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虚飾まみれの魔導書の世界をスッキリさせます。〜整理の天才児による、澱みゼロの最短魔術ライフ〜  作者: 寝不足魔王


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第39話:整理の完成と、次の館長


 朝、セリスが目録の更新状況を持ってきた。


 いつもの報告よりも少し表情が真剣で、手に持った目録を確かめてから口を開いた。


「アルス様、整理済みの魔導書が全体の九割に達しました」


 その言葉を、静かに受け止めた。


 九割。始めた頃の書庫を思い出した。埃を被ったまま斜めに突き刺さった本、湿気でページが波打った文献、通路を塞ぐように積み上がった本の山。あの光景が、今は整理された棚に変わっている。著者の名前が目録に記され、清書された術式の紙が棚に並んでいる。本たちが、ちゃんと呼吸している。


「九割……! 九割ですよ……!!」


 ハミルトが感極まって、眼鏡をずらしながら崩れ落ちそうになった。


「まだ一割あるよ、ハミルト館長」


「……そうですね」


 ハミルトが深呼吸して立ち直った。この立ち直りの速さも、最初の頃より上がってきた。


「残りの一割は、古代語の用途不明系と、エレナさんが取り組んでいる上級術式系の最後の数冊と……禁書エリアだね」


「はい。オーウェン先生との解読も、だいぶ進んできていますので、用途不明系はもうすぐ整理に入れると思います。エレナ様の封印解析も、残り三冊になりました」


「じゃあ、禁書エリア以外はもうすぐ終わるね」


 その見通しが立った時、書庫の空気が少しだけ変わった気がした。エレナが「もうすぐ……!」と目を輝かせ、リディアが「……長かったですね」と静かに言った。セリスは何も言わなかったが、目録を胸に抱えながら、書庫を静かに見渡していた。


 ◇


 午前の作業が一段落した頃、ハミルトが少し真剣な顔でアルスに話しかけてきた。


「アルス様、整理が完了した後のことについて、一つご相談があります」


「どうぞ」


「次の館長について、です」


 応接室に移動して、ハミルトがお茶を一口飲んでから話し始めた。


「私はこの図書館の館長として、整理が完成した後もここを守り続けたいと思っています。しかし……正直に申し上げると、私には本の内容を深く理解する力がありません。どの本が何を伝えているか、どの術式が本質に近いか、そういうことを判断できる人間ではない」


「うん」


「整理された知識を正しく届けるためには、私より適した人間が必要だと思っています。顔として立ち、本の価値を正しく伝えられる人間が」


「誰のことを考えているの?」


「セリスさんです」


 ハミルトが、迷いなく答えた。


「私が初めてセリスさんに会った時、彼女はすでに本への深い愛情を持っていました。長い年月、澱みの中でも本を守り続けてきた。祖父の研究書が解放されてから、彼女の本との向き合い方がさらに変わって……今の彼女なら、この図書館を正しく守れると思います」


「館長は、あなたが続けなくていいの?」


「私は……支える側の人間だと思っているんです。表に立つより、裏で整えることが得意で。来客の対応、外部との交渉、日々の運営を回すこと。それはこれからも続けたいのですが、この図書館の顔として立つのは、セリスさんの方がふさわしいと」


 ハミルトの言葉に、迷いがなかった。自分の役割を正確に把握した上で、より適した人間を推薦している。情報の澱みがない、誠実な提案だった。


「セリスさんに話してみるよ」


「……よろしくお願いします」


 ハミルトが深く頭を下げた。


 ◇


 セリスを書庫の隅に呼んで、ハミルトの提案を伝えた。


 セリスがしばらく、動かなかった。


「……え?」


「次の館長に、セリスさんがどうかという話」


「館長……私が、ですか?」


「うん。どう思う?」


 セリスが目録を両手で持ったまま、少しの間だけ目を伏せた。脳内で何かを整理しているのだろう。それから顔を上げて、静かに言った。


「……私には、まだ早いかもしれません。アルス様がいてくださるから今の作業ができているので。私一人では、まだ」


「でも、整理が終わった後の図書館を守るのはセリスさんだよ。僕は次の場所へ行くから」


「……次の場所」


 セリスがその言葉を繰り返した。頭ではわかっていたことだろう。でも、改めて言葉にされると、何かが実感として降りてくるらしかった。その目が、少しだけ揺れた。


 書庫の棚を見渡した。整理された術式の紙が並ぶ棚、目録に丁寧に記された著者の名前、清書されて誰でも辿れる形になった知識たち。この場所が今の形になるまでの時間が、セリスの目の中で流れているように見えた。


「……この場所を、守り続けることが私の本質なのかもしれません」


 セリスが静かに言った。独り言のようでもあり、答えを出した瞬間の言葉のようでもあった。


 それから、アルスを真っ直ぐに見た。


「……わかりました。引き受けます。ただし、一つだけ条件があります」


「どんな条件?」


「アルス様が旅から帰ってきた時、ここが変わらずにあること。どこへ行っても、帰ってくる場所があること。それを守れるように館長になります」


「うん、ちゃんと帰ってくるよ」


「……約束ですよ」


 セリスが静かに、しかしはっきりと言った。その目が、穏やかで、でも一点の揺るぎもない色をしていた。


 ◇


 その話をエレナとリディアに伝えると、二人の反応は少し違った。


 リディアが「師匠にも報告します。ゼノス師匠なら喜ぶと思うので」と静かに言った。ゼノスがこの図書館の整理にどれだけ関わってきたか、それをリディアは誰より近くで見ていた。


 エレナがしばらく黙ってから、「……私も一つだけいいですか」と言った。


「どうぞ」


「セリスが館長になるなら……私、安心して旅についていけるわ。この図書館はセリスが守ってくれるから。どこへ行っても、ここは大丈夫だと思えるから」


 セリスが「……エレナ様」と少し驚いた顔をした。エレナが「……言っておきたかっただけよ」と視線を逸らした。その横顔が、いつもの熱烈な好意とは少し違う、ただ素直な気持ちを言葉にした時の顔だった。


 ハミルトがその様子を見て「皆さん……! この図書館がこんなに素晴らしい形になるなんて……!」と泣き崩れそうになった。セリスが「館長、まだ整理が終わっていませんから」と静かに制すると、ハミルトが「そうですね……! 泣くのは後で……!」と立ち直った。


 ◇


 夕方、作業を終えて書庫を出る前に、棚を一度見渡した。


 整理が終わったら、この場所はセリスが守る。ハミルトが裏で支え、リディアが術式の実証を続け、エレナが封印解析の知識で助ける。この図書館を作り上げてきた人たちが、それぞれの形でここに残る。


 自分は次の場所へ行く。


 そのことが、今日ようやく、はっきりとした一本道として見えた。図書館の整理、セリスへの引き継ぎ、そして禁書エリア。その後、ヴァルナへ。まだやることが積み上がっているが、順番が見えているから、焦りはない。


(あとは、禁書エリアだ)


 その言葉が、脳内で静かに灯った。


 白亜の書庫が、夕暮れの光の中で穏やかに輝いていた。本たちが、それぞれの棚の中で、静かに呼吸していた。

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