第五十六話 恋人ごっこ
母と入れ替わりで紡が窓から部屋に侵入してきた。窓には彼女の靴がそのままだったはずであり、じゃあ靴はどうしたんだと思い足元を見てみると、玄関の僕の靴を履いてきたらしいことが分かった。
窓の鍵は開けっ放しだった。
ひょっとしたら昨晩は自分が思っているより平静じゃなかったのかもしれない。
「邪魔な女も消えたことだし、続きをしよっか?縹もこのままじゃ収まりがつかないでしょ?」
「大いに語弊がある言い方だが、場所を変えないか?」
「なるほど。たしかに後片付けのことを考えるとそうかもしれないんだよ。」
「僕の家には母さんがいるから紡の家に行こうってことだよ。」
「私の部屋なら気兼ねなくできるってこと?大人しい顔して考えることがエグいんだよ…。」
「だから違うって。」
でも無性に人肌が恋しくなったのは事実ではある。母が乱入してきたときはイラッとした。
「もう無理なんだよ。我慢できない。」
紡はベッドの上に隣り合って座ると、流れるような動きで僕を抱きしめた。
紡も僕と同じだと分かって嬉しかった。
僕らは布団に入って二度寝を決め込む。
「早く私のものになっちゃえばいいのに。」
「紡…?」
「そうしたら楽になれるよ?」
「まあそりゃそうなんだが。」
それはなんというか、最終手段じゃないか?
「諦めるのが早くない?」
「そうなればいいなって願望なんだよ。」
「むしろ望んでいると?」
「うん。」
「じゃあ素朴な質問なんだが、それはまたどうして?」
その願望はなんとなく理解していた。
僕と紡は同類だ。
だが今の紡には友達がいるし、以前よりもなんだかんだで両親から理解されている。
このままずっと一緒にいるだけならともかく、二人だけの世界に逃げ込む動機がいまいち理解できない。
「生きづらいんだよ。」
「というと?」
「私って性格が悪いんだよ。大して論理的な整合性や妥当性も考えないくせに『それらしいからそうする』ってだけの人間を軽蔑してるんだよ。だってそういう人間の裏面は『それらしいから』どんな人間でも何の思慮もなく石を投げる人間と同義なんじゃないかな?」
「なるほど。それで性格が悪いってのとはどう繋がるんだ?」
「私は私以外を信じちゃいないんだよ。そうして周りにある俗世間というものを心底軽蔑している。これは自信のなさの裏返しなんだよ。」
「別にそうやって自分を保つことは良識のある人間の認知のやり方の一つじゃないのか?」
「時々、凄く寂しい。」
「……。」
そうか。そういうことなのか。
それなら僕にも理解できる。
心の拠り所もなく、周りも頼れない。
生存戦略で身につけた思考でなんとか生き残ったが、頭の中の喧騒が鳴り止むことがない。
身体と心が遊離してるんじゃないかっていう感覚が、外に向けてなりきった自分が内面を裏切るたびに、ますます強烈なものになり、内と外の自己分裂が加速する。
紡は周りとの関わりが多くなったから、そういうのは解決したと思っていたのは、僕の浅い考えだったのだろうか?
キャラを演じて人に囲まれれば寂しくなくなると思っていたが、どうやら違うみたいだ。
そう考えると少しだけ不安になる。
どこかで紡みたいになれればどうにかなると思っていたから。
内面に忠実になる勇気がない。
僕たちの内面は社会性からはるか遠くの彼方にあるだろう。
一体いつになったら楽になれるのだろうか?
「自分にもっと素直になれば?」
自分が出来ないことを人に要求してみた。
「もう他人に期待なんかしてないんだよ。」
その言葉は心の底から共感できた。
そしてそれが僕たちの大きな問題だ。
「でもそれが原因なわけだ。『寂しいけど他人に期待していない。』という、テーゼとアンチテーゼの衝突が起きてるんだから、そこからジンテーゼを生み出す他ないってわけだ。そこで僕の出番ってわけね。」
「縹は私のヒーローなんだよ。」
「助けたのは紡だけどね。」
「こんなの贅沢なんだよ。」
「……。」
「私より苦しい人なんて−−」
「思ってもないことを言うな。」
それは嘘だ。
散々ぶちまけといて、それはないだろう。
今更自分のことを粉飾しないでほしい。
自分のことを棚に上げても言わなければならない。
「どんな言葉で粉飾しようが全部見抜いてやるからな。紡のどんな変化や嘘も僕は見逃さない。それくらいよく見ているから。」
「そんなに必死になってくれるなんて、嬉しいんだよ…。」
紡は可笑しそうに笑った。
そんなの分かるわけがないことが分かっているのだろう。
「それでどうする?僕にどうしてほしい?」
「恋人ごっこ、しよ。」
「なるほど…。」
僕はどんどん彼女の策謀に嵌っている気がするが、それはあまりにも自意識過剰だと自分に言い聞かせた。




