表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚飾まみれの魔導書の世界をスッキリさせます。〜整理の天才児による、澱みゼロの最短魔術ライフ〜  作者: 寝不足魔王


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/59

第51話:エレナの過去と、楽しいという言葉


 エレナが農地周辺の古い魔導具の解析を続けていた。


 ヴァルナの倉庫に眠っていた農業用の魔導具が、いくつか見つかっていた。百年以上前に作られたものが、ほとんど使われないまましまわれていたらしい。埃を被っていたが、造りはしっかりしていた。エレナが一つずつ丁寧に封印を解きながら、内部の構造を確認していく。


 アルスが隣に座って、その作業を見ていた。


「これ、何に使う道具なの?」


「水の流れを一定に保つための魔導具よ。今の農業魔法と組み合わせれば、もっと安定するはずだわ。水路の途中に設置して、流量を均等に保つ仕組みになっている」


「よく考えられているんだね」


「百年前の人たちが作ったものだから。当時の技術が、こんなところに残っていたのね」


 エレナが魔導具の表面をなぞりながら言った。それから、少し間を置いた。


「アルスくん、エレナさんって農業のことも詳しいんだねと言いたそうな顔をしているわ」


「うん、そう思ってた」


「……昔、少しだけ関わっていたから」


 その声が、いつもより少し静かだった。


「教えてもらえる?」


 エレナがまた少し間を置いた。魔導具の作業を続けながら、ゆっくりと話し始めた。


 ◇


「魔法使いになる前、小さい頃は農村に住んでいたの。ヴァルナほどではないけれど、作物が育つかどうかで生活が変わるような場所に」


「そうだったんだね」


「魔法の才能があるとわかってから、街に出て、勉強して、熟練魔法使いになった。難解さこそが価値だと教わって、そう信じて生きてきた。複雑な術式を覚えるほど、長い詠唱ができるほど、それが実力の証明だと」


 エレナの手が、魔導具の上で静かに動いていた。封印を解きながら、でも意識は少し違うところにある、という手つきだった。


「でも、魔法が楽しいと思ったことがなかったの。難しいものを乗り越えることが目標だったから。楽しいという感覚は、未熟な証拠だと思っていたくらい」


「うん」


「魔法使いになってから、故郷には一度も帰らなかった。帰る理由もなかったし、帰ったとしても何もできないとわかっていたから。農業の問題を、魔法で解決しようとは思っていなかった。難解な術式を磨くことと、農村の生活は、全然別の世界にあると思っていた」


 アルスは黙って聞いていた。エレナがこういう話をするのは珍しかった。いつもの熱量が落ち着いて、ただ静かに、本音だけが言葉になっている。


「ヴァルナに来て……農地を見た時、昔の景色を思い出したの。育つかどうかわからない作物を見ながら、毎日心配していた村の人たちの顔を。あの頃の私には、魔法でそれを変えられるとは思っていなかった」


「今は変えられるよ」


「ええ。あなたに整理されてから、魔法が楽しいと思えるようになったから。ここに来て、農地に水が届いた時、初めて思ったの。魔法でこういうことができるんだって。難解さを積み上げることじゃなくて、誰かの生活が変わることが、魔法の本質に近いのかもしれないって」


 エレナが魔導具の封印を解き終えて、静かに置いた。


「恥ずかしいわね。熟練魔法使いが、今更こんなことを言っているなんて」


「恥ずかしくないよ」


「……え?」


「楽しいと思えるようになったのは、本質に近づいたからじゃないかな。難解さという澱みが取れた分、本質が見えるようになった。それは恥ずかしいことじゃない」


 エレナが「……っ」と固まった。


 手元の魔導具を見つめたまま、しばらく動かなかった。それから、「またそういうことをさらっと言うのね」と言った。声が、わずかに震えていた。


「本当のことだから」


「……そうね」


 エレナが静かに笑った。いつもの大げさな熱量ではない、ただ穏やかな、本音の笑い方だった。


 ◇


 その夜、廊下を歩いていると、フィナの部屋の前を通りかかった。


 扉が少し開いていて、中から声が聞こえてきた。エレナの声と、フィナの声だ。


「フィナちゃん、少し聞いていい?」


「うん、どうぞ」


 足が止まった。


「あなたは……ずっとアルスくんの隣にいて、整理されなくて怖くない?」


「怖い?」


 フィナが首を傾げた声だった。


「アルスくんは何でも整理するでしょう。私は整理されることで、自分が変わっていく気がして。でも、あなたは整理されないままでいられて……それが怖くないのかと思って」


 しばらく沈黙があった。


「なんか……エレナさんって、整理されることを大切にしてるんですね」


「……そうかしら」


「私は整理されてもされなくても、アルスくんの隣にいたいだけだから。どっちでも変わらないかな。整理されたら変わる部分があるとしても、隣にいたいという気持ちは変わらないと思うし」


 エレナが「……そういうものかしら」と静かに言った。


「エレナさんも、整理されなくてもアルスくんの隣にいたいって思いません?」


「……そうね」


 少しの間があった。


「それが答えかもしれないわ」


 エレナが静かに言った。その声に、何かが整理されたような、でも整理されきっていないような、どちらとも取れる重さがあった。


 廊下で、アルスはまた立っていた。


 今日二回目だと思った。昨日は一回だったのに、今日は二回、廊下で立ち止まっている。耳が熱くなっていた。どう動けばいいかわからなくて、また静かに引き返した。


 ◇


 自室に戻って、今日のことを整理しようとした。


 でも整理できなかった。


 エレナの「楽しいという感覚は、未熟な証拠だと思っていた」という言葉が残っていた。それが今は「楽しい」と言える。整理されることで本質に近づいた、という言葉も残っていた。


 フィナの「整理されてもされなくても、アルスくんの隣にいたいだけ」という声も残っていた。


 どちらも、整理しようとすると、どこに置けばいいかわからなくなる。


(……今日は整理できないことが多い日だな)


 そう思って、目を閉じた。


 答えを出そうとしなかった。整理しなくていいものは、整理しなくていい。それは自分が一番よく知っていた。


 ランプの光が、静かに揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ