パート40
— 嵐山にて (— On Arashiyama)
竹の葉が風に煽られて擦れ合っていた。陽の光はあったが、厚い雲がそれを自らの内に覆い隠している。
「酷い出血量だ……。これまでの捜査では、これほどの血痕は見つからなかったぞ。」
カツネリの部下たちが辺りを捜索していた。遺体は竹の群生に寄りかかるようにして転がっていたが、その身体の半分が失われていた。カツネリは遺体の瞳を覗き込む。異様な目だった。恐怖も、昂ぶりも、歓喜も、そこには何もなかった。
その時、一人の捜査官が走ってきてカツネリに告げた。
「係長、もう一体遺体が発見されました!」
カツネリは捜査官に同行し、現場へと向かった。
それは、あの観光客の少女の遺体だった……。
「遺体の傍らに、このカメラが落ちていました。不可解なのは、何枚もの刃で滅多刺しにされているにもかかわらず、喰われた形跡がないことです。これまで確認された遺体はどれも一部が喰い荒らされていましたが、これにはそれがありません。」
カツネリがその違和感を噛み砕こうとした瞬間、彼の携帯が鳴った。
『カツネリ、遺体から検出された唾液の成分だが、解析不能だ。どの研究所のデータベースにも該当するものがない。』
カツネリは再び遺体を見つめた。顔のほんの一部に、不自然に土がこびりついていることに気づく。彼は部下に指示を出すと、少し離れた場所に移動してタバコに火をつけた。彼の傍らには、東京警視庁の幹部も立っていた。
「この事件は長引きすぎているぞ、カツネリ。もう誰も黙ってはいない。状況は悪化する一方だ。……心苦しいが、我々が長年お前に寄せてきた信頼が揺らぎ始めている。」
カツネリは幹部の前に立ち、彼を説得しようと試みた。
「待ってください……私の話を聞いてください。閣下が今どう感じているか、どれほどのプレッシャーを受けているかは理解しています。ですが、もう少しだけ時間をください。この事件の全貌を、必ず閣下の前にさらけ出してみせます。」
「分かってくれ、これ以上は猶予を与えられないんだ。」
幹部がそう言いかけた時、部下の捜査官たちが呼びに現れた。この事件に関する緊急会議に出席しなければならないのだ。
カツネリは再び己の職務へと戻ったが、その心は決して穏やかではなかった。
(……すまない。やはりマヨラの正体を公表するしかない。お前と交わしたあの約束は、すべて白紙に戻さざるを得ない。)
心の中でそう呟き、カツネリはある苦渋の決断を下す。
ちょうどその頃、東京と千葉を結ぶ閑散とした道路を、ツネリは車で走らせていた。彼の少し前方にはタガヤさんの車、そしてその間には一台の黒いバンが走っている。
「作戦通り、橋を渡りきった瞬間に各自の車両で道路を封鎖するんだ。いいか、早すぎるのも遅すぎるのも駄目だ。標的の車が現れた、まさにその瞬間に仕掛けろ。」
ツネリは無線で仲間に指示を出していた。
一方、警視庁の幹部は会議へと向かっており、他県の警察もこの事件に加わるために集結しつつあった。カツネリは遺体を検死研究所へ送る手配をしながら、周辺の徹底的な調べる。
車列が橋の中ほどまで差し掛かった。タガヤさんは腕時計に目をやると、アクセルを踏み込んで加速した。それを合図に、バンと後続の車も一斉に速度を上げる。タガヤさんは自らの車を中央へと滑り込ませてバンを先導し、そのまま橋を強行突破した。
嵐山では、カツネリが遺体の搬出を終えたところだった。幹部の会議が始まるまであと3分。その時、幹部のもとに一本の緊急入電が入る。
『閣下! 東京から千葉へ向かうルート上で、激しい銃撃戦が発生しました! 確認でき次第、追って報告します!』
幹部は会議を即座に中止した。同じ知らせがカツネリにも届き、彼もまた嵐山を後にした。
その頃、嵐山のもう一つの入り口では、マヨラが車内でラジオのニュースに耳を傾けていた。例の銃撃戦の報が流れる。マヨラは素早く車から降りた。
現場の捜査官や警察官たちは撤収しかけていたが、ニュースを受けてその場に留まり、市民がパニックを起こさないよう警戒を強めていた。すでに二つの遺体が出ている場所だ。マヨラはジャケットの内に手を忍ばせ、銃のグリップに手をかけた。……だがその瞬間、彼の目にテギと一緒にいるシナの姿が飛び込んできた。
マヨラの手が止まる。シナだけが、自分の生存を知っている存在だ。警察が彼女に事情聴取を行うような事態だけは、何としても避けなければならなかった。
マヨラは銃をジャケットの奥に戻すと、猛然と走り出した。そして、犯行現場で警察が回収し、一人の捜査官が調査のために持ち運ぼうとしていた「あのカメラ」を力ずくでひったくった。彼は身を翻し、元来た入り口へと向かって走り出す。そちらのルートには警備が配置されていないことを確認していたからだ。
「止まれ!」警察が一斉に彼の後を追う。マヨラは素早く自分の車に飛び乗りアクセルを踏み込んだが、パトカーもその後ろにぴったりと張り付いた。
その頃、すでに千葉に到着していたタガヤさんから、マヨラの携帯に連絡が入る。
マヨラは通話に応じた。
『作戦通りだ……。カメラはお前の手にあるな?』
タガヤさんの言葉に、マヨラも状況を簡潔に伝えた。マヨラは車の速度を一定に保つ。すると、背後から仲間のエージェントが別の車で接近してきた。マヨラは速度を落とし、並走する仲間の車へと鮮やかに飛び移った。無人となったマヨラの車はそのまま道路を外れ、電柱へと激しく激突した……。
— 某所にて (— At The.....)
夕刻が迫っていた。マヨラは部屋で一人、深い思考の海に沈んでいた。陽の光はすでに黄金色へと染まっている。ドアが開き、ウィッシュマスターが姿を現して自らの椅子に腰掛けた。
「実に見事だったぞ、マヨラ。我々の狙いはあの少女の遺体だった。お前が現地からカメラを盗み出し、警察の目を引きつけてくれたおかげで、我がエージェンシーの者が裏から遺体を回収することができた……。」
「……ゴラリが遺体を喰わなかったのは、あれが初めてです。だからこそ警察も、あのクソ忌々しいカツネリも翻弄された。」
ウィッシュマスターはタバコに火をつけ、何かを考え込むようにして言った。
「ツネリはどこにいる?」
「嵐山に。俺たち以外に、日本で奴の顔を知る者はいません。」
しばらくして使用人が現れ、マスターに食事の支度ができたことを告げた。マスターはマヨラに帰宅を促すと、そのまま食堂へと向かった。
(……この最中、何かが狂った。)
マヨラは直感した。彼は突如、タガヤさんの携帯を鳴らしたが、一向に出る気配がない。マヨラは急いで屋敷を飛び出し、タガヤさんの自宅へと車を走らせた。
車を走らせながら、再び発信を試みる。今度は繋がった。
『どうしたマヨラ? 一体何事だ……? 何度もかけてきて。』
マヨラはタガヤさんの動揺を鎮めるように言った。
「落ち着いてください。俺の問いに答えてほしい。……シナは、もう家に帰っていますか?」
タガヤさんは、シナはまだ戻っていないと答えた。
「……今すぐ嵐山へ向かってください。」
マヨラはエージェンシーの全構成員を嵐山へと召集した。同時にツネリにも連絡を入れ、一刻も早くシナを捜索するよう命じた……。




