第三十四話 綾地家
「なんでパパとママがいるの?」
綾地家に帰って、紡が言い放った開口一番の言葉がこれだった。
邪魔者みたいに言わないでくれよ…。
「随分と仲がいいのね。」
睦美さんは手を繋いだままの僕たちを見ていた。
「いつもお世話になってます。」
「会おうとしても、中々会えなかったわね。」
高校生になってから会うのは初めてな気がする。
髪の色以外は紡によく似ている。
「縹を家に連れ込むけどいい?」
紡はまるでそれが決定事項のような言い方で、睦美さんにそう言った。
「縹くんと一緒に寝るのは無しよ?」
「……。」
「それさえ守れば、別にいいわ。」
「ウン、ワカッタ。」
めっちゃ棒読みだった。
コイツ、絶対に守る気ないだろ。
ここは僕が自重しなければならない。
「おかえり、縹。」
「大五郎さん。お世話になります。」
「まぁ、あれだ。紡をちゃんと止めろよ?」
「分かりました。」
「ちゃんと持ってるのか?」
「一応あります。」
コンビニで紡に買わされた。
2人でそれだけを買ったから、一瞬だけ店員さんが固まったことだけは覚えている。
「なら、とやかく言わんさ。」
「……。」
今度は僕が黙る番だった。
そんなことはしないと思うのだが。
この話題を続けるのは気まずい。
「睦美さん、台所使いますよ。」
「好きに使って頂戴。」
一応の許可を取ってキッチンで準備する。
紡は自分の部屋に行った。
本でも読んで時間を潰すのだろう。
「着替えは俺の服でいいか?」
「すみません。持参してなくて。」
「あまり気を使いすぎるなよ?」
「別に普通ですよ?」
「縹は人の顔色を伺って、おどおどしているような感じがある。」
「それは、そうですね…。」
「若いんだから、ゆっくりでいいさ。」
そう言い残し、大五郎さんは風呂に入った。
台所で睦美さんと2人になる。
すごく良くしてもらっていたことは覚えているが、それは昔のことで、ちょっと気まずい。
それを察してか、睦美さんはこう切り出した。
「縹くんは紡をどう口説き落としたの?」
別に口説いてなどないのだが。
それに、人に馴れ初めなんて言いたくない。
「本当にありがとね。」
彼女は僕に頭を下げた。
僕の方がたくさん助けられているのに。
「お世話になってるのは僕の方です。それに紡にも返しきれない恩があります。」
「まあいいわ。湿っぽいのはなしにしましょ。」
僕たちは料理に取り掛かる。
台所はかなり広いが、2人で別々の料理が出来るほどではない。
僕は基本的に食材を切って、他の仕事を適当に見つけて睦美さんを手伝った。
「早く紡と結婚すればいいのに。」
「なっ!?」
「まぁ、縹くんにも事情があるんでしょう。」
「でも僕の自分勝手な、感情の話です。」
「縹くんがそれを軽視してはいけない。もしバカにするやつがいたら、そいつのことを私は許さないわ。」
「でも…。」
「ゲルショム・ショーレムはハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』を批判したけど、その論点の一つはアーレントのアハバト・イスラエル(Ahavath Israel=同胞への愛、ユダヤの民への愛)が決定的に欠如しているのではないのか?ということだったわ。」
「僕はユダヤ人ではないし、彼らのような存在論的な歴史的自己に対する根源的なコミットメントはありませんよ。」
「そこまで分かるなら、私が何を言いたいのかも分かるでしょ?」
「はい…。」
「いけないわ!暗い話はやめにしましょ!」
彼女は明るい声に切り替えた。
睦美さんは本当に聡い人だ。
大体のことは察しているのだろう。
だが、それに甘えるのは嫌だった。
とっくに助けられてたって、言わなきゃいけないことがある。
「しばらくの間、助けてくれませんか?」
彼女は嬉しそうな顔をして「あなたは変われるわ。」とだけ言った。




