医科大学生
『将来、僕の癌細胞を食べて下さい』5
・医科大学生
カイトは渋井大学に入学した。入学式、両親とキャンが出席した。センター試験で全教科満点を取っていたカイトは新入生代表に選ばれ、スピーチをした。四人は入学式が終わるとキャンの事務所に向かった。キャンはカイトの両親をソファに座るよう促し、お茶を淹れた。カイトは両親の向かいのソファに座り、両親は殺風景な事務所の中を見渡した。カイトはそんな両親の様子をボーッと見ていた。キャンはソファの前のテーブルにお茶を置いた。キャンはカイトの隣に座った。そしてキャンは頭を下げた。
「この度はご入学おめでとうございます」
カイトの両親は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。全て先生のおかげです」
続いてカイトも頭を下げた。
「ありがとうございました」
「いえいえ、全てはご子息様の努力の結果です。私はそのお手伝いをしただけです
「いやいや、先生の手腕ですよ」
「ありがとうございます」
「でも、第二関門を突破しただけだ。ここからが大変だぞ。カイト」
「うん、父さん」
「じゃあお父さんとお母さんは帰るから。先生の言う事聞いて、ちゃんと立派なお医者さんになってね」
「分かったよ、母さん」
「じゃあ先生、これからも宜しくお願いします」
「はい。お任せ下さい」
そう言って帰って行く両親をカイトとキャンは見送った。キャンは事務所に戻り、煙草を大きく吸って吐いた。
「ふーっ……」
「キャンさん。改めてありがとうございました!」
「言ったろう?全て少年の努力の結果だ。さっきも言ったが、ここからが地獄だぞ。四年生からは実習や研修で、精神的にも肉体的にも疲弊しきって倒れるかもしれんからな」
「そ、そうなんですか……?」
「あぁ。それに試験だって大変だ。サークルの事もあるし」
「サークルかぁ……勉強してたいんですけどねぇ……」
「大学の試験は過去問が基盤となって出される問題が多い。それをもらうだけでも、どこかサークルにでも入るんだな」
「人付き合い、苦手なんですよね……」
「でも結局のところ、医者って人付き合いだぞ?その練習だと思ってやってみ給え。これも勉強だ」
「勉強、ですか」
「あぁ。社会勉強ってやつだ。勉強は得意だろう?」
「答えが無い勉強は初めてに近いです」
「答えがある方が珍しいんだよ。この世の中、答えが無い事なんてザラにあるんだよ」
「そんなもんなんですか」
「そうだとも」
キャンは席を立ち、懐から財布を取り出して1万円札を五枚取り出して封筒に入れた。
「何しているんですか?」
「君の大学入学のお祝い」
「何か1万円札が五枚くらい見えたんですけど」
「それくらいの事をしたんだ。景気付けに、はい、コレ」
キャンは封筒をカイトに渡した。
「こんなに受け取れません」
「良いんだ。これから飲み会とかで食事の席の機会が増える。それ用だ」
「そ、そうですか。すみません……」
「謝る必要なんて無い。私が勝手にしたかっただけだ。だから、素直に、ありがとう、で良いんだよ」
「ありがとうございます、キャンさん」
「あぁ」
キャンは煙草を揉み消し、背伸びをした。
「そういえば少年、学費はどうするんだ?奨学金か?」
「あー、特待生って事で学費は免除されましたよ」
「そうか。凄いな」
「そう、凄いんです」
カイトはふんぞり返り、二人は笑い合った。
「さ、明日から大変だぞ。今日はもう寝ると良い」
「はい」
「風呂、先入りなさい」
「ありがとうございます」
カイトは風呂に入り、自室に戻って寝た。久し振りに勉強の事を忘れて眠った。翌日、快眠だった。頭がとてもスッキリしていた。しかしいつもの時間に目を覚ましたので、二人の朝食とキャンの昼食を作った。キャンはまだ起きてこなかった。カイトは朝食を先に食べて、キャンに置手紙を残して大学に向かった。その日はオリエンテーションの日で、体育館で履修科目の説明だった。その後外に出てみると、キャンパス内はサークル勧誘で賑わっていた。カイトはすぐに履修登録を行い、サークルもどれが良いか探して回っていた。サークル勧誘は無理矢理チラシを渡されたり、半ば強引に引き込まれて話を聞かされたりでどっと疲れた。そんな所から解放され、少し離れた場所に行くと、やる気無さ気に座り込んでるサークルがあった。看板には「悪魔研究サークル」と書かれていた。その学生達はこんな事を零していた。
「後一人なんだよなぁ~」
「あぁ。後一人入ってくれればサークルとして続けられるんだけどなぁ」
「俺達も今年で卒業だし、このサークルもこれで最後か……」
「ですね」
カイトはそのサークルに歩み寄った。
「あの、悪魔研究サークルって、オカルト研究サークルとどう違うんですか?」
「何っ!?君、我が悪魔研究サークルに興味があるのか!?」
サークルの部員に詰め寄られ、カイトは少し怯んだ。
「あ、あぁ、まぁ……オカルト研究サークルと似てるなって思ったんで、どう違うのか気になって……」
サークルのメンバーは活気を取り戻したかのように熱く語った。
「我々は悪魔信仰の文化を主にテーマとして扱っているんだ!」
「オカルト研究サークルはそれっぽい雰囲気だけで、占い的な事やタロットカードで遊んでるだけなんだ。特に何か研究してるとかじゃあないんだよ」
「悪魔に関して資料を集め、宗教研究、時代背景の研究、信憑性を研究しているんだ」
「な、成程……」
「詳しい話は中でしよう。部室に来てくれ」
「は、はい!」
カイトは悪魔研究サークルのメンバーに連れられて部室に入っていった。部室には悪魔関係の資料やファイルや歴史書、悪魔を題材にされた小説等の本が本棚にズラッと並んでいた。カイトはサークルメンバーの一人である部長の真島秀太に席に案内され、詳しく話を聞かせてもらった。秀太はカイトの向かいの席に座った。
「改めて自己紹介だ。俺は真島秀太。今年で三年になる。今の四年生は今年度で卒業だから、俺がもう部長になった」
「初めまして、倉部カイトです。今年入学しました」
「さっきも言った通り、ここは悪魔の研究をしている」
「はい」
「悪魔が歴史上、どう扱われてきたのか。どう信仰されてきたのか。どういう悪魔がいて、召喚方法、契約方法、契約内容がどんなものかを研究しているんだ」
「はい」
「君は悪魔に対してどういう考えを持ってるのかな?」
「そうですねぇ……まぁ、何か大切なものを代償に、巨万の富を築いたり、永遠の命を得たりする、って感じですかね」
「まぁ、概ね正解だ。だがそれだけじゃない」
「えっ?」
「人間を悪魔に変える事も可能なんだ」
カイトは怪訝な表情を浮かべた。
「何故そんな事が言えるんですか?」
「我々は世界中の悪魔を研究している。その研究過程で、かつて人間が神になった事案があった。ヘラクレスやオーディンだ。それにより、おそらくだが人間も悪魔になれる。菅原道真が天満大自在天神。つまり怨霊、祟り神になった事例がある」
「成程……」
「日本ではまだこの一例だけだが、我々は悪魔の正体を探るべく研究しているんだ」
「そうだったんですか……」
秀太はカイトの顔を覗き込んだ。
「君、悪魔について何か知っているね?」
「えっ……?」
「顔にそう書いてある。身近な人で、悪魔と契約した人間を知っている。そうだろう?」
カイトは言葉に詰まった。しかし、明るい顔で言った。
「いいえ。知りません」
「……そう」
秀太は座り直した。
「で、どうする?入部するかい?」
カイトはある事を聞いた。
「このサークルには、どんな学部の方がいらっしゃるのですか?」
「看護各部とか薬学部とか医療衛生学部とか、一部だけど医学部もいるよ」
「じゃあ過去問とかってありますか?」
「それ目当て?」
「ぶっちゃけそうでしょう?」
秀太はフフッと笑い、腕を組んだ。
「素直だな、君は。良いよ。このサークルに入ってくれるなら、過去問はあげよう」
「ありがとうございます。では、入部します」
「ありがとう。じゃあ、これにサインを」
秀太は入部届とペンをカイトに差し出した。カイトはそれらを受け取り、サインした。記入済みの入部届を受け取ると、秀太は大きな声で言った。
「ようこそ!我が悪魔研究サークルへ!倉部カイト君!」
「宜しくお願いします」
「あぁ。まぁ、ここでは悪魔の研究と言っても、ネットで探してきた情報や、この大学の図書館で調べた事を発表し合うだけの会だ。そう肩を張る必要は無い」
「実際に悪魔召喚とかやらないんですか?」
「合宿でやるよ」
「成功しましたか?」
「いや、どれも失敗だったよ」
「そうですか……」
「そういえば、君、学部は?」
「医学部です」
「医学部がこんなインチキサークルに入ったの!?」
「それを自分で言うんですか」
「いや、まぁ、良いんだけど……てか、君、センター試験で全教科満点取った新入生代表じゃなかった!?」
「え、えぇ、そうですけど……」
「君、来る所間違えてるよ、絶対」
「そう、なんですかね……?ところで医学部生がここに入るのって珍しいんですか?」
「たまに興味を持って最初は入部するんだけど、すぐに忙しくなって来なくなる」
「えっ、じゃあ過去問は……」
「昔のなら三年生くらいまである。まぁ、こうして入部してくれたんだし、最近のも含めて六年分は俺達がなんとか集めてみるよ」
「何もそこまでしなくても……俺が別のサークルに掛け持ちで入って集めますよ」
「良いから、ここは先輩の俺達に任せてくれ」
「は、はぁ……ありがとうございます。宜しくお願いします」
「あぁ。ただ、このサークルに来なくなっても良いからね」
「どういう事ですか?」
「数が欲しいんだ。幽霊部員でも構わないから」
「は、はぁ……」
「まぁ、いつも来てくれて、長く入ってくれればそれは願ったり叶ったりなんだけどね」
その後。メンバーの紹介を受けた。その日は帰る途中スーパーに寄って今日の夕飯と明日の朝食と昼食の食材を買った。帰宅すると、キャンが出迎えた。
「おかえり、少年」
「ただいま、キャンさん。今晩ご飯作りますからね」
カイトが台所に立つと、キャンが煙草を吸いながら後ろに立った。
「いつもすまないね、少年」
「何がですか?」
「ご飯。いつも助かってるよ」
「そんなそんな。好きでやってる事ですから」
「それでも、ありがとう」
キャンの落ち着いた声が、カイトはどこか遠くに感じた。
「どうしたんですか?急に」
「いや、改めて言っておこうと思ってね」
「何ですかそれ?気持ち悪い」
「気持ち悪いとは何だ!」
「いつもそんなんじゃないでしょう?しんみりしちゃって。似合わないですよ?」
「……そういう日だってあるんだよ、私にも」
キャンはそっぽを向いた。それを無視してカイトは調理を進めた。するとキャンがまたカイトの方を見た。
「ところで少年。もう履修登録はしたのか?」
「はい。すぐに」
「そうか。サークルは?」
「入りましたよ」
「えっ!?入ったの!?」
キャンの大声にカイトは肩をビクッと震わせ、キャンの方を見た。
「な、何でですか?何かおかしいですか?」
「だって少年、ずっと勉強一筋だったじゃないか。てっきり一人寂しく大学に通うんだと思ってた」
「僕を何だと思ってるんですか。サークルに入れば先輩達から試験の過去問貰えるし、そんな理由ってだけですよ」
「そうなのか。結構堅実的なんだな、少年」
「そりゃあ立派な医者になるんですから。勿論、過去問は参考にする程度で、個人の勉強は頑張ります」
「そうか。まぁ頑張り給え」
「はい。しかし、これからのキャンさんとの仕事もあるし、勉強と両立出来るか不安です」
「何を言ってる。学校での付き合いは大事だ。それに医者になるなら尚更だ。サークルも積極的に参加して良い」
「でもそれだとキャンさんとの手術が……」
「それは心配しなくて良い。元々一人でやってきた事だ。それに、君は良く頑張ってくれた。これからは、医者を目指して大学に専念した方が良い」
「キャンさん……」
自分は捨てられてしまうのではないのかという不安げな表情を浮かべるカイトに、キャンは微笑んだ。
「大丈夫だ、少年。君を捨てたりはしない。手が空いた時で良い。その時だけ、私の手術を助けてくれ」
「……はい!」
料理が出来上がると、カイトとキャンはソファの前のテーブルに並べていった。
「頂きます」
「召し上がれ」
二人は料理を食べ終え、食後のコーヒーを飲みながらキャンはカイトに質問した。
「ところで少年。何サークルに入ったんだ?」
「悪魔研究サークルです」
「ブフゥ!」
キャンはコーヒーを噴き出した。
「うわっ!?大丈夫ですか!?」
「ゲッホッ!ゲェッホ!君、今何て言った!?」
「悪魔研究サークル、ですけど?」
「ですけど?じゃない!何で寄りにも寄ってそんな所に入ったんだ!?」
「キャンさんの悪魔の契約が知りたくて」
「たったそれだけの為に!?」
「え?はい」
「あのねぇ……」
キャンは何か言いたげな表情を浮かべたが、カイトの真っ直ぐな目を見て言うのを止めた。
「……好きにしろ」
「はい。好きにします。で、早速聞きたい事があるんですけど……」
「私と契約した悪魔がどんな奴で、どんな召喚方法で、どんな犠牲をを払ったか、かな?」
「よく分かりましたね。そうです。教えて下さい」
キャンは食事を終え、箸を茶碗の上に置いた。
「嫌だね。教えられない」
「何でですか?」
「私みたいな不幸な人が増える事を、私は望まないからだ」
「長生きするのがそんなに不幸な事なんですか?医学的に見たら嬉しい事じゃないですか」
「……君にはまだ分からんだろう。一人、取り残されていく孤独感という恐怖が」
「孤独……」
「私のかつての友人は皆、歳を取って死んでいった。私を残してな。この孤独感は、私だけで充分なんだよ」
「キャンさん……」
キャンとカイトは自分の使った食器を台所に持って行った。そしてキャンは自室の前に立った。
「どうしても私の契約した悪魔の事を知りたいなら、『蟹座の悪魔』について調べるんだな」
「蟹座の悪魔?何ですかそれ?」
「だから、自分で調べるんだな」
キャンはそう言い残し、自室に入っていった。カイトは食器を洗い、自室に戻った。PCで『蟹座の悪魔』について検索してみたが、出てこなかった。何なんだろうと思いながら、風呂に入って就寝した。
それから一週間後、大学で初めての講義を受けた。初回という事もあり、どの講義もどういう内容の授業が行われるのかというレジュメの説明だけで一日が終わった。講義が終わると、カイトは真っ先に悪魔研究サークルに顔を出していた。
「おう、倉部君」
「お疲れ様です」
そこには秀太の他に、副部長の三年生の高井正敏と二年生の黄道史枝がいた。昨日は見掛けなかった史枝に、カイトは「誰だろう」と思った。それにしても綺麗な女性だった。キャンが美人と言うのであれば、史枝は可愛い系だった。
「お疲れ。倉部君」
正敏は秀太の向かいに座り、史枝はカイトの隣に座った。
「お疲れ様、といっても大して勉強らしい事してないんでしょ?」
「えぇ。レジュメの説明くらいだけでしたから」
秀太は史枝の話を遮るようにカイトに話し掛けた。
「そうだ、倉部君、ちょっと良いかな?」
「はい?何でしょう?」
カイトは秀太に連れられて、部室の外に出た。
「何ですか?真島先輩?」
「あの黄道史枝ちゃんはね、我がサークルの紅一点なんだ。それに去年、この大学のミスコンで優勝する程の美女なんだ。抜け駆けはするなよ?」
「は、はぁ……」
カイトは言葉に詰まった。しかしすかさず言った。
「黄道先輩の事、好きなんですか?」
秀太は大きな声で言った。
「あぁ!好きだ!悪いか!?」
「いや、悪くはないですけど。分かりました。手は出しませんよ。それに、俺にはもう心に決めた人がいますから」
「そうか?なら安心だ」
そう話していると、次々にサークルメンバーがやってきて、サークル活動の時間になった。秀太は手をパンッと鳴らし、言った。
「じゃあこれからサークル活動を始める。各自、作業に入ってくれ」
カイト以外の一同は「はい!」と声を合わせて各自作業に入った。カイトは何をして良いか分からず、秀太に尋ねた。
「あの、俺は何をすれば良いですか?」
「あぁ、そうだな。じゃあこれをまず読んでくれ」
秀太は本棚からファイルを取り出し、カイトの前に置いた。
「何ですか、これ?」
「我々が調べてまとめた悪魔に関する資料だ。本当はここにある資料や本を全部読んでほしいんだが、時間が掛かる。だから基礎知識だけでも頭に入れてもらって、それからだな」
「分かりました」
一同は黙々と本を読んだり、PCで作業をしたりしていた。すると史枝がPC作業を一旦止め、カイトに話し掛けてきた。
「えーっと、君、何君だったっけ?」
「はい、倉部カイトです」
「倉部カイト君ね。私は黄道史枝。医学部二年。宜しくね」
「宜しくお願いします。黄道先輩」
「史枝で良いよ」
「じゃあ俺の事はカイトで良いですよ、史枝先輩」
「分かった。カイト君」
史枝は突如、カイトの首筋を嗅いだ。
「な、なんですか!?」
カイトの言葉に、秀太が答えた。
「あぁ、彼女、臭いフェチなんだよ。ここにいる皆も嗅がれてるよ」
「そ、そうなんですか……?」
「フェチって事じゃあないんだけど、まぁ、そういう事」
史枝はカイトから離れた。
「君、良い臭いがする」
「えっ?」
「君、良い物を持ってるね」
「香水とか使ってませんよ?」
「いや、そういう臭いじゃない。美味しそうな臭い」
「あぁ、さっき昼食でカップ焼きそば食べたからですかね?」
「ううん。違う。そういうんじゃない」
どこかでやったやり取りだなと思ったカイト。うっとりする史枝の表情に、サークルメンバーは苦虫を噛み潰したような顔でカイトを見た。しかし史枝は続けた。
「カイト君、君、医学部なんですって?」
「はい」
「医学部生が何でこんなインチキなサークルに入ったの?」
カイトは口を噤んだ。どう言い訳しようかと。
「何故そんな事を聞くんですか?」
「だって医学部に行く人って現実的で、こういう悪魔とか天使とか魔法とかって信じない人が多いイメージだから」
「まぁ……でもほら、正月とか神社とか寺にお参りに行く人もいますし」
「本当にそれだけ?」
「うーん……まぁ、一種、厨二病みたいなものですかね?男の子なら天使とか悪魔とか興味ある物でしょ?」
「ふーん……成程ね」
「そういう史枝さんは何故医学部なのにこのサークルに入ったんですか?」
「まぁ、君と同じ理由かな。私。日系アメリカ人なんだけど、親戚が悪魔信仰しててね。それで興味が湧いたって感じ」
「そうなんですか」
そう会話して、史枝は作業に戻った。親し気に史枝と会話するカイトに、メンバーはあからさまに敵意の表情を見せた。カイトはそれに気付き、慌てて資料を眺めた。暫くして、カイトは資料を粗方読み終えた。その頃には、もう夜の8時を回っていた。蟹座の悪魔。その事はどこにも書いていなかった。そこでカイトはサークルのメンバーに聞く事にした。
「あの、皆さん。ちょっと良いですか?」
秀太は欠伸をしながら答えた。
「何かな?」
「蟹座の悪魔って、知ってますか?」
「蟹座の悪魔ぁ?」
辺りを見渡すと、皆キョトンとした顔をしていた。
「蟹座の悪魔なんて聞いた事が無いぞ?正敏、お前知ってるか?」
「いいや?皆は?」
一同は首を横に振った。
「そうですか……」
肩を落とすカイト。しかし史枝は言った。
「私、知ってるよ。蟹座の悪魔」
「本当ですか!?」
カイトは史枝に詰め寄った。
「えぇ。まさか、貴方の口からその悪魔の名前が出るとは思わなかったけどね」
「教えて下さい!何なんですか、蟹座の悪魔って!?」
史枝はカイトを押し退けて、棚からある資料を鞄に入れて部室の扉の前に立った。
「続きは飲みながら話しましょう?」
史枝に促され、カイトは慌てて荷物を纏めた。カイトはスマートフォンでキャンに「今日は飲み会で遅くなります。夕飯は作れません。ごめんなさい」と打って送信すると、キャンから「大学の友人は大切にしな~」という内容のメッセージが届いた。そして二人は部室を出ていった。部室の扉からはサークルメンバーがハンカチを噛みながら二人を見送った。カイトと史枝は駅前の喫煙可の居酒屋に入った。カイトはジンジャーエールを、史枝はビールを頼んだ。史枝は煙草を取り出した。
「あ、煙草、平気?」
「はい。父がヘビースモーカーだったので」
「そう。じゃあ遠慮なく」
史枝は煙草を吹かした。その姿は、どこかキャンに似ていた。
「史枝さんって、外国の方なんですか?」
「あぁ、さっきも言ったけど、帰国子女でね。生まれはアメリカだよ」
「そうなんですか」
「で、本題だけど」
「あぁ、そうでした。あの、蟹座の悪魔って何なんですか?」
「蟹座の伝説は知ってる?」
「蟹座ですか?」
「そう」
「いえ……」
史枝は煙草を大きく吸いこんで吐いた。そして煙草を揉み消した。
「蟹座はね、ギリシャ神話に伝わる人間だったころのヘラクレスが、ヒドラっていう怪物との戦いの中に登場する大蟹がモデルになっていて、その戦いの最中にヘラクレスに踏まれて死んだのよ。それを不憫に思った神様がその大蟹を星座、神様にしてあげたのよ」
「はぁ。それがどういう事なんですか?」
「その大蟹は神様になった訳なんだけど、その後も現世の蟹は死ぬと神様や天使になっていったの」
「はい」
「その中の何体かの蟹の神様や天使は堕天して、悪魔になったのよ」
「それは文献に残ってるんですか?」
「いいや、私の知り合いにそういうのに詳しい方がいてね。そこからの情報よ」
「それはサークルの皆には言ってないんですか?」
「何か資料がある訳じゃないからねぇ。言っても信じてもらえないだろうって事で、今まで黙ってたのよ」
「そうだったんですか……」
そこへビールとジンジャーエールが運ばれてきた。史枝はグイッとビールを飲み干し、お代わりを注文した。すぐにビールは運ばれてきて、史枝は煙草を吹かした。カイトは質問した。
「契約内容って、何でも良いんですか?」
「契約内容は限られてる。若さを保つ事。寿命を延ばす事。病気にならない事。この三つよ」
「一気に叶えられるんですか?」
「いいえ、それぞれ代償がいるわ」
「どんな代償ですか?」
「若さを保つには、両腕。寿命を延ばすには両脚。病気にならない体になるには内臓をランダムに抜かれる事になるわね」
「そんな!?どれも叶ったら不自由な生活になるどころか、死ぬじゃないですか!?」
「そうだねぇ。だから普通はそんな契約はしない。普通ならね」
「ちなみに、召喚方法はどんななんですか?」
史枝は煙草を一旦灰皿に置き、鞄から二枚の紙を取り出し、カイトに渡した。カイトは一枚目の紙に目を通すと、意味不明な文字に、魔法陣のような図形を目にして困った。
「こんな文字、見た事が無い……それに、これは魔法陣ですか?」
「今では使われなくなった古代ギリシャ文字。それと悪魔召喚用の魔法陣ね。二枚目の紙に日本語で説明してるから読んでみて」
カイトは二枚目の紙に目を通した。召喚方法だった。まず魔法陣の形を半径1メートルで書く。そこに古代ギリシャ文字で蟹座の悪魔召喚儀式、契約内容を書いていく。更に魔法陣の一番外側の円周上に10度間隔で蝋燭を置く。そして自分の血液1リットル以上を瓶に小分けして入れて、魔法陣に蟹座の星の位置になるように置く。そして部屋を真っ暗にし、日光が入らないようにする。最後に古代ギリシャ文字を読み上げて、悪魔が召喚されるのを待つ。という内容だった。
「本当にこれで、悪魔が呼び出されるんですか?」
「さぁねぇ。眉唾物かもしれないね」
「試した人はいないんですか?」
「代償がデカ過ぎるからね。召喚した事がある人がいても、契約解除でそのまま帰ってもらうってケースが多いんじゃない?」
「それもそうですね」
「それに、若さを保つのと寿命の延長と病気にならない為には、人間の癌細胞を食べ続けなければならないんだよ」
「何でなんですか?」
「さぁ?蟹座は英語でキャンサー。癌も英語でキャンサー。それ繋がりなんじゃないかな?」
「そうですか……」
「何?身近にそんな人でもいるの?」
「いえ、別に……あ、この資料、貰っても良いですか?」
「どうぞ」
その後は二人は蟹座の悪魔の事で盛り下がってしまい、史枝は淡々とビールを飲んだ。しかし医学部の勉強について史枝が切り出すと、盛り上がった。これからどういう授業があるのか、どうすれば秀が点くのか、等だった。やがて時間が来て居酒屋を出る事にした。会計は史枝が持つと言った。
「そんな、悪いですよ」
「良いんだよ。私から誘ったんだし。それに私がかなり飲んだからね」
「すみません」
申し訳無さそうに頭を下げるカイトに、史枝は言った。
「カイト君、こういう時は『ご馳走様』で良いんだよ」
カイトはハッとし、改めて頭を下げた。
「ご馳走様でした!」
「はい」
二人は居酒屋を出て、そのまま帰宅していった。カイトは事務所に帰り、扉を開けた。
「ただいま」
「おお、おかえり」
そこではキャンがソファに座って生肉の癌細胞をグチュグチュと食べていた。
「またそんな食事をして……」
「だって私、料理出来ないもん」
「少しは努力したらどうですか?」
「嫌だ」
「全く……手術ではメス捌きが素晴らしいのに、家では包丁一本使えないなんて……」
「悪いかい?」
「別に悪くはないですけど……天は二物を与えず、なんだなぁと思いまして」
「自慢じゃあないが、私のような天才をもってしても料理だけは不得意でね」
「本当に自慢にならないですね」
「もう君の料理無しでは食べていけない体になってしまったんだよ。責任取ってくれ給えよ?」
キャンの言葉に、カイトは今までと違い、初めて動揺を見せずに言い返した。
「じゃあ、結婚でもします?」
カイトの予想外な反応に、キャンは驚いた。
「成長したなぁ、少年」
「いつまでも子供じゃありませんから」
「……そうか」
キャンは遠い目をして煙草を吸った。その目はどこか悲し気な顔だった。そんなキャンの顔を他所に、カイトはキャンの正面のソファに座り、鞄から二枚の紙を取り出して見た。
「蟹座の悪魔。調べてきました」
「えっ!?もう!?昨日の今日だぞ!?」
「サークルに詳しい先輩がいまして」
キャンは二枚の紙を手に取り、目を通した。
「これは……!」
「何ですか?」
「何故この事を知ってる人間がこの時代にいる……!?」
「どういう事ですか?」
「この儀式はもう葬られたものなんだ。それを知ってる人間は、もう既にこの世にいない筈だ。私が生まれた1700年代後半に流行った儀式なんだ」
「って事は、キャンさん、200歳越えてるんですね!?」
「今そこは問題じゃない!誰だ!?誰がこの儀式を知っていた!?」
キャンのあまりの剣幕に、カイトは怯んだ。
「こ、黄道史枝さんっていう医学部の先輩です……」
「何!?黄道史枝!?シエ・コードーがいるのか!?」
「え、あ、はい……シエ・コードー?」
「そうか……」
キャンは煙草を一本取り出し、窓際に立って吸った。
「少年、もうその女と関わるのは止め給え」
「何でですか?」
「あの女は、危険だ」
「どう危険なんですか?」
キャンは煙草を大きく吸い、吐いた。
「あの女は、私を嵌めたんだ」
「嵌めた?どういう事ですか?」
キャンは突如服を脱ぎだした。それを見て思わず顔を背けるカイト。
「ちょっ!?何ですか!?」
「良いからこっちを見てくれ」
キャンがそう言うと、カイトはキャンを見た。下着だけの姿で立っていたキャンには、両肩、股関節、腹部に無数の傷跡があった。
「そ、その傷は……!?」
「代償だよ。儀式のね」
「代償……?」
「その紙に書いてあっただろう?若さを保つには、両腕。寿命を延ばすには両脚。病気にならない体になるには内臓をランダムに抜かれる事になると。その結果だよ」
「でも、腕も脚もあるじゃないですか!」
「右腕は旦那から、左腕は母親から。両脚は父親から。色々な内臓は妹から貰ったんだ」
「ど、どうやって……?」
キャンは昔、帰化仲間として知り合った黄道史枝、当時はシエ・コード―とは近所と言う事もあり、仲良くしていた。そしてある時、キャンは日本人と見合い結婚をした。英語が堪能で、自頭が良かったキャンは、旦那と仲良く暮らし、やがて赤ん坊を身籠った。しかし妊娠中、結核を患った。そこへ史枝がやってきて若さをそのままに不老不死になれる方法があると言われた。それに興味を惹かれ、キャンはその儀式をする事にした。犠牲になるものは何も無い。ただ、願い事を聞いてくれるという事だけ史枝から伝えられていた。キャンは部屋を閉め切って儀式を始めた。すると部屋が光に包まれた。そして本当に蟹座の悪魔が現れた。巨大な蟹の姿だった。本当に現れて、その大きさと蟹の威圧的な姿に驚きのあまり腰を抜かした。願いは何かと聞かれると、不老不死になりたいと素直に言った。するとその悪魔は言った。
「不老には出来るが、不死には出来ない。死を長引かせる事なら出来るが。後、病死はしない。それだけは約束しよう」
と言ってきた。キャンはそれを承諾し、契約した。すると家が吹き飛び、キャンの体が光り出した。すると体が軽くなり、いつもより呼吸が楽になっている自分の感覚に、心が躍った。
「やった!本当に私……!」
跳ねて喜ぶキャンだったが、その瞬間、悪魔はその巨大な手のハサミでキャンの両腕と両脚を切り落とした。キャンは床に倒れ、何が起こったのか理解出来ないまま、ただ痛みに耐える事しか出来ずにいた。そして悪魔は手のハサミで内臓をいくつか切り取った。その時、赤ん坊ごと子宮を切り出された。悶え苦しむキャン。それに悪魔は言った。
「これで手を使わずとも、脚が無くとも健康になった。それに病気になる内臓も無くなった。もう失う物は無いが、一生そのままの美しさで生きていけるだろう。但し、お前の体はもう普通ではない。血は誰にでも対応出来る。そして、痺れさせる事が出来る。まぁ、ここまで切り刻まれて生き残る事は無いだろうがな」
キャンの体が切り刻まれた後、たまたま様子を伺いに来たキャンの実家の家族と、仕事終わりの旦那がその場に現れた。儀式中の光の中に家族が飛び込んだが、儀式中は契約者以外の立ち入りを禁ずる、という事で惨殺された。契約の代償を知らなかったキャンは体中を切り刻まれ、その場で見動きが取れずにいた。暫くして近所の人が医者を呼んで病院で緊急手術をした。家族や旦那の使える腕や足、臓器は全て移植した。後から聞いた話だが、史枝はキャンの家の前で待機し、様子を伺っていたらしい。つまりキャンを実験台にしたのだった。それ以来、史枝とは音沙汰が無くなった。
「そして今の私がある」
「そんな事が……」
「あの女がどうして生きているのか分からないが、とにかく注意した方が良い」
「でもそこまで悪い人には見えませんでしたけど……」
「それが彼女の常套手段だろう。一見、良い人そうに見えて、実験をしているんだ。気を付けろ」
「わ、分かりました……」
「しかし、何故奴が生きているんだ……」
「蟹座の悪魔と契約したんじゃないですか?」
「しかしそうなら普通は生きていられない……何かを犠牲にしたんだ、何かを……」
そう言ってキャンは自室に戻って行った。カイトはモヤモヤしながら風呂に入り、その日は眠りに着いた。




