↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺が本気で愛されているわけがない 〜四人分の食卓と、十年越しの恋〜  作者: バカヤロウ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/23

第6章 お父さんのいない一日


 土曜日の朝、午前八時半。  日菜子の背負う通学用デイパックの中には、氷を入れたステンレス水筒が一本と、折り畳み傘、それに文化祭の広報ポスターの原画が入った分厚い画用紙用の特大紙袋が、斜めに無理やり突っ込まれていた。


「お昼はどうするんだ?」 「学校の近くのパン屋さんかコンビニで適当に買って食べる」 「何人で食べる予定なんだ?」 「まだ分からないってば。美術室に残ってる人と適当に」 「帰りは何時くらいになりそうなんだ」 「お父さん、小学生の遠足じゃないんだから。質問攻めにしないでよ」


 ピシャリと言われて、俺は苦笑いしながら口を閉じた。  玄関の三和土に立った日菜子は、壁に手をつき、二本指でローファーのかかとを器用に引き上げている。いつの間にか、俺が靴べらを渡さなくても、自分の力でスムーズに外へ出ていけるようになっていた。  夏休みの真っただ中だが、高校の文化祭実行委員と美術部の展示担当は、今日のように休日返上で教室に集まって作業する日が決められているのだという。明美ちゃんも同じ係で学校へ向かう手筈になっていた。


「夕飯は、ちゃんと家で食べるからね」 「分かった。もし遅くなる時は、あらかじめ連絡しろよ」 「はいはい」


 少しぶっきらぼうな返事をして、日菜子は古びたアルミドアを押し開けた。  ちょうど外の廊下まで迎えに来ていた明美ちゃんが、俺の姿を認めてペコリと深々と頭を下げる。


「海斗さん、おはようございます。日菜子ちゃん、お借りしますね」 「おはよう、明美ちゃん。二人とも、熱中症に気をつけてな」


 それだけで二人を見送った。  外階段をトントンと降りていく途中、手すりの隙間から日菜子が一度だけ、何かを確かめるように振り返ったのが見えた。


 バタンとドアが閉まり、チェーンがチャリンと音を立てる。  静まり返った部屋に残されていたのは、俺が一人で食べた納豆ご飯と味噌汁の、底が乾きかけた茶碗だけだった。


 台所で皿を洗い、洗濯機を回し、浴室のタイルの目地をブラシで擦った。  日菜子の部屋のドアはぴったりと閉ざされている。普段なら掃除機をかけるところだが、「私の部屋は散らかってても私の領分だから、勝手に入らないで」と釘を刺されていたのを思い出し、ノズルを引っ込めた。子どもの成長とともに、親が立ち入ってはならないテリトリーが、家の中に少しずつ増えていく。


 ベランダの物干し竿にシャツやタオルを干し終えて居間に戻っても、柱時計の針はまだ十時半を指したばかりだった。


 こんな時間、こんな休日に、一人きりで家にいるのは何年ぶりだろう。  平日は娘がいなくても俺自身が会社で忙殺されている。休日は休日で、日菜子が友達と出かける予定に合わせて、一週間分の食材の買い出しや布団干し、細々とした家事のスケジュールを隙間なく詰め込んできた。  今日のように、目の前にぽっかりと何の予定もない「空白」が投げ出されると、自分がどうやって息を吸って時間を過ごせばいいのか、やり方を完全に忘れてしまっていることに気づかされる。


 台所の戸棚を開けてみたが、特に取るものもない。冷蔵庫を開けても、冷えた麦茶のポットと昨日の残りの豆腐が鎮座しているだけで、昼飯を食べるにはまだ早すぎる。  テレビをつけると、旅番組でタレントが海沿いの街の海鮮丼を大袈裟に絶賛していた。画面いっぱいに映る三人前のウニとイクラの丼を見ていたら、それだけで胃袋がずっしりと重くなった。  携帯電話を開いて今日の午後の降水確率を調べ、さっき干した洗濯物が夕方までちゃんと乾くことを再確認する。日菜子に「昼飯代足りてるか?」とLINEを送ろうとして、今朝の玄関で千円札を渡したばかりだったと思い出し、指を止めた。


 スマートフォンをちゃぶ台の上に伏せた、ちょうどその瞬間だった。  けたたましい着信音が鳴り響いた。


『海斗? 家にいるかい?』


 受話器の向こうから聞こえてきたのは、実家の母・裕子の、張りのある甲高い声だった。


『今ね、お父さんと近くのデパートまでお中元の買い物に来てるのよ。ちょっとそっちに寄ってもいいかしら』 「寄るのはいいけど、日菜子は学校の文化祭の準備で夕方までいないぞ」 『あら、そうなの。まあいいわ、あんたがいれば預けられるからね』


 何を預けるのか尋ねる暇もなく、通話は一方的にブツリと切れた。


 十五分後、母は汗をハンカチで拭きながら、大きな紙袋を抱えてアパートの玄関に現れた。  今年で六十七歳になるはずだが、背筋もしっかり伸びていて、週末の俺よりもよほど足取りが軽い。


「暑いねえ、ここは相変わらず風通しが悪いね。冷たい麦茶あるかい?」 「今出すよ。上がってくれ。……で、その大荷物は何なんだよ」 「写真だよ。押し入れの天袋を片付けてたら、昔のアルバムの束が出てきてねえ」


 母が紙袋から取り出したのは、角が擦り切れて破れ、茶色く変色した輪ゴムで二重に留められた古い紙箱だった。街の古いDPE現像チェーンのロゴが印刷されている。


「先に言っておくけど、全部うちに置いていかれても置く場所がないぞ」 「分かってるわよ。日菜子が生まれてから小学校に上がるまでの分だけ。あんたの中学や高校の時の坊主頭の写真も欲しいなら、いくらでも持ってきてあげるけど?」 「それは実家で永久に封印しておいてくれ」


 母はカカカと笑い、畳の上にどっかと腰を下ろして箱のフタを開けた。


 一番上に入っていたのは、まだ生後半年ほどの、母の腕に抱かれた小さな日菜子のスナップ写真だった。産毛のような柔らかい髪が、頭のてっぺんで一本だけピント立っている。  次の写真では、一歳半を過ぎた日菜子の髪をどうにか結ぼうとしたらしく、左右でまったく高さの違う位置に、小さな赤いゴムと黄色いゴムが不恰好に留められていた。


「これ……俺が結んだやつか?」 「そうだよ。あんた、指先が不器用なくせに『日菜子の髪は俺が結ぶ』ってきかなくてねえ。右が高くて左が低いから、まるでピエロみたいだって笑ったんだよ」 「母さんがやったって、暴れる子ども相手ならこうなるだろ」 「私は写真を撮る前にちゃんと直すよ。あんたは面白がってそのまま撮るから記録に残るんじゃないか」


 さらにページをめくると、アパートの台所で、フライパンを握りしめた若き日の俺の姿があった。  二十二歳かそこらだろう。今よりずっと痩せていて、肩に色あせたタオルを引っ掛け、目の下には濃い隈が張り付いている。片手で四角い卵焼き器を持ち、真剣な目つきで中身を睨みつけていた。


「これ、何で母さんが撮ったんだよ」 「あんまりにも珍しい、黒焦げの炭を作っていたからだよ」


 写真の中の卵焼き器に入っていたのは、黄色い卵焼きではなく、外側が真っ黒に炭化して無残にひび割れた黒い塊だった。


 妻が出て行った直後のことだ。  二歳の日菜子が少しでも栄養のあるものを食べてくれるようにと、仕事から帰ると毎晩のように卵を焼いた。弱火でじっくり火を通せばいいと母から電話で教わっても、泣きぐずる娘を前にすると気が急いて、早く火を通そうと強火にしてしまい、いつも表面だけを真っ黒に焦がしてしまっていた。


「日菜子、これ全然食べなかったよな」 「当たり前じゃないか、苦くて食べられたもんじゃないよ。私も一切れ口に入れてすぐ吐き出したわ」 「そこは、息子を慰める嘘でもついてくれよ」 「慰めたって、焦げた卵は元に戻らないからね」


 母は冷たい麦茶を喉を鳴らして飲み干し、畳の上に別の写真を並べた。  近所の公園の砂場で、母と日菜子がプラスチックのスコップを持って泥だらけになっている写真。小さな日菜子が、買ってもらったばかりのピンク色のスニーカーを誇らしげにカメラへ突き出している写真。


 そういえば、靴も服も、季節が変わるたびに母が買って送ってくれたのだった。仕事中に職場へ電話がかかってきて、「日菜子の足のサイズは今何センチだい? すぐ測っておくれ」と急かされた記憶が、胸の奥から蘇ってくる。


「……ずいぶん、母さんにも預かってもらってたんだな」 「そうだよ。あんたが残業の時も、休日出勤の時もね。でも、あの子も高校生になったら全然実家に顔を出してくれなくなっちゃってさ」 「年頃の女子高生だからな。部活もあるし、友達との付き合いもあるし」 「知ってるよ。私だって、もう毎週公園で砂遊びに付き合う体力なんて残ってないしね」


 母は自分の膝をポンと叩いた。


 俺は二十一歳で突然、娘と二人きりになった。  あの頃は、毎日の朝食と夕飯を並べ、保育園へ送り迎えし、熱を出せば夜間診療へ駆け込み、それらすべてを「自分一人の力で何とか回さなければならない」と、まるで敵に囲まれた戦場にいるような気負いで生きていた。  けれど、こうして古いアルバムを広げてみれば、そこには母の手があり、近所のおばちゃんたちの笑顔があり、俺の知らないところで誰かに愛され、守られて育ってきた娘の日常が、確かに存在していたのだ。  俺一人で育て上げたなんて、ずいぶん傲慢で狭量な思い込みだった。


「悪かったな、母さん。あの頃は、ずいぶん無理を言って負担をかけた」 「何言ってんだい。私、無理な日はちゃんと断っただろう?」


 母は空になったグラスを置き、じっと俺の顔を見た。


「あんたはね、昔からそうなんだよ。一度こっちが都合が悪くて断ると、すぐに意固地になって『じゃあ全部自分でやります』って殻に閉じこもる。他の日なら預かれるって言っても、二度と頼んでこなくなるんだから」


 痛いところを突かれて、俺は言葉に詰まった。  一度断られた時の惨めさや申し訳なさに耐えるくらいなら、睡眠時間を削ってでも最初から一人で抱え込んだ方がずっと楽だったのだ。


「今は……霧子さんもいるんだろう?」 「……うん。隣に住んでるから、よく助けてもらってるよ」 「元気にしてるかい、白石さんは」 「仕事が忙しそうだけど、元気だよ。この前の土曜日も、夏野菜のカレーをうちで四人で食べた」


 日曜日に二人で映画を観に行った話は、喉元まで出かかったが、なぜか咄嗟に飲み込んでしまった。母親に話すと、何を勘繰られるか分からなかったからだ。


「そうかい。それなら、今度会ったらよろしく伝えておくれよ。明美ちゃんも良い子に育って、あそこも本当に立派だよ」


 母は写真を二つの山に分け、日菜子に見せる分だけを丁寧に箱の中へ戻した。  昼食は、冷蔵庫の残り野菜と焼きそばの麺を炒めて作った。母がキャベツと豚肉を手早く切り、俺がフライパンで麺をほぐす。皿に盛り付けると、母は自分の皿から大きめの豚肉を箸でつまんで、俺の皿へと戻した。


「肉、多すぎるよ。年寄りにはこんなにいらない」 「昔は『男は肉を食わなきゃ力が出ない』って、俺の皿に山盛りにしてたくせに」 「それはあんたが成長期の頃の話だよ」


 二人で並んで焼きそばを食べながら、母の昔の友人関係や、実家の庭の梅の木の話を聞いた。  午後一時過ぎ、母を駅の改札まで送っていった。照りつける太陽が、アスファルトの道を白く焼き焦がしている。 「日菜子によろしくね」と改札へ消えていく母の背中を見送りながら、俺はふと、日菜子が学校でどんなポスターを描いているのか、具体的なモチーフを一度も聞いていなかったことに気がついた。


 アパートへ戻ると、部屋の中は再び完全な静寂に包まれていた。  テレビをつける気にもなれず、畳の上に大の字になって天井の木目を数える。誰かの気配がない休日というのは、こんなにも時間が経つのが遅いものなのか。


 午後五時半を回った頃、外の階段を駆け上がってくる足音が二つ重なって聞こえ、ガタガタと玄関の鍵が開いた。


「ただいまー! あー、暑かった!」 「お邪魔します、海斗さん」


 日菜子と明美ちゃんが、朝よりも明らかに膨らんだバッグを肩に掛けて戻ってきた。二人の額には汗が光り、首筋には日焼け止めの白い筋が微かに残っていた。


「おかえり。二人とも、無事だったか」 「無事も何も、美術室のエアコンが壊れてて地獄だったよ。おばあちゃん、もう帰っちゃったの?」 「昼過ぎにな。昔の写真の箱、そこに置いていってくれたぞ」 「あ、LINE来てた! あとでゆっくり見よ」


 日菜子は洗面所で手を洗うなり、居間のちゃぶ台の上に大きな画用紙をバサリと広げた。


「お父さん、見て! 文化祭の入り口の案内ポスター、このデザインで本決まりになったの!」


 広げられたB2サイズの画用紙には、朝までの下書きとはまるで違う、洗練された構図が描かれていた。  無駄な飾りが削ぎ落とされ、中央に太く力強い矢印が走り、その脇に明美ちゃんが撮影した校舎のモノクロ写真の切り抜きが、絶妙なバランスで配置されている。


「へえ……これ、日菜子がデザインを考えたのか?」 「うん! 全体のレイアウトは私。でも、写真の配置と余白の取り方は明美がアイデアを出してくれて、案内文のフォントの太さは他のクラスの子がアドバイスしてくれたの。遠くから見ても、どっちへ進めばいいか一目で分かるようにしたんだよ」 「なるほどな。こういうの、専門的に勉強する大学や専門学校もあるんだろうな。日菜子、進路の候補として——」 「お父さん」


 日菜子が、ふっと真顔になって俺の言葉を遮った。  その瞳が、俺の顔を正面からじっと見据えている。


「……ん? どうした」 「まず、今日、私がどれだけ楽しかったかの話を聞いてよ」


 胸を突かれたような衝撃があった。  すぐに学費や将来の就職、費用の計算といった「大人の現実的な段取り」ばかりを先回りして口にしようとしてしまう、俺の悪い癖だった。子どもの純粋な達成感や喜びの感情を受け止める前に、枠組みばかりを整えようとしてしまう。


「……すまない。そうだな、悪かった」


 俺は立ち上がり、冷蔵庫から冷たい麦茶のポットを出して、ガラスのコップに三つ注いだ。ちゃぶ台の上にコップを並べ、正座して娘と向き直る。


「日菜子、どこが一番工夫して、楽しかったんだ? 教えてくれ」


 日菜子は満足そうにふうと息を吐き出すと、画用紙の右下を人差し指でトントンと叩いた。


「ここ。最初はね、写真も文字もきれいに左右対称に並べてたの。でもそれだと、ポスターとしては綺麗だけど、歩いてくる人が直感的にどっちへ行けばいいか迷っちゃうって明美が言ってくれて……」


 説明は、熱を帯びて長く続いた。  途中で明美ちゃんが補足を入れ、二人が顔を見合わせて笑い合う。俺は相槌を打ちながら、ただその生き生きとした表情を見つめていた。俺の知らない学校の美術室で、日菜子は俺の知らない仲間たちと、こんなにも豊かな時間を積み重ねている。


 六時半を過ぎ、明美ちゃんが「そろそろ帰ります」と自分のマンションへ戻っていった。  日菜子は母が置いていった写真の箱を開け、「うわ、私の赤ちゃんの時の顔、お団子みたい!」とゲラゲラ笑いながら、スマートフォンで母にメッセージを打ち始めた。


 俺は台所に立ち、夕飯の支度を始めた。  今夜は手軽に、豚肉と玉ねぎの生姜焼きだ。フライパンに油を引き、タレを絡めた肉を投入してジュウジュウと小気味よい音を立てる。  背後に気配がして振り返ると、日菜子がまな板の前に立ち、包丁で手際よくきゅうりの薄切りをトントンと刻み始めていた。


「お父さん、今日はおばあちゃんが帰ったあと、何してたの?」 「ん? 掃除と洗濯の残りをやって……昼飯のあとに少し畳の上で昼寝して、本屋にでも行こうかと思ったけど、暑いから結局家でゴロゴロしてたよ」 「一人で、映画でも観に行けばよかったのに」 「映画?」 「うん。昨日、明美のお母さんと映画の話で盛り上がってたじゃん」


 日菜子はきゅうりを小鉢に移しながら、何気ない調子で言った。  俺はフライパンの火加減を調節しながら、日曜日の余韻を思い出して言葉を濁した。


「ああ……でも、霧子さんが話していた映画、詳しいタイトルを聞きそびれちゃったからな。近所の劇場でやってるかどうかも分からなかったし」


 その瞬間、日菜子の手がピタリと止まった。  きゅうりを挟んでいた菜箸の先が、小鉢の縁で動かなくなる。


「……お父さん、また霧子さんと二人で行くつもりだったの?」


 低く、どこか湿り気を帯びた声だった。  さっきまでの明るい美術室の話とは、まったく違うトーンだった。


「いや、そういうわけじゃないよ。まだ何も決まってないし、そもそも上映してるかどうかも分からないんだから」


 日菜子は何も言わず、きゅうりの小鉢を両手で持ち上げると、居間のちゃぶ台へと運んでいった。  その背中はピンと強張っていて、向こうを向いた横顔の表情を、俺は伺い知ることができなかった。


 夕飯を終えたあとも、日菜子はどこか口数が少なかった。  ごちそうさまを言うなり自分の部屋へ引っ込み、文化祭のポスターのデータを修正すると言ってドアを閉めてしまった。  俺は居間に残り、会社から持ち帰った月曜日の商談資料と予定表をちゃぶ台に広げた。如月さんから引き継いだ案件の最終確認、宮田さんから頼まれた資材の在庫チェック。やらなければならないタスクをボールペンで書き出していくと、頭の中の雑音を少しだけ追い払うことができた。


 夜の九時半を回った頃、部屋のドアが開き、日菜子がパジャマ姿で台所へ飲み物を取りにやってきた。  冷蔵庫を開け、麦茶をコップに注ぐ。


「お父さん、まだ仕事?」 「いや、月曜の準備だけだ。もう終わるよ」


 日菜子はコップを持ったまま、冷蔵庫のドアをパタンと閉めた。  そして、ちゃぶ台の上の予定表を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「お父さんは……次の日曜日、何か予定あるの?」


 俺が資料から顔を上げると、日菜子は俺と視線を合わせることなく、小さく首を横に振った。


「……ううん。なんでもない。あとでいいや」


 すり足の足音が廊下を渡り、パタンと部屋のドアが閉まる。  居間に一人残された俺は、手元の予定表に視線を戻した。  来週の日曜日の欄は、ボールペンのインクの乗っていない、真っ白な四角形のまま、静かにそこに残されていた。


お読みいただきありがとうございました。

少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価(☆☆☆☆☆)をいただけますと大変励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。