トヨルドの読み
トヨルドは、慌てふためいてシルビアのもとに向かった。
「ウインザー卿と再婚するとは誠か?」
息せき切ってシルビアのいる修道院まで来た。
「兄に勧められました」
シルビアは頬を赤らめ、庭木に視線を逃す。
「なぜだ?」
「なぜ今さら再婚など――」
トヨルドは、普段見ることのない真顔になっている。
「私の為にも、ウインザー様の為にも……」
「互いの為になると……兄はそう申しました」
頬を赤らめたまま、話した。
「北方に行くのか? ……セイロンも?」
トヨルドは泡を飛ばした。
心の内が……漏れてしまった。
シルビアの顔色がサッと変わる。
そうよ。この幼児性愛者が気にしているのは私ではない。
気の合わないウインザーの事でもない。
――セイロンと離れ離れになること。
「家族ですから……」
シルビアはトヨルドの顔を見るのも気持ち悪くなってきた。
シルビアは静かに答えた。
だが胸の奥では寒気がしていた。
トヨルドは自分を見ていない。
最初から。
ただ一人、セイロンだけを見ている。
あの日、幼い娘へ向けられた視線を忘れたことは一度もない。
母親として、あの目だけは許せなかった。
「寄りによって、ウインザー殿の……」
古狸のウインザーとは、生理的に合わない。
いや、ウインザーとかいう問題ではない。
セイロンが遠く北の地に行ってしまう。
今までのように気軽に会えなくなる。
トヨルドの問題はそこだ。
――しばし呆然としているところに、セイロンが戻ってきた。
「トヨルド様! 今日は何を持ってきて下さったの?」
セイロンの高い声が響き、いっぺんに場が華やぐ。
「シナ国由来のあまーいお菓子を持って参った」
トヨルドの、陰鬱な顔も晴れ渡る。
「では、紅茶でも用意しますか」
シルビアは、その場を離れる。
――振りをして、扉の隙間から様子を窺う。
二人の様子が……変わる。
「北方に行かれるのか?」
トヨルドが囁く。
セイロンは少しだけ笑った。
「……行きたくありません」
トヨルドの表情が柔らかく崩れる。
戦場では決して見せない顔だった。
セイロンも微笑む。
その笑みは無邪気なのか、計算なのか。
シルビアには判別できない。
子供の笑顔。
しかし視線だけは大人だった。
男を安心させる距離。
男を喜ばせる間。
十二歳の少女が覚えるには、
あまりにも早すぎる。
その声は幼い。
だが、男にどう言えば効くか、理解している女の声。
二人の距離が近い。
耳元で囁き合っている。
――シルビアの鼓動が高鳴る。
12歳の娘と47歳の男の、
……他人ではない距離感。
「でも、もう、すぐ、……大人」
そう言って、――
セイロンの足先が、机の下でトヨルドの脚に触れた。
偶然なのか。
誘っているのか。
シルビアには、もう分からない。
「――じきに、迎えに行く……」
トヨルドは瞳を閉じている。
『ガシャーン、ガシャ、ガシャーン―』
シルビアの指先から力が抜けた。
茶器が滑る。
音を立てて割れる。
その音よりも、胸の中で何かが壊れた音の方が大きかった。
娘を守れなかった。
母親なのに。
気付いた時には、あの子はもう子供ではなくなっていた。
――紅茶の入ったトレーをひっくり返した。
「きゃー、助けてセイロン!」
シルビアの手は震えている。
「大丈夫ですか、お母様?」
セイロンはトヨルドからサッと離れた。
ひっくり返した茶器を一緒に拾う。
「まぁ、お母様顔色が悪いわ。震えてらっしゃる」
「だれかー、助けてくだされ」
セイロンはお側付きのものを呼んだ。
シルビアは介抱され、隣室で横になった。
――怖かっただけだ。
あまりに早く大人になっていた、実の娘が。
◇
「なかなか落ちんのー。良い策はないか?」
トヨルドは最近何でもブラックに相談する。
「……湖にしますか?」
ブラックの口角が上がり目は微笑む。
ブラックは地図を広げた。
一本の線を指でなぞる。
ドラウ川。
高低差。
水量。
堤。
土質。
すべて計算済みだった。
城を攻めるのではない、城を消す。
発想そのものが戦ではない。
土木だった。
トヨルドは笑う。
「敵は剣を磨いて待っておる。」
「こちらは鍬を持って行く。」
二人は顔を見合わせた。
「なに!……お、面白い」
一瞬止まったが、すぐに笑顔が広がった。
「あの厄介な、ぬかるんだ地形を逆手に取るのか?」
トヨルドは合点が行ってきた。
「そうです。すぐ近くのドラウ川から水を引きます」
呑み込みの早いトヨルドに、ブラックも興奮する。
「湖にして、敵城を沈めるということだな」
トヨルドの返答に、ブラックは笑顔で頷いた。
「では戦争というより灌漑工事だな」
トヨルドは畳み掛けるように言う。
「そうです。土木に強い、捕らえたドワーフなどを使います」
ブラックの言葉に力が入る。
「ドワーフどもは融通が利かんから……気を付けろ」
自分の轍は踏まないように――トヨルドの老婆心が出る。
「その城を沈めれば、……いよいよシナ国攻めだな」
トヨルドは威勢よく、鉄扇で地面を叩いた。
ブラックもトヨルドの目を見て頷く。
「ワシには……未来が見えている」
というと、トヨルドは立ち上がった。
天守から城下を見下ろす。
ブラックは息を止めた。
トヨルドは未来という言葉を軽く口にした。
冗談ではない。
本気で言っている。
この男は、戦場の流れを読むのではない。
人間そのものを読んでいる。
――しばし、城下の眺めを愉しんでから……切り出した。
「オデル様とアデルは……もう限界だ」
ブラックは目を見開く。
トヨルドの発言の真意を待つ。
「オデル様は、今ゴールが見えてきている」
トヨルドの視線が城下からブラックに注がれる。
「ゾーンに入っている」
「そこが、落とし穴だ」
声が大きくなる。
「アデルは感情が表に出ないタイプ」
「しかし……恨みの炎は、真っ赤に燃えている」
歌でも歌うように語り出す。
「アデルは、耐え切っている」
トヨルドは鉄扇を閉じた。
「人はな、壊れる前が一番静かだ」
ブラックは息を呑む。
「オデル様は追い込み過ぎた」
「アデルは耐え過ぎた」
心が壊れる順番まで見えている。
だから未来と言ったのだ。
ブラックは初めて理解した。
自分は戦術家ではなく、化け物に仕えているのかもしれない。
トヨルドはクシャリと笑う。
「――次に割れる」
トヨルドは嬉しそうだった。
戦に勝つことより、
人が壊れる瞬間を見る方が好きなのではないか。
ブラックは背中に冷たい汗が流れた。
この男は敵を殺す前に、心を折る。
そして最後に手を下す。
だから誰より恐ろしい。
「さすがは、トヨルド様」
ブラックは大きく頷く。
だが内心では、――
自分が今、何に仕えているのか分からなくなっていた。
この男は味方なのか。
それとも、最後に全員を喰う怪物なのか。
「私も同様に考えております」
「トヨルド様……チャンスです」
今度はブラックが興奮気味に話す。
「千載一遇の……漁夫の利のチャンスです」
ブラックは決め顔で見詰める。
「いつでもとんぼ返りできるように準備を整えます」
実直に答えた。
「明日、……運命の舞台が幕を開ける」
トヨルドはまた、城下に目を遣る。
しばし、目を愉しませて……本題に入る。
「オデル様が、トスクブルク様の訪問を公式に接待するそうだ」
「日頃の同盟の感謝と、さらに絆を強くする為」
そして、視線をブラックに戻す。
「――アデルが接遇総監督だ」
ブラックはゴクリと唾を飲む。
「危険しかありませんな」
「傍で聞くだけでも――恐ろしい、緊張感」
「そうだろ。そうだろ。」
トヨルドは興奮を隠せない。
「明日、二人に最後の亀裂が入る」
そして、……世界が変わる。
「――それを、最後にいただくのは……オレだ。」
トヨルドの顔が嬉しさで醜く歪んだ。




