09.密室の狂気
再び夜を越して、レクトはセシリアの日常に入っていた。
朝の日課をこなし、授業に出て――
……その合間には、セシリアとエステルとの関係を聞かれることもあった。
「誤解があるようですが、エステル様とはお友達ですのよ?」
本人がそう言えば、まわりも信じてくれる。
レクトの心配を余所に、それについてはすぐに収拾が付きそうだった。
その辺りも踏まえ、レクトは……レポート用に、隙あらばメモを取っていく。
何を思い、何を感じたか――セシリアがレクトに求めることを、丁寧に書くために。
「――レポートでダメ出しされたら、憑依するのも延長になるんでしょ?」
「そ、そうですわね……?」
食堂でエステルと昼食をとっていると、彼女が唐突に質問してきた。
今日はまわりからの視線がいつもより多い――
……どうやらセシリアを心配した彼女のファンが、遠巻きに様子を窺っているようだ。
そのため、レクトは完璧にセシリアの言動や所作を真似していた。
「……こうして見ると、完全にセシリアさんなんだよねぇ……」
「うふふ♪ わたくしも、やれば出来るものでしょう?」
「調子に乗らないの!」
そう言ってから、エステルはまわりを見てまわす。
レクトとのいつもの距離感で話していれば、また何を言われてしまうか――
……エステルにとっても、この状況はなかなかしんどいものがあった。
「――それで、今日は懺悔室の日なんだよね?」
「ええ。夜はまた遅くなるから……今日も、このままですわ」
「はぁ……。変なこと、しないようにね……」
「宿題まで出ていますからね。そんな心配、している時間がありませんの」
セシリアに憑依している以上、彼女がやるべきことは、今はレクトがやるべきことだ。
細かい宿題や課題など、当然のことながらレクトがやらなくてはいけない。
「――そういえば、そちらのクラスでも宿題が出ていませんでしたか?」
「細かいのが、ちょこちょことね。ちなみにレクトは――全部、忘れていたわよ」
「……え?」
レクトが憑依している間、元の身体には誰かが憑依している……ということはない。
そのため、宿題を忘れてしまえば、完全にレクトの責任なのだ。
「憑依中って、レクトの身体はずっと眠そうなのよね。そういうデメリットでもあるの?」
「……多分、そうなのでしょうね……。
エステル様、レクトさんに宿題を写させて差し上げて――」
「そういうのはダメよ。自分でしっかりやりなさい」
「わたくし、セシリアの宿題もやっているのですが……。
それに、わたくしがレクトさんの宿題をやっていたら、また変な噂が立ちますわよ?」
「……何だか、ややこしくなってきたわね」
そんな会話をしていると、昼休みを終える鐘が鳴った。
食堂のまわりの生徒たちも、慌てて移動を始める。
「それではまた明日。エステル様、ごきげんよう」
「うん、またね。セシリアさん――じゃなくて、レク……いや、セシリアさん」
一瞬、どう呼ぶべきか混乱したが、見かけ通りに呼ぶことにする。
ふたりはどこか疲れながら、それぞれ次の授業へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
放課後、レクトはすぐに懺悔室に移動した。
懺悔する側の通路から入り、軽く掃除をする。
そのあと、懺悔を聞く側の通路を通り、狭い空間に入っていく。
椅子はひとつだけ。壁の一部には黒いカーテンが掛かっており、その下には向こう側への小さな隠し扉がある。
「――はぁ。緊張するなぁ」
セシリアの口調でずっと過ごしていたせいか、自身の口調を出すと違和感を覚えてしまう。
軽く背中と腕を伸ばして、始まりの時間を待つ。
……女子寮の部屋とはまた別の、非日常的な空間。
まわりから圧を受けるような狭さに、レクトは心を正されていった。
そういえば、と胸元を見る。セシリアの胸は大きく、これも狭さを感じてしまう一因だ。
少しだけ、もぞ……っとしていると、向こうの部屋から物音が聞こえてきた。
「どうぞ、お座りください」
先日、レクトが言われたように……訪れた人物に声を掛ける。
「は、はい……。失礼します……!」
最初に来たのは男子で、予約の情報によれば2年生のようだ。
「緊張なさらないでください。初めに、わたくしとあなたの間で誓約を交わさせて頂きます。
わたくしは、この場で語られたことを他言いたしません。あなたは、真実のみを口にすることをお約束ください」
「わかりました、お願いします……!」
「もちろん、言いたくないことは言わないで結構です。ご安心くださいね」
レクトは誓約魔法を使った。
セシリアの身体に憑依しているため、問題なく使うことができる。
……この辺り、憑依スキルを初めて使ったときの感覚に似ていた。
「――それでは、あなたの懺悔をお話ください」
「実は俺、好きな人がいるんです……」
思ったよりも、内容は浅かった――
……いや、きっと本人にとっては重要なことなんだろう。
レクトは一瞬で切り替えて、男子に寄り添っていく。
「告白をしようと何度も考えるのですが、どうしても勇気が出なくて……。
……偶然を装って、彼女とすれ違って……思い切りその香りを嗅ぐ日々なんです……」
……キモっ。
レクトは鳥肌が立った。セシリアだったとしても、きっと鳥肌が立っただろう。
セシリアは達観している部分もあるが、根は普通の女子なのだ。
「――あなたは後悔しているのですね?
それなら、その心を大切にして……やめるようにしてみては?」
捻りも何もない返事。
しかし、それ以外の返事は浮かばない。
「そうしたいのは山々なんです。だから悩んでいるのです!」
「ご自身では止められない、と。それでは、その方に告白するのはいかがでしょう」
そこまで言って、相手がエステルだったら嫌だな……と、レクトは思ってしまった。
彼女が好かれるのは嬉しいが、特定の男子から恋愛感情を持たれるのは嫌だった。
「や、やっぱりそうですよね?
そうしたら、俺の罪は無くなるでしょうか?」
罪……というのは、こっそりと香りを嗅いでいたことだろう。
まぁそれくらいなら……嗅がれた本人は嫌だろうが、他の誰かが罰を与えることでもない。
誰かに広まってしまうなら別だが、そうでない今なら――
「――無くなりはしません。
但しその後悔を、将来の幸せのために使うことはできると思います」
「なるほど……。分かりました、そのようにします!」
「お話したいことは、全て終わりましたか?」
「いえ……。最後にひとつ、お願いします!」
少し元気を取り戻した男子は……弱々しい声から、緊張した声に変わっていった。
「――セシリアさん、ずっと大好きでした!
俺と付き合ってください!!」
「え?」
つまり、香りを嗅がれていたのはセシリア……ということになる。
その結論に辿り着いたとき、レクトの背筋には寒いものが走った。
ひと呼吸置いて、気持ちを落ち着ける。男子は、こちらの様子を窺っているようだ。
申し訳ないとは思いつつ、セシリアの記憶を辿ってみる。
……特に、この男子との記憶は無かった。
「――この部屋では、そういったことにはお答えできません。
ただ、香りを嗅ぐ……というのは、やめてくださいましね?」
「つまり……俺にもまだ、チャンスはあると!? 分かりました、頑張ります!!」
「と、とりあえず自らの行いを反省して、次に活かしてください……」
「はい、待っててくださいね!!」
男子は丁寧な挨拶をしてから、懺悔室を後にした。
……こんな感じで良いのだろうか。
どうにも分からないレクトは、問題を先送りに――
いや、誰の告白を受けるかはセシリアの自由だ。
だからこれは、問題の先送りではなく、セシリアに決定を任せたに過ぎない。
……レクトはとりあえず、そう思うことにした。
その後も懺悔室には予約した人々が訪れ、レクトはどうにか対応していった。
将来に対する話もあり、学院生活の話もあり、ごくプライベートなこともあり――
……ただ、ここで聞いたことは誓約によって誰にも話すことができない。
セシリアは多くの秘密を胸に抱き……ひとりで消化しているのだ。
「さて、最後は……フローラ先生か」
急遽、予約をねじ込んできていたフローラ。
レクトにとって、これが初めての知人の回ということにもなる。
……彼はここで、初めて罪悪感を持ってしまった。
その懺悔を聞くべきではない自分が、聞くべき人間の身体を借りて、それを聞いてしまう――
「――こんばんは。今回もよろしくね」
「どうぞ、お座りください」
フローラは懺悔室に入ると、慣れた感じで挨拶をした。
懺悔室の扉を閉めて、誓約魔法を使い終わると……フローラはレクトの言葉を待たずに話し始める。
「――はぁ、本当にムカつく。何を考えてるんだよ……」
彼女の冷たい言い方に、レクトは驚いた。
いつ話しても、優しく丁寧な……そんな彼女の、思い掛けない口調。
「今回は、どうされましたか?」
「いつも通り、いい子ちゃんね。まったく、反吐が出るわ」
……セシリアは胸が痛くなった。
レクトの心がそうさせるのか、彼女の身体がそう反応しているのか……。
「レクト君がさ、最近元気すぎるのよねぇ。ほら、あなたも知ってるでしょ?
剣聖候補の、レクト君」
「はい。入学早々、右足を怪我した……と」
「ん? 何か白々しいわね。あなたも真相、知っているでしょ?」
フローラの言葉に、レクトは取り乱した。
真相――ということは、何か隠されていることがある……?
「はーぁ。せっかく、剣聖を諦めてポーターに進むようにしてたのに……。
彼、前回の懺悔室に来たって聞いたわよ? あなたは何か聞いてないの?」
「……他の方のことは、申し訳ありませんがお教えできません」
「私、教師なんだけど? あなたは生徒でしょ? 教えなさいよ」
「先生も知っての通り――ここに来る方々とは、誓約を交わしておりますので」
レクトの言葉に、フローラはしばらく黙っていたが……溜息をついてから、言葉を続ける。
「はぁ……。あなたたちがどうなっても知らないわよ」
「誓約というのは、そういう問題ではありませんので……。
……それに、彼が元々の夢に戻ったというなら――それは、良いことでは?」
「なーに言ってるのよ。その辺りも、前にちゃんと話してるでしょ?
私があいつの足を、ダメにしてやったんじゃない」
フローラは呆れながら、信じられないことを口にした。
それを聞いたレクトは……おかしな汗が、止まらない。
「――ダメにした……、とは?」
「本当に忘れちゃったの? だからぁ、あのときの魔物は私が召喚したの。
私が彼の才能、未来に嫉妬して、怪我をさせて、治療を遅らせて――
……ああ、神よッ! こんな私の罪を、お許しください……ッ!!」
フローラが、白々しい懺悔を行っていく。
カーテン越しで姿は見えないものの、何か空気の動きを感じる。
……両手を天に仰いで、許しを乞うているのかもしれない。
「――……足は、故意に狙ったのですか?」
「そうよ? 剣術を使う者にとって、足はとても大切なもの……。
魔石で魔物を召喚してから、レクト君の足に……魔力で作った吹き矢を撃ったの」
「そんな……」
「狙い通り、魔物はその右足を噛み砕きにいったわぁ♪」
フローラの言葉には、恍惚の色が混ざり始める。
レクトは何も言えずに、次の言葉を待つしかなかった。
「――噛みちぎられたら、学院を中退しちゃうからね。
普通には歩けるまま、剣術で必要なだけの力を奪ったの♪」
「どうして……ですか?」
「さっきも言ったでしょう? ただの嫉妬よ。
剣士の職才しか持たない私が、その上位である――剣聖の夢を潰す。ゾクゾクしない?」
「そんな……。ずっと、ずっと頑張ってきたのに……」
「それが楽しいんじゃない♪ あなたも、私の懺悔を聞いてから……レクト君を見守るようになったもんね?
私と違って、あなたは清廉潔白だもんね? そういうあなたを、見ているのも楽しいのよぉ♪」
――だから、敢えて懺悔室で、真相をセシリアに話していた。
ここで話された内容を、セシリアは誰に話すこともできない。
フローラはそれを悪用して――
……気が付けば、レクトは隠し扉を使って、フローラの前に飛び出していた。
フローラは一瞬驚いたが、すぐに立ち上がって、レクトが憑依した――セシリアの首を押さえ付ける。
「……どうしたの? そんなに興奮しちゃって……。
懺悔室の聖女様は、こんな行動をしても良いのかしら?」
フローラの手には力が入り、首をさらに、強く締めていく。
しかし、レクトはフローラを睨み続ける。
「ここであなたを殺すことは無い。だって、私が罪に問われてしまうから。
でも、殺しさえしなければ――あなたもレクト君と同様、卒業まで私のおもちゃなのよ?」
力の弱いセシリアの身体では、フローラの腕を振り払うことはできない。
しかしこのまま何もしなければ……セシリアはずっと、この状況を打破することはできない。
今まで信じていた教師が、自分たちにとって真に害悪。
それなら――
――≪憑依≫
次に目を開けたとき、自分の腕が――苦しそうなセシリアの首を、強く絞めつけていた。




