第六十八話 水疱瘡
いつものように一緒に登校しようと紡の家に行ったら、玄関先で睦美さんが待ち構えていた。
「ごめんね。紡が水疱瘡になったから、しばらくは学校に行けそうにないわ。」
「睦美さんは大丈夫なんですか?」
「私と夫は子供の頃にかかったから平気よ。」
うーん…。
このなんとも言えないフラストレーションはなんなんだ。このやりようのない気持ちはどこにぶつけたらいいのだろう。なんだかんだ言って僕は紡の世話を焼くのが好きなのかもしれない。
「睦美さんも大五郎さんも忙しいでしょう?僕が看病しましょうか?」
「水疱瘡は大丈夫?」
「……。」
僕は水疱瘡にかかったことは一度もないし、ワクチンを打ったことがあるのかも分からない。
でも僕の内から湧き上がる言いようもない欲求不満を裏切ることができなかった。
「小学生の頃にかかりましたね。朝になったらいきなり発疹が出てきて−−」
「嘘だわね。」
なぜバレたし。
でも最近は毎日抱き合ったりして、一緒に閉鎖空間にいる時間も長い。これで感染していないほど僕の免疫は屈強ではないはずだ。よって看病してもいいはずだ。いやむしろしたいと言ってもいいだろう。
「最近は毎日紡と一緒にいますし、どうせ僕も感染してますよ。」
「だったら休みなさいよ。」
「学校にどう言えばいいんです?」
「『毎日彼女とイチャイチャしてるせいで僕も水疱瘡になってるかもしれません。』って言えばいいじゃない。」
「そこまで神経太くないですよ。」
「どの口が言ってるのかしら…。」
睦美さんは困ったように呆れた。
困ったな。これじゃ紡の看病ができないじゃないか。最近は男に身売りする羽目になったり、母を慰めるなりでいい事なんて無かったというのに、これはあんまりにもあんまりじゃないか。
精神的な飢餓感で頭がおかしくなりそうだった。それに無性に紡の世話を焼きたくてしょうがない。この度し難い感情は自分で抑えられるものじゃない。
適当におかゆなんかを作って食べさせたいし、話し相手になったり、寝かしつけたりしたい。
それに何も考えずに紡を眺めるだけの時間が欲しい。なんなら抱きしめてもふもふしたい。温かくてふわふわした身体に思いっきり包まれたい。いっぱい匂いを嗅いで頭の中をいっぱいにしたい。嫌がられてもちょっとだけなら許してくれるだろう。
いや待て。冷静に考えたらお世話する以外のそれらの行為は完全に僕の私欲で、そもそもそんな事する暇も余裕もないだろう。ちょっと開放的になりすぎた自分を諌めなければならないのかもしれない。
『YES煩悩!NOタッチ!』紳士たるものそうでなくてはならないだろう。僕は自分で作り出した標語を反芻することで自分を制御した。
もう自分が感染しても一向に構わないと言ってもいいだろう。病気のことを軽く見ているわけじゃない。高熱が出るし発疹も出るが、もう疲れたんだ。しばらく一人でベッドに横になる口実がほしいし、紡に癒やされたい。最近は全然眠れないけど、せめてぼんやりとできる余裕がほしい。邪魔をするなら睦美さんと言えども手段は選ばん。忍び込んででも世話を焼いてやる。
僕は欲求不満の大暴走を自覚しながらも、それを制御したいだとか自制したいだとかは微塵も思わなかった。
「睦美さんはこれから仕事ですか?」
「鍵は閉めるし、紡には絶対に入れないように言い聞かせるわ。まあ…、いやいいわ。」
彼女はそれに意味がないというのが分かったのだろう。
紡はなんだかんだで僕に甘いから。
「じゃあ学校に行きますね。」
「逆方向だわよ。」
「……。」
「しばらく休むことにするわ…。」
「別に遠慮しなくてもいいんですよ?」
めっちゃそっちに行きたい、じゃなかった。看病してあげてもいいんですよ?
「とっとと学校に行きなさい。」
「はい…。」
僕はトボトボとした足取りで学校に向かった。




