11.聖域という領域
エステルは、少しばかりの寂しさを覚えていた。
レクトが右足の怪我の件で、フローラに復讐をする――
……それについては肯定したものの、その後、何かを頼まれることも無い。
復讐なんて愉快なことではないが、レクトが望むなら……力なんて、いくらでも貸そうと思っていた。
しかしレクトとしては、あくまでもエステルを巻き込むつもりは無いようだ。
「……憑依スキルは、使わないと思うけど……」
エステルに憑依していた件は、既に水に流していた。
しかしそれでも、憑依スキルという存在については不安になってしまう。
レクトのことは完全に信じている。ただ、それとこれとは話が別なのだ。
「はぁ……。
修練場に行って、ちょっと集中しようかな」
以前、レクトからアドバイスをもらった剣気の発現について、エステルは手応えを感じ始めていた。
レクトが剣聖の道を求める一方で、エステル自身も剣聖の道を求めている。
……あまり、他人にばかり拘っていても仕方が無い。
心配なんて、いつでもできる。だから心配しないで良いときは、自分の道を邁進するのみ。
「――待ってるからね」
エステルは誰にともなくそう零し、修練場へ向かっていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
懺悔室の中でひとり、セシリアは考え事をしていた。
今日の予定は全部で5人。最後は例によって、フローラだった。
「……はぁ」
聖女らしからぬ溜息。
彼女は学院内では完璧な聖女を演じている。しかし、この場所でだけは気を緩ませることができた。
何も装飾の無い、シンプルな部屋。
結局、女子寮の彼女の部屋は――それらしく、装飾されてしまっている。
ひとりでいたとしても、どこか立ち振る舞いを強要されているような……。
それに対して、懺悔室では誓約を以って、嘘偽りの言葉を禁じている。
セシリアにとってはそれが癒しであり、救いでもあった。
――コンコン
懺悔室の、向こう側の扉。フローラにしては珍しい、ノックの音が聞こえてきた。
始まりの時間には早い……。でも、それだけ早く終わるのであれば、始めてしまおう……。
「どうぞ、お入りください」
「すまん、少し時間いいかな?」
「え? レクトさん?」
慌てて目の前のカーテンを開けてみると、そこにはレクトの姿があった。
先日、この場所で憑依を解かれたきり、セシリアは彼と会えないでいた。
それなのに、まさかこんなタイミングで――
「……どうしたんですか? 今、憑依していきます?」
セシリアは、軽い気持ちでそんなことを言ってみる。
憑依中の記憶を辿ってみれば……レクトは先日、フローラの話を聞いてしまった。
まさか憑依されているときに、フローラが懺悔の予約をねじ込んでくるとは――セシリアは想像もしていなかった。
……レクトは今、何を考えているんだろう?
フローラは今日、何の話をしにくるんだろう?
本心を言えば……フローラの懺悔は聞きたくない。
レクトに押し付けてしまいたい――そんな気持ちすら、どこかにあったかもしれない。
「今日は用事があるから、またな。レポートもまだまだだし……」
「ふふっ。楽しみにしているのですから、早くお願いしますね?」
「ああ、わかってるよ。それよりも今日はさ――」
レクトは椅子に腰を下ろすと、セシリアに話し掛けていった。
彼女も安心してしまい、ついつい、雑談に花を咲かせてしまう。
……そんな中、ノックの音が聞こえてきた。
ドアはそのまま開いていき、姿の見えたフローラにレクトが話し掛けていく。
「あ、フローラ先生! もしかして、ここに御用が?」
「あら、誰かいると思ったら……レクト君? こんなところで、どうしたの?」
「少し相談があって、話に乗ってもらっていたんですよ。セシリア、ありがとな!」
「あ……はい。また、お越しください」
行かないで欲しい――……そんな、セシリアの思いが叶えられることはなかった。
レクトは去り、懺悔室の扉が閉まっていく。
そして今日もまた、懺悔室ではフローラの――
……セシリアの心を侵していく、汚い言葉が陰湿に紡がれていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フローラは懺悔の時間を終わらせ、懺悔室から静かに出てきた。
そこで彼女は、レクトと再び会った。
「レクト君?
懺悔室はもう、今日は終わりでしょう? どうかしたの?」
「セシリアに伝え忘れたことがあって。それで、終わるのを待っていたんです」
「そうなのね。
――もう遅いし、待っていてあげる」
「え? いや、申し訳ないですよ」
「そんなに時間が掛かるの?」
フローラは、何となく嫌な空気を感じていた。
セシリアを責めた直後は、誓約があって外には漏れないとはいえ……誰かと話をさせたくは無かったのだ。
さらに、目の前にいるのは自身の獲物であるレクト――
「うーん。それでは、今日は甘えさせて頂きます。
すぐに終わるので、少しだけ待っていてください」
そう言うとレクトは懺悔室に入っていき、1分もするとすぐに出てきた。
これだけの短時間なら、セシリアから何かを聞いたということも無いだろう。
「お待たせしました!」
「早かったわね? ところでレクト君は、セシリアさんと仲が良いの?」
「うーん、そうですね。友達の友達……って感じでしょうか」
「なるほど? やっぱりポーターからの繋がり?」
「最初はそうでしたね。
今はまた剣聖を目指していますが、ポーターの知り合いも大切にしていきますよ!」
「ふふっ。それがいいわね……」
フローラは少しの安心感と、多少の苛立ちを感じていた。
せっかく折った心が、やはり復活してしまっている。
……それに先日、自分は何故か、戦利品だった緋色の魔石をレクトに返してしまっていた。
どうにも、そこだけが理解できない。
その前日、嫌に心がざわついていたが、何か心変わり――あるいは狙いのようなものがあっただろうか。
「――フローラ先生?」
「あ、ごめんなさい! それじゃ、レクト君は真っすぐ寮に帰ってね」
「分かりました。ここまで、ありがとうございます!」
フローラはレクトと別れたあと、小走りで修練場に向かった。
そこではエステルがひとり、照明に照らされながら修練を行っている。
……レクトはエステルと行動することが多い。
だから変な企みをしているのであれば、彼女も一緒だと思ったのだが……それは無いのだろうか。
しかし、それにしても――
……いつの間にか、剣筋が鋭くなっている。
若者の成長スピードは速い。
職才も若さも負けているフローラとしては、それが何とも腹立たしかった。
「……あの子も結局、才能なのよね。次はあの子を狙おうかしら……」
フローラは小さな笑い声を漏らすと、そのまま自分の執務室に戻っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日後、フローラは学院内の食堂にいた。
女子生徒たちと昼食を取っており、これが彼女の人気の秘訣でもあった。
……生徒に近い教師。身近な先生。
フローラが少し先に目を移すと、そこにはセシリアの姿があった。
自分と同様――いや、それ以上の生徒たちに囲まれている。
「フローラ先生、どうかしましたか?」
「ううん? 向こうにも、人だかりができてるな……って」
「ああ、セシリア様ですね。確かに今日は、珍しいですね」
――その呼び方も、フローラの癇に障っていた。
同じ生徒であるにも関わらず、様付けで呼ばれるとは……。
本人の努力があるとはいえ、持って生まれた職才でこうも差を付けられるのは――
……食堂を流れる館内放送――優雅な曲とは裏腹に、フローラの内心は穏やかではなかった。
ただ、このままでは感情が顔に出てしまう。
フローラは目を閉じて、館内放送に意識を集中した。
しかし、しばらくすると――
館内放送のスピーカーから、何かの言い争いが聞こえてきた。
『――あなた、レクト君に何か言ったの!? 最近、ちょくちょく会ってるみたいだけど!!』
『フローラ先生もご存じの通り、懺悔室で話されたことは誰にも話せないのですが……』
『最近、あの子がおかしいのよ! あの子の右足を壊したのが誰かなんて、あなたしか知らないのよ!?
せっかく、良い感じで苦しんでいたのに……。剣聖なんて夢、諦めさせてやったのに……!!』
『先生、落ち着いてください……』
――ドゴッ!!
セシリアの声を打ち消すように、壁を殴る音が聞こえてくる。
食堂の生徒たちは身をすくめ、フローラは呆然として……スピーカーを眺め続ける。
『うるさいわね! いいから、さっさと答えなさいよ!!
聖女だなんて持てはやされていても、あなたは私に逆らえない。自分の立場を自覚することねッ!!』
館内放送が続く中、徐々に、食堂内が騒がしくなる。
フローラは立ち上がり、忌々しくセシリアの方を睨みつけるが――
……セシリアもまた、呆然とスピーカーを眺めていた。
「セシリアさん!! 何なの、これは!!?」
フローラの叫びに、セシリアはびくっとした。
そして小さい声で――……いや、大きな声で言い直す。
「わ、わたくしは分かりません……! このときだって、誓約を交わしていましたよね……!?」
「そんなこと知ってるわよ!!
でも、その誓約魔法だってあなたが使ったもの――」
……そこまで言って、フローラは気が付いた。
あのときの前後、何かを企むことができるとしたら――
「――ええ、フローラ先生。犯人は、俺ですよ」
後ろから聞こえる声。急いで振り返ってみれば、そこにはレクトがいた。
確信した瞬間に、本人が現れる。
気持ちを整理する時間が無いまま、フローラは混乱した。
「ど、どうして……!?」
「ある人物から、俺の右足の犯人を聞きましてね。
……ああ。もちろん、セシリアではないですよ?」
「馬鹿なことを……!!
そのことは誰にも話していないし、どこにも書いてもいないのよ!?」
「……つまり、自首したってことで良いですね?」
レクトの言葉に、フローラは慌てて自分の口を押さえた。
館内放送だけであれば、音声魔法を使って――とか、声が似ている人を捕まえて――とか、言い訳ができただろう。
しかしここには、多くの生徒たちがいる。フローラの言葉を、生で聞いた人間がたくさんいるのだ。
フローラの足からは力が抜け、床にへたり込んでしまう。
「……違う、違うのよ。私はそんなこと、してないんだから……。
そうよ、セシリアさんに聞きなさいよ! 私がそんなこと、してるわけがないわよね!?」
フローラの声に、セシリアが静かに歩いてきた。
そして床のフローラを、静かに見下ろす。
「フローラ先生、申し訳ありません。
懺悔室での話は、あったとしても無かったとしても、わたくしが話すわけにはいかないんです」
「そんな――
……少しくらい、助けなさいよ……」
力なく項垂れるフローラを一瞥して、その後、セシリアはレクトの顔を見た。
セシリアの口元が緩んだ瞬間、レクトも少しだけ安心する。
しかし――
――パァンッ!!
……セシリアの平手が、レクトの左の頬を襲った。
体格差があるとはいえ、レクトは体勢を崩してしまう。
「……レクトさんは、きっとわたくしのことを救おうとしたんですよね?
でも、懺悔室はわたくしの不可侵の領域。ここまでして欲しいだなんて、思っておりませんわ!!」
レクトの頭は、真っ白になった。
思わず見たセシリアの顔は、怒りでも喜びでもない……悲しみの色に溢れている。
「――……すまん。
俺はまた……、間違えたようだ……」
レクトは天を仰いでから、すぐに俯いた。
前回……エステルのときも、やらかしてしまった。
今回……セシリアのときも、やらかしてしまった。
本音を言えば、自分と共に、セシリアも救われると信じていた。
しかし、セシリアが引く一線を……誤って踏み越えてしまった。
改めてセシリアを見る。
そんな彼に、セシリアは寄り添っていく。
「ただ、許すことはできませんが――……わたくしは、救われました。
ありがとうございます。……本当に、ありがとうございます……」
セシリアはレクトに抱き着いた。
その光景を、多くの生徒たちが目の当たりにした。
完全無欠の聖女が、ひとりの男子に心を許したのだ――
「……許せない。レクト君、決闘を受けなさいッ!!」
フローラは立ち上がり、レクトを指差して決闘を申し込んだ。
異なる意見がぶつかるとき、戦いを以って、どちらが正しいかを示す手法にして――儀式。
「フローラ先生……、何を仰るんですか?
俺が、それに乗るとでも?」
音声による証拠も、状況証拠も揃っている。
その上で、敢えて決闘する必要はまるで無いのだ。
……しかし、セシリアが予想外の返事をした。
「わかりましたわ」
「せ、セシリア……!?」
セシリアは右手を軽く上げ、レクトを制する。
「――ただし、フローラ先生。ひとつだけ条件があります。
レクトさんには、わたくしがサポートを行います。それでもよろしいですか?」
「はッ!?
支援魔法を掛けたくらいじゃ、私は負けないわよ……!?」
フローラとセシリアの言葉が交錯する中、レクトには――
……覚悟を決めるしか、道は無かった。




