て、奪ってあげる……」

 高層マンションの最上階で、一つの灯が灯っていた。


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