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葬式

『将来、僕の癌細胞を食べて下さい』13


・葬式


 カイトの祖父の死から十年後、カイトは五十歳になった。カイトとキャンはたまに来る患者を手術しながらも、暇な日々を過ごしていた。そこへ事務所に一通のハガキが届いた。メイド喫茶サトーのオーナーの清三と店長の芳江の訃報だった。初めて会った時からお歳だったし、仕方ないとカイトは思った。手紙には「後日、お別れ会を致します。お時間が合いましたら喫茶サトーにて執り行いますので、ご参加下さい」と書かれていた。数日後、カイトとキャンはお別れ会に行く事にした。カイトは喪服を着てキャンを呼びに行った。机の上には顔が見えにくいベール付きの帽子が置いてあった。キャンはまだ支度をしておらず、煙草を吸っていた。それにカイトは疑問を持った。

「行かないんですか?」

「行くよ?ただ終わりの時間ギリギリに行こうと思って」

「何でですか?」

「君も私も店を辞めてから一度も行ってないんだ。元従業員や客が来るかもしれないだろう?その時、あれから十八年も経ってるのに歳を取っていない私が行ったらプチパニックになる」

「成程。それもそうですね。あぁ、だからその黒いベールなんですか?」

「そうだよ」

 二人は喫茶サトーに車で向かった。そこはかつてのピンク色の「メイド喫茶サトー」と書かれた看板ではなく、普通の落ち着いた雰囲気の「喫茶(Bar)サトー」になっていて少し驚いた。外の立て看板に「清三・芳江のお別れ会」と書かれた紙が貼ってあった。立て看板を片付けようとしている初老の男性にキャンは声を掛けた。

「あの、すみません」

「はい?何でしょう?」

「佐藤清三さんと芳江さんのお別れ会はこちらでお間違えありませんか?」

「はい。そうです」

「この度はご愁傷様です。以前、メイド店員として働いた者です。サイン・キャンと申します」

「お悔やみ申し上げます。私も厨房で働かせて頂いた倉部カイトです」

「ありがとうございます。私は息子の和男と申します。貴方があのキャンさんでしたか……父と母がお世話になりました。倉部さんもお世話になりました」

「いえいえ、こちらこそお世話になりました。和男さん。それで、お二人はどうして亡くなったのですか?」

「えぇ、詳しいお話は中で。どうぞ」

 和夫は二人を店の中に招き入れた。

店内は、以前働いていた時のピンクを基調とした内装から、今は茶色を基調とした落ち着いたものになっていたが、カウンターやテーブルには以前の面影が残っていた。カイトとキャンは清三と芳江の遺影に向かって拝んだ。二人が働いていた時の仲睦まじい仕事風景の一部を切り取った写真の回りに、二人が好きだった薔薇の花が飾られていた。和男はカウンターの中に入った。

「今日はお車ですか?」

「はい」

「ではノンアルコールカクテルをお作りしますね」

「バーなんですか?」

「はい。夜はバーです。何かお好みはありますか?」

「お任せで」

「私も」

「では両親が好きだった薔薇のシロップを使ったモヒートで如何でしょうか?」

「じゃあそれで」

「お願いします」

和男はカクテルを作って二人に差し出した。二人はカウンターに座り、カクテルを飲んだ。

「いかがですか?」

「美味しいです」

「まさかこんなムーディーなお店になっているとは……」

「キャンさんと言えば、十五年間ずっと指名数ナンバーワンのメイド店員さんだったと両親から聞いていました」

「そうですね。そういう事もありました」

「貴方が辞めてから伝説扱いされていました。会えて光栄です」

「ありがとうございます。私が辞めてから、あれからお店の方は……?」

「貴方が辞めてから客足が遠のいちゃって……一年後にメイド喫茶を辞めて、昼は普通の喫茶店、夜はバーに変更して続けてました」

「そうですか……すみません」

「いえいえ。キャンさん頼りだったのは事実ですから。それでも最初はなかなか人は集まってこなかったんですが、メイド喫茶時代から変わらず店の味を愛して下さるお客様が多くて、その結果雑誌に取り上げられたんで、まぁそこそこ繁盛しました」

「そうですか」

「私、二十歳の時からアメリカでバーカクテルの修行をしてたんです。父からメイド喫茶を辞める知らせを受けて、三十五歳の時に日本に戻ってきまして、両親の力になれるようにバーのマスターになったんです」

「そういう経緯があったんですね……」

「それで、オーナーと店長はどうして……?」

「父はくも膜下出血で倒れ、発見が遅れてそのまま亡くなりました。そして母も後を追うように心臓麻痺で倒れて、同日、亡くなりました」

「そうですか……本当にオーナーと店長にはとてもお世話になりした」

「こちらこそ、ありがとうございました」

「それは良かったです。今後はどうなさるんですか?」

「実は都市再開発でここは引き払う事になったんです」

「えっ、じゃあ喫茶店とバーは……?」

「畳みます。これからは六本木にある友人が経営するバーで再就職の話が出ているので、そこに行こうと思ってます」

「そうですか……」

「思い出の場所を潰してしまい、申し訳ありません」

「いえ、和男さんのせいではありませんから。今まで、と言って良いのか分かりませんが、ありがとうございました」

「こちらこそ、お世話になりました。ありがとうございました」

 キャンと和夫は頭を下げた。続けてカイトも頭を下げ、「ありがとうございました」と言った。そこへ、カランカランと扉が開く音と共に、何人かのサラリーマンが入店してきた。

「マスター、もう終わっちゃった?」

「あ、いえ、大丈夫ですよ」

「この度はご愁傷様です」

「恐れ入ります」

「オーナーと店長には美味しいご飯やおつまみで大分お世話になったからね。本当は仕事を早く切り上げて来たかったんだけど、長引いちゃって」

「それはそれは。わざわざありがとうございます」

 キャンとカイトは「では我々はこれで……」と会釈し、その場を後にした。車の中でキャンは煙草を吹かした。

「残念でしたね、キャンさん」

「あぁ……初めて会った時はオジチャン、オバチャンだった。でも十年も働いていると、段々オジーチャン、オバーチャンになっていった。寂しさを感じながら働いていたよ。それが、もう死ぬ年齢になっていたなんてなぁ……また、知人が私の下を去って行った……」

 沈黙が流れた。キャンは静かに泣きながら言った。

「いかんなぁ……歳を取ると涙脆くなる……寂しいよ、悲しいよ……」

「私も若い時お世話になってたので、お気持ちは分かります。でも、それを乗り越えなきゃ、と世の人は言います」

「私の場合、それをこれからあと何回、何十回、何百回としていかなければならないんだ。そう簡単に言うなよ……」

「……すみません……」

「あ、いや、キツイこと言って悪い。少し、感情が乱れててな……」

「いえ、若造が出しゃばった事を……申し訳ありません」

「いや、良いんだ……」

 キャンは煙草を揉み消した。事務所に着くと、そこには一人の男性が事務所のチャイムを鳴らしていた。車を降りて向かうと、その男性は二人の方を向き、キャンは男性に言った。

「何か御用ですか?」

「え、えぇ……あ、お出掛けでしたか……じゃあ後日に……」

「いえ、伺います。どうぞ、中へ」

 カイトは扉を開け、男性を中に入れた。キャンは男性をソファに座るよう促した。

「着替えてきますので少々お待ち下さい」

「はい」

その後カイトは自室に戻り、仕事着に着替えて降りて来て、お茶を淹れてソファの前のテーブルに置いた。そして契約書と朱肉を持ってソファに座った。キャンも自室に行き、着替えた。そして事務所に戻り、ソファに行きがてら流れるように男性の首筋を嗅いだ。咄嗟に手で覆う男性。キャンはすぐに離れ、向かいのソファに座った。

「頭頸部癌ですね?」

「どうして分かるんですか?」

「まぁ、経験で。お名前は?」

「設楽恭介です」

「ステージは?」

「4です」

「そうですか。ここの事は渋井大学附属病院の加藤孝之副院長から聞きましたか?」

「はい、そうです」

「連絡くらいしろよな……」

「す、すみません……電話番号を教えてもらってなかったもので……」

「いえ、設楽さんに怒ってるんじゃないんです。加藤副院長に怒ってるんです」

「は、はぁ、そうですか……」

「で、いつ手術しますか?」

「会社には休みを貰ってるのでいつでも大丈夫です」

「では明日の午前十一時はどうですか?」

「そんなに早く手術して頂けるんですか?」

「早く治したいでしょう?」

「そりゃあ、まぁ、はい……」

「で、どうでしょう?」

「分かりました。明日の午前十一時でお願いします」

「畏まりました。少々お待ち下さい」

 キャンは席を立ち、スマートフォンを取り出して孝之に電話した。

「もしもし?」

「あぁ、キャンか。手術の事か?」

「あぁ」

「いつの何時だ?」

「明日の午前十一時だ」

「分かった。手配しておく」

 孝之は電話を切ろうとした。その前にキャンが言った。

「それともう一つ!」

「何?」

「事前に連絡くらいしろ!毎回毎回、突然患者がやってきて、困る時だってあるんだぞ!」

「でも、いつも暇だろう?」

「こっちにだって都合が悪い時だってあるって言ってんだ!一度はお前から連絡するか、患者から連絡させろ!」

「だってスマートフォンの電話番号は個人情報だし……」

「次からは教えて良いから!」

「あ、あぁ、分かった。すまない」

「じゃあね!」

 キャンは電話を切り、ソファに座った。

「設楽さん、加藤副院長から聞いているとは思いますが、私はモグリの医者です。法外な値段を取りますよ」

「はい、承知しています」

「1000万円です。宜しいですか?」

「はい。現金で支払う形になりますか?」

「銀行振り込みだと助かります」

「分かりました。一括でお支払い致します」

「では契約書にサインと印鑑を。カイト」

「はい」

 カイトは契約書と朱肉を恭介の前に置いた。

「ここにサインを。そしてここに印鑑を。印鑑が無ければ母印でも構いません」

「印鑑は持って来てます」

 恭介はサインと印鑑をし、カイトに返した。

「これで契約は完了です。明日、渋井大学附属病院に午前十時に来て下さい」

「分かりました。宜しくお願いします」

「こちらこそ宜しくお願いします」

 三人は頭を下げた。恭介が席を立つと、カイトも席を立ち、出入口の扉を開けた。恭介は一礼し、去って行った。

翌日、午前九時にカイトとキャンは渋井大学附属病院に行き、診察室で恭介のカルテと診断書を見た。その後、午前十時に恭介がやってきて、受付の案内で診察室に向かった。手術の内容とその後の経過を説明し、手術用ベッドに恭介を寝かせて手術室へとキャンとカイトは向かった。キャンは自分の血を恭介に流し込み、手術を始めた。無事、四時間程で癌細胞は全て摘出し、恭介を病室に運んだ。その後の事はいつものように孝之に任せ、カイトとキャンは帰って行った。

事務所に着くと、キャンはドッカリとソファに座り、煙草を吹かした。カイトはコーヒーを淹れ、一つをキャンに渡した。二人はコーヒーを飲み、一息吐いた。数日後、カイトが銀行に行くと、無事、恭介から1000万円の振り込みが完了されていた。事務所に戻り、入金の確認をキャンに報告した。

「ご苦労様」

「はい。それにしても、皆さん、よくお金ありますよね」

「分割もあるけどな」

「それでも治したいんですもんね。気持ちは分かりますが、よくこんな胡散臭い、犯罪組織によく来るものですよね」

「藁にも縋る思いなんだろう」

「そうなんですかね。まぁ、私も祖父を治してもらいましたし、気持ちは分かりますが」

 その日は、後は特にやる事も無く、カイトはファイリングしてからキャンと共に過ごして一日が終わった。

 それから五年後、夕方五時頃にカイトのスマートフォンが鳴った。電話に出てみると、深雪からだった。

「もしもし、母さん?」

「あっ!カイト!お父さんが!」

「父さんがどうしたの?」

「お父さんが緊急入院したの!」

「何だって!?」

「渋井大学附属病院にいるからすぐに来て!」

「分かった!」

 カイトは事務所に降り、キャンの下へ行った。

「キャンさん!」

「何だい、カイト?何を慌ててるんだい?」

「父が渋井大学附属病院に緊急搬送されました!」

「何だって!?」

 二人は慌てて着替えて渋井大学附属病院に向かった。そこでは孝之が待っており、二人は春樹がいる手術室の前に通された。そこでは深雪が手術が終わるのをベンチに座って待っていた。カイトとキャンを見るなり、深雪は杖を突きながらカイトに駆け寄った。

「母さん……!」

「カイト……!お父さんが……お父さんが……!」

そして手術中の明かりが消え、手術室から出てきた医師は言った。

「最善は尽くしましたが……申し訳ありません……ご臨終です……」

 ワッと泣き出す深雪。カイトは深雪の肩を抱き、ポロポロと泣いた。

「父さん……!」

「お父さん……!」

 二人の泣く姿を見て、キャンも涙を流した。親しくしてくれていた義父が亡くなったのだ。多少なりとも家族としての愛情はあった。最初は金の関係だったが、二百年家族がいなかったキャンには、新しい家族は嬉しかった。だから悲しみに溢れた。葬儀をし、春樹を火葬した。墓に納骨し、三人は拝んだ。キャンは呟いた。

「また、家族が死んだ、か……」

春樹の死後、新院長は孝之に決まった。

後日、三人はファミレスに行き、昼食を食べた。久し振りに会った深雪は杖を突いて歩いており、介助しながら席に向かった。

「いつの間に杖を突いていたんだ?母さん」

「つい昨年ねぇ。いきなり悪くなっちゃって」

「そうか……実生活大変じゃない?」

「お父さんがいたからまだ大丈夫だったんだけどねぇ……」

「父さんも医者の不養生って前に自分で言ってたのになぁ」

「お父さんももう私の言う事聞かなかったからねぇ……」

「七十八歳だっけ?」

「そう」

「今だともう少し寿命が延びてるからなぁ……早くに死んじゃったなぁ。死因は頭部の強打だって?転んだの?」

「そう。学会に向かう途中でね。通報してくれた人の話だと、急にお腹を痛がって蹲った瞬間に足元を滑らせて頭を駅のホームの柱にぶつけたって言っていたわ。多分、肝硬変の末期で痛みが出たのが原因なんだと思う」

「そうか……」

「もう歳なんだから、あれだけお酒は控えるように言ってたのに……定期健診で数値も異常値だったのに放ったらかしにして……」

「そっか……」

「私がもっと気を付けていれば……!もっと手術や治療を強く、強く勧めておけば……!」

「それは違うよ!母さんは何も悪くない!たまたまなんだ。たまたま、不幸が重なっただけだ!」

「カイト……ありがとう……」

「その脚じゃあ色々不便でしょ?俺が暫く一緒に住むから」

「そんな、悪いわよ」

「せめて四十九日が終わるまで一緒に居させてくれ。父さんの遺産は全部母さんが継げば良いだけだけど、その手続きは俺がするから」

「でも……」

 深雪はキャンの方を見た。キャンは視線に気付き、言った。

「私は構いませんよ。カイト、お母さんは大事にしな」

「はい。ありがとうございます」

 その日はカイトと深雪の二人とキャンの二手に別れて家に帰って寝た。暫くはカイトが実家に泊っていたが、四十九日を前に事務所に帰ってきた。キャンは煙草を吸いながらコーヒーを飲んでいた。

「あれ?もう帰ってきたの?」

「はい。母から『大丈夫だから』と言われて追い出されました」

「随分アグレッシブなお母さんだなぁ」

四十九日が終わった後、深雪と高級レストランで食事をしようと近くのホテルのフランス料理店に予約を取り、ロビーで待ち合わせした。深雪はそのホテルに驚いていた。

「こんな高そうなお店、お金は大丈夫なの?」

「いつまでも子ども扱いしないでくれよ。もう五十半ばだよ?」

「でも少しくらい私が出しても……」

「お義母さん、ここは素直に息子さんに甘えましょうよ。親孝行ですよ」

「そう?じゃあお言葉に甘えちゃおうかしら」

 三人は店内に入り、コース料理を堪能し、ワインを飲みながら談笑していた。

「ところで、これからどうするの?」

「どうするって?」

「あの家で一人暮らしするの?」

「いいえ?老人ホームに入る予定よ」

「……何だって?」

「私ももう歳だし、こんな脚だし、あの家じゃあもう辛くてねぇ。老人ホームに入ろうかと思っててねぇ」

「そんな……これからは俺が一緒に実家に住むから、あの家に居ようよ」

「いいわよ、別に名残惜しい訳でもないし。それにもう決めた事だから」

「いつ決めたの?」

「アンタを追い出した日」

「酷ぇ……で、いつから入るの?」

「来月からお世話になる予定よ」

「全く、俺達に何の相談も無く……」

「私の事は放っておいて良いから。夫婦の時間を大切にしなさい」

「母さん……俺には、母さんとの時間だって大切だと思っているよ?」

「私より、愛する人と添い遂げなさい。私みたいに、後悔しないように」

「……分かった。でも頻繁に行くから、覚悟してよ?」

「たまに様子を見に来るくらいで良いから。今だったら電話とかメールでも安否確認出来るし。暫く一人にさせて」

「そう……じゃあ、たまにそっち行くから」

「分かったわ」

「何か必要な物があったらすぐに届けるから」

「分かったって」

「無理はしないでね」

「全く……困った息子だわ」

「心配なんだよ」

「はいはい。ありがとね」

「私も時々一緒に行きますから。遠慮無く何でも言って下さい」

「キャンさん、色々気遣ってくれてありがとうね」

「いえいえ」

 三人は笑い合った。すると深雪はキャンの顔をマジマジと見た。

「相変わらず綺麗ねぇ。二十代にしか見えないわ」

「まぁ、悪魔との契約ですからね」

 春樹と深雪には、キャンの事は全て話していた。最初は信じていなかったが、年に数回、年末、正月、お盆等に帰る度に、カイトは老けていくのに対し、キャンは歳を取らずにいた為、次第に信じるようになった。

「私もその悪魔の契約、してみようかしら」

 キャンは身を乗り出して慌てて止めた。

「それは駄目です!リスクが高すぎます!」

 キャンの真剣な顔に、深雪は微笑んだ。

「冗談よ。それに、向こうでお父さんが待ってますから……」

 そしてデザートまでゆっくり堪能し、キャンとカイトは事務所に、深雪は家に帰る事にした。

数日後、キャンと共にカイトは実家に車で深雪を迎えに行き、老人ホームに向かった。キャンにも一緒に聞いてほしいと深雪に言われ、共に中に入っていった。そこで色々説明を受けた。延命処置についての話が出た時、それは受けないと深雪が言った。延命処置が必ずしも良い訳ではない。苦しみが増すだけの可能性もある事は医者であるカイトとキャンは重々理解していた。なのでカイトはそれを受け入れた。

翌月、深雪の意向で実家は取り壊し、不動産に売る事にした。

「良かったのかい?」

「何がですか?」

「実家。思い出の場所だろう?」

「もうここに住んでいる時期の方が長いですから。それに、もう両親は居ないんです。そんな家には、もう帰りたくないです……」

「……そうか」

それから五年間、週一で深雪のいる老人ホームに通った。歳を重ねる毎に、歩けなくなったり、自分で起き上がれなくなったりして日に日に衰えていき、次第にベッドで意識がぼんやりとしている日が多くなっていった。ある日、老人ホームから連絡があり、「そろそろです」とだけ言われ、カイトは身支度をした。

「キャンさん、母が……」

 カイトの様子に、キャンは察した。

「……分かった。私も行って良いか?」

「はい」

「じゃあちょっと待っててくれ」

 キャンは身支度して、カイトと共に老人ホームに向かった。そこでは深雪がベッドの上で眠っていた。担当医師から心電図を指差され、もう脈が弱っている事が分かった。カイトとキャンは深雪の手を優しく握った。

「母さん……」

「お義母さん……」

すると、深雪は大きく息を吸い、吐いた。同時に、心電図も反応が無くなった。そこで死亡を確認した。泣き崩れるカイトをキャンは抱き締め、共に泣いた。葬儀をし、深雪を火葬した。墓に納骨し、二人は拝んだ。キャンはまた呟いた。

「また一人、私の下から家族が居なくなった……」

 二人は事務所に戻り、カイトは諸々の手続きをやった。キャンも手伝ったが、それでも大変だった。数ヶ月後。全ての手続きが終わり、カイトは事務所のソファにドッカリと座り、溜め息を吐いた。

「遺産相続ってこんなに大変なんですね……心身疲弊しきってますよ……」

「お疲れ様」

 キャンはコーヒーを淹れ、一つをカイトに渡した。

「ありがとうございます」

 キャンは向かいのソファに座り、コーヒーを飲んで、煙草を吹かした。

「オジーチャンの時もそうだっただろうけど、実の両親の、家族の別れって、思ってたより悲しいだろう?」

「えぇ……でも母を静かに看取れる事が出来て良かったです。それより、キャンさんの方がお辛かったでしょう?惨劇だったんですから」

「まぁ、私の場合それどころじゃなかったからね。後々になってキたよ。孤独は辛いよな。私に出来る事があったら何でも言ってくれ」

「私は孤独じゃありません。キャンさんが居ますから」

「……そうかい」

 カイトは席を立ち、キャンの方へ行った。

「キャンさん、一つ我儘を言っても良いですか?」

「何だい?何でも言ってくれ給え」

 カイトはキャンに口付けをした。

「慰めて下さい」

 キャンは顔を背けて煙草を吸った。それを見て、カイトは肩を落とした。

「……やっぱり、こんな中年男性とは、シたくないですよね……」

 キャンは煙草を揉み消し、カイトの方に向き直って口付けをした。

「そんな歳でも、性欲があるんだな」

「そりゃあ、まだまだ現役ですから」

「ふふっ、そうかい。じゃあ、行こうか」

「はい」

 二人はキャンの寝室に向かい、一夜を共にした。最中、体にガタが来ていたのか、カイトはそれまでとは違い、上手く事が出来なかった。それを見かねてキャンが主導で動き、一夜を過ごした。そして翌日から通常業務に戻り、時々現れる患者を手術していった。それから数ヶ月が経った。それまで特に不自由無く、いつものように事務所での生活と手術の生活をしていたカイトとキャン。カイトは還暦を迎えた。その日は一日休日にして、事務所は閉めていた。

「誕生日、還暦おめでとう、カイト」

「ありがとうございます、キャンさん」

 二人はワインで乾杯した。

「改めて見ると、やっぱり老けたなぁ……」

「そんなに頭薄いですか?」

「いや、フサフサだけど。目尻に皺が出来たし、ほうれい線も濃くなったし、シミも出てきたし……ドンドン死に近付いているな。このまま手の震えとか出て来て手術もままならない状況になるかもな」

「縁起でも無い事言わないで下さいよ。私は生涯現役です」

「ははっ、そうかい。これからも元気で長生きしてくれよ?」

「はい。勿論」

 その日はゆっくり過ごして、夜、一緒に寝た。

「こっちも生涯現役かい?」

「いやぁ、もうこっちは引退かもしれませんねぇ」

「そうか。それは寂しくなるなぁ」

「すみません。もし嫌だったら他の男を探しても良いんですよ?」

「何言ってんだい!私はこれでも恋愛は一筋なんだぞ!」

「ははは、そうですか」

そう話して、ゆっくりと眠りに着いた。

数日後、患者が来なくていつものように暇を持て余し、昼食を食べていたカイトとキャン。そこに、キャンのスマートフォンが鳴った。電話に出ると、孝之の秘書からの電話だった。

「もしもし?」

「あっ!もしもし!?こちらサイン・キャン様のお電話でお間違いありませんか!?」

「はい、そうですが」

「キャン様でしたか!加藤院長の秘書の鈴木です!実は大変な事になりまして!」

「何ですか?」

「加藤院長が亡くなりました!」

「何っ!?何で亡くなった!?」

「心臓麻痺です!夜寝ている間に起こったらしくて、今朝、亡くなってるところを使用人が発見しました」

「そうですか……分かりました……」

「はい。お通夜は明日行うので、その連絡をしました」

「ありがとうございます。ご愁傷様です」

「はい、恐れ入ります。ではまた……」

 キャンは電話を切った。

「誰か亡くなったんですか?」

「孝之センセが、亡くなった……」

「えっ!?本当ですか!?何でですか!?」

「心臓麻痺らしい。寝ている間に亡くなったらしい」

「そう、ですか……」

「お通夜は明日だそうだ」

「そうですか……分かりました」

 キャンは窓の外を眺めながら煙草を吹かした。

「孝之……」

 翌日、二人は孝之のお通夜に出向き、線香を上げた。二人は孝之を見て、驚いた。あまりにも安らかな顔で、今にも起き上がってきそうな程、綺麗な顔をしていたからである。また「キャン」「カイト君」と言ってきそうな、安らかな顔をしていた。葬儀が進んで火葬が終わり、納骨を見守っていた二人。本当にもう居なくなってしまった、死んでしまったんだと感じ、二人は涙を流した。キャンは呟いた。

「また、友人が一人この世を去ってしまった……」

 カイトはキャンを抱き寄せ、車に向かった。カイトは運転席に、キャンは助手席に座った。座席に座るなり、キャンは煙草を吸った。

「どんどん、知り合いが死んでいくな……」

 キャンは静かに涙を流した。そんな様子のキャンを見ていられず、カイトはとりあえず車で事務所に帰った。中に入ってキャンはソファにドッカリ座り、煙草を吹かした。カイトはコーヒーを淹れて持って来て、一つをキャンの前に置いた。カイトはコーヒーを飲んだ。

「これからどうなるんでしょうか?」

「何が?」

「加藤院長が亡くなった今、もうあの病院を利用出来なくなるんじゃないですか?」

「あぁ、そうか。そういう事になるのか」

「どうしましょうか……」

 これからの事を考えながら一週間が経ち、昼食を終えた頃にキャンのスマートフォンが鳴った。電話に出ると、渋井大学附属病院からだった。

「はい、もしもし?」

「あ、こちら渋井大学附属病院です。サイン・キャン様のお電話でお間違いありませんか?」

「はい、そうですが」

「今からこちらに来て頂けますか?」

「何故ですか?」

「新しい院長からお話があるとの事でして」

「そうですか。分かりました。すぐに向かいます」

 キャンは電話を切った。

「誰からですか?」

「渋井大学附属病院から。何か新院長から話があるって」

「今からですか?」

「あぁ。着いて来てくれ」

「分かりました」

 二人は着替え、準備をして車を出した。渋井大学附属病院に着き、受付にキャンが自分の名前を告げると、受付嬢はすぐに電話し、暫くすると新院長の秘書がやって来た。そこに来たのは、意外な人物だった。

「カイトさ~ん!」

「は?」

「カイトさん、随分老けましたねぇ。まぁ、私も人の事言えないけど。ナイスミドルになっちゃってぇ」

 ケラケラと笑う秘書。一瞬、誰か分からずにいたが、すぐに思い出した。

「渋井美優さん!?」

 かつてキャンを殺そうとし、カイトを次期院長にするべく結婚を迫った渋井美優だった。

「すぐに気付いてくれないなんて酷いですねぇ~」

「何かその、何か変わったから……」

「どこが変わりましたかぁ~?」

「大分老けた……」

「そういう事は女性に言っちゃ駄目ですよぉ~?」

「す、すみません……」

「あはは!真面目なところも昔のまんまですねぇ~」

 左手で口を覆って笑う美優。カイトはその左手の薬指を見た。

「あれ?ご結婚されたんですか?」

「あ、気付きましたかぁ~?そうなんですよぉ~。カイトさんには悪いけど、素敵なダーリンに出逢ってしまってぇ~」

「そうですか。お幸せなら何よりです」

 二人の仲良さ気な会話に、キャンは苛立ちを感じ、二人の間に割って入った。

「で、用件は何?」

「あら、キャンさん。相変わらずお綺麗でぇ。歳を取らないって噂は本当だったんですねぇ」

「殺そうとした事、今でも忘れてないぞ」

 キャンのあまりの剣幕に気圧され、美優は頭を下げた。

「あの時はごめんなさい!私、どうかしてました!」

「謝られても絶対に許さないからな」

「それは本当にごめんなさい!あの時、私は子供でした!もうあんな事は致しません!」

 ひたすら頭を下げて謝る美優を見て、キャンは溜め息を吐いた。

「で?今日は謝るのが目的なの?」

キャンの言葉を聞いて、すぐに仕事モードに入る事にした美優。

「失礼しました。院長室まで来て下さい」

「あぁ」

「はい」

 エレベーターで最上階に向かい、院長室に向かった。美優は扉をノックし、中から「どうぞ」という言葉を聞いて三人は中に入った。そこには、美優と少し似ている顔の、カイトと同い年位の初老男性がデスクに座っていた。

「お待ちしておりました。渋井大学附属病院院長の、渋井勝彦です」

「サイン・キャンです」

「倉部カイトです」

 三人は一礼し、勝彦はソファに座るようキャンとカイトに促した。勝彦はキャンとカイトと向かい合って座り、美優はお茶を淹れて三人の前に置いた。美優は勝彦の隣に座った。

「渋井って、前々院長の渋井院長の御親戚ですか?」

「はい。前々院長の渋井拓雄は大叔父に当たります」

「そうなんですか。通りで美優さんとお顔が似てる訳だ」

「そうですか?」

「えぇ」

「やだぁ、カイトさんったらぁ~」

 カイトは勝彦の左手薬指をふと見た。

「あれ?美優さんと同じ指輪?」

「あぁ、私達結婚したんです。三人の息子がいます」

 勝彦はスマートフォンで家族写真を見せた。

「そうだったんですか。今、幸せですか?」

「はいぃ~!もうダーリンに釘付けですぅ~!」

 美優は勝彦の腕に抱き着いた。

「こ、こら!美優!大切な方々の前だぞ!」

「良いじゃなぁい!向こうだってラブラブなんだからぁ~!」

「美優さん。今度こそ、道を外さないようにしてくださいね?」

「分かってますよぉ~!」

「一応、あの時の事は今でも怒ってるんですよ?」

「ごめんなさい……」

「その節は妻がご迷惑をお掛けしました」

「いえ、渋井院長先生のせいではありませんから」

「妻の過去がどうであれ、罪は償わせます」

「お二人はどうして結婚されたんですか?」

「あの一件で、パパ……父が院長を失脚して、すぐに亡くなって不幸のどん底にいた私に、葬儀の時に勝彦君が心配して声を掛けてくれたんです」

「どの口が不幸とか言ってんだ」

「ごめんなさい……でもあの後から勝彦君が私の事をずっと気に掛けてくれて私を支えてくれて、やがてお付き合いを始めたんです。暫く同棲して、結婚しました。その後に今度は私が勝彦君を支える為に秘書検定を受けて、資格を取ったんです」

「罪を償う為に、この病院を支えるよう心掛けてもらっています」

「一生懸命頑張ってます!」

「そうですか。それを聞いて安心しました」

 談笑する三人に、キャンはドスの利いた声で言った。

「で?話って何?」

「あぁ、話が脱線してしまいました。申し訳ありません。先日、加藤孝之元院長が亡くなって、挨拶をと思いまして」

「はぁ。それで?」

「これからの事なんですけど、少々申し上げにくいのですが……」

 言い淀む勝彦に、キャンは言った。

「もうこの病院は使わせてくれない、って事ですか?」

 キャンの言葉に、勝彦は慌てて訂正した。

「いえ!この病院はこれからも自由に使って頂いて結構です!ただ……」

「ただ?何?」

「これから毎週、この病院の休日である日曜日に講習会をお二人に開いてほしいんです」

勝彦のお願いに、「講習会ぃ?」、と素っ頓狂な声が出てしまったキャンとカイト。更に続ける勝彦。

「勿論、講習会の謝礼はします。お二人は癌細胞の外科手術のプロです。モグリとは言え、絶対に癌細胞を全て摘出し、その後再発も転移もさせない、その実力を見込んでお願いしたいんです!その技術を広く伝えてほしいんです!」

 カイトとキャンは顔を見合わせた。キャンは言った。

「ちなみに、この講習会に出るのを断ったら、もうこの病院を使わせてもらえない、とか?」

「そういう訳ではないのですが……是非お願いしたいんです!」

 カイトとキャンは腕を組んで「うーん……」と悩んだ。まぁでもこれからもこの病院を使わせてもらえる上に、謝礼も出るとなれば、この申し出は悪くない。二人は顔を見合わせて、頷いた。キャンはお茶を飲み、言った。

「良いでしょう。そのお話、お受けします」

 勝彦はパァッと顔が明るくなり、頭を下げた。

「ありがとうございます!この病院の為に、これからも宜しくお願い致します!」

 しかしキャンは言った。

「ただ、一つ問題が……」

「何ですか?」

「我々の手術って、特殊なので、一部しか教えられないんですよ」

「企業秘密って事ですか?」

「いや、秘密って程でもないんですが……加藤孝之から聞いてませんか?我々の手術内容の事」

「あっ……自分の血を入れるって事ですか?それが何か?」

「私のそれは常人には不可能なんですよ。私の血は特別製で、癌の再発と転移は起こらないようになってるんです。だから、カイトを主体とした普通の執刀の事しか教えられませんけど、それでも良いんですか?」

「キャン先生は講義はなさらないのですか?」

「私はモグリで、特殊体質なので、あまり表には出たくないんです」

「分かりました。癌細胞の摘出手術の技術が欲しいんです。お願いします!」

「分かりました。では私が今まで関わったカルテと診断書を用意しておいて下さい。それを基に講習会を開きます。都合が合えば平日の実技、実習も行います。私はあくまでサポーターとして回ります」

「ありがとうございます!この事は契約書にサインと印鑑をお願い致します。印鑑が無ければ母印でも結構です」

「印鑑は持って来てます」

 カイトとキャンはジックリと契約書を注意深く何度も読んだ。

「ど、どこかご不満が……?」

「渋井家は信用ならない一族だと思っておりますので。何せ私を殺そうとした人間が秘書をやっているんです。用心深くなるのも当然ですよ」

「ごもっともです……どうぞ納得がいくまでごゆっくりお読み下さい……」

キャンとカイトは何度も何度も契約書を読み返した。

「……良いでしょう。ねぇ?キャンさん」

「あぁ。良いだろう」

 カイトとキャンは契約書にサインをし、印鑑を押して契約した。二人は勝彦に契約書を返した。キャンは「フン」と鼻を鳴らした。

「まさか私達が契約書にサインと印鑑をするとはな」

「思っても見ませんでしたね」

「ありがとうございます。では詳しい日程は後日ご連絡致します」

「分かりました」

「それでは宜しくお願い致します」

 カイトとキャンは一礼して院長室を出た。玄関口まで向かうと、勝彦が走ってやってきた。

「キャン先生!倉部先生!」

 二人は振り返り、どうしたのか尋ねた。

「まだ何か?」

「妻の事です」

「美優さんが何か?」

「妻はアレでも十分キャン先生にした事を深く反省しております。私も配偶者として、共に罪を背負って生きていく所存です」

「ふぅん?まぁ、勝手にすれば宜しいのでは?」

「美優にはもうあのような事を二度とさせないよう監督致しますし、大叔父の拓雄のような道を外した事は私自身絶対に致しません!誠心誠意、医療に従事致しますので、どうかこれからも宜しくお願い致します!」

 勝彦は勢いよく頭を下げた。それを見てカイトはどうしようかキャンの方を見た。キャンは「ふん」と鼻を鳴らし、背を向けた。

「講義の資料、ちゃんと集めておいて下さいね」

 その言葉を聞いて、勝彦は頭を上げて元気良く「はい!ありがとうございます!」と答え、また頭を下げた。

 カイトとキャンは病院を出て事務所に帰って行った。事務所に入ると、キャンは煙草を吹かした。

「本当に大丈夫でしたかね?契約書」

「私も確認した。多分大丈夫だ」

 それから十年間、手術と講習会の日々を過ごした。特に問題も無く、謝礼も支払われていた。警察に訴えられる様子も無かった。美優はキャンとカイトに仕事以外で一切関わり合いを持たず、本当に心を入れ替えて働いている様子が伺えた。勝彦もまた、親切にしてくれて、病院を自由に使わせてもらった。それ以降、若い医者との関りも増え、新しい刺激を受けて二人は幸せな日々を過ごした。


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