13.絶望した少女の瞳から
レクトは3週間の間、1年生のリゼ……という少女の様子を見ることになった。
フローラを断罪したとき、録音の魔導具と、館内放送をジャックする魔導具を借りたのだが――
……それの借りを返す、という名目だ。
リゼは『召喚士』の職才を持っているが、何も召喚することができなかった。
先月に実家に戻り、そこで契約の儀式を行ったらしいのだが、何の成果も得られなかったのだという。
しかし、その後の様子が徐々におかしくなり……ずっと親交のあったディアナが心配している、といった具合だ。
「恵まれた職才を持ちながら、うまくいかない――
……はぁ。他人事では無いな……」
レクトはひとり、ぼやいてしまう。
ただ、レクトの場合はエステルとセシリアが支えてくれている。
反面、リゼを支えるディアナは――今月の下旬、学院を空けてしまう用事があった。
そこで、レクトが見守ることになったのだ。
「……おっと、出てきたな」
女子寮の入口を遠くから覗きながら、リゼの外出を確認する。
前髪を含め綺麗に整えられた、薄いピンク色の、肩ほどの髪。
金色の瞳が不思議な魅力を放つが、全体として小柄な少女。
……リゼは午後の時間、ひとりで外出することが多くなっていた。
誰の目にも付かないところで、何をしでかすかは分からない。
――寮が違うから、夜のことは分からない。
寮に住む女子に憑依すれば、寮内でも見守れるかもしれないが……ディアナは憑依のことを知らずに、依頼をしてきた。
そのため、レクトは午後の時間に見守りを行い、安全を確認する――そんな動きに徹していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――どこまで行くんだ?」
この数日、何回か尾行を行っていた。
いつもは少し、ぶらぶらする程度。
しかし、今日に限っては何かがおかしい。
学院から街に出て、そのまま商店が並ぶ道を直進していく。
買い物では無い……。食事を取るわけでも無い……。
居住区に入っても、リゼの足は止まることが無い。
とぼとぼと歩きながら、すれ違う人々には興味も示さない。
誰か、知り合いの家にでも行くのだろうか……。
居住区を抜け、街の門を出ようとする。
外には魔物がいるため、武器も持たない少女がひとりで外に出るのは危ないが――
……残念ながら、学院の身分証を見せれば通れてしまう。
今は月の下旬であり、学院の生徒は様々な活動をあらゆる場所で行っている。
それこそが学院の生徒の特権であり、将来に繋がる行動なのだ。
リゼに少しだけ遅れる形で、レクトも街門を通っていく。
往来をする人や馬車も、まだまだ多い。
しかし、もっと遅い時間になれば――誰もいなくなっていくだろう。
「……もしかして、外泊するつもりか?
さすがに、そこまでの準備はしていなかったな……」
日没の時間は遠いが、このあとどうなるのか、まるで分からない。
今まではリゼには内緒で見守りをしていたが、どうにもならないときは、正体を明かして話し掛けるべきか――
リゼは山道に入っていった。
途中、辺りの草を摘み取っているようだった。
もしかして、薬草の採取をしに来たのだろうか。
木陰に隠れながら、レクトはリゼを見守った。
そうしながら、リゼはどんどん、山を登っていく。
「――……もう、夕方か」
空が茜色に満ちる頃、リゼは切り立った崖で足を止めた。
崖とは言っても……そこにはロープが張ってあり、安全には配慮されている。
リゼは、近くのベンチに腰を下ろした。
これまでに採取してきた草を並べて、丁寧にゴミを取り払っていく。
……そして、それが終わると夕方の空に向かい合った。
雲は多かったが、とても美しい光景だ。
しかし――それを打ち消すように、空から雨が降ってくる。
ぽつり、ぽつり……と。
急な天気の変化に、レクトは慌ててしまう。
自分はおろか、リゼも傘は持ってきていない。
魔法学科の生徒であれば、器用に雨をバリアで弾くこともできるかもしれないが――
レクトはもちろん、リゼもそんなことはできなさそうだ。
レクトは木の下に隠れ、リゼは近くの木の下に移動して、雨の様子を窺っている。
そんな中、リゼは先ほど採集した草をもくもくと食べ始めた。
それを見たレクトは、何となくお腹が空いてしまった。
……食べるものを、何も持っていなかったのだ。
自分の準備不足を後悔しながら、引き続きリゼを見守る。
……リゼは雨の中、崖の側に歩いていった。
空は既に雨雲で覆われており、太陽の輝きも隠されている。
雨が降る中、ひたすら打たれ続けている。
さすがにこれでは、身体を壊してしまう。
もう限界だ。声を掛けて、寮まで連れて帰ろう――
――その瞬間、リゼの身体が傾いた。
ロープの合間を縫うように、崖に吸い込まれるように、遥か下に落ちていく――
「うおおおおぉッ!!!!」
レクトは全力で走った。
右足がもつれる中、それでも何とかリゼの元まで走り続け、そして手を伸ばす。
レクトの右手は、何とかリゼの左腕を掴むことができた。
「――おいッ! おいッ!! 意識はあるかッ!!?」
レクトの声に、リゼは反応をしない。
どうやら熱が……いや、それ以外のことで朦朧としているようだ。
もしかして、途中で採集していた薬草――いや、あれは毒草だった……?
「くそ……。今の体勢では、引き上げられない……」
レクトはかろうじて、リゼの腕を掴んでいた。
しかし力が満足に入らず、それに加えて地面もぬかるんでいる。
「おいッ! 起きろ!! 目を開けろ!!」
レクトの必死の言葉に、リゼの目が重々しく開いていく。
そして……何とか上を見上げるも、すぐに視線を落としてしまう。
「――……わたし、大丈夫です。もう、嫌なんです……。
……だから、手を……放して……」
「死んじまうぞ!!?」
「ごほ……っ。それよりも、あなたも……危ないので――」
「言ってる場合か!!」
リゼの身体は、だらんと力を失っている。
しかし、左腕にだけは力を入れている。
これは、生き残りたいという気持ちの表れ――
……ではなく、明らかにレクトの腕を振り払おうとしている。
空では雷まで鳴り始めた。
雨も強くなってきた。レクトの腕も、いずれは限界を迎える。
リゼを引き上げようとするが、これ以上の力を入れることができない。
……改めて、リゼの向こう、遥か崖の下を凝視する。
このまま落ちれば、固い地面に激突する。ただ、幸いなことに――
その近くには、1本の大きな木が生えている。
それをクッションの代わりにすれば、何とか命は助かるかもしれない……。
――ただ、リゼはそんなことをしそうには無い。
やる気はないだろうし、身体も弱っている。そもそも、万全であっても恐怖心が勝るだろう。
リゼを掴む手のひらに、ゆっくりと雨が滑り込んできた。
少しずつ、しかし確実に、リゼの左腕がレクトの手から抜け落ちていく。
腕から手首へ、そして手へ。やがてリゼの指先も、するりとレクトから――
「くそっ! 仕方ない――」
――≪憑依≫
思わず瞑った目を開けると、レクトの目に見えたのは――レクトの身体と、雨に濡れた岩。
そして暗く広がる、狭い雨空。
目を開けているのがつらい。
身体は冷え、強い嫌悪感が身体全体を苛んでいる。さらに、全身に加わる落下感――
……レクトの意識は、そこで一旦途切れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気が付けば、そこは女子寮の部屋――
……だったら、どれだけ良かっただろう。
全身に痛みが走る。身体が動かない。生きようとする力が、失われていく。
落下による外傷。毒草による中毒。
ただ、これらは――明らかにリゼの、自分自身への殺意。
……そうだ。リゼは自殺をしようとしたのだ。
――憑依した状態で、そのまま死んだらどうなるんだろう?
レクトはふと、そんなことを考えてしまった。
おそらく、憑依した身体と共に死んでしまうはずだ。
そうなれば、元の身体は今のまま――ずっと、レクトとして生きていくことになる。
「……俺がいないと、あの身体はやる気を出さないからな……」
宿題もやらなければ、剣術の修練も行わない。
もしかすると、職才を持たなかった自分が、ああいう性格だったのかもしれない。
そんなことを考えると、死にそうな状態にもかかわらず、少しだけ笑えてしまった。
しかし、その瞬間――
――グオオォオオォアアアアァアアオオォ……ッ!!!!
とんでもない大きさの……叫びのようなものが、頭の中を駆け巡った。
驚いて辺りを見まわそうとするも――今の怪我では、ろくに身体を動かすこともできない。
仮に魔物や野獣の類がいれば、このまま食い殺されてしまうだろう。
ただ、そういうものとは……まるで違うような気がする。
何かの音によって、空気が震えている様子は無い。
ただリゼの頭の中で、そんな叫び声が響いているだけのような……。
「……リゼは、召喚士だったな。
この叫びは……何か、関係があるのか……?」
そう言っている間にも、大きな声は頭の中を駆け巡る。
ただ、雨の音、雷の音は、掻き消されずにしっかりと聞こえている。
……やはり、単純な叫び声ではない。
「ははは……。職才がどうの、召喚ができないがどうの、以前に――
……こんな状況じゃ、死にたくもなるか。……なぁ、リゼ……?」
レクトはリゼに、強く共感した。
おそらくはレクトが世界で一番、彼女に共感できる人間だ。
職才と現実の狭間で同じように苦しみ、憑依スキルによって直接の痛みを感じることができる。
だからきっと、自分なら……リゼを救うことができる。
レクトは強く、そう確認した。
但し、それに至るための問題がひとつ――
「――俺、このまま死んじゃうかもな……」
身体はさらに冷え、毒草による苦しさも増してきた。
木の枝がクッションになったとはいえ、身体中が打ち付けられ、さらには雨も降り続けている。
こんな天気で、こんな山の中。誰も助けにくるはずが無い――
……そう思ったときだった。
「おい、大丈夫か!?
……おお、すごい怪我じゃないか!」
レクトの身体が、岩場の向こうからやってきた。
崖の上から――山道を駆け下りてきたのだろうか。呼吸は弾み、身体中に汚れが目立つ。
レクトの身体は心配そうに、リゼに憑依したレクトを持ち上げる。
「――……来てくれたんだ?
いつもは頼りないくせに、今日は……少しだけ、カッコよく見えるぞ……」
「先輩に向かって、何て口の利き方なんだ!?」
レクトが憑依をするとき、元の身体は――何となく怠惰な性格によって動かされている。
しかしそれでも、レクトは元の身体の存在に安心して……そのまま眠りに落ちていった。
……ただ、その底に近付くほど――
頭の中の大きな叫びは、さらに大きくなっていった。




