第七十六話 三者通話
深夜2時に僕の部屋に聞き慣れない音が鳴り響く。ベッドの上に仰向けになっていた僕は意識が沈むか沈まないかの瀬戸際にまで自分を追いやることに成功していたのだが、その努力は水の泡となった。
僕の頭の横にあるスマートフォンから響き渡るけたたましい音がいつまで経っても鳴り止まない。画面を見ると僕のスマホは080からはじまる知らない電話番号からの着信を受け取ったということが分かった。電話番号を調べてみたが、どこかの詐欺業者とか悪質な営業とかではなさそうだ。だが用心を重ねることに越したことはないだろう。僕は「SHUT DOWN!」と叫びながら着信拒否をした。こんな時間に連絡をするような奴と話す義理もないだろう。
最近、僕は不眠で苦しんでいる。だがここまで覚醒したらもうどうしようもないだろう。
こうなったら開き直ってやる。
僕は音楽を鳴らさずに『メチャ◯らんまん☆』という曲のダンスを一人で踊った。これは対峙すべき敵を見つけて戦うための技量と、冷笑する世間を打ち捨ててやる精神性の、二つを高める修行である。いついかなる時だろうと僕の心のドグマであるあの名作を忘れないように、この型だけは身体に叩き込まなくてはならないだろう。そうでなければ僕の過去−現在−未来の時間軸で対峙した、或いは対峙するであろう、友であり敵に顔向けができない。僕は一瞬一瞬の動きに、僕とあの作品と出会わせてくれた神に対する感謝を込めていた。頭の先から指先にいたるまで、僕が『オタク』であることの肯定と尊厳を纏わせている。神は細部に宿るのである。僕はなんとも言えない全能感に包まれていた。
よし、もう一度!
ボルテージをぶち上げた僕が再び舞おうとした瞬間、僕のスマホから着信音がした。電話ではないその音から誰が僕に連絡をしてきたのかをすぐさま理解した。
「どうしたの?紡。」
「着信拒否すんな、◯すぞ。」
「姫宮さん?」
スマホから伝わる声質に違和感がある。おそらく2台のスマホを使って無茶な三者通話をしているのだろう。深夜なのに僕のパイプ役をやらされている紡に同情した。
「それで?こんな深夜に何の用?」
「鬼畜くんに説教する。」
「なんか悪いことした?」
「水疱瘡の女の子にビデオ通話するな!」
「なんで?」
おそらくいつもの紡と姫宮さんの『深夜連絡』なるもので僕の行動がバレたのだろう。そして電話越しの沈黙から僕に対する諦めと呆れが透けて見えた気がした。これが自意識過剰であることを信じたい。
「女の子はすごく繊細なんだよ?水疱ができてる顔とか綾地さんは見せたくないんじゃないかな?」
「あっ…。」
僕は自分の無神経さと気に回らなさを恥じた。紡と僕は気の置けない間柄ではある。たがさすがに僕のその行動はデリカシーがなさすぎる。僕は全く気にしちゃいなかったが、そんなの紡には関係ないことだ。
「紡にちゃんと謝るよ。」
「まあそれはそれとして、やるじゃん。」
「はあ?」
意味が分からない。なんでそこから僕を褒めるフェーズに入るんだ?
「今の状態の綾地さんの顔を見ても、めっちゃデレデレしたらしいじゃん。それで『可愛い』って褒めてた。これはすごい!私は鬼畜くんを褒めに連絡してきたというのもある!すごく偉いぞ!」
「情緒どうなってんの?」
これが深夜テンションというものなのだろうか?僕の感情は平坦だからそんなものになったことがない。まあ冷静沈着かつニヒルで冷淡を地で行く僕は、姫宮さんとは根本的に性格が違うと言えるだろう。それに姫宮さんなんだし、そんなことになることもあるだろう。
僕は心の中ですっとぼけたことを考えることで精神の恒常性を保とうと努力していた。
「じゃあね、鬼畜くん。」
僕の側からはよく分からないがどうやら通話が終わったらしい。こうなったらまずは紡に謝らなければならないだろう。
「別に私は気にしてないんだよ。」
電話越しの紡の声は事実を言っているように感じられたが、それはそれとして別のところに本音がありそうに見えた。
「僕の勝手な想像だけど、紡はビデオ通話を始める前は不安だったと思う。不安にさせてごめん。それからもう分かってると思うけど、僕にとってはそんなことで紡の魅力は減らないよ。」
「長い。簡潔に言って欲しいな?」
紡は僕を逃がしてはくれないらしい。頑張って言わないようにしてたのに…。
「ごめん。でも紡は可愛いよ。」
「ありがとね。それと、愛してるよ。」
紡は僕と恋人まがいなことを言い合って満足したらしい。あるいは照れ隠しがあったのかもしれない。僕が続けて何かを言おうとすると、いきなり通話を切られた。




