第七十二話 贈り物
「紡のことを気持ちよくしたいんだけど。」
「縹は天下御免の鬼畜男なんだよ…。寝込みはおろか水疱瘡の女の子を手籠めにしようだなんて、私は許しても世間は許してくれないよ?」
「ジョークだ。紡を癒やしたいってことだ。」
「悩むなー。なにしてもらおっかな?」
僕は学校の特別棟のトイレで紡と通話をしていた。ここをわざわざ選んで使う男子は恐らくいないだろう。
「そもそもの話だけどいきなりだね?愛姫ちゃんの差し金なのかな?」
「まあね。それで?何して欲しい?」
「休んで。」
「……。」
姫宮さんは僕が気絶したことを話したんだ。そういう話になるというのは薄々分かってはいた。心配されてることくらいは分かる。でもどこで休めばいいのだろう?母のいる家か?理由はどう説明するんだ?そもそもあんな所で休めないし眠れない。それなら学校にいた方がマシだ。
「じゃあそうしようかな。疲れてたし。」
「ふーん。どこで?いつまで?」
「僕の家で一週間くらい休もうかな。」
「ダメ。」
「そうするんだ。これでこの話は終わりだよ?」
紡の家に行くわけにはいかない。病気が移って睦美さんや大五郎さんに迷惑をかけたりするのは嫌だ。紡に嫌な顔をさせたくない。
「その代わり、病気が治ったら一回だけなら僕のことを好きにしていいよ?」
「ぐっ…。ダメなんだよ…。」
紡は自分の煩悩と戦っていた。でもこういうやり口で言いくるめるのは、なんか嫌だな。
だって僕の願望も混ざってるし。
「さっきのは無し。落ち着いたら二人だけで旅行とか行きたいな。一日中なにもしないで一緒にいたい。ご飯食べて、他愛もない話をしてさ。近くをちょっと散歩したりするんだ。それで、それでさ−−」
涙が止まらなかったが、声はまるで震えちゃいなかった。きっと疲れているのだろう。心は完全に壊れていたが、心臓の鼓動はゆったりとしたリズムを刻み、頭から足先に至るまでまるで震えがなく、一つの狂いなく精密に身体を操作できるという確信と高揚感があった。身体が心と関係なく意のままに動かせるくらいに、僕は壊れ物になってしまったということだろう。口から本心を出すだけで涙が出てくる。出来るわけもない夢を語っているからだろう。なぜ僕はこんなに自分を抑えつけているのだろうか?一体なぜ?明らかに不合理だ。頭が悪い。でも僕の良心が『これでいい!もっと崖っぷちに落ちろ!』と叫んでいた。僕の良心は半端など許さない。言語操作の現状補完を許さない。やってる感の自己啓発など許してくれない。良心は理性と悟性の衝突の先にある破滅を望んでいた。この破滅との格闘を通過しないで、僕が幸せになることなんてありえないという、良心による病的なまでの妄執が僕を支配した。これは悪癖だ。だが僕の性分だ。直そうと思って直せたら僕はこんなことになっちゃいないのだ。だが僕の動物的な部分が『そんなの馬鹿がやることだ!死にたくない!』と良心と敵対する。そいつは非常に合理的でクレバーな現実主義者だ。僕の中で一番頭の良い部分と言っても過言ではないだろう。この僕の良心と動物的な部分の二つによって、僕の自己自身が引き裂かれていた。
「うん!一緒に行こ!」
紡のことが眩しくて羨ましくて堪らない。
プロポーズした時に、紡は僕と一緒なら現実を打っ棄りたいと言ってくれた。その先にあるのは心中であるのを覚悟で言ってるのは明らかだ。でもその絶望を通過しないと僕らは前に進めない。そんな妄執が僕らを掴んで離してくれない。
こんなの馬鹿がやることだ。でも僕らのストイシズムは内面を裏切ることだけは絶対に許してくれないという、ただそれだけのことなのだろう。
僕はこの根拠のない妄執に賭けるための勇気が、ただ欲しくてたまらなかった。
「あっ、縹にプレゼントを送っておいたから。」
「え?どういうこと?」
「まあ見れば分かるよ。郵送しておいたんだよ。まあ私と思って大切に使ってほしいな。」
なんだかよく分からんが、もう送られてるのだから受け取るしかないだろう。
「なんか僕ばかり受け取ってる気がする。」
「そーだね。なんか頂戴?」
そう言えば、僕らは記念日とかに贈り物とかをしたことがない。だったら何でもない日にそれをするのも良いかもしれないと思った。




