第八十三話 食べ放題
「君は俺に焼肉を奢らせる気なのか?」
男は『カフェに行くという話だったはずでは?』とでも言いたげな被害者面をしていた。
「一人90分の食べ放題がいいです。気まずい話をするにはぴったりだと思いませんか?」
「意味が分からん。」
「人間というのは時間でお金を買うと時間に人間が拘束されるってことです。逃がしませんよ?」
「その種明かしをされると色々意味がなくなると思うのだが…。」
「じゃあ6000円を僕に渡してどっかに行ってもいいんですよ?」
「肉を食べたいだけなのでは?」
「朝と昼は何も食べてないんですよねー。」
「……。」
男は僕と話すのを放棄して背筋をぐっと伸ばした。そして早歩きで黒の中型車に向かって歩き始める。どうやら彼はストライドよりピッチを重視するらしい。普段の歩幅のまま足の回転数だけを上げるのも珍しいものだ。そんなどうでもいいことを考えつつも、僕は大きな歩幅のゆっくりとした歩きで男の後をついて行く。車の中に入ると驚くほどの無臭でびっくりした。この男はかなり几帳面なのかもしれない。
「どこがいい?俺のお勧めは『住吉』って店なんだがどうだ?」
「……。」
そこはかつて紡に連れて行かれた店だった。あそこは安くて美味しいし、90分で4000円の食べ放題もあったはずだ。ただソフトドリンクの注文だけは別料金で必須である。紡は僕とその話をしながら「企業努力を感じるんだよ…。」と目を細めながら言っていた。そのことを考えると頬が緩んで心が軽くなる。
「いいですね。そこ行きま——」
そこまで言いかけて、その先を言うことが出来なかった。否、僕の中にあった子供っぽい感情をどうしても無視できなくなったと言うのが正確だろう。『この男に紡と行った場所に踏み込まれるのは我慢ならないくらいに不快だ。』という我儘をどうしても押し殺すことが出来ない。ここで自分を押し殺したらまるで僕が僕じゃなくなってしまうみたいな、そんな自己分裂を自分に強制しなければならないような気がして、身体が拒絶反応を起こしていた。もっと正直に言うなら僕の独占欲の問題だろう。そして僕は自分で思っている以上に女々しい男みたいだ。
「どうしたんだ?大丈夫か?」
僕の沈黙を男は不審がっていた。そして僕の最大の悪癖は自分の感情を優先することができないことなのかもしれない。その癖、自分の感情を無視するというのも苦手なのだからタチが悪い。
「別のところでもいいですか?」
「じゃあ駅の近くの焼肉チェーンにでもするか。そこら辺を走ってればあるだろ。」
「ごめんなさい。」
「何がだ?」
「これは自分の感情の問題です。」
「ううむ。君はなんだか厚かましいと思ったら、おどおどしていたりする所もあって、よく分からない奴なんだな?ちなみに聞くけど感情の問題ってなんだ?」
「言いたくありません。」
「一つ言っておくが、君は顔に出るタイプの人間だぞ?」
「じゃあ、何が分かるんです?」
「そんなこと言わないよ。不機嫌になるだろ?」
「分かりました。」
その言葉で気を遣われているということが分かった。それは有難いのだが、これ見よがしにキザな動きでシフトレバーを手に掛ける動きが鼻について、無性に腹が立ってしまった。
「照れ隠しでも鼻につくのでやめてください。」
「黙れ。」
どうやら男の痛い部分を突いてしまったらしい。僕らは案外、似たもの同士なのかもしれない。




