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第19話 ハロウィンの仮装行列

 十月下旬。

 街のショーウィンドウはオレンジと黒の装飾で彩られ、道行く人々の会話にも「ハロウィン」という単語が頻繁に混じるようになっていた。


 日曜日の夜。俺は、六本木の裏路地にあるオーセンティック・バーのカウンターで、静かにグラスを傾けていた。

 隣に座っているのは、丸の内商事の産業医である中山杏子だ。

 薄暗い照明の中、彼女はゆったりとしたシルクのブラウスを身にまとい、そのエキゾチックな美貌をさらに際立たせていた。手元には、氷を浮かべたシングルモルトのウイスキーがある。


「……それにしても、最近の日本はどうかしてるわね」


 杏子はグラスの縁を指先でなぞりながら、ふとため息をついた。


「何かの宗教的な意味を理解するわけでもなく、ただ仮装して騒ぐだけ。非科学的で、非合理的で、ただのストレス発散の口実じゃない」


「同感です。あれはただの経済効果を狙ったイベントですよ。死者の魂が戻ってくるという本来の意味など、誰も気にしていません」


 俺はジントニックを口に運びながら同意した。


 今日は、杏子から「美味しい酒が入ったから付き合いなさい」と呼び出されての、言わばデートのようなものだった。

 職場では見せない、少しだけ力の抜けた彼女の横顔を眺めながら酒を飲む時間は、時給1200円の派遣社員にとって分不相応なほど贅沢だ。


「まあ、医学的な観点から言えば、非日常の仮装をすることで『ペルソナ』を被り、日頃の抑圧から解放されるというメンタルケアの効果はあるかもしれないけれど」


 杏子はウイスキーを口に含み、妖艶な視線を俺に向けた。


「……中川さんはどうなの? 来週、会社で広報部主催のハロウィンパーティーがあるらしいじゃない。あなたも何か『仮装』するの?」


「まさか。私は総務部として、会場の設営と紙コップの補充、そして後片付けという『裏方』の業務をこなすだけです。もちろん、特別残業代はきっちり申請しますよ」

「ふふっ、相変わらずね。……まあ、せいぜい怪我人が出ないように見張っておいてちょうだい。私の出番は勘弁だから」


 大人の男女の、毒にも薬にもならない会話。

 だが、この心地よい時間が、これからやってくる「厄介事」の前の静けさであることを、俺は薄々予感していた。


 金曜日の午後6時。

 丸の内商事・1階の社内カフェ『Oasis』を中心としたエントランスホールは、異様な熱気と喧騒に包まれていた。

 広報部の小野みゆきが発案した「社内コミュニケーション活性化のためのハロウィン・ナイト」が、今まさに開催されているのだ。


「Trick or Treat! さあみんな、今日は無礼講よ! 飲んで食べて騒ぎなさい!」


 マイクを握って音頭をとるみゆきは、体にぴったりとフィットしたセクシーなヴァンパイアの仮装をしていた。背中には黒いマント、口元には小さな牙までつけているが、彼女の放つ「圧倒的な陽の気」のせいで、ちっとも怖くない。


「中川さーん! 見てください、これ!」


 紙皿の補充をしていた俺のところに、郵便室の松田透子がやってきた。

 彼女は巨大なカボチャの着ぐるみをすっぽりと被り、両手にはすでに唐揚げとピザが山盛りに乗った皿を持っている。


「松田、その格好じゃ動きにくいだろうに」

「いいんです! このお腹の膨らみのおかげで、どれだけ食べても太ったのがバレない最強のアーマーですから!」


 食い意地だけは誰にも負けないらしい。


「あの……中川さん、おかしくないですか……?」


 透子の後ろから、もじもじと顔を出したのは竹内塔子だった。

 彼女は、みゆきに強制されたのか、黒いローブに先のとがった帽子を被った「魔女」の仮装をしていた。普段の清楚なオフィスカジュアルとのギャップがあり、周囲の男性社員たちがチラチラと視線を送っている。


「似合っていますよ、竹内さん。完璧な総務の魔女です」

「も、もう! からかわないでください!」


 受付カウンターの方を見れば、ソフィアが「北欧の森の精霊」というガチすぎる民族衣装を着て、営業部の男たちを骨抜きにしている。

 見慣れたオフィスが、完全に異界と化していた。


(……いや、比喩じゃなく、本当に『異界』になってるな)


 俺は予備の紙コップの束を抱えながら、目を細めて霊力を視覚に集中させた。

 薄暗く落とされた照明と、飛び交うレーザーライトの光の狭間で、ドロリとした「黒い気」がいくつか混じっているのが見えた。


 ハロウィン。

 本来は死者の魂が戻る日であり、魔除けのために仮装をする行事だ。

 だが、こんなに多くの人間が「お化け」の格好をして非日常のテンションで騒いでいれば、本物の魑魅魍魎たちが『今日は俺たちの日だ』と勘違いして、引き寄せられてくるのも無理はない。


 俺の霊視が捉えた「本物の怪異」は、ざっと見て3体。

 奴らは巧妙に仮装した社員のフリをして群衆に紛れ込み、浮かれた人間たちが無防備に垂れ流す「生気」や「熱気」を吸い取ろうとしている。


(……さて、人狼ゲームの始まりか。どれが人間で、どれが妖怪か)


 俺は備品管理のふりをしながら、ホールの中を歩き始めた。


 まずは1体目。

 ドリンクコーナーの近くで、フラフラと揺れている白い布を被った人影。


 「オバケのQ太郎」のようなチープな仮装だと思われているらしく、誰も気にしていない。だが、俺の目には、その布の下に『顔がない』ことが見えていた。


 ――『承認欲求ののっぺらぼう』。


 「誰かに認められたい」という社員の抑圧された感情が具現化したものだ。


 俺はポケットから、太字の「油性マーカー」を取り出した。

 背後からそっと近づき、のっぺらぼうの肩を叩く。


『……え? わたし……?』

「ええ。とても個性的な仮装ですね。ただ、少し顔が寂しい。私が『メイク』を施しても?」

『メイク……わたしに……?』


 のっぺらぼうが布越しに振り向いた瞬間、俺は油性マーカーのキャップを外し、呪力を込めて布の顔の部分に、素早く『へのへのもへじ』を描き殴った。


「結界展開。――アイデンティティの付与」


『あ……あああ……! わたしに、顔が……個性が……!』


 誰かに認められたことで満たされたのっぺらぼうは、歓喜の声を上げながらシュウゥゥと白い光になって成仏していった。

 周囲の社員は「あの布のお化け、どこ行った?」と首を傾げただけだ。


 2体目。

 ビュッフェテーブルの前で、他人の皿から勝手にローストビーフを奪い取っている、シルクハットにマント姿の男。

 青白い顔に牙をつけているが、こいつはただの『西洋被れの浮遊霊』だ。酒や飯の匂いに釣られてやってきた、タチの悪いおっさん霊の変異体である。


 俺はアリーナがいるカフェカウンターへ向かった。


「アリーナ、タバスコをたっぷり入れた、激辛のトマトジュースをくれ。塩も一つまみ入れてな」

「えっ? 何その悪魔の飲み物。罰ゲーム?」

「ちょっと、血に飢えた厄介な客に飲ませるんだ」


 アリーナはニヤリと笑い、「聖塩」を強めに効かせた特製ブラッディ・メアリーを作ってくれた。

 俺はそれを持って、吸血鬼気取りの霊の背後に立つ。


「お客様。本物の『血』はいかがですか? 特製です」

『おお……! 血! 血をよこせ!』


 吸血鬼気取りはグラスをひったくり、一気に飲み干した。

 次の瞬間。


『ンギャアアアアアアアッ!? カラッ!? イタッ!? 浄化サレルゥゥゥゥ!?』


 タバスコの強烈な刺激と、聖塩の浄化作用が体内で爆発した。

 吸血鬼気取りは口から青白い煙を吐き出しながら、文字通りチリと化して消滅した。

 周囲には「辛すぎてむせて帰った人」として認識されたようだ。


 そして、最後の3体目。

 これが一番厄介だった。

 ホールの隅に積み上げられた装飾用のジャック・オー・ランタンの山。

 その中心に、どす黒い怨念を纏った『巨大なカボチャの怨霊』が鎮座していた。ハロウィンが終わればゴミとして捨てられるだけの、装飾用カボチャたちの恨みの集合体だ。


『ステラレル……ワレワレハ、タダノ、ゴミ……』


 巨大なカボチャの口から、腐敗臭を伴う瘴気が漏れ出している。

 このままでは、近くで談笑している塔子や透子たちに被害が及ぶ。


(……西洋の化け物には、日本の伝統で対抗するしかないな)


 俺は総務部のゴミ箱から回収しておいた「シュレッダーの紙屑」の詰まった袋を取り出した。

 そして、それを片手でギュッと丸め、小さなボール状にする。

 さらに、ポケットからオレンジ色の付箋を取り出し、素早く折り紙の「手裏剣」の形に折った。


「竹内さん、松田。少し下がってろ」


 俺が声をかけると、二人が不思議そうな顔で道を空けた。

 俺はカボチャの怨霊の正面に立ち、丸めたシュレッダーの紙屑を「豆」に見立てて構えた。


「鬼は外。福は内だ」


 俺は呪力を込め、紙屑の豆を怨霊の巨大な口めがけて連続で投げつけた。

 パスッ! パスッ!

 霊力を帯びた紙屑が、カボチャの内部に撃ち込まれる。


『グガァァァッ!? ニホンノ、マメ……!?』


 西洋の妖怪にとって、節分の豆は相性最悪の猛毒だ。カボチャの怨霊が苦しげに身悶えする。


「トドメだ」


 俺はオレンジ色の付箋で作った手裏剣を、指先で勢いよく弾いた。


「結界展開。――陽光破裂!」


 手裏剣がカボチャの眉間に突き刺さった瞬間。

 付箋の『火行の陽力』が爆発し、カボチャの怨霊は内側から閃光と共に弾け飛んだ。

 パンッ! というクラッカーのような音と共に、怨霊の残骸がオレンジ色の光の紙吹雪となってホールに舞い散る。


「わぁっ! なにこれ、演出!?」

「中川さん、今のクラッカーすごーい!」


 透子や周囲の社員たちが、俺の除霊を「サプライズの演出」だと勘違いして拍手喝采を送ってきた。

 俺は「ただの備品です」と適当に誤魔化し、一息ついた。

 これで、紛れ込んだ妖怪の処理は完了だ。


「……相変わらず、鮮やかな手際ね」


 ふいに、背後から落ち着いた声がした。

 振り返ると、いつもの白衣姿の中山杏子が立っていた。仮装だらけの空間で、逆にその白衣が浮いている。


「先生。仮装はしないんですか?」

「私は『狂気のマッドサイエンティスト』の仮装よ。白衣が一番合理的でしょ」


 杏子はクスッと笑い、俺の顔を覗き込んだ。


「変なウイルスは、全部退治できた?」

「ええ。これで感染拡大の心配はありません」

「そう。お疲れ様。……この馬鹿騒ぎが終わったら、また静かに飲み直しましょうか。今度は、私の奢りでね」


 杏子は意味深な視線を残して、喧騒の中へと消えていった。

 時計を見ると、午後8時。

 俺の裏方としての「特別残業」の終了時刻だ。


「よし、帰るか」


 俺は誰にも気づかれないようにエプロンを外し、タイムカードを切って会社を後にした。


 午後9時。

 アパートのドアを開けると、『ミャーン!』という元気な声とともに、黒猫のクロが足元に突撃してきた。


「ただいま、クロ。今日は少し遅くなったな」


 俺がしゃがみ込むと、クロは俺の膝に前足をかけ、鼻先をスリスリと押し付けてくる。

 俺は買ってきた100円ショップの紙袋から、小さな「コウモリの羽」の飾りを取り出した。ペット用のハロウィン仮装グッズだ。


「ほら、お前も今日はハロウィンだぞ」


 俺がそっとクロの背中に羽を装着すると、クロは『ミャ?』と不思議そうに首を傾げ、ブルブルと体を震わせてそれを落とそうとした。

 明らかに嫌がっている。

 だが、黒猫にコウモリの羽。その破壊力はすさまじかった。


「……可愛いじゃないか」


 俺が思わず微笑んで撫でてやると、クロは羽を気にするのをやめ、俺の太ももの上で「ゴロゴロ」と喉を鳴らしながら、いつもの『ふみふみ』を始めた。


 外の喧騒も、妖怪の徘徊も、この部屋の結界の中までは届かない。

 時給1200円の派遣陰陽師の夜は、この小さな使い魔の温もりと共に、静かに更けていった。


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