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虚飾まみれの魔導書の世界をスッキリさせます。〜整理の天才児による、澱みゼロの最短魔術ライフ〜  作者: 寝不足魔王


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第40話:禁書エリアの扉と、百年の声


 朝、オーウェンからの手紙が届いた。


 封を開けると、いつもの几帳面な文字が便箋いっぱいに並んでいた。ただし、最初の一文だけが、他より少し大きく書かれていた。


『全ての記号の意味が、わかった』


 その一文を読んで、脳内で何かが静かに動いた。古代語の体系が完全に解読された。用途不明系の記号が何を意味するのか、これで全部わかる。禁書エリアへの最後の鍵が、手の中に揃った。


 手紙を置いて、書庫へ向かった。


 午前中、エレナが上級術式系の最後の一冊に向き合っていた。


 その封印は、これまでの中で最も複雑に絡まったものだった。エレナが朝から黙って取り組み、昼を過ぎ、午後になっても続けていた。僕は別の作業をしながら、時折エレナの様子を確かめていた。


 夕方に近い頃、エレナが静かに言った。


「……終わったわ。禁書エリア以外は、全部終わった」


 書庫に静寂が流れた。


 エレナの声が、いつもの熱量を持っていなかった。長い時間をかけて積み上げてきたものが、今日一つの区切りに達した人間の、静かな声だった。セリスが目録を胸に抱えて、書庫を見渡した。リディアが実証記録を閉じた。ハミルトが眼鏡をずらしながら、口を開きかけて、また閉じた。


 その静けさの中に、脳内でルナミスの声が響いてきた。


 いつもの賑やかな声ではなかった。


(アルス、準備が整ったわ。今日が、その日よ)


(わかった)


(……怖い?)


 ルナミスが珍しく、そう聞いてきた。


(怖くはないよ。もったいないから、ちゃんと届けたい)


(……そうね。あなたらしいわ)


 それだけ言って、静かに消えていった。


 書庫の全員を見渡した。


「今日、禁書エリアに向き合おうと思う」


 エレナが「私も一緒に行くわ。封印の補助ができる」と即座に言った。ゼノスに連絡を取ろうとしたところで、書庫の入り口に人の気配がした。


「呼ぶと思っていた」


 ゼノスが、いつもの重厚な法衣を纏って立っていた。リディアから連絡が行っていたのだろう。その顔が、いつもの穏やかな表情の下に、静かな緊張を宿していた。


「セリスさん、ハミルト館長、リディアさんは書庫の外で待っていてほしい。何かあった時に、外から対応できる人が必要だから」


 三人が頷いた。セリスが「……気をつけてください」と静かに言った。ハミルトが何か言いかけて、「行ってらっしゃいませ」とだけ言った。リディアが「師匠、アルス様をよろしくお願いします」とゼノスに告げた。


 三人を書庫の外に残して、アルスとエレナとゼノスの三人で、書庫の奥へと向かった。


 ◇


 禁書エリアの柵の前に立った。


 何度もここまで来て、立ち止まってきた場所だ。今日は違う。ルナミスが「準備が整った」と言った。古代語の解読が終わった。エレナとゼノスが隣にいる。


 ゼノスが柵を見て、静かに言った。


「……百年越しだな」


「そうだね」


「百年前の人間が封印して、百年後にお前が開ける。……どういう縁なのかわからないが、こういうことは偶然では起きない」


 エレナが「私が外層の封印を解析します。アルスくんは中の情報に集中して。ゼノス様は私の術式の安定を」と告げた。ゼノスが「わかった」と短く答えた。


 エレナが封印の外層に手をかざし、丁寧に解き始めた。複雑に絡まった術式の糸を、一本ずつ慎重にほぐしていく。ゼノスがその横で、エレナの術式が安定するよう静かに補助していた。二人の動きが、長い年月をかけて積み上げてきた経験の重さを感じさせた。


 やがて、柵が静かに開いた。


 ◇


 禁書エリアに足を踏み入れた瞬間、気配が変わった。


 恐ろしいわけではない。他の書庫の区画とも違う。最初にこの柵の前に立った時に感じた「触れてはいけない重さ」は、今日は感じなかった。代わりに、もっと別の何かがあった。


 やっと来てくれた、という気配に近かった。


「……待っていたんだね」


 思わず声に出ていた。エレナが「……アルスくん」と小声で言った。ゼノスは何も言わずに、静かに辺りを見渡していた。


 棚に並ぶ本たちは、他の区画のものとは明らかに違う。でも、それは危険な気配ではなく、長い時間をかけて待ち続けてきたものの、静かな存在感だった。


 一冊を手に取った。


 表紙を開くと、見慣れた文字と、見慣れない記号が混在していた。現代語と古代語が、一つの記述の中に並んでいる。オーウェンの解読があれば、古代語の部分もわかる。


 脳内で丁寧に読み解き始めた。


 著者の思考の軌跡を辿っていく。不純物を探そうとして、気づいた。この著者の記述には、澱みがほとんどない。長い年月、誰にも読まれなかった本なのに、書かれた言葉が驚くほど真っ直ぐだった。整理する必要が、ほとんどないほどに。


(この著者……整理のことを、知っていた)


 さらに読み進めると、一節が目に入った。


「魔法の本質はシンプルである。難解さを積み重ねることは、本質への道を遠ざけるだけだ。私はこの真理を次の世代に届けたかったが、時代がそれを許さなかった。だから封印する。いつか、この真理を理解できる者が現れた時のために」


 脳内で、何かが静かに揺れた。


 百年前の著者が、次の世代のために残していた。「この真理を理解できる者」が来るまで、待っていた。その「次の世代」が、自分だったということか。


 「もったいない」という言葉が来るより先に、別の感情が胸に広がった。うまく言葉にできない。ただ、この本を手に持っている手に、じわじわと熱が伝わってくる気がした。


 ◇


 著者の記述を丁寧に読み解いていった。


 古代語の部分は、オーウェンの解読を使いながら理解していく。現代語と古代語が互いを補い合いながら、一つの理論を作り上げていた。著者は古代語と現代語の両方を使うことで、言語の違いを超えて本質を記録しようとしていた。


 そして、これまでの整理された術式よりも、さらに深い記述があった。


 「火を起こすイメージ」よりも前の段階。現象が生まれる、その一歩手前。魔力が現象に変わる、その境界線の記述だった。著者はその境界線を、言葉と古代語の記号の両方で、丁寧に記録していた。


 脳内で組み立てていく。これまでの整理の工程と同じように、本質を辿り、最短の形を見つけていく。でも今日は、見えてくるものの深さが違った。現象が生まれる手前の、純粋な可能性の形が、脳内に浮かび上がってくる。


 指先に意識を集中させ、最小の実証を試みた。


 これまでとは全く違う感覚が、指先に宿った。


 炎でも、風でも、水でもない。それらが生まれる前の、純粋な可能性だけが、指先に静かに灯った。


「……っ」


 ゼノスが息を呑んだ。


「これは……魔法の、起源……?」


 エレナが小さく呟いた。その声が、震えていた。


 その光は、すぐに消えた。でも確かに、そこにあった。百年前の著者が辿り着いていた場所の端を、今日初めて触れた。


 羽ペンを手に取り、清書を始めた。


 著者の発見を、誰でも辿れる形に記していく。これまでと同じ工程で、でもこれまでで一番、丁寧に。


 清書が終わると、著者欄に百年前の名前を記した。


「ちゃんと届けるよ」


 心の中で、静かにそう言った。


 ◇


 その時、書庫に柔らかい光が差し込んできた。


 黄金の光ではなく、夕暮れの光に似た、穏やかな温かさのある光だった。その中に、ルナミスが静かに現れた。前回の降臨とは違う。派手さも、威厳も、緊張もない。ただ、静かに、そこに立っていた。


「……届いたわね」


「うん」


「この方が待ち望んでいた人が、あなただったのよ。私には最初からわかっていたわ」


「だから転生させたの?」


 ルナミスが少し間を置いた。


「……それは、整理しなくていい話よ」


 アルスが少し驚いて、顔を上げた。


「あなたから教わったの、その言葉。整理しなくていいものがある、って」


 ルナミスが静かに笑った。いつもの、装飾過多な賑やかさではない。ただ穏やかな、本音の笑顔だった。


 柔らかい光が消えた。書庫に夕暮れの静けさが戻ってきた。


 ゼノスが「……行くか」と静かに言った。エレナが「……ええ」と答えた。三人で禁書エリアを出た。


 ◇


 書庫の外で、セリスとリディアとハミルトが待っていた。


 三人が、アルスの顔を見た。


「……終わりましたか」


 セリスが静かに聞いた。


「うん、ちゃんと届いたよ」


 セリスが静かに頷いた。その目が、潤んでいるのか、夕暮れの光を反射しているのか、わからなかった。


「師匠に報告します」とリディアが言った。「美しかったわ、アルスくん」とエレナが静かに言った。


 ハミルトが、眼鏡を外して目元を拭った。それから「これで……これで、図書館の整理が……!」と言いかけて、言葉が続かなくなった。泣き崩れそうなのを、必死に堪えている。


「まだ返還式があるよ、ハミルト館長」


「……そうですね……! 泣くのは返還式の後で……!」


 ハミルトが、震える声で言った。


 書庫に夕暮れの光が差し込んでいた。整理された棚が、その光を柔らかく受けて輝いている。本たちが、それぞれの場所で静かに呼吸していた。


 これで、図書館の整理が完了した。


 その実感が、静かに、確かに広がっていった。

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