第五十八話 起こしにおいで
「おい、起きろ。」
時刻は7時20分。月曜日。
睦美さんから「起こしにおいで」というメッセージを受け取り、紡の部屋に来ていた。
紡と睦美さんのメッセージはどちらも非常に簡潔であり、文量が一行を上回ることがない。
親娘の何気ない家族的類似性を発見して、朝から微笑ましい気持ちになってしまった。
「起きろってば!」
紡は寝起きが悪い。
コイツは遅刻ギリギリに登校するか、開き直って午前中に登校するかのいずれかである。
担任から睦美さんに素行の悪さを報告されたらしいが、睦美さんは学校のルールみたいなものに頓着がない。
ではなぜ僕が駆り出されているのかと言えば、睦美さんが僕と紡を一緒に登校させたいという思惑があるからだろう。
『紡が私を根回しして縹くんと一緒に登校するように仕向けているのよ?』と睦美さんが言っているが、僕にとっては黒幕がどちらであろうと構わない。
このタスクをとっとと終わらせるのが僕にとっての目下の関心事である。
「頼む!起きてくれ!」
こんな下から目線で起こす人間はそう多くないだろう。
乱暴に身体を揺すったり、布団を引っ剥がして起こしたりすると、午前中の紡の機嫌が悪くなる。
こうなったら最終手段を行使するしかない。
「起きてるんだろ?何したら起きてくれる?」
「一緒に遅刻しよ?」
「今日は一緒に登校してやりたいことがあるんだろ?」
あっ、しまった。
なんでこんな墓穴を掘ってしまうのだろう。
絶対に碌なことじゃないのに。
「そうだったねー。」
紡のぼんやりとした目がだんだんと覚醒してくる。どうやら僕の言葉が効いたみたいだ。
言わなければ良かった…。
「今日は縹とのイチャイチャを見せつけて外堀を埋め−−、じゃない。そういう恋人ごっこがしたいんだよ。」
完全に意識が覚醒し、起き上がると腕を広げ「ん。」とだけ言って要求してきた。
「それは恋人ごっこ?」
「それだったらサービスしてくれるの?」
「別にごっこじゃなくてもいいけど、紡はどっちがいい?」
「一杯サービスしてほしいんだよ。」
「分かった。」
僕は抱きしめて頭を撫でた。
相変わらず触り心地がよくて、心の中が満たされる。
「それだけ?」
「うーん…。じゃあ今晩は紡が好きなビーフシチューを作るよ。」
「なるほど。そういうやり口ね。私はそういうのも好きだよ?」
紡は僕から離れて、クローゼットから制服を取り出し着替えようとしていた。
「紡。それはエッチすぎるぞ。」
「部屋から出て行かない縹に言われたくないんだよ。」
「後ろを向いているが?」
「がっつり正面見てるじゃん。まあいいんだよ。許したげる。」
「冗談だ。僕は紳士だからな。」
いつもの馬鹿なやりとりをして、僕は部屋から離れた。




