第三十話 昔の紡
ハイタッチしたとき、昔の紡を思い出す。
紡と友達になってからの小学生時代は、ほとんどの時間を哲学と物語に費やしていた。
朝も昼も夜も、時間を見つけて読んでいた。
母は「何の意味があるの?」と言う。
こういうときに僕はこう答えることにしている。
「物語とか哲学なんてものは、物事を難しくするだけで、こんなものは何の役にも立ちません。」
尋常平凡なことを疑う、物語や哲学なんてものが社会や人生のライフハックになり、自己啓発で人生が豊かになるなんてことはありえない。
僕にとってそれを読むということは崖っぷちに立たされるということだった。
死にたくないから、なんとかして格闘する。
「なんでこんな事するんだろう?」って自分でも思う。僕はきっと、自分の内心を裏切ることができない奴なんだと思う。
僕は自分が最底辺の人間で、自分の判断が全て間違っていると心の底から信じていた。
だからこそ尋常平凡事から外れた哲学と物語が僕を魅了した。
それに紡みたいにカッコよく、自由自在に、自分の血肉のように言葉を使ってみたいという憧れもあった。
僕は夜に自分の部屋で本を読む。
21時には寝ないと母がうるさかったから、常夜灯の光で本を読んでいた。
誰かが部屋の窓を叩く。
カーテンを開けて出迎える。
窓の外で紡が手を振っていた。
「いらっしゃい。」
「うん。」
子供は金がないから、公共施設の図書館で本を借りるしかない。
小学校の図書館にある本は5年生の間に全部読み終わっていた上に、退屈だった。
昔の紡は泣きながら本を読んでいた。
最初は触れづらかったが、勇気を出して聞いてみた。
「なんで泣いてるの?」
「今の私の理解力では、本の理解を十全にするなんてとてもできない。だから頭を振り絞って理解した文章に、自分の実存に引きつけて、自分に『どうするの?』って聞いてるの。」
なるほど、それで泣くのか。
そうしたら紡みたいになれるのか。
僕にとって紡は教師であり、同志であり、良き理解者であった。
彼女はどちらかと言えば、僕が悩むと言葉でどうこうしないで、背中で「こうすればいい」と考え方を教えてくれた。
でも、知性と品性のない人間に対する彼女の構えは苛烈そのものだった。
だからと言って、それをおくびにも出さない。
その理由はなんとなく分かる気がする。
彼女の心の運動を僕の中で反復して本を読む。
「怖い。」
涙と嗚咽が止まらないながらもそう言った。
こうして僕たちは何度も何度も自分を崖っぷちに追い込んだ。
よくこれまで生きていたものだと思う。




