第二十九話 教育
「綾地!ちょっと来い!」
昼休みになってから紡が呼び出された。
ちらっと見えた感じからして、体育教師だろう。どうやらサボったのがバレたらしい。
それはいいとして、どうして教師というのはこう、大きな声を出したがるのだろう?
正直に言って、多くの生徒にとって教師など赤の他人であろう。
もし教師と生徒に上下関係なるものがあり、その対幻想は教師に対するリスペクトによって裏付けられているという観念があるとして、その演劇性によって教育というものが担保されているという主張をしたいのならば、大きな声を出すということは演劇性の表出であって、教育を遂行するための対幻想を基礎付けるものではないだろう。
教師が大きな声で威圧をするから生徒に尊敬の念が生まれるという因果性があるという主張は頷きがたい。
だからと言って、生徒の判断を重んじるみたいなことを言い出したら、教師という存在が生徒に対して行う機能的な役割というものの説明が難しくなるだろう。
生徒の行動を時には否定することがなければ、教師のプラグマティックな意味での存在価値は少ないと言えるのかもしれない。
勝手な憶測を一つ挙げるとしたら、大きな声で威圧したら、生徒の行動が自分の前で変わるということ自体を教育の成果と認識してるのかもしれない。
どうせ尊敬も興味関心も持たれてないだろうに、なぜか大きな声だけは出したがるような教師の精神運動がどうなってるかについて、もっと詳しく考えてみる。
まぁ、クソガキがムカつくんだろ。
それっぽいことを考えて、やってる感のカタルシスを自分が得るためには、自分にとって都合がよく、痛快な、それっぽい結論を出すに限る。
僕はまるで紡の心配をしていなかった。
「なんで体育の授業にいなかった!」
体育教師は廊下で大声をだし、公開処刑のような感じで問い詰めた。
紡は俯いて黙る。
「だんまりか!言え!」
「−−の日でした。」
消え入るような彼女の声だが何を言ったのかは大体分かった。
まぁ、サボりのための口実で、嘘なのだろうが。
でも、そういう口実を繰り返すと信用を無くして、いざという時に本当に困ることがあると聞いたことがある。
彼女にとって、それは諸刃の剣だろう。
事情を知っている僕にしか分からないだろうが、彼女は後ろめたい顔をしていた。
事情を知らなければ彼女は被害者だろう。
周囲の視線が教師を責めるものに変化する。
「先生には言わないでほしいって私が言ったんです。でも心配されるってことをまるで考えてませんでした。自分勝手なことをして、本当にすみませんでした。」
彼女は教師の顔を立てる。
教師はバツの悪そうな顔をする。
「本当にすまない!私が一方的に大声を出してしまった。許してくれ。この通りだ!」
彼はものすごい勢いで頭を下げた。
別に悪い人ではないのだろう。
「そんな、先生は悪くありません。」
紡はフォローも忘れない。
「本当にすまなかった。」
彼はもう一度そう言うと、早足で職員室へ向かった。
「いぇーい」
教室に入った紡が僕のところまで来て、ハイタッチを要求する。
「相変わらず、猫かぶるのが上手いな。」
「でしょ?」
軽い言動とは裏腹に、紡は少しだけ暗かった。
「私は悪い子なんだよ。」
「知ってる。」
「先生に対する罪悪感もないんだよ。」
「知ってる。」
らしくない紡の態度が嫌でこう切り出した。
「教師って、生徒に尊敬も興味関心も持たれてないだろうに、どうして大きな声を出したがるのだろうか?」
主語があまりにも大きい、頭の悪い質問をしてみた。
こんなこと、他の人には言えない。
「縹は頭が悪いんだよ。」
紡の昔を思い出す言葉だ。
もっとも、彼女は人を罵倒などしなかったが。
昔の紡は苛烈だった。
「私の教育が足りなかったのかな?」
教育ね。確かにそうだったのかもしれない。
自分が悪い癖に、ちょっと機嫌が悪くて、ちゃんと性格が悪いのが、可愛いと思った。
どうやら調子が戻ってきたみたいだ。
「お前、体育サボってんじゃん。」
「縹に言われたくないんだよ。」
ハイタッチする。
ちょっと懐かしい気分になった。




