第六話 よい着眼点だよ
「ライプニッツ哲学のなかで一番好きなのは充足根拠律だね。
充足根拠律は、Aがあるならばあるなりの理由があるというのが教科書的な理解だけど、モナドロジーって本では
「なぜある事実がまさにそうであって、そうでない別様ではないのか、その十分な理由がなければならない」(ainsi et non pas autrement)
という形をしていて、個人的にはこれが充足根拠律の一番の核の部分だと思うんだよ。
つまり「なぜAであって別様ではないのか」という命題は、Aというものと別様なるものの差異を記述することであり、Aというものの妥当性やその限界を露わにするんじゃないかな?って。」
綾地紡は一息にそう言った。頬は上気し、完全にご機嫌である。
「でも、ライプニッツの充足根拠律やそれに連なるモナドロジーや形而上学叙説の議論は、命題操作の議論ではなく、結局のところ存在の議論になって、そこから神が浮かび上がるみたいな、そういう形而上学的で神学的な世界観じゃなかったっけ?どこまでがライプニッツで、どこからが君の思索なの?」
彼女の抽象的な議論に追いつこうと、頭をなんとか振り絞って出した僕の疑問に対して
「さすがだね。よい着眼点だよ。」
と得意げに答える。
「私の議論の範囲ではライプニッツ自身が『モナドロジー』31-32節で立てる「二つの大原理」の分割とほぼ同じ線を引いてるんだよ。
矛盾律が統べる可能性の領域(諸本質が矛盾なく共可能(compossible)かどうかは、原理的には概念の分析で決着がつく)と、充足根拠律が固有の仕事をする現実存在の領域(共可能な諸世界のうちどれが現実化するかは、最善の原理という評価的な尺度を要求する)
私の議論はこの二層構造をほぼそのままなぞっているんだよ。
だから、君が暗に指摘しようとしている「危険」
つまり有限な話者への挙証責任の作法を存在論的な問いにまで滑らせてしまう危険は、この切り分けによって実質的に解消されているのだよ。」
そうして彼女は「ふふん♪」とドヤ顔でそう言った。もうこんなことを一息で言われて、内容など理解できる人間はごく少数だろう。
途中から聞いてなかった。
だから彼女が「ふふん♪」と自慢している部分を「分かってますよ?」と言うのが、彼女のご機嫌取りをする上で一番大事なポイントであると判断して、こう言った。
「つまり、君のライプニッツの議論は、決して独りよがりだけど面白い意見という範疇ではなく、ライプニッツの原典を読み解くことによって美しい定式があるという研究的ではないけれど面白い見方や拡張性の高い議論につながるという解釈を自力で発見したということだね?」
「うんうん。そうだよその通りだよ!さすがわかってるじゃないですか?お兄さん?」
どうやらお気に召したらしい。
ちなみに本屋を一軒巡るたびに、こういう彼女の長話を聞かされる。
だがこういうご機嫌取りをして彼女が喜んでくれるのは嫌いじゃない。
そうして5軒ほど巡った後に彼女イチオシのカフェ兼古本屋の「聖幽舎」という若干いかがわしくも怪しい古本屋に行こうとしていた。
「どんな本屋なの?」
「なんとオカルト、グロテスク、珍しい原書、エロティック、なんでもござれの本屋さんなんだよ。そして一つのジャンルに一つの個室が提供される。90分で一人1300円でアイスコーヒー飲み放題。1回行ってみたかったんだよねー。」
なんだかかなり癖の強い色物の本屋みたいだ。
若干の嫌な予感がありつつも、彼女に手を引かれ、そこへ向かった。




