26話 僕は食べられそうになりました
……ん?
なんだかモゾモゾする感覚。
それに、柔らかくて重いものが覆いかぶさっているような気がします。
まだ朝にはなっていないみたいですが、なんでしょうか?
あ、ひょっとしたらシフォンかもしれませんね。
最近は別々に寝ていますが、宿屋暮らしの時は同じ布団で寝ていましたから。
まったくしょうがない子です。
「どうしましたシフォン」
目を瞑ったまま、僕は彼女の頭を撫でてあげます。
……おや?
シフォンはこんなに大きかったでしょうか?
子供は成長が早いと言いますが、それにしても……。
「あ、あの……。私なのですが」
想像したのと違う声が聞こえ、僕は薄っすら目を開けてみます。
すると見えたのは、闇夜の中に溶けそうな青くて長いポニーテール。
少し目尻の垂れた、優しげなお顔。
あ~、そっちでしたかぁ。
これは予想外でした。
「ごめんなさいラシアさん。てっきりシフォンかと」
言いながら起き上がろうとして、おや?
起き上がることが出来ません。
というか、両手を押さえつけられています。
「ラシアさん?」
これはどうしたことでしょう。
添い寝ということであれば、手を押さえる必要はないと思うのですが。
それに、なんだかいつもより瞳に力が篭っています。
「申し訳ありませんがディータ様。私に食べられてくれませんか?」
「え、嫌ですけど?」
何を言い出したのでしょうかこの人は。
食べる? ラシアさんが僕を?
人の肉など、食べても美味しくないでしょうに。
そう思ってお断り申し上げたのですが、即答だったことに何やらショックを受けているご様子。
当たり前だと思うのですが……。
「ど、どうしても駄目ですか? 私には食べられたくないですか?」
ラシアさんにはというか、誰にも食べられたくないでしょう普通。
いや、待ってください。
もしかして、僕の思っている『食べる』と意味が違う可能性があるのではないでしょうか。
だってラシアさん。
食べるとは言いつつ、フォークもナイフも持っておられないようですから。
「……ラシアさん」
「はい」
「食べるとは、パクパク、ムシャムシャ、ゴックンですか?」
「ご、ごっくんっ!? も、もちろんディータ様がそれをお望みなら、どんなことでも致しますありがとうございますっ!」
……意味は間違ってないみたいですね。
となれば、彼女は直接僕に噛み付くつもりなのでしょう。
肩の肉にラシアさんの歯が食い込み、そのままブチッと……。
「やっぱりごめんなさい。痛そうなので許していただけませんか?」
「い、痛い……。初めては確かに痛いと申しますね……。ですが、私のことはお気になさらず」
いや、痛いのは僕なんですが?
それとも、僕の骨が喉に引っかかることでも懸念しているのですか?
骨までバリバリいこうとは、食いしん坊さんですね。
「初めてではありますが、房中術もしっかり仕込まれております。ディータ様は、私に身体をお預けになるだけで大丈夫ですよ?」
防虫術?
突然の虫除け話に、僕の困惑は深まる一方。
今日のラシアさん、さっぱり頭がおかしいです。
……もしや。
「誰かに操られているのですか?」
そうとしか思えません。
するとその証拠に、僕に圧し掛かっていたラシアさんの身体がビクリと狼狽しました。
「やはりそうなのですね?」
「ち、違います! 私の意志です! ですからお願いしますディータ様……お情けを……」
必死に懇願しながら、より一層身体を密着させてくるラシアさん。
しかしおかげで、僕はあることに気付けました。
彼女が着ているのはいつものメイド服ですが、胸の辺りに硬い感触があるのです。
おそらくは……
「僕の命が目的……ですか?」
カッと目を見開き、ラシアさんの動きが固まりました。
瞳は泳ぐように揺れ、ぷりっとした唇がわなわなと震えています。
しかし数秒の後。
ラシアさんの身体からフッと力が抜け、彼女は諦めるように自らの服の中に手を入れたのです。
胸の中から取り出したのはナイフ。
これで僕を殺して調理するつもりだったのでしょう。
「ディータ様にはお見通しなのですね……」
見破られた以上はもう用済みだと、ラシアさんはナイフをベッド脇に放り投げました。
夜の静寂に、カランと乾いた音が響きます。
「もちろん私も、こんなものは最初から使うつもりはありませんでした……。出来ることならこの身体でディータ様を篭絡し、それをもって命令遂行となれば良かったのですが……」
ふふっと寂しげに笑いながら、ラシアさんはようやく僕の手を解放してくれました。
殺すことも食べることも出来ず、魂が抜け落ちてしまったようです。
僕の上から退いてくれたラシアさんは、そのままベッドサイドに腰を下ろしました。
窓から差し込む光に照らされた彼女の横顔は、今にも泣き出しそうなほどです。
だから思わず
「……デ、ディータ様」
僕は後ろから抱きしめてしまったのです。
こちらのほうが小さいので甘えるような格好になりますが、それでも震える背中を放ってなどおけませんでした。
「ラシアさん。いったい何故なんですか? 何か悩んでいるのでしたら、話してみてください」
それに彼女が自分の意志でこのようなことをするとは、到底思えませんでした。
ラシアさんは否定しましたが、やはり誰かに命令されてのことでしょう。
「誰に頼まれたのですか?」
ある程度は予想出来ています。
以前ラシアさんが話してくれましたから。
お城の中での僕は、快く思われていないと。
ならきっと、その誰かなのでしょう。
しかし返ってきた答えは、予想の斜め上でした。
「……始めからです。最初から、私は宰相様の命令でディータ様を監視しておりました」
宰相様?
確か国王様に代わり、実質的に国を動かしている偉い方じゃないですか?
なぜそんな方が、僕なんかを監視しているのでしょう。
「王様も宰相様も、懸念しておられるのですよ。ディータ様が、どんな野心を持たれているかを」
「野心……ですか? しいて言えば、またディアトリさん達と一緒に旅をしたいと、そう考えてはいますけど」
背中から回していた僕の手に手を重ね、ラシアさんは僕に寄りかかるように体重を預けてきました。
ポニーテールが頬にあたって少しくすぐったいです。
「そうですよね。ディータ様に、二心なんてあるわけがない。今までご一緒させて頂いていた私は、良く存じ上げております」
ラシアさんは少しだけ嬉しそうに言ったのですが、その声はすぐに沈みこんでしまいました。
「けれど、上に立つ方々はそう思っては下さらないのです……。イビルデーモンを倒してナティルリア様をお救いした褒美として、ディータ様はメイド付きのこのお屋敷を手に入れましたよね? そのことをどう思いましたか?」
「どうって……家をあげるって何だろう。王族の方の価値観はちょっとおかしいなと、そうは思いましたけど」
「ふふっ。確かに王族の方と私達平民では、価値観が剥離しているでしょうね。それでも、メイド付きで家をまるまる下賜されるなど、やはり特別なことなのです」
ですよね。
良かった。
これが王族の普通だったら、さすがについていけません。
今後のナティとのお付き合いも、考え直さざるを得なかったでしょう。
「でも、それなら何故?」
「見極めるためです。望外の報酬を得た力のある人間が、その後どうするのかを。より一層の忠義を尽くし、国の為に働いて報酬を得ようとするか。それとも手柄を捏造してでも、さらなる報酬を望むのか」
僕の場合どうでしょう?
頂いてはしまいましたが、正直なところ申し訳ないくらいです。
なので更なるなどとは考えもせず、日々を自分の為だけに使っていました。
それが悪かったのでしょうか。
「前者であれば、金や権力で操りやすい手駒に。後者であれば、不和を呼ぶ要注意人物に。そしてディータ様は……」
静かに振り返って、僕を見上げるラシアさん。
その瞳は、酷く悲しげでした。
「秘密裏に始末しなければならないほど、危険な人物と判断されています」
死刑です。
やっぱり王族の方は、死刑を日常茶飯事としているのです。
季語のように、挨拶の端々に死刑を織り交ぜてくる死刑星人なのです。
しかし何故でしょうか。
何故僕は、危険人物と判断されてしまったのでしょうか。
「それは、ディータ様が何も望まれないからです。デビルボアを討伐しても、ケルベロスを討伐してナティルリア様を再度お救いしても、ディータ様は名乗りすらあげませんでした」
「それはそうですけど……」
「王族というのは、疑心暗鬼の塊です。圧倒的な力を持つ人物が圧倒的な手柄を立てているのに、なんの表明もしない。そんなことになれば、何か裏があるのではないか。何か企んでいるのではないか。そう考えてしまう方々なのですよ」
「そ、そんなことは――」
「はい、ありえません。ディータ様がそんな子じゃないことは、私が一番良く知っております」
そしてフワリと抱きしめられてしまいました。
たまに変な抱きしめかたをしてくるラシアさんですが、今は本当に包み込むような優しさだけを感じます。
「私ごときの言葉は彼等の耳には届きません。ナティルリア様がディータ様を庇い立てしても、それは逆効果にしかならないでしょう。つまり、どうしようもないのです」
「じゃ、じゃあどうしたら……?」
「お逃げ下さい。この国から。この大陸から」
月明かりの差し込む部屋で、ラシアさんはそう僕に告げたのでした。




