第七十三話 丸文字
「あなた宛に荷物が届いていたわよ。」
「分かった。」
「開けたけど眼鏡だったわ。紡ちゃんが送ったみたいね。悪趣味な女だわ。わざわざ見せつけるようにして…。」
母さんはA4サイズの大きな封筒に記された依頼主の住所を見て眉を顰めた。
その文字はなんだか嫌味を感じるほどの過剰な丸文字だった。紡の普段のそれとは明らかに違うその文字は過剰なほどの少女性をパロディ的に表しているように見えた。その肥大された可愛らしさはとても歪でグロテスクだ。それにどこか笑いを誘うような滑稽さと哀愁がある。紡はそこに一体どのような思いを込めたのだろうか?それは僕には分からない。だがそれが母の心の中にある柔らかい部分を的確に抉ったということは分かった。それくらい母は紡の文字を凝視し、大きな不快害虫を見ているかのように眉を顰めていた。それに不快なら目を逸らせばいいものだが、母はまるで眼球が磁力で引きつけられたみたいに、視線が丸文字から離れない。紡と母が何を考えてるのかなんて分からない。ひょっとしたら僕のこの一連の考えの全てが誇大妄想なのかもしれない。それでもドロドロして静かな女同士の争いを見ているような感じがして胸焼けした。
僕の態度から家庭の状況を察したのか、はたまた『数撃ちゃ当たる』と思って書いただけの当てつけなのかは分からない。どちらにしても紡は計算高くて性格が悪い。でも紡のそんな所が結構好きな自分がいる。なんだか昔の苛烈な彼女を思い出して微笑ましい気持ちになった。
「親子だろうが勝手に郵便物を開封するのは犯罪だよ、母さん?」
「はいはい。」
自分の家に帰宅した僕はリビングのソファに座っている母さんと会話していた。
机の上に置かれている郵便物の中身は紡が使っていた眼鏡だった。『グノーシス』と名付けて僕と出会った頃からフレームを変えずに大事に使っていたものだ。無骨で硬派な見た目で、知的なインテリおじさんが着けそうな印象の眼鏡である。だが紡がつけると不思議と彼女の可愛らしさが際立つような感じがする。アニメや漫画では眼鏡を外すことで、顔が意外と可愛いことが分かるとか、覚悟を決めて覚醒した、ということを表現することが多い。だが僕は眼鏡を貫かない眼鏡っ子など眼鏡っ子ではないと思う。紡が眼鏡を辞めるのかもしれないことを思うと、別にどうでもいい自分と、得も言われぬ喪失感を覚える自分の、二つの自分が同じ割合でいることに気付かされた。なるほどこれは大きな問題である。果たして『紡は眼鏡を辞めるだろうか?辞めないのだろうか?』これは紡に問い質す他ないだろう。目の前の眼鏡に半ば本気で問いかけようとしたのだが、親の目があるのに憚られてやめた。別に紡が眼鏡を辞めてもいいし、寂しくもないんだけれど、ただ気になるというだけだ。決して僕の癖だからではない。紡が寝起きの時に眼鏡を押し上げながら目を擦る仕草や、眼鏡の位置を指でクイッと上げる仕草が見られなくなることにガッカリしたわけではない。別に紡に萌えたりなんてしていない。紡が眼鏡を外すと紡が紡じゃないみたいで違和感があるというだけの話だ。
「その眼鏡は紡からの贈り物なんだ。」
「度がはいってるみたいね?でもあなたの視力は良いわよね?それにこれは紡ちゃんの眼鏡じゃない?このジジ臭い眼鏡は。」
最近は紡に対する敵愾心を隠すつもりがないらしい。母の口調は僕への独占欲を『ごっこ遊びの冗談』というフィギュールで覆い隠すことで無毒化しようとする努力が見えた。
「それ僕のだから頂戴?」
「捨ててもいいかしら?」
「調子に乗らないで。」
僕の言葉でようやっと視線が丸文字から僕の方へ向いた。僕の口調は穏やかだったが、内心は穏やかじゃなかった。だが完全な感情任せの言葉でも無い。怒っているが身体は頭から爪先まで冷たく冴え渡っている。どう言えば喜んでもらえるのかという打算で僕の身体は一つの震えもなく精確に動作した。
「ごめん、強く言い過ぎた。」
「あの子に本気なの?」
「まあね。」
「大切ならやめておきなさい。碌なことにならないわよ。あなたはあの子に依存してるわ。あの子もそう。それをお互いに自覚してるから、尚更タチが悪いわ。」
「母さんには分からないだろうね。」
「まあ若気の至りというのもあるわ。ボロボロになっても拾ってあげるから安心しなさい。」
「ありがとう、母さん。」
理解のある母親ごっこに満足してくれただろうか?マウント気質の母さんとの会話をとっとと終わらせるには、僕の感情的な所を見せて、そんな僕を冷静に落ち着かせる役割を演じさせるに限る。
『大切ならやめておきなさい』という母の言葉の軽薄さと思慮のなさには絶望するばかりである。そういう自己自身からの逃避の自己正当化で自分を誤魔化す人間にだけはなりたくないものだ。
僕のルサンチマンとナルシズムの結託は母さんを嘲るのに必死だった。まさしくそんな僕も絶望状態であると自覚している。そんな僕は母さんよりも『物事が良く見えている』という妄執に支配されている。
『母さんがこんなに能天気でいられるのは、自己自身に関係するところの関係である自己に向き合うだけの能力も誠実さもないからだ。母さんもまた絶望している。』僕のこのような考えは観察者の典型的なルサンチマンであり幻想であり絶望だろう。だがその幻想にすがらないと自分で自分を維持できないくらいに僕は自分を信じていなかった。




