10.その手に復讐を
フローラに憑依したレクトは、セシリアの首を掴む力を……すぐに緩めた。
壁に押し付けられたセシリアの身体から――
……足の力は既に抜け、崩れるように地面へ落ちていく。
「――……レクト……さん?」
「ごめん。今日はもう、終わりだ」
レクトはそのまま、フローラの身体で懺悔室を後にした。
その光景を、セシリアは涙を浮かべながら……見送ることしかできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レクトはフローラの執務室を訪れた。
中から鍵を掛け、奥の椅子に腰を掛ける。
外は既に暗く――今日はもう、誰もここへは来ないだろう。
「……ちくしょう」
恨めしい言葉が小さく響く。
入学直後の屋外授業。ずっと優しく、力を貸してくれたフローラ。そして先ほどの、懺悔室での振る舞い――
……レクトは混乱した。
ただ、憑依している身体――フローラの記憶を覗けば、全てのことが分かるに違いない。
レクトはそこまで考えて、大きく息を吸った。
――まずは、今の感情を抑えなくてはいけない。
このまま強い感情が続き、この身体にその記憶が残ってしまえば……憑依を解いたあと、フローラが疑念を抱くかもしれない。
だからこそ、落ち着くことに努めなければ――
……目を瞑り、10分ほどの時間を掛けて……何とか感情を抑えていく。
当然ながら、複雑な心境、耐えがたい苦しみは残っている。ただ……少しだけ、マシになった気はする。
レクトは意を決して、フローラの記憶を読むことにした。
あくまでも、自分に関することのみ。
現時点では、気を付けるのはそれだけで精一杯だった。
――結果、フローラが話した通りだった。
レクトが入学した直後の屋外授業。
そこで魔物を召喚して、レクトの右足を襲わせた。
……その後、魔物はフローラ自身が倒していた。
レクトの右足から血が流れ出る中、フローラはそれを眺めていた。
そして、誰かの気配がしたあとは……急いで応急手当をするフリをしていた。
すぐに治療をできる教師や生徒を呼べば良いものを、ぎりぎりまで、わざともたつかせて……。
それからしばらくして、レクトの右足が満足に動かなくなったあと……フローラはレクトに優しく声を掛けた。
せっかく、剣聖の夢をぶち壊したのだ。
努力気質のレクトが、剣聖を再び夢見ることのないように……。
だから、フローラはレクトにポーターへの転向を勧めた。
その後も様子を見ながら、フローラはレクトを観察していた。
そうするのは彼女の楽しみであり、愉悦であり、自らを満足させる行為だった。
――自分よりも才能ある者を、才能の無い自分が破壊する。
入学直後に仕込むことができたのだから、卒業までの長い間、ずっと楽しむことができる――
レクトはその記憶を覗いて、強い吐き気をもよおした。
しかしフローラ自身は、これとは真逆の……強い快楽を持っているのだ。
「……許せない」
自身の黒い感情を晴らすため、レクトは多くの選択肢を持っている。
極論を言えば、今はフローラに憑依をしており――生殺与奪権を完全に握っている状態なのだ。
学院の教師として貶めることもできる。
ひとりの人間として、尊厳を破壊することもできる。
それ以外にも、ありとあらゆる選択肢が残されている。
ただ――
……そんなことをすれば、エステルは黙っていないだろう。
それに、レクト本人としても……それは、違うと思った。
しかし、フローラ自身が行った悪事に対して、その罪を負わせる――それなら許されるはずだ。
それ以外の……まったく見当違いの破滅は、レクト自身を貶めてしまうだろう。
「――……早く、朝にならないかな……」
正直、フローラの身体に憑依しているのは嫌だった。
自分を弄ぶように扱い、ずっと騙していた人間の身体。
……フローラ以外の人間に憑依すれば、この身体からはすぐに解放される。
しかし、それはエステルとの約束を反故にしてしまう。
――そうだ。
レクトはふと、思い出した。
右足の怪我のあと、優しくしてもらったお礼として、フローラに渡していたものがあった。
『緋色の魔石』……レクトが故郷から持ってきた、彼の宝物。
幼いころに見つけて、将来はそれを使って……武器を作ろうとしていた。
「……執務室ではなく、家の方に置いてるのかな」
レクトは記憶を辿り、そのままフローラの住居へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フローラの住居は、学院の近くにある集合住宅だった。
ただ、それなりに高級な場所にも見える。
――記憶を覗くことと、プライベートを覗くこと。
それはあまり、変わらないのでは――
……そんなことを、レクトは考えてしまう。
部屋の中はそれなりに整理されており、剣術の教師ならでは……というものは見当たらない。
テーブルの上には、いくつかの紙の束が置かれていた。
お見合い写真――などもあり、いろいろと考えさせられてしまう。
ただ、レクトは何もしないではいられなかった。
自分が受けた分の罰は受けてもらいたい。
セシリアを傷つけた分の罰は受けてもらいたい。
……お見合い写真の横には、学院で配布されたような資料が置かれていた。
教師だけに配布されたものだろうか――
――『西方で発見された黒い海。そこを守る守護者』
「……何だ? これは……」
正体不明ながら、討伐を行わなければならないこと。
レクトたちが通う王立ヴァルセリア学院の姉妹校――
東方にある『王立ラヴィニア学院』では、生徒たちが既に討伐を行ったこと。
そのため本学でも、生徒たちに討伐をさせなければならないこと。
……そんなことが、書かれてあった。
「将来のために、これは参加したいが――今の、俺の足じゃな」
ふと、レクトはフローラの足を見てしまう。
その足は至って正常であり、剣術の強い踏み込みにも耐えることができる。
それに引き換え、自分の足はフローラのせいで――
……レクトの感情が、悪循環に陥りかける。
しかしすぐに頭を振るい、できる限り平静を保つ。
「さて……。俺が渡した、緋色の魔石は……こっちか?」
一番奥まった部屋に入ると、棚がいくつも置かれており、そこには様々なものが置かれていた。
貴重そうなものが並ぶ中、レクトが渡した……緋色の魔石も飾られていた。
これからどう転ぶか分からない。レクトはそれを手にして、鞄に入れる。
……それ以外のものについては、できるだけ持ち主の手に戻るように配慮しよう。
そんなことを思うレクトは、平積みになった四角い紙……生徒たちの寄せ書きを見つけた。
フローラは教師だ。
そのため、生徒が卒業するタイミングではこういうものが渡されるのだろう。
「――こっちを、しっかり飾っておいて欲しかったな……」
レクトは、かつてのフローラに想いを馳せながら――
……ぽつりと、ひとり呟いてしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、フローラに憑依したままのレクトは、学院の門の前に立っていた。
校門指導で立っている教師は不思議な顔をしているが、生徒たちとはにこやかに挨拶を交わしていく。
そんな中、エステルがレクトの身体と一緒に登校してきた。
「――あ! エステルさん、レクト君、ちょっと良い?」
「フローラ先生? おはようございます」
「おはようございます」
「え、ええ。おはよう」
自分の身体から挨拶をされるのは、やはり微妙な気持ちになってしまう。
レクトはふたりを連れて、校門から離れた、誰もいない場所に連れていく。
「最初にね、レクト君にこれを返すわ。はい、ずっと持っていてごめんね」
レクトの身体は戸惑いながら受け取るが、それ以上に反応したのはエステルだった。
「え? それって、レクトがお礼に渡していた……?
どうして返してくれるんですか?」
「私がそうしたかったから。それじゃ、すぐにしまって!」
「はぁ……」
レクトの身体は、鞄を開けて素直にそれをしまう。
しまい終わってから、鞄を持ちなおしたタイミングで――
「――あら? 私、どうしたのかしら……?」
「え?」
フローラの言葉に、エステルが疑問の声を漏らした。
レクトが憑依を解除して、フローラの身体から自分の身体に戻ったのだ。
「それでは、ありがとうございました。俺たち、授業があるのでもう行きますね!」
「え? あ、そうね。今日も頑張ってね……?」
「それじゃ行くぞ。エステルも急げよ!」
「ん? ……あれ? もしかして、レクト――」
「詳しくは後で話す。放課後、時間をくれ」
「あ……。う、うん。わかった……」
エステルも、レクトがフローラに憑依していたことは理解できた。
しかし、その理由がまるで分からず――
……彼のことは信じているものの、悶々とした気持ちを、放課後まで抱えることになってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――放課後。
レクトとエステルは、空いている教室で向かい合っていた。
途中でセシリアに見つかりそうになったが、今日は一旦、逃げることにする。
「……それで、何があったのよ……。
セシリアさんに続いて、フローラ先生にまで……」
「昨日、フローラ先生が懺悔室に来たんだ」
「え、そうなの? ……まぁ、生徒以外でも使えるみたいだからね。
それにしても、フローラ先生が……ねぇ」
「セシリアを助けるために、フローラ先生に憑依した。
懺悔室の中でのことだから、詳しくは話せない」
レクトの真面目で真っすぐな目に、エステルはいつもと違うものを感じた。
「……そっか。確か、誓約を交わすんだもんね……」
「ああ。その流れで分かったんだが……俺の右足の怪我な、偶然なんかじゃなかったんだ。
俺の……剣聖の職才を妬んだヤツが、事故を装ってわざと……」
「ほ、本当なの!? それっていったい――
……って、フローラ先生……なんだよね? 記憶を……読んだのね?」
エステルはレクトの表情を見て、すぐに察した。
怒っているのか、悲しんでいるのか、泣いているのか――
……きっと、全てなのだろう。きっと、他の感情もあるのだろう。
しばらくの沈黙のあと、エステルが続けた。
「それで――……どうしたいの?」
「俺は、フローラ先生を許せない。
だから、俺とセシリア分くらいは……罰を与えたい」
セシリア分……というところに、エステルは疑問を抱いた。
ただ、フローラがレクトに対してそんなことをしているのであれば――
他の生徒にも、何かをしている可能性は十分にある。
「……まぁ、レクトはこんなことで嘘をつく人じゃないもんね。
それに、気軽に人に罰を与えるなんてことも……言わないはずだよね?」
沈黙するレクトに、エステルは言葉を選びながら続ける。
「――大丈夫だよ。私、ずっとレクトを見てたもん。復讐くらい、普通なら考えちゃうよ。
逆に……考えない方が、おかしくない?」
……エステルは笑った。
ただ、普通の笑顔とは違った。レクトと同様、エステルにも様々な感情がある。
彼女もレクトと同様、この1年を……様々な形で苦しんできたのだ。
「……ありがとう」
「どういたしまして!」
机の上で――
レクトの震える手を、エステルの震える手が掴んだ。
……自然と、ふたりの震えは収まっていった。




