第10話:虚飾の重鎮と、三分間の澱み
王都ルミナスから届いた招待状は、漆黒の羊皮紙に分厚い金箔が施された、それ自体が虚飾の塊のような重厚なものだった。
母リーサの友人である熟練魔法使いのエレナさんが、僕の「十枚の紙」を携えて王都へ戻ってから数日。彼女が魔術師団に投じた一石は、波紋どころか巨大な津波となって、この国の最高権威を動かしたのだ。
父カイルと母さんに連れられ、僕は初めて王都の土を踏んだ。馬車が王宮の正門をくぐると、そこには既にエレナさんの姿があった。
「アルスくん! 待っていたわ、本当によく来てくれたわね。道中に澱みはなかった? 旅の疲れという不純物が君を蝕んでいないかしら」
エレナさんは、僕の顔を見るなり駆け寄り、甲斐甲斐しく僕の服の埃を払い、髪の乱れを整え始めた。かつての凛とした熟練魔法使いの面影はどこへやら、今の彼女は僕という「純度」を守る守護者のような、切実すぎる敬愛の眼差しを向けてくる。
そんな彼女に案内され、僕たちは実演の会場である大広間へと向かった。
見上げる王宮は、天を突くような尖塔が幾重にも重なり、壁面には実用性のない精緻な彫刻がこれでもかと彫り込まれている。
「……もったいないな」
僕は思わず、小さく声を漏らした。
これだけの石材と工数があれば、もっと多くの人が快適に暮らせる住居を効率的に作れたはずだ。装飾という名の不純物が、本来の「建物」としての機能を覆い隠してしまっている。
案内される廊下も、無駄に長く、入り組んでいた。目的地へ至るための最短ルートを阻むノイズの山に、僕は整理のプロとして生理的なムズムズを感じていた。
大広間の重い扉が開くと、そこには「王立至高魔導師団」の重鎮たちが雛壇のように居並んでいた。
中央に座る団長バルトの隣で、ひときわ肥大化した法衣を纏った老魔術師が、僕を一瞥して鼻で笑った。重鎮、ゼノス。彼の手元にある「秘伝の魔導書」は、宝石や金細工で過剰にデコレーションされ、肝心の記述が見えにくくなっている。
「ほう。これがエレナの言っていた『整理の神童』かね。鼻を啜る音さえ魔法の構成要素だと知らない、無知な赤子にしか見えんが」
ゼノスは壇上の中央へと歩み出ると、広間全体に響き渡る朗々とした声で、彼がいかにして自身の秘伝を編み出したかという、情報の澱みに満ちた講釈を始めた。
「諸君、耳を傾けよ! 我が至高の術式『紅蓮の審判』は、私が若かりし頃、不毛の砂漠で断食修行をすること十二年、絶望の果てに精霊の囁きを捉えて構築した、知の結晶である! 喉を焼く渇きに耐え、己の血を魔力に変えて捧げたあの日々……。この術式を安定させるためには、七つの基本詠唱に加え、精神を研ぎ澄ますための十四の補助旋律、そして魔力の脈動を一時的に停止させる特殊な呼吸法を、寸分の狂いもなく噛み合わさねばならん! わずかな迷いも許されぬ、まさに魂を削り取って紡ぐ、苦行の極致こそがこの魔法なのだ!」
ゼノスの自慢話は、三十分を超えても終わる気配がない。彼がいかに苦労して古文書を漁り、どれほど複雑な計算を羊皮紙の山に書き連ね、どれだけの魔術師がその難解さに挫折してきたか。その物語は、聞いているだけで肩が凝るような、不要な情緒と虚飾にまみれていた。周囲の魔術師たちは、その「苦行の量」に感嘆の吐息を漏らしている。
僕は壇下の席で、彼が自慢げに掲げている魔導書を静かに、誠実に見つめた。
(魔力の脈動を一時的に停止させる……? それは単に、術式の構成が複雑すぎて魔力が迷子になっているから、無理やり抑え込もうとしているだけじゃないかな。魔力の中心を少しずらすだけで、そんな呼吸法はいらなくなるのに)
僕は脳内で、彼が語る冗長な物語をバッサリと仕分けていった。術式の核となる部分は、わずか数行。そこに至るまでの数百行の記述は、すべて伝統という名の装飾に過ぎない。僕は脳内の機能的なデスクの上で、その秘伝を、一切の迷いのない最短の術式へと再構成し終えた。
「……さあ、刮目せよ! 天に集いし熱き息吹よ、我が血脈の叫びに応じ、紅蓮の劫火となりて敵を討て――!」
ゼノスはようやく話を終えると、重厚なポーズを決め、朗々と長い詠唱を開始した。大広間に魔力の高まりという名の不純なノイズが満ちていく。
その詠唱の最中、僕はトコトコと歩み寄り、ゼノスの真横に並んだ。
魔導具にそっと手をかざし、不純物を削ぎ落とした最短の術式を脳裏に描く。
魔力の中心を少しずらす。ただ、それだけ。
シュッ。
ゼノスの詠唱がまだ序盤に差し掛かったその瞬間、一点の濁りもない純粋な火柱が、真っ直ぐに大広間の標的を一瞬で消滅させた。一切の爆音も、無駄な閃光もない、完璧な現象の具現。
「な……ッ!? い、今、私の……『紅蓮の審判』が……? 詠唱も、儀式もなしに……完成したというのか!?」
詠唱を中断させられたゼノスが、顔面を蒼白にして、標的のあった虚空と僕の手元を何度も見比べ、ガタガタと震え出した。広間全体に、心臓の音が聞こえるほどの戦慄が走る。
居並ぶ「至高魔導師団」の面々も、その「出来てしまった」という事実の前に、言葉を失っていた。ある者は椅子から転げ落ち、自分たちが信じてきた百年の重みが、七歳の子供の「一秒」に完敗した現実を突きつけられ、深い沈黙の中で現実との距離を見失っていた。彼らの大人の余裕は、今、跡形もなく崩れ去ったのだ。
僕は、呆然と固まるおじさんを誠実に見つめ直し、静かに首を傾げた。
「……出来たよ?」
その一言が落ちた直後。
「ああ……! なんて、なんて美しいのアルスくん!」
張り詰めた静寂を破り、エレナさんが弾かれたように駆け寄ってきた。彼女は大人の余裕を微塵も感じさせない熱量で、僕を力いっぱい抱きしめた。
「今の……いいえ、一瞬の煌めき! 虚飾をすべて焼き払い、真理だけを射抜くその姿! やはり私の惚れ込んだ純度は本物だったわ!」
エレナさんの切実な好意が全身から溢れ出し、僕の頬に彼女の熱い吐息がかかる。
抱きしめられた僕は、予想以上の密着と熱量に驚き、耳を真っ赤に染めた。
壇上では、ゼノスが「私の……十二年が……」と呟きながら、ゆっくりとその場に崩れ落ちていた。




