第十話 趣味と実益ですよ?
「そろそろ帰宅しよう。」
綾地紡は両手を高く上げ、伸びをしながらそう言った。聖幽舎を出た頃には時計はもう18時を回っていた。
僕はまだまだ遊べると思っていたので少し名残惜しい感じもしたが、ここで引き留めるのも憚られたため
「じゃあここらで解散だな。おつかれー。」
と言うと
「ああ、違うよ?帰るって言っても私が君の家に帰るってことね?」
「お前の帰る場所はお前の家だ。」
「私の家に君が帰るでもいいよ。」
「いいわけねーだろ。」
会話をしても、まるで彼女の真意が掴めない。
すると彼女はスマホの画面を僕に見せつけた。
それは彼女の母親からのメッセージであり、
「今どこにいるの?」という心配の連絡だった。
どうやら文化祭を抜け出したことが学校にばれたらしい。
「ごめん、さる筋からの情報はフェイクだったみたい。」
彼女は本気で申し訳なさそうに僕に頭を下げた。
「やめてくれ、水臭い。そんなのちょっと怒られるだけだろう。それに元はと言えば、僕が学校の役割をサボったことが発端だろう。」
「君はちょっと怒られるだけで済むの?」
彼女は本気で心配そうにしていた。いつもの柔らかい口調が硬く、声のトーンも低い。
「私は基本的に放任だからさ。ちょっとやんちゃしても融通が利くけど、君は違うよね?」
彼女の問いかけは、問いかけのようでいて問いかけではなく、もうすでに裏を取った上での事実確認であった。
ここで違うと言ってしまったら、彼女の態度を頑なにするだけである。本気で僕の家に潜り込んでしまいかねない。かと言って、彼女の家に行くのは問題の先延ばしであろう。
「大丈夫だよ。子供じゃあるまいし。限界になったら、また君の顔でも眺めたら回復するさ。」
情けないことこの上ないのは分かっている。
でもこれが僕の精一杯だった。
彼女は何かを言いかけたが、言葉を飲み込んだ。
僕は「ありがと。」とだけ言うと彼女は、パン!
と手を叩き「切り替えたんだよ。」と言った。
「今日は寝かさないからね?」
彼女はいつもの柔らかいトーンを取り戻してそう言った。
「いや、泊まるのは無しってことでケリがつきそうなところだったじゃん!」
「そうだよ?でも今日は寝ないで朝まで通話はできるよね?」
「何もそこまでしなくとも⋯。」
「やりたいんだよ!通話で寝落ちが!」
彼女はこれまで聞いたことのない大きな声でそう言った。通りすがりのマダム二人組が生暖かい視線を向けて「いいわぁ。」と言っていた。
駅の近くでそこそこ人も多いからやめてほしい。
でも内心うれしかった。正直に言って辛かったから。こういう議論では彼女には敵わない。
「まあ、趣味と実益ですよ?お兄さん?」
そう彼女は言い残し、僕らは解散した。




