パート26
雪が降り始めようとしていた。祖母が言った言葉は、確かに真実であろう。人の心を理解することは、それほどまでに困難なのだ。ここでは、たった一度の小さな過ちが、即座に「死」へと繋がる。カメズはなぜ名を隠しているのか? フラダの真の目的は何なのか?
— 信 頼 (Trust / Shinkai)
冷たい風が吹き抜け、空は茜色に染まり、鳥たちが巣へと帰っていく。
ユリナは家の縁側で、静かだが心の奥に悲しみを抱えて座っていた。
「今年の木曽谷は雪が深くなりそうですよ。村の衆は、家や蓄えをいつも以上に気にかけるべきだと言っております。」
ユリナの祖母が、彼女の母と話し終えてユリナの隣に腰を下ろした。その瞬間、ユリナの心の曇りが少しだけ晴れた。
「おばあ様、いついらしたのですか?」
「今、お前の父上と一緒に戻ったところだよ。仕事帰りの道でちょうど鉢合わせてね。」
ユリナは立ち上がり、祖母のために茶菓子の用意を始めた。
祖母は、どこか違和感を覚えた。ユリナが何も言わずに席を立ち、台所へ向かうのは初めてのことだったからだ。
「何かあったのかい?」
祖母が母に尋ねると、母は答えた。
「実は、ユリナの縁談の話をしておるのです。話を持ち出すと、あの子は少し時間が欲しいと言い、それからずっと黙り込んでしまいまして…。」
「なるほど。急にそんな話をされたから、戸惑っているだけだよ。
女子にはよくあることさ。
女というものは、信じた相手には突然すべてを捧げてしまうもの。一度信頼を置けば、その人のためなら何だってできる。
ユリナは今、その旅の途中で少し迷子になっているだけさ。でも、必ず戻ってくるよ。」
母は祖母の言葉に深く頷いた。
「左様でございますね。私が気に病みすぎていたのかもしれません。」
そう思って、母は少し微笑み、会話を続けた。
その間、ユリナは茶菓子の準備を終え、祖母のもとへ運んでいった。彼女の頭の中では、間もなく大坂へ辿り着くであろうフラダのことで一杯だった。
そのフラダは、遥か遠くで大坂の巨大な城壁を見上げていた。
— 日本、大坂、城下町 (Castle Town, Osaka, Japan)
そこは、米や木材の取引が盛んに行われる商いの中心地だった。
フラダとカメズが到着すると、そこでは一人の男が盗みの罰を受けている最中だった。
男は地面に組み伏せられ、両手を広げて縛り付けられていた。
その背中には容赦なく鞭が振り下ろされ、フラダはその男の苦しみを自分のことのように感じていた。
(また一人か…。カメズの次はこの男のようになるのか。いや、私の受ける難儀はもっと深いものになるだろう。だが、やらねばならぬ。)
フラダはしばらく立ち止まり、その光景をじっと見つめていた。カメズにはその意図が理解できない。
(一体、何をしているんだ?聞いたところで本当のことは言わないだろうが。今は耐えるしかない。大坂に着いた今、もはや恐れることはないのだ。)
罰が終わると、役人が男に言い放った。
「盗みが少な量であったため、百五十回の叩き(たたき)で済んだのだ。次は命がないと思え。」
そう言って男を解放した。男は息を切らし、震えながら立ち上がった。腕は硬直して曲げることすらできない。
フラダは周囲を警戒しながら、その男の方へ歩み寄ろうとした。
「待て!貴様らは何者だ?許可なくどこへ入ろうとしている?」
番所の門番が呼び止めたが、フラダの視線はまだ去りゆく男に向けられていた。
(いけない、今あの男を止めなければ機を逃す。だが今は、中に入る口実を見つけねば。)
「…近隣の村から、大坂へ向かうために参りました。」
フラダは静かに答えた。
「ならばなぜ、街道を通らぬ?」
フラダは一瞬言葉に詰まった。カメズは思わず一歩後ずさる。
(まずい、罠にはまったか…。適当な言い訳は通じない。もっともらしい理由が必要だ。)
フラダは覚悟を決めて答えた。
「私たちは…長い旅の途中でして。故郷の村がこの近くにあり、ここを通るのが近道だと思った次第です。」
門番たちはフラダとカメズを鋭い目で見定めたが、やがて通行の許可を出した。
「まさか、あんな嘘が通じるとはな…。」
カメズは心の中で呟き、フラダの背中を追った。二人は木材が積み上げられた商いの区画へと消えていった。
「急ごう、一刻の猶予もない。」
フラダがカメズを促す。
だが、その後ろ姿を見つめる影があった。二人の会話を聞いていたその人物は、ある商人に問いかけていた。
「江戸からここへ来た者はいないか?」
商人は少し考え、「いや、見ておりませんな」と言って仕事に戻った。
問いかけていたのは、役人の**景政**だった。
運良く、彼の目はまだカメズを捉えていなかった。
(一体どこへ消えた?古い記録には『カメズ』とあるが、別の書には『カザチマ』の名がある。貴様の真の名は何だ…?)
景政はそう独りごちると、大坂の奥へと馬を進めた。
二人が**堺へと向かう中、景政は書類を読み込み、馬に跨って河内**へと走り去っていった。
お時間をいただき、ありがとうございました。もしこの物語を気に入っていただけたなら、ぜひこれからもお付き合いください。




