第四十六話 昔話
多くの人はふいに過去の自分を思い出して、かつての羞恥や怒りや悲しみが、現在の自分に襲いかかるという経験をしたことがあるだろうと思う。
というのも、現在の自分がまさにそれであった。
小学生の頃の僕と紡の学校生活は、なかなか過酷だった。
僕はばい菌扱いされて、人間や所有物に触れるだけで殴られた。
紡は遠巻きにされ、男子集団からたくさんの金や物を巻き上げられていた。
カーストの高い女子が好きな男子が、紡のことを好いていたというつまらない痴情のもつれが原因だから、女子集団が男子集団を扇動したというのが正確な言い方だろう。
小学生ばい菌男児であったこの僕は、彼女と知り合って一緒に本を読んで仲良くはなったが、別に助けようとはしなかった。
どうせ僕が助太刀しようが意味がないことだと分かっていたし、彼女も助けてほしいとは言わなかった。
先生に言いつけたこともかつてはあったものだが、そんなことをしたところで見えない所でやるのがオチであった。
先生という権威的なだけの存在が、僕たちにとって何の役にも立たないことは既に経験している。
学校に行かないという選択肢も考えられたが、僕も彼女も親とは話したくもないため、それはできなかった。
彼女の両親は僕のことをいたく気に入ってくれ、『娘のことをよろしく』と言われて、見た感じは良い親に見えた。
まあ、彼女にしてみればそうではなかったのだろう。「私の悩みを何の論理性もなく『考えすぎ』の一言で片付ける人達だから、話すことをやめた」とだけ言っていた。
彼女の悩みの全てを理解することなどできないが、『内面と外面が遊離して、自分が自分じゃないみたいで、誰かといても一人ぼっち』という部分で僕と彼女は同志であるだろう。
ある日、僕と彼女は夜の公園で適当にほっつき歩いていた。
彼女は不思議そうな顔をして口を開いた。
「ナイフはいつも持ってるの?」
「うん、母さんを抱きしめる時に握りしめるんだよ。これでちょっと楽になれるんだ。」
この頃の僕の家は分泌液の匂いがとても強く、不快だった。
仕事とか言いながら遊んでいるであろう母に抱きしめられると鳥肌が立つ。
でもお金はちゃんと家に入ってくるから、力関係的に母に従わざるを得ない。
通報して、何になるというのだろうか?
僕は自分の判断が全て間違っているし、この世の最底辺の人間だと思っていた。
母の庇護から離れたら、生きていけないだろう。
外面と内面のズレを少しでも埋めようとする、今から思えば微笑ましいレジスタンスだった。
彼女は僕の意図を理解したらしく感心した様子で僕を褒めた。
「なるほど、そうやって分裂した自分を統合するんだ。ちょっとした知恵だね、それは。」
「でしょ?」
「別のことはしたくならないの?」
「たくさん考えたけど、ろくなことにならないだろうってことだけは分かるよ。」
「そうだね。」
僕と彼女は手を繋いで一本のナイフを見ていた。
なんだかすごくワクワクしたことは鮮明に覚えている。




