大聖堂再び
リュートの音色が響く。
老いた吟遊詩人は、遠い昔の覇王の戦いを歌った。
アデルたち貴族は、杯を傾けながら耳を傾ける。
シナ国遠征前の、束の間の休日が終わる。
「胸に染みるバラッドだったのう」
アデルとカスガーは歌会の帰り路。
夕暮れの小路を並んで歩いた。
カスガーは、思いつめたような表情のアデルを見る。
とうとう、言い出すのか。――それを。
謀反を起こす決意を。
「お前は、カスクバレーの時にアサシンをやっていたらしいな」
カスガーの時が止まった。
体中の毛穴が開いて気色悪い汗が噴き出すのを感じた。
「なぜアデル様は……そのことを……」
返事が返せない。
「お前は、オレに仕える以前から反オデル派なのだな」
「……」
カスガーは言葉が発せられない。
目だけで頷いた。
「オレを侮るな」
「オレは意外と、何でも知っている」
アデルは両の口角を上げ、愛情深い笑みを讃えた。
「5日後のシナ国遠征の時、進路を変える」
夕日が沈み、路は暗くなった。
時折吹く風が、枯葉を舞い上げる。
「……」
カスガーは言葉が出ない。
待っていた決意が、発せられたのに。
「インスティクト大聖堂へ向かう」
「さ、最後まで、お供します」
しゃがれ声をようやく発した。
「最後とは縁起が悪い」
「オレがオデル様を討つのがシナリオだ」
アデルは毅然と語気を強めた。
「ただし、今回はオデル様もオレが謀反を起こすことを悟っている」
「大掛かりな戦いになるであろう」
昇り始めた大きな月夜に目を遣る。
「あと、5日。そのつもりで準備を始めてくれ」
再びカスガーに目を転じた。
カスガーは頷き、そのまま小路を歩いた。
しばらく、無言でお互いが思いにふけっていた。
――すっかり日が落ちた。
自身の城に着くところで再び、アデルはカスガーを見詰める。
「実は……前世では、オデル様を討ったあと、トヨルドが戻ってきた」
「トヨルドに敗北し、逃げる途上で山賊に討たれた」
城内に入らず立ち止まる。
離れた位置で、衛兵が直立し二人を見守る。
「アデル様が? 山賊に?」
カスガーは訝し気に問うた。
「オデル様に憑りつかれた」
「躰の自由が効かなかった」
意味深な目をカスガーに向けた。
「今回はその手は喰わん。結界を張る」
「大天使ミカエルの祈りを唱え、ロザリオを掲げる」
アデルは十字を切って見せた。
「すると、問題はトヨルドですな」
カスガーはすぐに気づいた。
「あいつ! オレの謀反を知っていたかの如く、シナ国から飛んで帰ってきた」
思い出しただけで興奮する。
「つまり、次のトヨルド軍対策まで万全にしておく必要がある」
アデルはジロリとカスガーを見据えた。
「承知仕りました」
カスガーは平伏する。
アデルの指示の的確さに感嘆した。
「トヨルドを葬れば……」
城内に向けて、再び歩き始めた。
「ようやく……終わる」
◇
いよいよ、その日――
インスティクト大聖堂。
宮廷サロンでの談義を終えたオレは、
――自ら催した、チェスの名人戦を観戦していた。
「この世紀の対決は愉しみじゃのう」
別々の界隈のタイトル保持者が戦う名人戦。
今日の文化人の集いの夜会として、チェス好きのオレが催した。
対局する盤を、30人近いナイトや文化人が囲む。
オレの配下グランドマスターのキボンヌと、
メットのグランドチャンピオンであるディアマンの対決だ。
先行したのはキボンヌ。
「さすがオレの馬」
馬主気分である。
「クイーンの犠牲だ!」
窮地に陥った敵ディアマンが背水の攻撃に出た。
クイーンを切り捨てて、敵陣に切り込む大技だ。
キボンヌは頭を振る。
思わぬ奇手に、囲む観衆がざわめきだした。
「お静かに願います」
レフリーが場を鎮める。
長考の末――キボンヌが反撃の手を打つ。
再び、場が静まる。
――皆が局面を考えている。
誰も答えを見いだせない。
――少しざわつく。
その時――誰が言ったのか?
皆が顔を見合わせた。
「ツークツワンクではないか?」
オレは盤面を見つめた。
「奇妙なものだな」
「何がでしょう」
世話係のラメールが答えた。
「どの手を指しても破滅する」
動かなければ有利なのに、
――手番なので動かざるを得ない。
そして――
動いた瞬間に負ける。
会場のボルテージが一気に上がった。
「ツークツワンク!」
「ツークツワンク!」
みな興奮して口々に叫ぶ。
オレは盤面から目を離せなかった。
どちらも名人。
一手の価値を誰より知る者同士だ。
それでも、逃れられぬ局面がある。
打たねば反則負け。
打てば敗北。
それが、ツークツワンク。
「奇妙なものよ……」
思わず独り言が漏れた。
ラメールが首を傾げる。
「オデル様?」
「この世は、盤上より残酷ということだ」
オレは静かに答えた。
「チェスなら引き分けもある。負けを認めて盤を畳めば、それで終わる」
「だが戦は違う」
「勝者だけが生き残り、敗者は歴史から消える」
盤上のキングを見つめる。
あの駒がオレなら。
追い詰める駒はアデルか。
あるいは、オレがアデルを追い詰める側なのか。
――どちらでも同じだ。
今さら盤を降りることはできない。
あいつも前世を知り、オレも未来を知っている。
互いに最善手だけを積み重ねた果てに、残った道は一つ。
どちらかが死ぬまで指し続けること。
それが、この戦の終局だ。
オレは静かに杯を口へ運んだ。
冷めた葡萄酒が、妙に苦かった。
やられたディアマンの額から、止めどない脂汗が滴る。
ディアマンは頭かぶりを振る。
あたりに汗が飛び散る。
今度は深く項垂れる。
地についてしまうくらい項垂れる。
終いには、急に上体を起こして――固まった。
5分、10分……微動だにしない。
「あっ!」
と叫ぶと、ディアマンはキングを握った。
右手に高く掲げたキングを静かに置いた。
――この手は?
聴衆は静まる。
しばらくの沈黙の後――
また、誰かが叫んだ。
「ステイルメイト(引き分け)だ!」
聴衆のボルテージが再燃する。
「どちらも勝者になれない!」
勝負はまさかの『行き詰まり』で終わった。
聴衆は興奮して、口々に本日の戦いを振り返る。
勝者なき終局。
だが今晩……現実は違う。
……オレもアデルも、生き残るために相手を殺らねばならない。
再戦を誓い、場は散会した。
「不思議な結果であった」
オレはこれから起こることに、思いを馳せた。
「ラメール、いよいよ明朝だ」
「アデルは1万5000の軍で、シナ国ではなく、こちらに向かってくる」
ラメールはオデルの言葉に背筋が伸びる。
「現在大聖堂に5000,夜中に援軍10000が到着します」
毅然と答えた。
「オプションも用意してある」
オレはラメールに意味深な笑みを投げかけた。
それでも……不安はある。
今回は不意打ちにならないことを、あいつも知っている。
万全の態勢で来るはずだ。
大きく息を吸い込んで、ゆっくり時間をかけて吐く。
「ラメール、皆に伝えよ」
「裏切者が来る」
「準備を整えよ」
「戦だ」




