第七十八話 深部圧力
ディープ・タッチ・プレッシャー(Deep Touch Pressure: DTP / 深部圧力)という言葉をご存知だろうか。僕はある漫画に影響されて(作者はDTPとは明言していないと思うが)この言葉を知った。その漫画の第一巻で主人公は入院することになる。そして病室のマットレスの下に挟まっている主人公が這い出てくるホラーな場面を見てヒロインが大層驚くわけだが、主人公のこの癖が一体なにによるものなのかを暇潰しで調べるうちにこの概念にたどり着いた。
ディープ・タッチ・プレッシャーとは、身体の広い範囲に均等かつ適度な圧力をかけることで、副交感神経を活性化させ、心身を沈静・リラックスさせる触覚刺激の介入法である。単に肌の表面を撫でる『軽触覚(Light Touch)』とは異なり、筋肉や関節、受容器の奥深く(深部感官)にしっかりと届く圧を与えるのが特徴だ。すごく単純化すれば「強く抱きしめられたら落ち着く」という多くの人が体験したことがあることを小難しく言っているだけだということになるだろう。専門家ではない僕の蘊蓄はそういうニュアンスであると受け取ってもらいたい。
ディープ・タッチ・ブレッシャーとその漫画の主人公の性質を並べて考察紛いなことをここでするのは避けた方がいいだろう。とどのつまり、僕は何が言いたいのかと言えば、漫画のあの場面を実際にやってみたいというオタク心と『そうすれば眠れるのではないのか?』という期待の両方があるということに尽きるだろう。
保健室の先生から『好きに使ってくれて構わない』という許しを得ている。僕はその言葉に甘えることにした。DTP用の加圧ブランケットを試してみたが重量が足りない感じがしてもどかしかった。だから僕は4kgのダンベル5つをリュックに詰めてベッドの上に放り込み、丸椅子とか教科書とかとにかく重量になるものを圧力が分散するように乗せた。息ができるように頭に重しを乗せるのは避けている。おそらく上の重量だけで20kg以上30kg未満といった感じになるだろう。僕はその重量を想像すると胸が高鳴って、期待で胸が膨らんだ。
上の重しが落ちないように慎重にベッドフレームとマットレスの間に身体を滑り込ませた。その狭い隙間の中で、僕は仰向けの姿勢になり顔を横に向けている。息は苦しいが言葉を選ばずに言えばとんでもなくふわふわして気持ちいい。頭から足先まで包みこんでくる圧倒的な物量と重量は圧巻である。また保健室のマットレスにはスプリングがないのがいい。家庭のマットレスだとスプリングがあってどうしても肌にコイル状の金属が触れてる感じがあってまったく安心できない。このマットレスは少し高反発な感じがするが、それを重しで無理矢理身体を圧迫してる感じがたまらない。なんだかとても安心する。
だがそんな僕の極楽状態は30分も続かなかった。
「苦しい!こんなので寝れるわけないだろ!」
マットレスから勢いよく這い出して叫んだ。
ダンベルだとどうしても点の圧力になってしまうというのが僕の敗因と言えるだろう。マットレスなら圧力が分散されるだろうという素人考えをしたのもいけなかった。胸をじわじわと圧迫されて頭が酸欠状態になる。外の空気の美味しさで僕の肺が悦んでいる。こういう形で生きてる実感を掴むというのは中々複雑なものである。自分一人でやるには限界がある。僕は酸欠の頭でスマホを取り出し紡に連絡した。
「どうしたの、縹?」
「僕のことを押し倒して抱きしめて欲しいな?」
「えっち。」
いきなり通話を切られた。
ディテールを言わないで欲望を発露してしまったのが原因だろう。ある程度は自己防衛的にわざと言った部分もある。願望を茶化して拒絶や否定された自分を先回りして予測することで自己幻想を防衛しているのだろう。自己自身からの逃避を擁護するようなこの思考様式は、僕のたくさんある悪癖の中の一つなのかもしれない。そんなことを考えながらスマホを仕舞おうとした瞬間にスマホから着信音がした。紡がメッセージを送ったのだろう。
「うちきて」
相変わらずの簡潔なメッセージである。
今の紡は水疱瘡だから出来ないと思うのだが…。
だが僕を呼び出したのは別の用事があるのかもしれない。若干の不謹慎な期待を抱きながら学校を出た。




