第五十五話 良心
「あの子のどこが好きなの?」
紡が部屋から出ていったときに母が言い放った言葉をよく考えてみる。
うむ、分からん。
そんなもの『青い空の何処が好き?』みたいな質問をされるようなものだ。
『なんとなく好き』としか答えられない。
「顔が好き。可愛いし、波長も合う。」
「なんか軽いわね…。」
「高校生の恋愛だよ?」
「でも結婚するんじゃなかった?」
「……。」
まあ、プロポーズはしたけど。
あんなものにどれだけの効力があるのかは分からない。それにあれは勢いで言ってしまったというのもある。
「そもそも付き合ってないし。」
「はぁ!?」
母は目を見開いた。
その驚きには若干の安堵の色が含まれていた。
「あなたって、手が出るのが早いのね。」
「言いがかりはやめてくれ!僕はまだ指一本触れちゃいない!」
「まだってことは予定があるのね。」
「言葉の綾だよ。」
「思いっきり抱き合ってたじゃない。」
「あれは、ノーカンだ。」
「面倒くさい子に育ったわねぇ。」
母は心の底から理解できない様子だった。
だがそれは彼女の自己欺瞞であり、彼女にも共感できるからこそ、自己幻想の粉飾にいそいそと励んでいるのだろうと思う。
僕もそうだから、そう思うだけだが。
「その先がとても怖いんだ。」
「そう。」
僕はバカにされるか、軽くあしらわれるかと思ったが、意外にも僕の言葉を真面目に受け取ってくれた。
それは多分、僕と母が唯一共鳴できる部分だからだと思う。
僕たちは人を信じる能力が欠落している。
「縹には、本当に苦労ばかりかけたわ。」
ベッドに隣り合って座っていた母が身を捩って僕を抱きしめる。
それは自分の欲望の発露というより、僕のことを同情して慰めようとした行動のように見えた。
僕が所在なかった手を膝の上に置いたのを母が見ると、気まずい様子になって離れた。
「分かったわ。」
それだけを言って立ち上がり、出ていこうとしたところを今度は僕が抱きしめた。
欲望の発露でもなければ同情でもなく、ましてや母に共感したわけでもない。
僕は母については何も知らない。
「母さんも辛いでしょう?」
「まったく、あなたの面の厚さには呆れを通り越して感心するばかりだわ。せっかくチャンスをあげたっていうのに。」
まったくその通りである。
素直に受け取れば楽になれたというのに、僕の良心の呼び声がそれを許さなかった。
なんて言っても、子供の我儘みたいなものだが。
「ありがとう。」
「私の態度は変わらないわよ?」
「それでいいです。」
「とりあえず、私はあの娘が嫌いだわ。」
「……。」
母は「それだけは覚えていて頂戴」と言って僕の部屋から出ていった。




