聖女ってなに? 1
それから数日、クリスタは2回の戦闘に参加し聖女としての役割を果たした。といっても、最初の1回は貧血を起こし倒れている。基本的に安全な後方の本陣で、負傷者に光を当て治すというやり方だったが、どうにも現代日本人、血が怖いし傷を見ることすら痛そうで怖いのだ。そんななのに負傷者は1度の戦闘で何人も代わる代わる運ばれてくる。クリスタは必死で直視しないようにしながら何とか光を当て続けたが、初めての戦場では最終的に貧血を起こして倒れてしまった。2回目の戦闘でも、半泣きになりながら隊員のちぎれかけた腕に光を当てた。
クリスタは、戦闘というものを直視できなかった。なので自分の聖女の力を信じて、後半はほぼ機械のように光を当て続けた。
隊員達は、それでも聖女の力をありがたがったし、何度も礼を言った。
「ありがとう聖女様」
「あなたのお陰で生きている」
そんな言葉を聞く度に、クリスタは満たされた気がして前を向いて、笑顔を見せた。
クリスタは戦場で何度も自分に言い聞かせた。自分には聖女の力がある、みんなを救ってあげなければ、と。テオドールは戦闘が終わるといつも声をかけに来たし、一緒に食事もした。彼を救ったように、みんなを救おうと思った。思ったけれど、手は震えたし傷口を見ようとはしなかった。
そんな2度目の戦闘を、聖女の力で勝利した夜。食堂にはいつもより多くの隊員が集まり木のテーブルを各々囲っていた。6人1組程度の大きさのテーブルの、クリスタの隣にはテオドール、正面にはジール、その隣には女性隊員とシュウが座り、各々食事を取る。勝利のあと、しかも負傷者も聖女の力でいない。食堂はざわざわと賑やかで、オレンジ色のランプが揺らめいている。クリスタは、「当たり前だけど、攻略対象の食事風景を生で見てるんだなぁ」とぼんやり思っていた。帰還したあと少しベッドで休んだが、まだ疲労が残っているのだろう。
「クリスタが来てくれて本当に良かったよ!お陰で今日も、誰も死んでいない!」
子犬のような笑みでテオドールが言う。口の端に食べかすが着いていた。
「そうだね、皆さんが無事で本当に良かったです。私にできることはこれくらいだけど、頑張ります!」
クリスタは嘘偽りのない本心を答えた。自分の能力で人の命が救えればいいと思ったし、聖女としてみんなを救おうと誓ったのだから。
「...何が良かったの」
「え」
「一体何が良かったの?」
声を発したのは斜め向かいに座る女性隊員だった。食堂が静まり返る。恨めしげに顔を歪めながら、クリスタから目を逸らさずに、まるで何か苦いものを吐くように彼女は続けた。
「あなたの言うみんなって、どこからどこまで?あなたが来る前に死んだ私の戦友は、みんなには含まれてないのに。それに、あなたは治す傷を見ようとしない、いつも目を逸らしている。その綺麗な手で、誰も傷つけていない手で、私たちと同じところで戦っているような顔をして、実際誰の痛みも見ていないじゃない」
彼女はオリーブ色のボブヘアを揺らして、
「いや、まさしく聖女サマだね、人をもれなく救おうなんて傲慢さが」
そう笑った。泣きそうな顔にも見えた。
クリスタは何も言葉にならなかった。怒りは湧かなかった。何を言っても、今の自分では届かない気がして、ただ呆然と彼女の顔を見ていた。そして思い出す、クリスタが召喚されたあの日、テントからシュウを見つけた瞬間を。彼女は、シュウと共に担架で遺体を運んでいた隊員だった。上手く呼吸ができない。結局のところ、クリスタはこの世界に転移してから、聖女である自分と知っている攻略対象達のことしか見ていなかったのだ。この世界に生まれ、息づいている名も知らぬ人々のことを見ようとしていなかった。強烈な自覚がクリスタを襲った。
「やめないか、オリヴィエ。相手は子供だぞ。」
ジールの落ち着いた声が響く。責める声ではなかった。
「...すまない、八つ当たりだった」
オリヴィエは何かをこらえるように吐き捨てると、立ち上がり外に出て行った。
「オリヴィエ...」
シュウはクリスタとジールに一礼し、オリヴィエを追う。クリスタはただ、見送ることしか出来なかった。そこには大きな、当事者という溝があったのだ。今の私は何も見ていなかったという事実を突きつけられる。
ジールは咳払いをし、
「クリスタ、すまない。彼女は幼馴染の戦友をなくしたばかりなんだ。君がこの世界に召喚された時の戦闘だ......君の能力を受け入れられない思いも、分かってやって欲しい」
眉を下げながら痛みをこらえるような表情だった。クリスタは、ただ掠れた声で「はい」と答えることしか出来なかった。周囲の隊員達も、心当たりのある気まずげな表情で、視線をうろつかせていた。クリスタはもう一度理解した。漠然としたみんなという言葉を使い救うと誓ったが、それは無意識の線引きの上に成り立っていたということを。攻略対象を含めて、クリスタは一度も生きているこの世界の人達を見ていなかったのだ。
静寂にぽつりと雫を落とすようにクリスタは口を開いた。
「オリヴィエさんの言うことが正しいと思います。私、何も分かってなかったし、わからなきゃいけない」
迷子のようにウロウロと視線を彷徨わせながら、立ち上がる。
「外の空気を吸ってきます。落ち着いて、考えます」
「クリスタ、」
「大丈夫、オリヴィエさんを追いかける訳じゃないよ」
テオドールに笑顔を向けて、クリスタは外へ出た。
東京に比べて随分星がよく見える。この世界の星座は、クリスタの知っている星座とは違うのかもしれない。それでも月は随分と明るく、クリスタの影を濃く伸ばしていた。少し冷えた空気を吸い込む。オリヴィエの言った言葉、「みんなって、どこからどこまで」を反芻する。ああ、私は浮かれていた、乙女ゲームの世界にヒロインとして転移したという事実に胡座を描き、今までここで生きて戦った人たちのことを無視していた。膝の力が抜けて思わずしゃがみこむ。聖女として存在していることに安心して、そもそも攻略対象以外とのコミュニケーションも関係性の構築もしていなかった。また、いずれ救うことができるであろう攻略対象としか、人を見ていなかった。みんなは、私を仲間に受け入れてくれて、「ありがとう」と言ってくれていたのに。何が聖女だ、手を汚すどころか、傷も見ないで救っているくせに。呼吸が浅く、速くなる。握りしめた拳は爪が刺さって痛かった。
「私って、本当に、バカみたい」
自嘲気味にこぼれたのは紛れもない事実だった。
ふと、人の話し声が聞こえた。ゲームで何度も聞いた推しの声。思わず静かに近寄ると、細い路地でオリヴィエとシュウが向き合っているのが見えた。クリスタは顔を歪めて、耳を攲てる。
「分かってるのに、あの子が悪いわけじゃないって。ただ運が悪かっただけだって。なのに、どうしても、納得できない」
「オリヴィエ、」
「私ダサいなぁ、笑っちゃうね」
笑っている声ではなかった。オリヴィエは確かに涙を堪えた声をしていた。
「……俺もだよ、オリヴィエ。」
シュウはそういうと、オリヴィエの手を軽く引いた。オリヴィエの顔が、胸に収まるように。
「それに、泣いてる恋人を1人にしたくない、マルにも顔向けできないしな」
シュウはオリヴィエをしっかりと抱きしめた。体温を移すように優しく。オリヴィエの啜り泣く声が路地裏に響いた。
クリスタは、ただ呆然と、「ああ、本当に私は何も分かっていなかった」と理解した。たとえ乙女ゲームの世界だったとしても、シュウは生きているのに、恋人がいるパターンを全く想像していなかったのだ。それはクリスタが、この世界に生まれ今も生きる人達を、自分の知っているキャラクターとして見ていたからに他ならなかった。そうとしか見ていなかったから、普通の世界で有り得ることに想像が及ばなかった。推しであり攻略対象として消費していたのだ。それを唐突に理解したクリスタは、ただ静かに路地を去り、自室に帰った。推しではあったし、もしかしてと思わなかった訳では無いが、恋をしていた訳でもない。ただ、自分に都合のいいかっこいいキャラクターとして、今生きている人を消費していたという罪悪感。未だ慣れない自室で、クリスタはただ膝を抱えていた。




