27話 僕は幸せだったのです
なんだか寝直すような状況ではなくなってしまったので、僕達は一階のリビングでお茶を飲むことにしました。
今後のことも相談したいですしね。
しかし『逃げろ』ですか……。
こちらに永住するつもりはありませんでしたが、追い出されるとも思ってませんでした。
ようやく慣れ始めたところだったので、少なからずショックです。
コトリと音をたて、テーブルにカップが置かれました。
いつものようにラシアさんがお茶を淹れてくれたのです。
それに手を伸ばし、ずずっと一口。
温かな季節とはいえ、夜中は少し冷えますからね。
ぽかぽかと温かいお茶が身体に染み渡っていきます。
「やはり躊躇しないのですねディータ様は」
「僕を食い殺そうとした相手が淹れたお茶なのに……ですか?」
少しだけ意地悪に言ってみましたが、ラシアさんはふふっと目尻を垂らせて微笑みました。
「ディータ様なら、きっとそうだろうとは思っていましたが」
「当然です。ラシアさんが僕に野心などないと言ってくれたように、僕もラシアさんのことは見てきたつもりですから」
確かに彼女は僕を殺せと命じられていたかもしれない。
でも結局そうはしなかったし、監視とはいえ今まで良くしてくれたラシアさんの態度が嘘だとは到底思えないですから。
なので僕は、いつも通りにお茶を啜るのです。
「ありがとうございますディータ様。……それにしても、食い殺そうと、ですか?」
と、何が可笑しかったのか。
ラシアさんは何やら笑い出してしまっていました。
「なんだか話が噛み合わない気はしていましたが、そういうことでしたか」
「……?」
「いえ、いいのです。私が思っていた以上にディータ様は純白だったのですね。まさに穢れなき天使のようで……」
じゅるりと、何故かラシアさんが溢れた涎を手の甲で拭い取っています。
やっぱり僕を美味しく頂きたかったのでしょうか。
ラシアさんは良い人ですし、頼りになるお姉さんという印象は変わりません。
けどちょっとだけ、少しおかしな味覚の人という味付けがされました。
「命令などなくとも襲ってしまいたい欲求に駆られますが……しかしやめておきましょう。これ以上ディータ様に嫌われたくありませんから」
「よく分かりませんけどそうして下さい。あと、別に嫌うとかはないですよ?」
「ありがとうございます」
もう一度ふふっと柔らかな笑みを零し、ラシアさんは自分を落ち着けるようにお茶に口をつけていました。
彼女としても、色々思うところはあるのでしょう。
なんとなく、知りたくないですけど。
さて。
そんなことよりも、これからどうするべきか考えなければいけませんね。
僕がこの大陸から離れることは決定事項だとしても、考えることはたくさんあります。
差しあたってはラシアさんのことでしょうか。
「大丈夫なのですか? 僕を逃がしてしまっても」
そうなのです。
彼女は僕を殺すように命令されています。
それが逃げられましたでは、ごめんなさいで済むとは思えません。
しかしラシアさんは、朗らかに微笑んでいました。
「ご心配ありがとうございます。私は大丈夫ですので後の事はお気になさらず。それよりも、ディータ様はご自分達のことをお考え下さい」
「自分達……あ、そうだ。シフォンを預かってもらうことは出来ませんか?」
ラシアさんがどう大丈夫なのかは分かりません。
でも本人が大丈夫だというなら、きっと大丈夫なのでしょう。
あと問題なのはシフォン。
大陸から脱出となれば、まだ小さなシフォンには多大な負担がかかります。
脱出した先で安定した生活を送れるかも分かりませんし、もしラシアさんが預かってくれるならそれが一番良いと思うのですが……。
「ん~、それは……。シフォン様本人に聞かれてみてはいかがですか?」
少し悪戯っぽいラシアさんの瞳に誘導されて振り向いてみると、そこには枕を胸にかかえたシフォンがいたのでした。
しかも、どうやらご立腹のご様子。
柔らかなほっぺたをぷっくりと膨らませ、眠たいのか半目で僕を睨んでいました。
「……やっ!」
そんなシフォンの口から出たのは否定の言葉でした。
いつから起きていたのか分かりませんが、どうやら話は聞いていたようです。
彼女は置いていかれると思い、拗ねてしまっているのでしょう。
ですが違います。
「シフォン。聞いてください」
「……やぁっ!」
膝立ちになって視線を合わせ、真っ直ぐに彼女と見つめ合います。
シフォンは聞く耳持たずといった風に長い黒髪を振り回していますが、それに構わず僕は説くのです。
「シフォンに必要なのは安全な生活と、しっかりした教育です。残念ながら、僕にはそのどちらも約束できません」
「……やなのっ!」
「ラシアさんとこちらに残れば貴女の安全は保障されるでしょうし、僕よりもしっかりシフォンを育ててくれるんです」
だからシフォンは残るべき。
なにも命を狙われ、大陸を追われてしまうような僕と一緒にいる必要はないのですから。
だというのに、シフォンは聞き分けてくれません。
「お願いですシフォン。僕は、貴女に幸せであって欲しいのです」
「……にぃ、がいいっ! ……にぃが、いないと、ダメなのっ!」
ボフッと投げつけられた枕が、僕の顔面にクリーンヒットでしょうか。
『にぃ』と呼ばれたのは初めてですし、それはとても嬉しいのですが……。
「……やだぁ! ……にぃが、いないの、やだぁっ!!」
僕の言葉を遮るように、シフォンは嫌だ嫌だと叫び続けます。
目から零れ落ちる大粒の涙を拭おうともせず、ただただ泣き叫ぶのです。
どうすることも出来ない僕をよそに、ラシアさんがシフォンの頭をそっと撫で始めました。
「そうですよねシフォン様。ディータ様と一緒が良いですよね」
大声で泣きながらも、コクンコクンと何度も頷くシフォン。
その光景に、思わず僕も貰い泣きしてしまいそうになってきました。
いや、すでに視界が霞んでいます。
だって、そんな風に思ってくれているなんて知らなかったんですから。
本当は、もっと一緒に遊んであげたい。
もっと色々お話してあげたい。
綺麗な服も買ってあげたい。
なのに僕が不甲斐ないせいで、何ひとつまともに与えてあげられていないのです。
でもシフォンは、そんな僕で良い。そんな僕がいれば良いと言ってくれるのですから。
「……シフォン、おいで」
膝立ちのまま手を広げると、とことことシフォンは僕の胸の中へやってきました。
それを優しく抱きしめ、温めてあげます。
想いが伝わるように。
「僕も、本当はシフォンと離れたくないです。……とっても辛い旅になるかもしれませんが、それでも良いんですか?」
「……んっ!!」
涙と鼻水でグシャグシャの顔で。
それでもシフォンは力強く頷いてくれました。
どうやら貰い泣きしたのは僕だけではないようで、ラシアさんからもすすり泣くような声が聞こえてきます。
今、気付きました。
短い間でしたが、ここは僕の。僕達の、本当の家だったんですね。
そう思うと、もう涙を堪えることは出来ません。
『にぃ』と呼んでもらい、しっかりしなきゃいけないのに。
「ありがとうシフォン。ありがとうございますラシアさん」
結局、僕達はしばらくの間、話を進めることも出来ずに泣き続けたのでした。
……。
泣き疲れたのか、再び眠ってしまったシフォンをソファに横たえ。
僕とラシアさんは、これからの話を再開することにしました。
といっても、シフォンと二人で旅立つことは決定。
あとは、いつ出発するかくらいのものです。
「なるべく早いほうが良いですね。遅くとも明日。出来れば今日これからにでも」
ラシアさんが僕を殺していないとなれば、お城から追っ手が来る可能性が高い。
それにナティが目覚めて動けるようになると、色々話がややこしくなるのだそうです。
確かにその通りですね。
なら、今からすぐでも……あ。
「すいませんラシアさん。最後にご挨拶したい方がいるので、少しだけ待っていただいて良いですかね?」
「ご挨拶……ですか?」
忘れていた……わけではないですよ?
ちょっとバタバタしていて、頭の片隅に追いやっていただけです。
そう、ミントさんのことを。
僕は彼女と約束しました。
一緒に遊び人スキルを研究すると。
しかしこうなってしまっては、その約束も果たすことが出来ません。
ならば黙って行くよりも、謝罪を兼ねてお別れを伝えるべきでしょう。
「分かりました。でも、なるべくお早めにお願いしますね?」
「承知してます。あ、それから、これをナティに返しておいていただけませんか?」
そして最後の心残りはナティから頂いた指輪です。
今回はこれのおかげで彼女を救うことが出来ましたが、やっぱり僕が持っていて良いものではないでしょう。
そう思ったのですが、ラシアさんは首を横に振りました。
「それを私がナティルリア様にお返ししたら、私が怒られてしまいます。どうかそのままディータ様がお持ちになっていて下さい。きっとそれは、ディータ様とナティルリア様を繋ぐ大切な物ですから」
そうでしょうか? ……そうですね。
少し前の僕なら、それでもと返そうとしたでしょう。
ですが今は、僕も持っていたいと思ったのです。
ナティとの想い出を。
こうして話し合いは終わり、僕達の今後の行動が決まりました。
窓から見える景色は空が白み始め、もうすぐ朝がやってきます。
恐らくは、この大陸で迎える最後の朝が。




