14.漂う世界は灰色で
学院内の一室で、セシリアは満足そうに胸を張った。
「エステル様、どうですか? とても素敵なお部屋でしょう?」
「そうですね――
……って、パーティ用の部屋って、こんな立派なんですか?」
エステルが部屋の中を見まわすと、明らかに誰かが飾り付けた痕跡が見える。
ここは本来、学院にパーティ結成の届け出をして貸し出される――パーティ活動室のはず。
そんな部屋が、最初からこんな状況になっているとは……。
「そこは、わたくしの伝手で……。
レクトさんには、しっかりとくつろいでもらいたいですから♪」
「はぁ……。セシリアさんって、本当にレクトのことが気に入ってるんですね……」
エステルがソファに腰を下ろすと、その横にセシリアが座ってくる。
「ふふっ。そういうエステル様は、どうなんですの?」
「ちょっと……。近いですよ!?」
エステルは顔を赤くしながら、逆側のソファに移動した。
言動に惑わされがちだが、セシリアは学院の中でも屈指の美少女なのだ。
「それでは、冗談は置いておきまして――」
「うぅ……。セシリアさんの、冗談のラインが分からない……」
「レクトさんは、今日は一緒ではないのですか?」
「はい。今日……というか、ここ最近ですね。
ディアナさん、って先輩からの頼み事がある……って。ずっと顔も合わせていないんですよ」
「ああ……。録音の魔導具はまだしも、館内放送を書き換える魔導具なんて、貴重ですから。
今度はどんなことに巻き込まれていることやら……」
セシリアはしみじみと、窓の外を眺めた。
先日は酷い雨が降ったが、それが嘘のように、今は晴れ渡っている。
「フローラ先生も、学院から追放されましたし……。
経緯はともあれ、わたくし、レクトさんに感謝しておりますのよ」
「あんなやつでも、セシリアさんの役に立ってなによりです」
「……ふふっ。幼馴染というのは、良いものですね」
セシリアがお茶を淹れると、優しい香りが漂ってきた。
エステルはカップを受け取り、静かに口を付ける。
「……わっ、美味しい。お茶って、こんなに美味しいものなんですね!?」
「茶葉はもちろんですが、淹れ方……というのも大切なんです。素敵な素材を、じっくりと……ですよ」
「そうですね。元々の――
……土台が良くても、そのあとのことだって……大切ですよね」
「はい♪」
――コン、コン、コン
不意に、扉がノックされた。
セシリアもエステルも、ここに来るのは今日が初めてだ。
そんな日に、こんな場所に誰が来たのだろう?
「誰か、先生かな?」
「わたくしが出ますわね。はい、どちら様ですか?」
セシリアが扉を開けると、そこには身長が少し低い少女――リゼが立っていた。
……いや、扉の端にもたれ掛かっていた。
ただ、セシリアはリゼに見覚えが無かった。
「――……あら?
ずいぶん、体調が悪そうですが……エステル様!」
「ええ! こっちに連れて来て!」
エステルはソファの上のクッションを除けて、寝ることのできるスペースを確保した。
リゼはセシリアに寄り添われ、静かにソファに寝かされる。
「誰か、先生を連れてきた方が良いかしら……?」
「う、ううん……。それは、やめて……。
あちこちまわって……ようやくここまで、逃げてきたから……」
セシリアが喋る中、リゼは息を切らせながらそう言った。
エステルは水を汲んできて、ゆっくりとリゼに飲ませる。
「――ありがとう。エステル……」
当然ながら、エステルもリゼとは面識が無い。
ただ、この流れからすると――
……ふたりの頭には、お馴染みの名前が思い浮かんできた。
「もしかして……レクト?」
「ああ……うん。その通り……」
リゼ――
いや、リゼの身体に憑依したレクトは、声を絞り出してそう言った。
「また、こんな子に憑依を――
……って言ってる場合じゃないわね。一体、どうしたの?」
「エステル様。レクトさん、とても苦しそうですので……」
「そ、そうね……。ごめんなさい。レクト、ゆっくりで良いからね……?」
セシリアが念のため、治癒魔法を掛けていく。
すると、レクトの表情は少しだけ……和らいでいった。
「……セシリア、ありがとう……」
「はい、お気にせず。でもその方、1年生ですわよね?」
リゼの制服の胸元には、黄色のリボンが付けられている。
それは、1年生であることを示していた。
「ああ……。この子の名前は……リゼ。
ディアナ先輩の依頼で、俺が様子を見ていた子なんだ……」
レクトは身体を起こし、ソファの背もたれに身体を預けた。
「な、なるほど……?
それで、具合が悪いようですけど……どうしましたの?」
「山にある崖から……落ちる直前で、憑依して……何とか助けたんだ」
「え!? 崖から!? ……危ないところだったんだね」
「……いや。崖から落ちて、全身を骨折して、今はこの通り……」
「ああ……。骨折したあとは、治癒魔法を掛けても数日は熱がこもりますから。
全身ともなれば、相当におつらいでしょう……」
「あとは毒がまわって時間が経ちすぎたのと、酷い風邪を引いたのと、栄養不足だったのと、身体にストレスが溜まっていたのと――」
「はぁ!? そ、そんなに酷いなら、ゆっくり休んでないと!!」
しかしこの数日、レクトは女子寮のリゼの部屋で、ずっと療養していたのだ。
家族や同級生には知らせず、ただただ静かに、体調が少しでも改善するのを待っていた。
「――リゼには悪いと思ったんだが、記憶を見させてもらったんだ……。リゼであれば、家族には知られたくないはず……。
あと……この子、友達がいないんだ。
……内向的な子で、知り合いといえば……3年生の、ディアナくらいで――」
「レクト!? 無理して喋らないで良いから!!」
「まったく……。そんなに調子が悪いなら、ゆっくり休んでくださいまし。
エステル様に報告するにしても、こういう場合であれば……少し遅れたって、構わないのでしょう?」
「も、もちろんよ! 今回みたいなこと、全然想定していなかったし……」
「……ははは。これでも、何日も寝込んでたんだけどな……。
それでさ、セシリアに……聞きたいことがあるんだよ」
名前を呼ばれたセシリアは、身を乗り出した。
「何でしょう? わかることなら、何でも答えますわ!」
「この子さ……頭の中に、すごい叫び声が響いているんだ。それこそ、朝も夜も、ずっと……。
召喚士の職才を持っているんだけど……、何か知っていることは……ないかな……?」
……聖女は治癒魔法を使うことができる。
治癒魔法というのはそもそも、複雑な怪我や障害の場合は――治すために、特別な知識が必要だ。
レクトは、そういったセシリアの知識に期待して来たのだ。
「頭の中に、ずっと叫び声が――
……というのであれば、脳の異常というよりは――幻覚、という可能性は――」
セシリアは、レクトが憑依している――リゼの身体に手をかざし、柔らかな光を生み出した。
ただ、その光は何もせずに消えていく。
「――幻覚では無さそう……? それでは、他には――」
「最近、この子のまわりで何か変わったことは無かったのかな?」
エステルが横から、そんなことをふたりに聞いた。
セシリアが知るはずもない。そのため、セシリアもレクトを見つめた。
「最近――……ああ、そうだ。先月、リゼは実家で……契約の儀式を行ったんだ……。
ただ、結局は何も変わらずに――……でも、確かにそのあと、しばらく経ってから不調が――」
レクトの意識は朦朧としてきた。
この部屋に来るまでは何とか気を張っていたが、エステルとセシリアに会って、緊張が解けてしまったのだ。
「……眠ってしまいましたわね」
「でも、凄く苦しそう……。起こさないでも、大丈夫ですか?」
「レクトさんの話によれば、ずっと頭の中で叫び声が聞こえるのだとか……。
きっと夜も、ろくに眠れていないはず。今は、このまま眠らせておきましょう……」
エステルとセシリアは、つらい気持ちを抱えながら……ソファの少女を心配した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――レクトが気が付くと、そこは何も無い世界だった。
ただただ薄暗い闇が広がり、身体の感覚も酷く鈍い。
「ここは……?」
自身の手を見ると、それは見慣れた――レクトの手。剣聖を目指す、男の手だった。
目に届く範囲を見ても、全てレクトのもの。レクトの身体だった。
「俺は……リゼに、憑依していなかったか?」
そう思ったところで、周囲に大きな叫び声が満ち始めた。
リゼの身体に憑依してから、ずっと頭に響いていた……あの叫び。
それなら、今は夢の世界にいる……といったところだろうか。
「……これはこれで、きついな」
頭に響く……というよりも、耳をつんざく、巨大な叫び。
耳を塞げばあらかたは聞こえなくなるが、それでも身体を通して振動が伝わり、結局は音として聞こえてしまう。
「俺は……夢の中で、起きていなければいけないのか……?」
この状況で、眠ることはできなさそうだった。
それなら、何かやることがあれば――
……仮に、この元凶である何かが、自分の前で何かしらの形をとってくれれば……。
それに対して何かを行い、この状況を解決できるかもしれない。
しかしレクトの目の前には、薄暗い空間だけが広がっている。
灰色の濃淡はあるものの、基本的には何も無い……まるで、絶望が広がっているかのようだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……ん」
乾いた目を開けると、暗い天井が広がっていた。
身体には痛みが走り、それが現実世界にいるのだと実感させる。
「いつの間にか、リゼの部屋に戻ったのか……?
今、何時――」
時計を見ようとしたところで、ベッドの横に人影が見えた。
薄く射す月明かりで……輪郭をなぞってみれば、それはセシリアのようだった。
姿勢は綺麗に保っているが、目を閉じて、少しだけ舟を漕いでいる。
少しだけ手を動かすと、そこには柔らかな重みがあった。
頭を上げて手を見ると、セシリアが両手で手を握ってくれている。
「――セシリア?」
レクトが名前を呼ぶと、セシリアはすぐに目を覚ました。
「あ……、レクトさん。お加減は、いかがですか?」
「はは、最悪だよ……。でも今は……、悪い気分はしないな……」
灰色の世界で、レクトは孤独だった。
しかし現実世界では、側にセシリアがいてくれる。
……それだけで、とても心強かった。
「一応、公平のために言っておきますが……。
エステル様と、交代しながら看病していますからね?」
「そっか……そうなんだ。うん、ありがとう……」
レクトは、セシリアの言葉を嬉しく受け取った。
ふたりで看病をしてくれているのも嬉しかったが、セシリアがすぐにエステルの名前を出してくれたのも、嬉しかった。
「――仲良くしてくれて、嬉しいよ」
「こんなときに、そんなしんみりとしたことを……」
「ははは、すまん、すまん……。……そうだ。俺、夢を見たんだよ」
「夢……ですか?」
「ああ……。俺……元の身体で、何も無い空間を漂っていたんだ……。
ここ数日、ずっと寝込んでいたけど……あんなのは、初めてだったな……」
レクトの言葉に、セシリアは少し考えた。
自分には経験が無かったが、どこかの書物で見た記憶があるかも――
「……セシリア?」
「あ……すいません。
もしかすると、それは……『心象世界』、というものかもしれません」
「心象……世界?」
「心の中に現れる風景。作り出される世界……。あるいは、魂が見る夢……と申しますか」
「……魂が――」
レクトは目を閉じて、噛みしめるように、小さな声で呟いた。
「理屈ではない世界……。
だからこそ、現実世界では解決できないようなものも、もしかしたら……」
「……なるほど。さっきはもう、何もできない……と思ってしまった。
何かを成そう、と考えれば良かったのか――」
「そうかもしれませんわね……。
でも、あまり無理はしないでください……ね」
「ははは……。今回は、怒られないくらいの……無理にしておくよ――」
それだけ言うと、レクトはまた、眠りの中に落ちていった。
……セシリアは静かに、その手を握り直していた。




