15.理屈と理想、現実と
何度目かの夜、レクトはようやくあの夢に入ることができた。
セシリアが言う、心象世界――薄暗い空間で、全てが灰色に満ちている。
……自身の手を見ると、やはりレクトの元々の身体だった。
「――ここの叫び声は、この前と何も変わっていないな……」
しばらく様子を眺めてみるが、一向に何も変わらない。
このままずっと叫び声に耐えていれば、いずれは目を覚まして、現実世界に戻るのだろうが――
「おいッ!!!! 誰かいるのかッ!!!?」
とりあえず、大きな声で叫んでみた。
……しかし、何も起こらなかった。
「はぁ……。
何も持っていないし、ここからどうすれば……」
改めて確認すると、レクトは制服を着ていた。
これこそが学院の生徒である証拠なのだが――
……しかし、制服で何をどうするわけにもいかない。
選択肢としては、脱ぐ……くらいしかないのだ。
「例えば……剣があれば良いのに。
そうしたら、何かが出てきても戦えるし……」
――この世界は、理屈ではない世界。
そんなことを、セシリアも言っていたような気がする。
夢に近い世界なのであれば、あるいは想像力で何かが生み出せるかもしれない――
レクトは自身の武器を思い描いた。
故郷から持ってきた剣。右足を怪我して以降、ずっと部屋に置き去りだった剣。
そして最近、この手に取り戻した剣――
「……うわっ!?」
気が付けば、宙に突き出した右手に、いつの間にか剣が収まっていた。
この重量感、この握り心地……レクトの愛用の剣で、間違いない。
「――ふっ。これで百人力だぜ……」
そう思いながら、今度は心象世界の中を進もうとする。
進むことを強く意識していくと、足の裏に抵抗を感じ始めた。
1歩動けば、1歩分。2歩動けば、2歩分。
風景は変わらず、進んでいる感じはまるでしないが……ただ、足からは進んでいることが伝わってくる。
「少しずつで、問題は無い。そんなこと、慣れっこだからな……」
レクトはそのまま、歩いていった。
少しだけ走ってもみたが、一気に疲労が溜まったので、やはり歩くことにする。
……そもそもレクトが憑依しているリゼの身体は、未だに具合が悪いのだ。
その身体に同居しているレクトとしては、あまり無理をする気にはなれなかった。
「この世界にいるときは……、俺の具合は悪くならないな。
そうでないときは、眠っていても具合は悪いんだが……」
――もしかして、この世界にいるときは……リゼの身体から、憑依が解けかけているのだろうか。
レクトが憑依しているとき、リゼの身体の中ではレクトの魂が優位になっている。
しかしレクトが心象世界にいるときは、リゼの魂が優位になっている……のかもしれない。
「つまり、俺の魂は今……リゼの身体とも、リゼの魂とも離れている状態……?
それにも関わらず、あの叫び声が聞こえているということは――」
……もしかして、他の魂が憑依していたり……?
そう考えた瞬間、レクトは強い悪寒を感じた。
正体不明の何かが、リゼの身体の中で、リゼとレクトの魂の近くにいる……?
「これは、ホラーな展開だな……。逃げ場なんて……無いぞ?」
扉のような明らかな出口も無ければ、心象世界を終わらせる方法も分からない。
ただ、仮に何かがここにいるというのであれば――先手を打って、何かをしなければいけない。
……結局のところ、何もしなければ……リゼを助けることはできないのだ。
「何かがいるとなれば、それを倒すまで……。
いつの時代も、どんな物語も、そうするのが筋書きだからな」
レクトは右手に持つ、愛用の剣を見据えた。
確かにこの手にはしっくりくるが、正体不明の敵を倒すには心もとない。
それなら――
「この世界は、理屈ではない世界。
それなら、出してもらうぞ――……俺の、理想の剣をッ!!」
レクトは右腕に力を込めて、天に掲げた。
思い、祈り、そしてイメージする。
……すると、剣の重量感が数段増した。
レクトが恐る恐る見上げると、そこには……不思議な刀身を持った、大きな片手剣が生み出されていた。
「霊剣――リベリオンッ!!!!」
伝説の剣……というほどでもないが、様々な分野の知識を集結して作られる、名剣のひとつ。
火の力を宿しながら、霊体にも攻撃が当たるという特性を持つ。
例えばゴーストなどの物理攻撃が効かない敵であっても、葬ることが可能なのだ。
……先日フローラから取り戻した緋色の魔石は、この武器の製造で必要になる素材のひとつだった。
逆に――かつてレクトは、それを手に入れていたからこそ……リベリオンを夢見るようになった、とも言える。
「ふふっ。まさかこんなところで入手できるなんて……。
まぁ、現実世界に持っていけはしないだろうが……」
霊体を斬れる――ということは、恐らく魂のようなものも斬れるはず。
ただ、近くにはリゼの魂もあるかもしれない。
……そう考えれば、使いどころは間違えないようにしないといけない。
「それにしても、この叫びはどこから聞こえてくるんだ……?」
四方八方から聞こえてはくるものの、耳に感覚を集中させれば――多少の強弱はあるようだった。
それなら、大きく聞こえる方に向かっていけば良い。
――かなりの時間を歩いていく。しかし、心象世界から覚めることは無い。
さらに歩いていくと……何となく、空が暗くなってきた気がした。
「何か……、境目があるな……?」
それに近寄っていくと、大きく聞こえる叫びは、さらに大きくなった。
正直、近付くだけで――内臓が揺さぶられる。とてつもなく、気分が悪い。
ただ、近付けば近付くほど……その境目ははっきりとしていった。
レクトがいる世界の先――何かしらの膜の向こうに、ふたつの世界があるようだった。
ふたつの世界も膜で隔てられており、片方の世界から叫び声が大きく響いてくる。
「――つまり、この世界は俺の魂。
向こうの静かな世界はリゼの魂で――……そうすると、この喧しいのは何なんだ?」
レクトは右手の剣――リベリオンに、力を込めた。
向こうの膜の先を斬るとすれば、手前の膜も一緒に斬ることになる。
……それがレクトの魂の外側なのであれば、果たして無事で済むのだろうか?
そんなことを思いつつも、レクトは大丈夫な気がしてならなかった。
「何しろ、この世界は――理屈ではない世界、だからなッ!!!!」
レクトはリベリオンを振り上げ、叫び声のする向こう側に振り下ろした。
剣のイメージは……向こうの世界だけ、斬り飛ばす――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「きゃああああああああ――――――ッ!!!!!!!」
夜中、リゼの看病をしていたエステルは飛び起きた。
突然、ベッドの中のリゼが叫び声を上げたのだ。
「え……!? ちょ、ちょっと、レクト!!?」
「あああ……ッ!! ああ……あぁああああッ!!!?」
身体の小さなリゼとはいえ、腹の底から叫び声を上げれば、その声は大きく響く。
エステルは予備の掛け布団を急いでリゼに掛けて、そのまま身体を押さえつける。
――この状態は、何かがおかしい。
暴れるリゼを制しながら、エステルは次の行動を考えた。
このまま続けば、誰かを呼ばなければいけない。
まずは、状況を知っているセシリアだ。
治癒の実力者でもあるし、下手な教師よりも知識が深い――
「ああぁ……あ――……」
リゼの身体は強く震え始め、頭を押さえながら、大量の汗をかいている。
……ただ、やがて……ゆっくりと、目を開いた。
「レクト……!?」
「……あ――……、エス……テル……?」
エステルは思わず、レクトに抱き着いた。
……身体はリゼなので、元の身体のような力強さはなく……とても、華奢な身体だった。
「……お、おい……?」
「何よ! 何してるのよ!! 心配、するじゃないッ!!」
エステルの顔は、レクトからは見えなかったが――声を震わせて、泣いていた。
レクトはエステルの身体をぽんぽんと叩いてから、エステルに優しく言う。
「……ごめんな。最近……ずっと、心配かけてばっかりだな」
「まったくよ! 頑張ってるのは分かるけど――
何でレクトが、そんなに頑張るのよ……」
「……ごほっ」
「ちょ、ちょっと!? レクト……!?」
「水……くれない? 喉が、カラカラで……」
レクトの言葉に、エステルは慌てて水を汲んで渡した。
言いたいことはたくさんあるが、レクトが憑依している――リゼの身体は、未だに具合が悪いのだ。
「――さんきゅ。でも、もう少し……かもしれないんだ。
だからもう少しだけ……心配を掛ける……」
「何で――何でそこまで、やる必要があるの?
少しくらい、憑依を解いて……元の身体に戻っても良いじゃない!!」
「ああ……。俺は、逃げるって選択肢があるだろ……?
でも、リゼには無いんだよ……。俺がいなくなれば、また……孤独になっちまうんだ……」
小さく華奢な身体から、一気に力が抜けていく。
眠りに誘われるかのように――あるいは他の、何者かに誘われるように。
「だから――……ごめんな……」
……部屋は静まり返り、小さな寝息だけが聞こえてくる。
それを見て、エステルは静かに震えながら、涙を零す。
「――バカ。
本当に……カッコいいんだから――」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レクトが気が付くと、そこは――初めて見る場所だった。
今の身体はレクト自身のもので、右手にはリベリオンが握られている。
ただ、目に飛び込んでくるのは、大雨の降る……切り立った岩場。
……リゼが、自殺を図った山に似ていた。
「ここは――」
「――貴様か!? 我が魂に傷を負わせた者は……ッ!!」
「ッ!?」
威厳のある声が辺りに響く。
ただ、どこか聞き覚えのある――
……そうだ。あの叫び声と、声が似ている。
「お前か!? あの叫び声を放っていたのは……!!」
「叫び声、だと? 何のことだ!?」
レクトの上に、大きな影が落ちた。
不思議に思いながら空を見上げると――……巨大な竜が、力強く飛んでいた。
「竜――……だと!?」
「ふん、矮小な人間ごときが……。我を殺そうなど、片腹痛いッ!!」
「お前がリゼを、害しているからだろうッ!!」
「何を言っているのか分からんが――
我が名、リンドブルムの名において……貴様を滅ぼすッ!!」
瞬間、レクトを中心に激しい稲妻が落ちていく。
レクトは2本の稲妻をまともに喰らい、その場に片膝を突いてしまう。
「――ほう?
心象世界なれど、この攻撃に耐えるとは……。ふははッ、褒めてやるぞ!!」
「嬉しいねぇ……。そんな評価をもらえるなんて――
……だがッ!!」
レクトはリベリオンを両手で構えて、リンドブルムに向かっていった。
この世界は、理屈ではないッ!!
すなわち、この剣でリンドブルムを一刀両断に――
「――人間にしては、筋は良いのだがな」
リンドブルムの左腕が、レクトの剣――リベリオンを砕いた。
刃も鍔も、柄さえも。全てが粉々になり、地面に落ちて消えていく。
「そ、そんな――」
「……命を乞うが良い。
ここに立ち入らぬと誓約すれば、命だけは助けてやろう」
低く震えるように、響く声。
レクトは、目の前の巨大な竜に――恐れを抱き始めていた。




