慣れてきた少年
『将来、僕の癌細胞を食べて下さい』3
・慣れてきた少年
キャンと共に手術をするようになってから一年半が過ぎた。カイトは年末と正月とゴールデンウイークとお盆には帰省したが、実家に帰って尚、両親から「勉強を怠るな」と言われ、家でも勉強する毎日を過ごしていた。一ヶ月に三、四回くらいのペースで手術をするようになり、未だにグロテスクなものには慣れていなかったが、助手として慣れ始めてきた。専門用語も少しだけ覚えてきたし、器具の名前も大分憶えてきた。
放課後、カイトはいつものようにあの路地裏のビルに帰り、事務所に入ってソファに腰を下ろした。
「お疲れ、少年」
「お疲れ様です、キャンさん」
「ここで生活するようになってもう一年以上か。てっきり根を上げて逃げると思ったのに」
「だって、約束でしょう?約束は守らなきゃ」
「真面目なのは良いが、悪い大人に騙されて捕まれないように気を付けなね」
「もう捕まってるんで、余計なお世話です」
「おや、私が悪い大人って言うのかい?酷いなぁ」
「どの口が言うんですか」
二人は「ははは」と笑った。
「今日は仕事は無いんですか?」
「あぁ。今日はまだ無い」
キャンの言葉に少し引っ掛かった。まだ?と。
「って事は、これから来るかもしれないという事ですか?」
「おぉ……大分わかってきたね、少年」
「そりゃあこれだけ長くいるとね」
「はっはっは。成長したなぁ、少年」
キャンは煙草を吹かした。
「ところで、もうその『少年』って言うの止めてくれませんか?」
「何で?」
「僕には『カイト』って名前があります。いい加減そう呼んで下さい」
「私にとっては少年は少年だ。まだ、今は、ね」
「はぁ……」
キャンの考えている事はよく分からない。まぁいつものようにスルーし、いつか名前で呼んでもらえるように頑張るだけだと思い、スクールバッグからいくつかプリントを取り出した。
「何だい、それ?」
「学校からの課題です」
「あぁ、そう。おや?そういえば少年、もう中学三年生じゃないか?」
「そうですけど?」
「じゃあそろそろ受験なんじゃないか?」
「僕はもう推薦入試で受かってるので暇なんですよ」
「そうだったのか。いつ決まったんだ?」
「先週の水曜日ですね」
「何故その事を言わなかったんだい。お祝いの品でも送ろうと思ってたのに」
「そこまでしてもらおうなんて思わなかったので」
「いいや、ここは我々みたいな関係上、ちゃんとお祝いはしてあげようじゃないか。ちょっと待ってい給え」
キャンは自分の席に向かい、封筒と一万円札を取り出すと、封筒に一万円札を入れてカイトに渡した。
「はい。改めて進級おめでとう、少年」
「あ、ありがとうございます」
「まぁ好きに使いなよ」
「はい。じゃあ好きに使わせて頂きます」
「ちなみにどこの高校に行くんだい?」
「私立渋井大学附属高等学校です」
「目的に一歩近付いたじゃないか」
「キャンさんのお陰です」
「いいや、君自身の力だよ」
「ありがとうございます」
「まずは第一関門突破だな」
「はい。両親からもそう言われました」
カイトは封筒を鞄にしまい、宿題を始めた。
カイトはキャンからなんだかんだとお小遣いを貰っていた。進級した時には1万円、満点を取ったテスト、とは言っても全て満点なのだが、そのテスト一教科に付き1000円の御褒美を貰っていた。更に誕生日や正月、クリスマスには1万円のお小遣いを貰っていた。それらは全て貯金していた。
カイトは課題を進めていると、少しして英語で躓いた。
「うーん……」
それを見てキャンは向かいのソファに座った。
「どうしたい、少年?」
「僕、英語が苦手で……」
「どれどれ、見せてごらん」
「英語分かるんですか?」
「おいおい、私は仮にも医者だぞ?それに日系アメリカ人なんだ。これくらいの英語分からないで医者なんか出来ないさ」
「そこはちゃんとしてるんですね」
「そこはって何だい?」
「だって……」
カイトは床やデスクを指差した。そこは衣類やゴミで溢れ、汚部屋と化していた。
「少しは片付けたらどうです?」
「これは機能的なんだよ。ちょっと位置をズラされたりすると気分が乗らない」
「はぁ……分かりました。ちょっと僕にやらせて下さい」
「おい、宿題はどうする?」
「片付けが終わった後でやりますよ」
カイトは手当たり次第に掃除を始めた。キャンは煙草を吹かして、何も手伝わずにボーっとカイトを眺めていた。二時間程掃除をした。ゴミを分別し、纏め、散らかった衣類を洗濯機に入れて回し、事務用品を整頓し、床を磨いた。掃除が終わると、最初とは見違えるように事務所は綺麗になった。
「おぉ……凄いな君は」
「これくらい普通ですよ。てかどんだけほったらかしたらあんだけ汚れるんですか」
「うむ。よし。少年。今日からこの部屋の掃除は君に頼むとしよう。任命する」
「自分でやって下さい」
「冷たいなぁ。やってくれるなら3000円なら出すぞ」
「やります」
「現金な奴め」
「キャンさん程では」
二人は笑い合った。キャンは財布から1000円札を三枚取り出して封筒に入れると、カイトに渡した。
「はい、お駄賃」
「えっ?冗談じゃないんですか?」
「大真面目だ」
「でも……」
「子供が遠慮するんじゃない。オバーチャンが孫にお小遣いあげるようなもんだ。素直に受け取っておき給え」
「そうですか。じゃあ、お言葉に甘えて」
カイトは封筒を懐にしまった。すると、キャンが扉の方を見た。何だと思いカイトも見ると、キャンは言った。
「開いてますよ~」
すると恐る恐る扉を少し開き、「お邪魔します……」と言って顔を覗かせる女性がいた。キャンは笑顔で奥のソファに座るよう促した。女性は事務所に入って来て、ソファに腰かけた。
「少年」
「はい」
カイトはお茶を三つ淹れてソファの前のテーブルに置き、契約書と朱肉を持ってキャンの隣に座った。
「何かお困りで?」
「キャンさん、ここに来る方は皆訳アリです」
「少年。ここでは私の事は先生と呼びなさい」
「あぁ、そうでしたね。先生」
キャンは女性の首筋を嗅いだ。すると、顔をしかめた。それを見てカイトは不思議そうな顔を浮かべた。
「子宮頸癌、ですか?」
「え?」
「子宮頸癌なんでしょう?」
「え、えぇ。そうです」
キャンの言葉に戸惑いながらも、女性は声を張り上げた。
「あの!ここでどんな癌も治せると聞いたのですが!」
その言葉に、キャンはやんわりと笑った。
「えぇ、そうです。どんな癌も治して差し上げます」
「本当だったんですね……」
「しかし値段は法外ですよ」
「いくらなんですか?」
「1000万円です」
「1000万!?」
「但し、絶対に治します。それに再発も転移の心配もありません」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「私は名医だからです」
「は、はぁ……」
キャンの言い方に信じ切れない雰囲気の女性。しかしキャンは続けた。
「お名前と年齢は?」
「吉田未来。20歳です」
「20歳、ですか……」
「はい……」
「ステージは?」
「4です」
「……そう、ですか……」
キャンと未来は顔を俯かせた。それに疑問符を浮かべるカイト。癌なら何でも治せるのに、何故キャンは顔を暗くしているのか分からなかった。するとキャンは言った。
「掛かり付けの病院は?」
「渋井大学附属病院です」
「そう。じゃあ明日、そこに向かってカルテを見ます。手術に都合の良い日程はありますか?」
「来週の水曜日に、手術の予定が入っています」
「そうですか。分かりました。少年、学校は何時に終わる?」
「午後三時半には終わると思うので、午後四時半には向かえます」
「分かった。じゃあその頃にいつもの渋井大学附属病院に来てくれ」
「分かりました」
そうキャンとカイトがやり取りしていると、未来は手でカイトを指しながらキャンに聞いた。
「あの、さっきからいるそこの彼は一体……?」
「あぁ、私の助手です」
「助手?こんな若い少年が?」
「あら、こう見えてももうとっくに成人しているんですよ?医学部も出ています」
「えぇ?見えませんね」
カイトは呟いた。
「でしょうね……」
「えっ?」
「まぁ童顔ってやつですよ。とにかく安心して下さい」
「は、はぁ……」
「では来週の水曜日に」
「はい」
未来は帰って行った。キャンは煙草を取り出し、吹かした。カイトは言った。
「もう少年で通すの無理だと思いますけどねぇ」
「何言ってるんだい。もう直に大学生だ。顔付だってそうなる」
「大学生って、まだまだ先の話でしょ?」
「高校の三年間なんてあっと言う間だよ」
「流石歳喰ってるだけあって重みがありますね」
「五月蠅い」
翌日、キャンは渋井大学附属病院に向かった。孝之の診察室では未来のカルテが用意されていた。孝之の診察室にキャンが入っていった。
「やぁ、孝之センセ」
「あぁ、待ってたぞ」
孝之はキャンにカルテと診断書を渡した。キャンはカルテと診断書に隅々まで目を通した。
「キャン、どう思う?」
「これは……全摘出するしかないだろうな……」
「やっぱりそうだよな……君なら何とかしてくれるだろうと思ったんだが……」
「私は神様じゃない。あくまで医者だ。限界はある」
「モグリだがな」
「五月蠅い」
「じゃあ、この案件、任せて良いか?」
「あぁ。分かった」
その後、キャンはカルテと診断書を持って帰って行った。どうにか子宮の全摘出を避ける事は出来ないものかと必死になって資料を探して回った。すると部屋はまた散らかり放題になった。そこへカイトが学校から帰宅してきた。
「ただいまー」
カイトの言葉に気が付いていないのか、キャンは返事をしなかった。カイトは昨日片付けたのにまた散らかってる部屋を見て肩を落とした。
「また散らかってる……」
カイトは落ちている資料を片付けようと手を伸ばすと、キャンは突然怒鳴った。
「触るな!」
キャンの言葉にビクッと体を硬直させた。しかしキャンは今読んでいた資料を投げ捨て、デスクに腰を下ろし、頭を抱えた。
「クソッ……!私にはどうする事も出来ないのか……!」
キャンは涙を流していた。それを見てカイトはコーヒーを淹れ、キャンに渡した。
「どうぞ」
「ん?あぁ、ありがとう、少年」
キャンはコーヒーを飲み、煙草を吹かして空を見た。
「どうしたんですか?」
「ん?何がだい?」
「険しい顔して、僕に当たり散らすなんて」
「あぁ……すまない。この案件、心に来るものがあってね……」
「どういう事ですか?まさか治療出来ないとか?」
「いや、手術は絶対に成功する。その自信がある」
「じゃあ何なんですか?」
キャンは煙草を大きく吸い、吹いた。
「この手術、患者にとってとても残酷な事なんだ」
「何でですか?癌が治るんでしょう?良い事じゃないですか」
「この手術、子宮を全部摘出しないと治らないんだ」
「えっ、それって……」
「あぁ……子供をもう授かれない。もう、女としての人生を歩めなくなるんだ」
カイトは言葉に詰まった。何を言えば良いのか、分からなかった。しかしキャンは続けた。
「過去の資料を調べてみても、経験を思い出しても、この手術は絶対に子宮を完全に摘出しないと治らない……それが悔しくてな……」
キャンの手術の時以外に見せる真面目な表情に、カイトは戸惑った。自分の浅い経験や知識ではどうやってもフォローも出来ないからだ。しかしカイトは言った。
「でも、何も子供を持つ事だけが幸せじゃありません。きっと、分かってくれるパートナーが見付かる筈です」
キャンはダンッとデスクを叩いた。
「そう簡単に言うな!女を捨てるんだぞ!そうならない為に私に頼ってきてくれたのに、それが出来ないんじゃ私は何の為にいるっていうんだ!」
沈黙が流れた。
「……すまない。少し感情的になってしまった」
「いえ、僕も出過ぎた事を言ってしまいました。ごめんなさい」
「いや、少年は悪くない。少し、一人にさせてくれ」
「はい……」
カイトは事務所を出て行った。そして翌週の火曜日、キャンとカイトは渋井大学附属病院を訪れた。未来に挨拶と、翌日の手術の内容を説明する為だ。
「……という訳で、子宮は、全摘出する事になります」
「……そうですか……」
「どうにか全摘出を避けるように調べましたが、どうもそれは叶わずでした……」
「いいえ。そこまでして下さり、ありがとうございます」
「もう、子供は望めない体になってしまいます。申し訳ありません!」
キャンは頭を深く下げた。しかし未来は明るく振る舞った。
「大丈夫ですよ。このままじゃ死んじゃうんでしょう?そうならないだけ、マシです」
「すみません……!」
「それに、パートナーも分かってくれてます。だから私は大丈夫です」
「ありがとうございます。では、こちらの契約書に目を通して頂いてから、サインと印鑑を。印鑑が無ければ母印で結構です」
「はい」
未来は書類に目を通した。
「場合によっては子宮は全摘出も有り得る、ですか……」
契約書を読んで未来は改めて自分の子宮が無くなる事に悲観的になっていた。それをキャンがフォローしようとした。
「はい。お辛いのは分かります。しかし……」
キャンが言い掛けると、未来が遮った。
「大丈夫です。覚悟は出来てますから。それに、死ぬよりはマシ、でしょう?」
「……そうですね」
未来は契約書にサインと母印を押し、キャンに返した。
「では、また明日」
「はい」
キャンとカイトは病室から出て行った。翌日、二人は病院に向かった。未来の病室に向かい、扉をノックして中に入ると、そこでは孝之が往診していた。
「おや、孝之センセ」
「来たか。待ってたぞ」
「細かい事は良いの。で?手術の準備は?」
「出来てる」
「そう。じゃあ始めましょうか。良いですか?吉田さん」
「はい」
「じゃあ行きましょう」
キャンとカイトは手術室に未来を運び、手術着に着替えて手術室に入った。キャンはいつものように針を自分の腕に刺し、もう片方の針を未来の腕に刺した。
「それでは、これより広汎子宮全摘手術を始める。メス」
「はい」
カイトはキャンにメスを渡した。キャンはメスで開腹し、子宮を摘出した。カイトの成長もあり、手術は二時間程度で終わった。キャンは自分と未来の針を抜き取り、摘出した子宮をビニール袋に入れた。カイトは手術室前のソファに座り、一息吐いた。ショックだった。女としての幸せを断ち切る手術をしたのだから。それ以上にキャンも苦しかったのだろう。同じ女として。キャンが手術室から出てきた。
「大丈夫か、少年。まだ慣れないか?」
「いえ、いい加減グロテスクな物には慣れましたが、今回はちょっと心に来たもので……」
「……あぁ、そうだな……」
キャンとカイトは手術着を脱いで未来の病室に向かった。孝之が手術室から未来を病室に運び、目覚めるのを待った。やがて未来は目を覚ました。キャンは未来に言った。
「手術は無事成功しました」
「そうですか……」
「ここからは孝之……加藤先生に引き継ぎますから」
「分かりました。宜しくお願いします、加藤先生」
「はい。ではこれから術後の説明をさせて頂きますね」
「では我々はこれで。行くよ、少年」
「はい」
後の事は孝之に任せ、キャンとカイトは事務所に戻った。
「今日は疲れたな。風呂に入ってもう寝よう」
「僕は事務所を掃除してから寝ます」
「そうかい。一緒に入る?」
「えっ!?はっ!?」
「ふふっ、冗談だよ。覗くなよ~」
「覗きませんよ!」
「本当か~?」
「今までだって覗きに行かなかったでしょうが!」
「あっはっは!そうだったねぇ~。チキン君~」
「五月蠅い!」
妙に明るいキャンだったが、そうでもしないと自分の心が保てないからなのか、カイト自身の心のケアだったのか、優しさだったのか。そんな風にカイトは感じた。悶々としながらカイトは事務所にぶちまけられた資料を棚に戻していき、食器類を洗い、掃除もしていると、風呂上がりで髪を纏めてタオルで巻いた、バスタオル一枚のキャンが入ってきた。
「なっ!?」
「あれ、少年」
「何て格好してるんですか!?」
「着替え持ってくるの忘れてねぇ」
「ひゃ、早く何か着て下さい!」
「そこ、私の部屋の入口なんだけど」
「えっ?」
カイトが立っている後ろの扉には「キャンの部屋」と書かれたネームプレートがぶら下がっていた。
「私の服、自室にあるんだけど」
「す、すみません!」
カイトは慌てて扉の前から移動した。キャンは辺りが片付いているのを確認すると、カイトの方を向いた。
「ここに散らばってた資料、適当に並べた?」
「いえ、番号があったのでその通りに並べました」
「そうかい。ありがとね」
「いえ」
そう言ってキャンは自室に帰ろうとした。その時、キャンの両肩に大きい手術痕が見られた。カイトは思わず聞いた。
「あの、キャンさん?」
「何だい?少年」
「その両肩の傷って、何ですか?」
「そこはプライバシーだからねぇ~。まだ言えんよ」
「そうですか」
「それに、そういうデリカシーが無い男は嫌われるよ」
「す、すみません!」
「じゃあ、着替えてきても良いかな?」
「あ、はい。すみませんでした!」
キャンは自室に戻っていった。カイトは掃除を終え、自室に帰って少し勉強し、風呂に入って寝た。
翌日、キャンとカイトは渋井大学附属病院に向かい、未来の病室に訪れ、ノックした。
「失礼します」
中に入ると、そこではフードを被った全身黒ずくめの人が、横になっている未来と口付けをしていた。それを見てキャンとカイトは思わず「あっ、すみません……!」と言って退室しようとした。すると未来は止めた。
「あっ、こちらこそすみません!どうぞ!」
「し、失礼します……」
その人は一歩下がり、キャンとカイトの方を向いた。ピアスをジャラジャラ着けたスラッとした長身のイケメンがそこにいた。
「あの、この方はご家族の方で……?」
「あー……まぁ、まだそこまでではないですね」
「という事はまだご婚約されただけとか?」
「結婚出来ないんですよねぇ、まだ」
「はい?」
「私達、女同士なので」
「……へ?」
イケメンの彼女はフードを脱ぎ、長い黒髪をなびかせていた。
「おやおや、これはまた……」
「イケメン美女だ……」
「ありがとうございます。初めまして。九尾岳加子です」
「執刀医のサイン・キャンです」
「助手の倉部カイトです」
「で、私は出て行った方が良いでしょうか?」
「どうしますか?」
「うーん……まぁ、パートナーという事なら良いでしょう。どうぞお聞き下さい」
「分かりました」
キャンは術後の往診を行った。そこへ未来の家族、父の康太と母の恵と未来の双子の弟の隆司がやってきた。入ってくるなり、康太は声を荒げた。
「おい!何故お前がここに居る!?」
その矛先は加子だった。康太は加子に掴み掛った。
「出ていけ……!ここはお前が来る場所じゃない……!」
加子は康太を見下ろし、手を振り解いた。
「じゃあ未来、また来るから」
「もう二度と来るな!」
康太はそう吐き捨てた。どういう状況分からず、キャンとカイトはただ見守っていた。すると恵が言った。
「今のはごめんなさい。ちょっと訳アリで……」
「どういう事ですか?」
「それは……」
今度は康太が声を抑えて説明しだした。
「アイツは娘を誑かして心と体を弄んでるんだ。アイツは只の部外者だ。二度と娘に近付かせないでくれ」
康太の言葉に、今度は未来は声を荒げた。
「何で分かってくれないの、お父さん!私は加子と一緒になる!それが夢なのよ!」
「そんな事許されるか!お前は我が社の跡取りなんだぞ!子供を産んで、何代も続けさせる義務があるんだぞ!」
「でもそんなの無理よ!もう子供を産める体じゃないんだから!」
「何だって!?」
未来の目には涙が溢れていた。
「もう……もう私の事は放っておいて!」
康太はキャンに掴み掛った。
「おい!手術は成功したんじゃないのか!?」
「成功しましたよ。その代わり、子宮は全摘出しましたが」
「何だって……!?話が違うじゃないか!子宮にある癌細胞だけを摘出するって約束で、子宮は残す形で手術をするんじゃなかったのか?!?」
「そんな事一言も言ってませんよ。場合によっては全摘出も有り得るとお伝えした筈です。ねぇ、未来さん?」
「そうよ」
沈黙が流れた。すると康太は隆司に言った。
「隆司、あの女を連れ戻してこい」
「えっ?」
「良いから!早く!」
「え、あ、お、おう……」
隆司は病室を出ると、すぐに加子を連れて帰ってきた。加子は嫌そうな顔をしながら入ってきた。
「何ですか?もう二度と来るなと言ったじゃないです」
「九尾岳加子。君は二度と未来に関わらないでほしい」
「はぁ」
「だがある条件を飲んでくれたら、今後、未来と関りを持っても良い」
「その条件とは?」
「未来と別れる代わりに、息子の隆司と結婚してほしい」
「はぁ!?」
隆司は驚きの声を上げ、加子は溜め息を吐いた。
「何でだよ、父さん!?」
「よく見ろ。息子と娘は顔がそっくりだ。息子となら結婚をして、家庭を築いていける。どうだ。良い案だろう?」
康太は良い考えだろうとドヤ顔で提案した。しかし加子は冷たく言い放った。
「無理ですね」
予想に反した加子の言葉に、康太は狼狽えた。
「な、何でだ!?君だって女だ!男が欲しいだろう!?」
詰め寄る康太に、加子は淡々と言った。
「私が愛したのは未来さんです。顔が似ている隆司君じゃない!」
「何だと!?」
「元々子供なんか望めない愛なんですよ。それが理解出来ないんじゃ、子供の心を理解しないんじゃ、親として失格だ!」
「でも……!」
すると突然、隆司は大声を上げた。
「俺だってゲイだ!子供は望めない!」
隆司の言葉に驚き、眼を見開いた康太と恵。康太は言った。
「母さん。母さんはこの事知ってたのか!?」
「知らないわ!今初めて聞いたもの!」
「未来、お前は知ってたのか!?」
「知ってたよ」
「何で言わなかった!?」
「自分から言いたいから黙っててって言われてたから」
慌てふためく両親を他所に、未来は隆司に言った。
「隆司、こんな時にこんな場所でカミングアウトして良かったの?」
「良いんだ。いずれ言うつもりだったから」
「そう……ごめんね」
「良いんだよ、姉ちゃん」
加子は未来の所に行き、頭を撫でた。
「未来。私は絶対に捨てない。ずっと、一緒だよ?」
「加子……」
「じゃあ帰るからね。また明日ね」
「うん、加子……」
加子は病室から帰って行った。康太は床にへたり込み、恵は泣き崩れた。隆司は未来に歩み寄った。
「姉ちゃん」
「隆司」
「俺、姉ちゃんの幸せを願うよ」
「隆司……」
「姉ちゃんは俺にとって立派な姉ちゃんだ。俺はずっと味方だから」
「ありがとう、隆司……!隆司も私にとっては立派な弟よ」
「ありがとう。子供は養子縁組でも、iPS細胞でも駆使して作るから!」
「でも隆司、貴方産めないでしょう?それに父親だけの家庭に子供を渡す施設があるかどうか……」
「どんな事でも為せば成る!だから姉ちゃんは自分の体の事だけを考えて」
「分かった」
隆司は両親を立ち上がらせ、連れ帰って行った。残されたキャンとカイトは嵐が去った後の様子に唖然としていた。それを感じて未来が口を開いた。
「すみません。家族のゴタゴタを見せてしまって……」
「あ、いや、良いんですよ。ご家庭の事情はそれぞれですから」
「どうもすみませんでした」
そうしてキャンとカイトは病院を後にした。三ヶ月後、キャンとカイトが再び病院に訪れた。扉をノックすると、中から未来の声で「どうぞ」と聞こえてきた。中に入ると、そこでは私服に着替え終わった未来の姿があった。
「こんにちは、吉田さん。お加減はどうですか?」
「良好です」
「それは良かった」
「先生のおかげです。ありがとうござました」
「いえいえ。勇気ある、吉田さんのおかげですよ」
そう話していると、加子がアタッシュケースを持って病室にやってきた。
「あ、先生」
「九尾岳さん。こんにちは」
「こんにちは。未来、準備は出来た?」
「うん。行こうか。あ、先生方も着いて来て下さい」
カイトとキャンは「え?あ、はい……」と返事をして着いて行った。未来と加子は手を繋ぎ、受付に行って入院費を支払い、病院を後にした。それに着いて行くキャンとカイト。二人が着いてくるのを確認すると、未来と加子は近くの喫茶店に行こうと提案してきた。それを承諾し、四人は喫茶店に入っていった。席に着き、四人がコーヒーを頼んだ。すぐにコーヒーが運ばれてきて、未来は口を開いた。
「治療費の事、ですよね?」
「はい」
「ご安心下さい。こちらにあります」
加子はアタッシュケースをテーブルの上に置き、中身を開けた。そこには札束がギッシリ詰められていた。キャンとカイトは驚愕した。まさか現ナマで渡されるとは思わなかったからだ。
「足りませんでしたか?」
「いえ、いきなり現ナマで1000万を渡されるとは思わなかったので」
「そうですか」
「これ、どうやって工面したんですか?」
「500万円は私の家族が。残りの500万円は私と加子の貯金から下ろしたのと、金融会社から借りてきました」
「そうですか。分かりました」
キャンはアタッシュケースを受け取り、財布から1万円札二枚をテーブルに置き、カイトを立たせて帰ろうとした。
「あの、このお金は?」
「ここのコーヒーのお代です。お釣りはこの後美味しいご飯でも食べる為の資金にして下さい。では、これで」
キャンとカイトは一礼して喫茶店を出た。
「あの二人、上手くやっていけるでしょうか?」
「あれだけ相手の事を想い合ってるアベックだ。きっと大丈夫だろう」
「アベックって何ですか?」
「あぁ、もう死語か。カップルって事だよ」
「へー。一つ賢くなりました。それに、良かったですね。最初から、心配する必要なんて無かったですね」
「何でだい?」
「子宮が無くなっても、ゲイだからあまり関係無いじゃないですか」
「……思慮の無い発言はするもんじゃないぞ、少年」
キャンはキッとカイトを睨んだ。カイトは慌てて頭を下げた。
「すみません!」
「分かれば宜しい。さ、帰るぞ」
「はい!」
二人は事務所に帰って行った。キャンは二階に帰り、カイトは三階に帰ろうとした。するとキャンはカイトを呼び止めた。
「あ、ちょっと少年。待ち給え」
「何ですか?」
「こっちこっち」
キャンが手招きしてカイトを呼んだ。キャンは財布から1万円札を一枚取り出し、封筒に入れてカイトに渡した。
「はい。今日の分」
「別に今日じゃなくても良いのに」
「忘れるといけないからね。ここはキッチリしておきたいんだ」
「そうですか。ありがとうございます」
カイトは封筒を受け取り、自室に帰って行った。風呂に入り、ベッドに横になってふと考えた。
「これからも、こんな辛い手術が待っているのかなぁ……」
そう思いながらも、疲れてそのまま寝た。




