奇跡の犬。
何人からの、人が保護に向かったという犬は、そこに現われる。誰もが、ヘドロだらけの犬を案じ、保護しても、その犬は脱走し、その場所に、戻っていた。棒を咥えていたという人もいれば、人形だったという人もいる。莉子達の自宅から、そう遠くない平地に、その犬は、居るらしい。泥とガレキだらけの、場所に、その犬は、誰かを待つように、伏せたまま、居た。
「そうだ・・。」
遠くから、莉子の親父さんは、言った。もう、何がなんだか、わからない景色が、続き、以前は、コンミビで、あっただろうその場所に、その犬は居た。
「アレクだ。」
俺は、運転しながら、前方に粒となって見えた影に呟いた。どんなに、遠くても、どんなに、姿を変えていても、アレクである事は、すぐわかる。
「そうよ・・。」
後部シートで、莉子のおふくろさんが、嗚咽をもらした。多くの、人や車が、泥だらけになって、行き来していた。四駆の俺の車は、幸いにも、侵入禁止となっている所なら、何処へでも、入っていけた。
「街中なのに、こんな車買って!」
駐車場に、入れるのが、面倒臭いと、莉子に悪評だった、四駆が役に立っていた。
「どうして・・。」
あれから、何回、このどうして、という言葉をつぶやいていただろう。アレクは、コンビニの脇に、押し寄せられた、たくさんのガレキと泥の脇に、じっと、伏せていた。金色に輝いていた毛並みも、泥やヘドロが、こびりついて、何の犬種かも、検討が付かなかった。
「アレク」
俺の車が、近づいた一瞬、アレクは、ふと、顔をあげ、確認するかの用に、匂いを嗅いだように、見えたが、また、その頭は、哀しそうに、垂れてしまった。俺達、3人は、口ぐちに、その名前を叫びながら、車から、飛び出し、アレクに、飛びついた。
「良かった。」
生きてて・・。そう、思ったが、アレクの様子は、生きているというには、ほど遠かった。
「大丈夫か?」
俺が、抱え上げると、口元から、何かが落ちた。ぽとっと、まるで、俺に大切な何かを渡すかのように、それは、落とされた。
「これって・・。」
俺は、それをお袋さんに渡した。
「これは・・。」
小さなお人形。
「アレクのお気に入りの・・。」
アレクが子犬の時に、莉子からもらったお古の人形だった。
「アレクの、ハウスに置いてあったのよ。どうして、これを持ち出したのかしら?」
お袋さんが、言った。
「とにかく・・。」
アレクの脱水が酷い。
「早く、車に」
昔だったら、こんなに、泥だらけの生き物をシートに乗せるなんて、考えた事は、なかった。抱え上げながら、すっかり痩せてしまったアレクの肋骨の細さに、驚いていた。
「もう、大丈夫だ。」
そう言いながら、どうして、そこにアレクがいたのか、俺は、考えていた。考えながら、その考えを否定した。まさか・・・。そうだ。そんな事はありえない。脱力したアレクの姿を、後部ミラーで、確認しながら、こらからの事を考えていた。まずは、病院だ。アレクをこのまま、避難所に、連れて行くのは、無理だ。といっても、この騒ぎで、動物病院が、あいているとは、考えにくい。
「提案なんですけど。」
俺は、家族のように、離れがたいと思っている莉子の両親に提案した。
「俺の家にきませんか?」
両親は、顔を合わせた。
「いや・・。まだ、莉子の消息がわからないし・・。しばらく、あの避難所から、自宅に通いたいんだ。」
親父さんが、言葉を選びながら、小さな声で、言った。
「そうよね。私たちは・・。」
莉子の帰りを待っているから。そう、俺の耳に聞こえた。
「俺も・・。」
待っている。だけど、このままでは、アレクの事が心配だった。
「元気になるまで、アレクを預かってくれないか?」
親父さんが、俺の気持ちを察して、提案してくれた。
「いいんですか?」
「勿論、治療費は、持つ。」
「いや・・。そんな事。」
治療費の問題でなかった。莉子が戻ってきたとき、アレクが、病気では、莉子が悲しむ。
「大丈夫です。俺に任せてください。」
その時、ようやく実家の親父の顔が浮かんできた。飛び出していったあの日以来、何も、連絡していない。携帯は、充電が切れたままだった。
「君のご両親も心配しているだろう?」
莉子のご両親が、そっと呟いていた。




