第六十話 尋問
「これから会見を始めたい!」
昼休みに姫宮さんは芝居がかった様子で僕たち二人にマイクを差し出した。
僕と紡が教壇に隣り合って座り、その周りに『綾地紡の恋路を応援する会』のメンバー達が目をキラキラさせて張り付いている。
とんでもない圧迫尋問だ。
「二人は付き合ったってことでいいんですかね?」
音声レコーダーを僕に差し向けてくる。
「まあ恋人ご−−」
「付き合ってるんだよ。」
紡は姫宮さんのレコーダーを奪い取って宣言した。なるほど、ごっこ遊びであることを周囲にばらすのはナシらしい。
姫宮さんは若干、眉を寄せて不審に思っているような表情をしたが追及はしてこなかった。
周囲のメンバー達は「まあそうだよね。」「ここの質問は通過儀礼のようなもの。」といった感じのことを言っていた。
彼女たちが聞きたいのはそこではないのだろう。
「じゃあ、馴れ初めは何かな?ここは鬼畜くんと綾地さんの両方から聞きたいな。」
姫宮さんは中々の策士だ。
紡だけの証言では満足しないらしい。
「女の子にばっかり言わせちゃだめだよ鬼畜くん?まずは君から答えてもらおうか?」
姫宮さんは紡が何かを隠していると思ったらしい。当たらずとも遠からずだが勘がいい。
ここは僕の根暗人生16年が培ってきた空想力を発揮する最初で最後の場なのかもしれない。
僕は緊張感と若干の高揚感の二つを抱えながらも、空想を2秒で構築した。
「どこから話せばいいのか分からないけど、とりあえず告白したのは僕が先だったよ。あんまり踏み込んだことは言えないけど−−」
「それは嘘なんだよ。」
「鬼畜くんが自分から言うわけがないのはさすがの私も分かるよ…。」
え?僕ってそんなに信用がないの?
マイク取り上げられちゃったし。
僕の培った技術は10秒も満たない間に否定された。
「私が真実を話すんだよ。」
紡は立ち上がって大立ち回りをする準備をしていた。
「私は縹に押し倒されてメロメロにされちゃったんだよ。」
「「「キャー!!!」」」
観衆が熱狂し、紡の先の言葉を待ち構えていた。
「綾地さん!もう細部までねっとり、じっくり、たっぷり、説明してもらおうか!」
姫宮さんは鼻息が荒く、完全に正気を失っていた。観衆たちの熱気もあいまって囲まれている僕の体感温度は5℃くらい上がっているだろう。
「うーん、どこから話せばいいのか分からないんだけど愛姫ちゃんと勉強会したとき手を繋ぐだけじゃなくてずっと……」
「ずっと、何かな?綾地さん!」
「そこから先は恥ずかしいんだよ。言わなきゃダメかな?」
紡の顔は赤い。その表情は人間の嗜虐心を掻き立てるような扇情的なものだった。
『紡は演技が上手いな』と他人事のように感心してしまった。
「そこまで言ったんだから、もう言っちゃいなよ?」
姫宮さんは完全に盛り上がっている。
ちょっとハスキーな声で言わないで欲しい。
完全に紡がネコで姫宮さんがタチになっている。
僕はそういうのも守備範囲に入っているが、生モノはあんまり好きじゃないかもしれない。
知り合いがするのは、すごく複雑な気分だ。
観衆たちは「いいぞ!」「もっとやれ!」と完全に悪ノリをしていた。
「やっぱり恥ずかしいんだよ…。」
「そんな惚気たい顔して言いたくないって言うのは、私は受け入れられないかなぁ。」
「やっぱりダメ…。」
「言いなさい。私が聞きたいの。綾地さんは嫌かもしれないけど、逃さないから。」
「もう観念するしかないんだよ…。」
なんだこの茶番は。言いたくないなら逃げろよ。
ノンデリオタクの野暮なツッコミは横においておくとして、こういうやり取りの何が良いかってタチがネコに最後まで逃げ道を用意しながらも、ネコは嫌々という感じを崩さないのがいいのかもしれない。お互いの利害の一致に対する暗黙の了解と共犯関係こそが我々を滾らせるものなのではないだろうか?
うむ、すごく捗りますな。
生モノは無理でも、こうして言葉にすれば熱く迸るものがあるだろう。
そんな僕はどうでもいいとして、紡の艶っぽく頬を上気させるその表情は観衆達の期待のボルテージを最高潮まで上げた。
「なんか盛り上がっちゃって、膝から太ももの付け根にかけてじっくり撫でられたんだよ。なんかすごい頭の中が痺れちゃったんだけど、なんとかバレないように振る舞っていたんだよ…。愛姫ちゃんが帰ったら私もなんか変な気分になっちゃって−−」
ここから先は女子特有の猥談的なニュアンスが多分に含まれていたとだけ報告したい。あまりにも破廉恥で猥褻だが、不思議と下品ではなく、巧妙かつ人間の想像力を掻き立てる語り口だった。
それはそれとしてだ。
コイツ、◯していいか?
事実なら甘んじて受け入れるが、紡さんのその話は嘘だよね?調子に乗って言っちゃった感じだよねそれ?
僕を社会的に抹殺するつもりなのか?
観衆と姫宮さんに冷たい視線を向けられる。
「私に勉強を教えながら飄々とした顔でそんなえっちいことしてたんだ…。」
「まあ僕の話を聞いてくれよ。」
観衆の熱はピークに達していた。
僕は罵られるヒール役である。
「鬼畜野郎!」「変態陵辱マゾ!」「犯罪者!」
「不純異性交遊!」「性欲野郎!」
ボディビル大会の掛け声かよ。
完全に僕の言い分など聞く気はないらしい。
僕が受けるこの仕打ちは悪意のせいだ、とは僕は思わない。ましてやその悪意はサディスト的な享楽を享受することを至上の悦びとするようなとびきり擦れっ枯らしの悪意とも思わない。
それは彼女たちのだらしなさであり、無思慮、因習、惰性の、単なる神経症的なテンプレートの反復運動であると考えることも出来るだろう。
まあリオン・フォイヒトヴァンガーの人間観察を軸に僕の受けた仕打ちを考えて、観察者のナルシズムで彼女たちを見下げるこの思考は失礼にも程があることは百も承知であるのだが。
確かに言えることは、その『だらしなさ』は紡が一番嫌いな人間像の一つであろうということだ。
彼女が人に囲まれながらも孤独感があるのはそういうのがあるのかもしれない。
確かに『考えすぎ』だ。
紡のストイシズムを他者に要求するのは傲慢かもしれない。
だがそんな毒にも薬にもならない一般論など学者のポジショントークで十分であろう。
『そんな彼女がだらしない人間を僕に差し向けているのはどういう意味があるのだろう?』
紡はその状況を心の底から是認しているのか?
単に彼女の目的のためだけなのだろうか?
そもそもどうしてその目的にこだわるのだろう?
今まで明確だと思っていた紡の輪郭がぼんやりとしていく。
僕は紡のことを何も知らないのかもしれない。
そんなのどんな人間でも同じだが、今まで目を逸らしていたことを直視すると、どこか薄ら寒い不安が僕を襲った。
紡は何かもっと−−
「鬼畜くん?嫌だった?」
「え?」
「すごく暗い顔をしてるから。ごめん言い過ぎたかもしれない。別に二人は嫌々そういうことをしたってわけでもないのに、事情も聞かないで悪ノリが過ぎた。」
僕は顔に出る人間らしい。
姫宮さんのその言葉で気まずくなったのか、応援する会のメンバー達は僕に申し訳なさそうな顔をして解散した。
一人一人の人間を考えると『だらしない』とか『無思慮』とかのカテゴリーで括れるほど単純ではない。でも僕と、そして多分紡も、あまりにストイシズムに忠実で、そこだけは絶対に許せない線引きなのかもしれない。
「ちょっと考え事してただけだよ。みんなに構ってもらうのは楽しいから、良いタイミングで僕が嫌がってないことを伝えてくれないかな?」
打算7割、本音2割、申し訳なさ1割の言葉だったが姫宮さんは安心したようで、「もう、びっくりしたよ!」と言って僕から離れた。
「縹?怒った?」
紡が恐る恐るといった感じで僕に尋ねてきた。
「紡ってあの人たちのこと、好きなの?」
「どういうこと?」
「なんていうかな…。まあいいや。紡のことはこのくらいで嫌いにならないよ。こんな仕打ちを受けたのは一度や二度じゃないしね。」
僕は紡の手を握って、ひとまず彼女を安心させた。




