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07.誓約と提案

 新しい月が始まり、学院の中も賑やかになってきた。

 放課後、エステルは学院内の食堂でひとりコーヒーを飲んでいた。


「あの、すいません……」


 そんな中、申し訳なさそうに、ひとりの女子が声を掛けてくる。

 エステルが顔を上げると、そこには――

 ……『聖女』の職才を持つ2年生、学院内でも特に有名なセシリアがいた。


 美しく流れる儚い青色の、長い髪。

 銀灰色の瞳が不思議な雰囲気を漂わせ、すらっと高い身長が周りの注目を引く。


 外見は完璧で、内面も優しく穏やか。品行方正。成績優秀。

 学院内の懺悔室でボランティアをしており、その予約はいつも満杯。

 彼女は既に『聖魔法』を発現しており、聖女としての立場も確立している。

 ……2年生の中で人気のあるエステルも、彼女には憧れを抱いていた。


「は、はい? セシリアさん、急にどうしたんですか?

 急に話し掛けてくれるなんて、すごく嬉しい――」

「あ……。俺、レクトなんだけど……」


 その第一声に、エステルの思考は止まってしまった。

 少しの間が空き、追い掛けるように大きな声が溢れ出す。


「はああああああっ!? 何で憑依してるの!?

 それに、よりにもよってセシリアさんに……!?

 一体何を考えてるの!? えっち! すけべ!!」

「ご、ごめんっ!?」

「――ッ!? セシリアさんの顔で謝らないでよ!?」

「どうすればいいんだよ!!」


 一方的なエステルに、当のレクトも混乱する。


「あー、もう! ちゃんとセシリアさんらしく喋ってよ!!」

「こ……、これでよろしいですの?」

「セシリアさんの物真似、しないでくれる!?」

「どうすれば良いんですの!?」


 不毛なやり取りが続く中、エステルの拳が少しずつ上がっていく。

 殴るつもりはない。あくまでも、レクトを押さえ込むつもりで――

 ……しかし、周りからはざわめきが聞こえ始める。


「あれって、2年生のエステルだよな?

 セシリアさんに暴力を振るおうとしてるぞ……?」

「え、うそ。幻滅……」

「セシリア様、可哀想……」


 セシリアに憑依したレクトは、エステルから身を守るように身体をねじり、拳を両腕で防ごうとしている。

 あまりにも女の子らしい仕草に、周りからすればエステルの方が完全に悪者だ。


「ちょ……。ち、違います! これは違うんです!!

 ……ね? せ、セシリアさん……!?」

「は、はい……。わたくしが悪かったんです……」

「そう言っちゃうと、私が悪いことになるじゃない!!」


 エステルの勢いに、レクトの目が涙で潤む。

 元のセシリアの身体が、勝手に反応してしまっているのだ。


 周囲の視線が集まる中、エステルはそれに耐えきれず、セシリアの手を掴んで走り始めた。

 ……自分の手よりも柔らかな、剣を握らない手。

 自分には無いものを感じながら、しかしその身体にはレクトが憑依している――


「……頭が痛くなりそう」


 状況がまるで読めないエステルは、これからのことに不安を覚えていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 空いた教室を見つけて、扉から一番遠い席に座る。

 可愛い剣聖候補、エステル。

 美しい聖女、セシリア。

 ……これだけを見ると、誰もが羨む光景だ。


「――それで? 何があったのかなぁ……?」


 レクトを詰めるエステルの表情が、完全にひくついている。

 本来であれば、今日も一緒に修練場に行く予定だった。

 しかし今、彼は目の前の、美少女の身体の中にいる……。


「あの……。喋り方は、どちらがよろしいですか?」

「……レクトの喋り方でいいよ。

 セシリアさんの喋り方だと、憑依していないときも……何か、いちいち気になりそう……」


 同じ見た目、同じ声、同じ喋り方。

 全てが揃ってしまうと、完全に同一人物としか見えなくなってしまう。

 そのため、エステルは喋り方だけでも……憑依中は、変化を出させたかったのだ。


「わ、わかった。えーっと、とりあえず、何かごめん……」

「いいわよ……。私、ちょっと泣きそうだけど。

 ……それで?」

「俺、右足をどうにかしようと思って、ポーターの伝手でいろいろ聞いたんだよ」

「この前、そう言ってたもんね」

「うん。それでさ、そもそも治療方法に問題なかったか、治癒士に聞いてみたんだ」


 レクトは指をもじもじとさせながら、少しずつ言葉を紡いでいく。

 その仕草を可愛らしく思いながらも、エステルの気持ちはかなり複雑だった。


「――あのときの怪我は、本当なら完治させられるはずだった。

 でも、怪我をしてからの時間が経ちすぎてしまったのが問題で――」

「屋外授業のときに、急に魔物が襲ってきたんだもんね。

 あのときは先生も生徒も、あちこちに散っていたから……」

「結局のところ、治療方法は問題なし。最低限、それは確認できたんだ」

「……フローラ先生も、頑張ってくれたしね」


 しかし残念ながら、フローラは剣術の教師だ。

 これが治癒術の教師であれば、結果は違っていた可能性が高い。


「でも、治癒士には無理だけど――

 その上の存在、聖女であれば治せるかも。そんな話が聞けてさ」

「え、そうなの!?」

「確実なことではない、とも念を押されたけど……。

 そんなわけで、俺は聖女のセシリアに声を掛けたってわけ」

「……ちょっと? もう呼び捨てにしてるの?」

「え? 俺は同じ学年のやつは、みんな呼び捨てにしてるからな?」

「まぁ……、それもそっか。はい、それじゃ続き」


 エステルは話の続きを促した。

 レクトは話しにくさを感じつつも、彼女の声色に注意しながら続ける。


「そうしたら、セシリアがボランティアでやってる懺悔室の予約を1つ空けてくれて……。

 そこでいろいろ、話をしたんだ」

「う、いいな……。私もそれ、行ってみたいのに……」

「え? エステルって何か、懺悔したいことがあるの?」

「無いけど! でも、セシリアさんとのお喋りタイムみたいなものなんでしょ?」

「そういう不純な人がいるから、予約制――加えて、抽選制になっているのですわ」

「う……っく」


 レクトの正論に、エステルは何も言えなかった。

 レクトはレクトで、何故かそこだけセシリアの口調になってしまった。


「――それで!?」

「な、何か怒ってない……?」

「まさか密室でふたりになったのを良いことに、欲望に負けて憑依したんじゃ……!?」

「……お前、俺のことを信じてたんじゃないの……?」


 その言葉に、エステルはハッとした。

 エステルはレクトのことを、誰よりも信じているのだ。


「でも、だって……。そこから何で、憑依に行きつくのよ……」

「先に言っておくと――」

「うん」

「――俺にも分からん」


 エステルはずっこけた。

 レクトは慌てて、憑依に至った経緯を話し始めた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――2時間前、学院内の懺悔室。

 レクトが緊張しながら部屋に入ると、そこは見まわすほどの広さもなく、ひとつの椅子だけが置かれていた。

 目の前の壁には小さな窓が付けられており、黒いカーテンによって向こう側は見えない。

 もちろん、その向こうにいる人物の姿も見えなかった。


「どうぞ、お座りください」


 綺麗な声が聞こえてくる。

 カーテンを隔てているのがもったいないくらいの――とても美しい響きだった。


「あ、ああ。忙しいところ、時間を取ってくれてありがとう。

 ……この場所でなくても、良かったんだけど」

「この懺悔室は防音になっていて、声が漏れないようになっておりますの」

「そうなんだ? それなら、何を話しても安心だな」

「ええ。それに、わたくしがここで聞いたことは……誰にも話すことができません。

 ……誓約、というものをご存じですか?」


 『誓約』とは、魔法的な契約の一種で、結んだあとは一方的に破棄することができない。

 基本的にセシリアは、ここに来た全員と誓約を交わしているのだ。


「セシリアは、この場で聞いたことを漏らせない。

 相談者は、真実のみを口にする。……そんなところかな?」

「はい。ここはわたくしの大切な場所。嘘偽りのない場所であって欲しいのです。

 ……ふふっ、喋りたくないことがあれば、黙秘でも大丈夫なんですけどね♪」

「はは……。聖女らしい、ボランティアだな」

「――さて、本題に戻しましょう。

 あなたを深く知るために……今回は、通常とは別の誓約を交わさせてください」


 突然の言葉に、レクトは驚いた。


「え? 俺は1年前の足の怪我について、治し方があれば、それを聞きたいだけなんだが……」

「それでは、わたくしはそれについて……何かしらの解決策を提示しましょう」

「……本当か? 俺は――何を誓えば良い?」

「わたくしのお願いを、ひとつ聞いて頂けませんか?」


 ……シンプルな提案だった。

 しかしセシリアは、学院の聖女や治癒士の中でも、最も実力がある人物だ。

 その協力を仰ぐためなら、多少の無理くらいは聞いておこう。


「――できる範囲で、ということなら了解だ」

「ありがとうございます。それではこちらの誓約書にサインを」


 レクトがサインをして、続けてセシリアがサインをする。

 彼女が誓約魔法を使うと、魔法陣が一瞬だけ見えて、光と共に宙に消えていった。


「これが……誓約魔法か。初めて見るが、何だか緊張するな」

「守るべきものができたのです。その感覚は正しいですわ。

 さて、早速ですが――……レクトさんが怪我を負った屋外授業。あのとき、わたくしもおりましたの」

「え? そうなのか?」

「はい。ただ、レクトさんからは離れた場所におりまして……。

 着いたときには、既に失血が酷くて……」

「……まぁ、仕方がないさ。

 あのとき急に魔物が現れたのも、運命だったと割り切ってるよ」


 その言葉に、セシリアは少し黙った。

 そしてレクトの質問に答えていく。


「今の治癒魔法の技術では、レクトさんの足を治すことはできません」

「……そうか」

「ただ、やりようはいくらでもあると思いますわ。

 つまりは、剣術を問題なく使えるようにできれば良いのでしょう?」

「簡単に言うが、足にはかなりの力が掛かるからな?

 普通に歩いたり、少し踏み込むくらいなら――もう、出来はするんだ」

「ええ。それに耐えうる解決策が、ありますの」


 カーテン越しに、ごそごそという音が聞こえる。

 レクトが疑問に思っていると、突然――下の隠し扉が開いて、そこからセシリアが入ってきた。


「ちょ、ちょっと……。狭いんだけど!?」


 レクトの言葉を聞き流しながら、セシリアは彼の前に跪いた。

 そして、かつて怪我をした右足に触れていく。


「……怪我の場所、知ってるんだな」

「ええ。しっかり、見ていましたので」


 自分の怪我のことを、1年以上も覚えてくれている――

 ……そのことに、レクトは目頭が熱くなってしまった。

 天井を仰いで、再び下を向くと……セシリアの両手が輝き、レクトの足を包み込んでいた。


「これは……?」

「身体強化の魔法ですわ。ただ、これは局所的なものです。

 つまり、上手く動かせない場所だけのもの」

「……うん?」

「一般的な身体強化の魔法は、効果が全身に均等に生まれてしまいます。

 だから結局、右足だけバランスが悪いままになってしまう――

 そこで局所だけを強化すれば、右足のバランスは正せる……という理屈です」

「……ッ!!」


 後遺症は残ったままだが、一旦の解決を見ることはできる。

 もし今後、完治の方法が見つかれば――それはそれで、そのときにやれば良い話だ。


「――ただ、問題があるんです」

「と、言うと?」

「どれだけ身体強化を掛けるか……こればかりは本人にしか分かりません。

 それに、魔力をずっと使い続ける必要があります」

「……つまり、俺がその魔法を覚えて――

 ずっと使い続けるだけの魔力も、手に入れなければいけない……?」

「はい、その通りです。職才が剣聖であるなら、そこまでの魔力は持っていないはず。

 それなら魔導具でも、聖女の恋人でも、何かしら用意しないといけませんわ」

「なるほど……。しかし、燃費が悪いとはいえ……十分な解決策だ!

 セシリア、教えてくれてありがとう!!」


 レクトは嬉しさのあまり、涙目になってしまった。

 思わずセシリアの手を取り、少しだけ、強く握りしめてしまう。


「これで、わたくしは……誓約を果たせましたか?」

「ああ、問題ない!!

 ……それで、俺は何をすればいい?」

「うふふ。それでは――……レクトさん。

 あなたは何か、凄い力を持っていますでしょう?」


 セシリアの言葉に、レクトの身体はびくっと震えた。

 そう言われて、思い当たる力はひとつしかない。


「――それは……危険なほどに、大きな力。

 あなたもきっと、持て余しているでしょう」

「な、何を知っているんだ……?」

「……できれば、レクトさんの口から、言って頂きたいですの」


 セシリアはレクトの手を振り解いて、逆にレクトの手を両手で握った。

 真っすぐな瞳。静謐な時間。どこにも逃げられない、閉ざされた空間――


「お、俺は……。この前、冒険に出たとき……。

 そこで、スキルを……憑依スキルを、手に入れたんだ……」


 促されるように、導かれるように。

 レクトは憑依スキルを得た経緯と、今までに分かっていることを伝えた。

 ……伝えることが当然のように、どんどん口から溢れ出ていく。

 最後にレクトは、ひとつだけ、セシリアに質問をした。


「――……セシリアは、何でそのことを……。

 俺の憑依スキルのことを、知っていたんだ?」


 それを聞いて、セシリアは美しく微笑んで答えた。


「鎌をかけただけですわ♪」

「……へ?」

「でも……ずっと、レクトさんを見ていたのも確かです。

 1年生の頃から、気になっていた存在ですので」

「え? 俺を……?」

「……それにしても、憑依……ですか――」


 セシリアは立ち上がった。

 上から見られることを拒むように、レクトも立ち上がる。

 密室の狭い空間で、静かに向かい合うレクトとセシリア。

 レクトとしては、気まずい時間が流れていく――


「――……ねぇ、レクトさん。

 わたくしに、憑依してくださいませんか?」


 ――さらに気まずい提案が、セシリアの口から飛び出した。

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