28.黒い海
目的地を目前に控え、高い山を上っていくと――
遥か先には、黒色の一帯が広がっていた。
……光を全て飲み込むような黒色。
凹凸は無いようで、ひたすら平坦に広がっている。
あまりにも不自然な光景に、レクトたちは息を呑んだ。
「あれが、黒い海……なのか?」
「へぇ……。さすがに、圧巻ね……」
レクトの言葉に、ディアナも続ける。
他の3人も、やはり驚きを隠せない。
「あ、あれに近寄るんでしょう……? ディアナさん、このまま下りていっても?」
「ここからじゃ、何も分からないからね。
それに――守護者ってやつも、ここからじゃ見えないし」
「あの黒さ、まるで闇をイメージしてしまいますわね……。
……それにしても、守護者とは一体?」
セシリアの質問に、ディアナは首を横に振った。
既に討伐を終えたラヴィニア学院は、王国に情報を伝えているはずだが――
……レクトたちが所属するヴァルセリア学院には、何の情報も下りてきていないのだ。
「これも、大人の事情ってやつですか……」
「まぁ、ちゃんと調査しているかも分からないしね。
あたしたちだけで、しっかり調査しちゃお~♪」
ディアナの呑気な言葉に、全員が静かに頷いた。
――山を下りていき、黒い海に近付いていく。
小高い丘までやってくると、ディアナがそこで足を止めた。
「ここで一旦、止まろうか。黒い海までは距離があるけど、何かがにょきにょき~って出てくるかもしれないし」
「にょきにょき……って。
でも、そうですね。ひとまず、テントを張りましょう」
「あ、私も手伝うね」
レクトとエステルがテントを張る中、横ではディアナが調査の準備を始める。
収納の魔導具から多くの機材を取り出して、順番に並べて――
「せっちゃんとリゼたん、ここはお願いしても良い?」
「はい、ディアナお姉さま!」
「承知いたしました。
……こういう機材には疎いのですが、どうすれば?」
「説明書を用意してきたから、この通りに配線してもらえる?
せっちゃんが指示して、リゼたんと一緒によろしくね」
「わかりました。……それで、ディアナ様はどちらに?」
ディアナは自作のキックボードを取り出して、頭にゴーグルを付けながら、どこかに出掛ける準備をしている。
「さすがに、こんな遠距離からじゃ何もできないでしょ?
黒い海に近付いて、目視で確認してくるんだよ。あと、向こうで機材のセットもね」
「だ、大丈夫なのですか?」
「さぁ? でも、見てみないことには分からないし」
「百聞は一見に如かず――ディアナお姉さまの、座右の銘ですね!」
「そうそう♪ それじゃ、あとはよろしく~♪」
キックボードは軽妙な音を立てながら、斜面を下っていった。
リゼは嬉しそうに、それを目で追ってしまう。
「わー……。楽しそうな乗り物ですね。セシリア様も、乗ってみたくないですか?」
「そうですね……。でも、はしたなくないかしら……」
「そんなことないですよ!
セシリア様が乗ったら、みんなの視線を釘付けですっ!!」
「そ、それは恥ずかしいですわね……。
さて、リゼ様。わたくしたちも、割り振られた仕事を進めましょう」
「はいっ!!」
――レクトとエステルがテントを張り終え、セシリアとリゼが機材の配線を終わらせる。
そうこうしていると、ディアナがキックボードを押しながら、歩いて戻ってきた。
「はぁ……、ふぅ……。ただいまぁ……」
「あれ? キックボードには乗ってこなかったんですか?」
「斜面を上がるのは、向いてないからね……」
「万能ってわけでもないんですね……。それで、どうでした?」
レクトの質問に、全員の視線がディアナに集まる。
「……固かった。海や湖みたいに水面ではなかったし――土みたいに、少しも掘ることができなかった。
ガラス板、っていう方が近いかな? 微動だにしない、っていうか」
「だからといって、闇……というわけではありませんわよね?
闇自体、不定形の存在ですし……」
「そうそう、結局は正体不明……ってわけ。
まぁ、ここからがあたしの出番なんだけどね」
「あはは……。私たちには、それ以上のことは分かりませんから……。
頼りにしてますよ、ディアナさん!」
「そう思ってるなら、えっちゃんにも先輩って呼ばれたいなぁ~」
ディアナは口元を緩ませ、視線をエステルに投げかけた。
エステルは少しだけ、困ったように笑顔で返す。
「ただ、機材――計器類は置いてきたからね。
何があっても、データは取れるようになったよ」
「ふむ……。そうすると、このあとは――……えぇっと、どうすれば?」
「守護者っていうのが現れない以上、黒い海の調査をするしかないよね。
黒い部分に乗って沈んだら……どうなるか分からないから、まわりをいろいろ見ていこうか」
「やっと目的の場所に着いたのに、何というか……地味ですね」
エステルのぼやきに、レクトも同じことを考えた。
学院長からの直々の依頼だったため、もっと動きが激しいものを想像していたのだ。
「――地味で良いんだよ。それが一番、安全なんだから」
「確かに……。今回は、あくまでも調査……ですからね」
……実際のところ、守護者の討伐までを求められているはず。
しかし相手が正体不明である以上、現れるかどうかも分からない。
数日は滞在して調査することになるだろうが、どうしても現れなければ――
――ゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!
「……うお、地震か!?」
「……いいえ。
感度良好、計測開始ッ!! みんな、来るよ……ッ!!」
「そんな、突然ッ!?」
全員の視線が、黒い海に集中する。
ガラス板のように水平を保っていた表面は、歪むように揺れて――
……その中心から、巨大な、人工的な……人型の何かが姿を現した。
「あれは――ゴーレム?
それにしては、見慣れないデザインね……」
人間の骨格を、シンプルにして組み立てたようなシルエット。
色は黒と灰色、銀色――そして、20メートル程はあろうという大きさ。
胸の中心には深紅の球体が備えられており、いかにも重要であることを窺わせる。
「聖にも邪にも属さず――文明の痕跡も見えません。
まるで、この世のものではない印象を受けますわ……」
「たぶん、他の世界のものなんだろうね。
どんな理由かは知らないけど、勝手にあたしたちの世界に入ってきちゃってさぁ……」
……他の世界のものが、勝手に、自分たちの世界に入ってくる。
レクトはそれを、自身の憑依スキルと重ねてしまった。
世界か身体かの違いはあるものの――やっていることは、きっと同じだ。
「それではみなさん、改めて身体強化の魔法を掛けます。
怪我なく、全員で無事に戻りましょう!」
セシリアの放つ魔法が、全員に柔らかな光をまとわせる。
今までの道中で掛けられたよりも、上位の魔法――聖魔法のひとつだ。
「あたしとリゼたんは、ここで待機してるね。
レクト君とえっちゃんは、アイツが向かってくるようなら応戦して。
せっちゃんは、攻撃の届かないところまで移動して待機――」
全員が頷く中、ディアナはレクトの肩を叩いた。
「戦闘が始まったら、どう進めるかはレクト君に任せるよ。
死なない程度に、無理してね」
「はは……、わかりました」
――守護者は黒い海の上を、静かに歩いてくる。
その身体は巨大なため、遠くからでも恐ろしい圧を感じてしまうほどだ。
それに今のところ、何をやってくるのか分からない――
「お兄ちゃん……。大丈夫でしょうか……」
「きっと大丈夫だよ。
レクト君の強さは、リゼたんもよく知ってるでしょ?」
かつて、自分を絶望の淵から救ってくれた存在。
優しくて頼りになり、でもどこか抜けた感じもする――リゼにとって、大切な存在。
憑依されているときのことは、今でも温かな記憶として残っている。
だからこそ、大丈夫だとは思う反面……逆に、未知の不安も押し寄せてくる。
「そろそろ、お兄ちゃんたちが守護者の元に――」
レクトとエステルの距離は開いており、左右から攻撃をするつもりのようだ。
そんなふたりのことを、守護者はすぐに認識した。
「――ッ!?
魔力の消失を確認……ッ!! 続けて、巨大な空間干渉を確認……ッ!!」
「え? え?」
ディアナの言葉に、リゼは慌てる。
ディアナは双眼鏡を取り出して――守護者の付近を、入念に確認していく。
そんな中、守護者を中心にして、空間が蜃気楼のように揺らぎ――
水面の波紋のような、おかしな屈折が生み出される。
「……あれは、バリア……?
辺りの魔力を取り込んで……空間干渉を!?」
「バリアってことは……お兄ちゃんたち、攻撃ができないってことですか……?」
「うーん、もっと厄介なことになるかも……。
……はぁ。うーん……えーっと、どうしよう……」
ディアナは頭をぼりぼりと掻きながら、思考を高速で回転させていく。
ただ、その対応策は――最初から、ひとつしか浮かんでいなかった。
「レクト君の剣気でも、えっちゃんの剣気でも足りない……。
ああ、もう――……最終兵器のつもりだったのにッ!!」
ディアナの視線は、真っすぐにリゼへと向かう。
リゼはその視線を受け止めて――自分のやるべきことを理解した。
深呼吸を何度もしてから、守護者をまっすぐに見据える。
そして高らかに、両手を空に掲げる。
「――やっと、恩返しをすることができます。
だから……わたしも一緒にいて、いいんですよね?」
リゼは遥か先のレクトのために――いや、この場にいる全員のために、召喚の術式を刻んでいく。
刻んだ呪文は光となり、重なり合い、大きな輝きを成して、魂の回廊を解放する。
……ディアナとしても、想像以上。
空間が脈動するような……そんな緊張が、周囲に広がっていく。
「おいで――……リンドブルム」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レクトとエステルに、巨大な守護者がゆっくりと近付いていく。
しかし、ゆっくり――というのは、その大きさから生まれる錯覚だ。
実際のところ、守護者の動きは速く、認識のズレがふたりに混乱を生んでいく。
「――レクト!!」
「エステル!? 持ち場は――」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃなくない!?」
黒い海から出た守護者は、ふたりの方向へ真っすぐに歩き続けて――進路上の樹々を、すべて圧し潰している。
特に攻撃らしいことも行わず、ただ歩いているだけで……それなのだ。
「あいつのまわりの揺らぎは、バリアなのか?
それなら、剣気を集中させて放てば――」
「でも、私たちはまだ何度も使えないし……効くかも分からないし!
無駄打ちなんて、できないよ!?」
剣聖とはいえ、ふたりはまだまだ駆け出しだ。
あまり無茶な攻撃をすることはできない。
……既に、選択肢は限られている。
レクトは思わず、ディアナのいる丘の方を振り返った。
すると――
「あ、あれ……!! あの光は――」
「もしかして、リゼちゃんの……!?」
丘の一点が金色に輝く。
光は一気に広がり、巨大な像を作っていく。
そしてその姿は、レクトには見覚えのあるものだった。
「召喚獣――……リンドブルム!!?」
かつてリゼの中、心象世界で見た姿。
ただ、この現実世界で見るのは初めてだった。
「ガハハハハッ!!!!
我が咆哮を、戦いの狼煙に使うとは――不遜なれど、気に入ったッ!!!!」
巨大な声が辺りに響く。
心象世界の中でも喧しかったし、小さい姿で召喚されたときも喧しかった。
しかし今は、そんなものよりさらに喧しい――
――ドゴオオオオオオォオオンッ!!!!
轟音が響き――レクトとエステルの身体にも、強い衝撃が突き抜ける。
とっさに押さえて耳は無事だったが、それにしても身体の底から震えがくる。
「れ……レクト、大丈夫……?」
「ああ。それよりも、守護者は――」
リンドブルムの一撃により、守護者のまわりのバリアは消え去った。
加えて、守護者自体も後方に追いやられている。
地面に倒れてこそいないが、少しくらいはバランスを崩している――
「あの攻撃を食らっても……、あの程度なの……?」
「いや、大丈夫だ。おそらく、あの――
球体を破壊すれば、きっと倒せるんだろう?」
「まぁ……。デザイン的に、そんな感じよね……」
エステルは緊張しながら、そう答えた。
ただ……エステルの足は、少しだけ震えていた。
「――俺が先に行く。エステルはフォローしてくれ」
「う、うん……。あの球体さえ、破壊すれば……!!」
レクトは守護者に走って向かい、その身体に飛び移った。
勢いよく駆け上がり、徐々に徐々に、胸の球体へと駆けていく。
……エステルは、それを見ながら思った。
いつの間に、あそこまで動けるようになったのだろう――
自分は、ああは動けない。彼は職才がある上で、才能がある。そして努力だって、人一倍している。
だからこそ、自分はレクトと一緒に――
……自分だけでは到達できない、そんな高みを目指したかったのかもしれない。
エステルは守護者の足元に立ち、動きを牽制しながら、ひたすらレクトの動きを追っていた。
このままいけば、胸の球体までは問題なく辿り着ける。
そうすれば、そのまま赤い球体を破壊して――
……不意に、守護者の身体が揺らめいた。
レクトはバランスを崩して、足を大きく滑らせる。
「――ッ!?」
守護者の腕が、レクトを掠める。
大きな質量の攻撃を受けたレクトは、身体ごと弾き飛ばされて――……宙を舞い、遠い地面に叩き付けられた。
……そして守護者は腕を上げ、その指先をレクトに突き出す。
「ちょ、ちょっと……!? まさか――」
瞬間、守護者の指先から……眩い光線が放たれた。
光線はレクトに向かい、激しい爆発を巻き起こして――
「レクトぉ――――――――ッ!!!!」
……土煙が舞う中、激しい揺れに襲われる中――
エステルの悲痛な叫び声が、辺りに響いていった。




