↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/85

第三十九話 甲斐性なし

翌日。

時刻は朝の9時。

今頃、我が校の生徒は親睦遠足で目的地到着のために緑の多い道を闊歩しているだろう。

僕は学校を休んで紡の部屋にいた。

僕と紡はベッドの上に寝転んで、ノートパソコンを置いてサブスクを見ている。

僕たちはR・D・レインの伝記映画とドキュメンタリーを見漁っていた。

エンターテインメントに全振りしたアニメは一人で見たいものだが、良いアニメや映画は誰かと見るに限る。

二人で見るとアニメや映画の影響に、良い意味でも悪い意味でも、自分が引きずられることがないからだ。

レインの出世作『引き裂かれた自己』の中心概念は「存在論的不安定性(ontological insecurity)」である。これは、自己が他者との関係において「呑み込まれる」、「内側から崩壊する」、「人間性を剥ぎ取られた物にされる」という根源的な脅威に常に晒されているという感覚を指し、分裂病質的な人格構造は、この脅威から「真の自己」を守るために「偽りの自己」というシステムの背後にそれを退避させる防衛機制として説明されている。

伝記(特に息子エイドリアンによる暴露的な評伝)や批判的な精神医学史研究を調べたときのレインのエピソードはかなり酷いものが多いが、歴史に名を残すだけあって、もちろん良いエピソードもある。

1960年代、渡米したレインが何か月も一言も発さず裸で体を揺すり続ける女性患者を診てほしいと頼まれたことがあった。同僚たちが手をこまねいていた中、レインは黙って服を脱ぎ、彼女の隣に座って同じリズムで体を揺すり始めた。ミラーリングをして20分ほどで、女性は約200日ぶりに言葉を発したと伝えられている。後に彼はスタッフに、なぜ自分たちで試してみなかったのかと尋ねたそうだ。症状ではなく体験そのものに徹底して寄り添うという彼の理論の核を、最も鮮やかに体現する話としてよく引かれる。

まぁ、こうした「よい話」もレインが優れたストーリーテラーだったという性質から生まれている可能性があるということは否定できない。多くは本人か側近の筋の証言に由来し、第三者による独立した検証が難しいものが少なくない。

僕のような素人が言える確かなことを1つだけ挙げるとするなら、『僕はレインをおよそ他人とは思えなかった』というきわめてプライベートなことだけだろう。

映画のレインと女性患者がミラーリングをしている場面が映し出される。

「案外、私たちが出会ったときもこんな感じだったのかもしれないんだよ。」

「僕はレインみたく、裸になんてなれないよ。」

僕たちはお互いが患者であり、レインだったのかもしれない。

作品と自分との関係の中で、作品の中から外界のものを発見することはたくさんある。

架空のものに本気になることこそが、気高きオタク魂である。

「一緒に寝よ!」

紡がおどけたように口を開く。

「ダメです。」

「指一本ふれないから。ダメかな?」

「ダメです。」

「甲斐性なし。」

「……。」

ここまでの態度からしてみれば、その評価は甘んじて受け入れるべきだろう。

「じゃあ、泊まる時は一緒に寝よう。」

これが精一杯だった。

まだ、怖いから。

「言質とったんだよ。」

紡はしてやったり顔だった。

「そのドヤ顔は、なんかバカっぽいよ?」

これは完全な負け惜しみの捨て台詞だ。

動画を見るのをやめて、一時間くらい馬鹿話をして軽口を叩きあった。

「それじゃあ、そろそろゲーセン行くべ。」

13時過ぎに、ようやっと僕らは外出した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。