表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/42

第16話 お盆休みとご先祖様

 八月中旬。

 コンクリートジャングルである東京・丸の内からも、一時的にスーツ姿のサラリーマンたちが姿を消す時期。

 丸の内商事も、カレンダー通りのお盆休みに突入していた。


 俺は、貴重な休日の昼下がりを、銀座にある少しお高い寿司屋のカウンターで過ごしていた。

 隣に座っているのは、輝くようなプラチナブロンドの髪をアップにまとめ、紺地に朝顔が描かれた浴衣を艶やかに着こなす外国人美女――丸の内商事の受付嬢、ソフィア・イェゲルだ。


「Mmm! この『大トロ』、舌の上でとろけマス! 最高のオーシャン・テイストでござる!」

「……あまり大声で『ござる』とか言わないでくれ。板前さんが困惑してるだろ」


 俺はため息をつきながら、自分の前にあるアジの握りを口に運んだ。

 数ヶ月前、エントランスで貧乏神を撃退した際、彼女と交わした「ランチを奢る」という約束。あの時は軽く流したつもりだったが、彼女の驚異的な記憶力と押しの強さにより、お盆休みのこの日に決行される運びとなってしまったのだ。

 時給1200円の派遣社員にとって、銀座の寿司は痛い出費だが、日本の平和を守ってくれた恩義がある。経費だと思って割り切るしかない。


「でも、Masterナカガワと一緒に休日にスシを食べられるなんて、光栄デス! まるでサムライ・デートみたいデスネ!」

「俺はサムライでもニンジャでもない、ただの派遣だ。……浴衣、よく似合ってるな」

「Thank you! この浴衣、広報のミユキさんに借りたのデス。日本の夏って、とってもエキゾチックで素敵デスネ」


 ソフィアは嬉しそうに微笑み、上がりを両手で持ってすする。

 彼女はふと、カウンターの奥に飾られた小さな盆提灯に目を留めた。


「そういえば、今の時期は『お盆』デスヨネ。死んだご先祖様が、家族に会いに帰ってくる日。……私の故郷ラトビアにも、秋に『ヴェリュ・ラーイクス』という似たような期間がありマス。その時は、ご先祖様のためにご飯を用意して、ドアを開けて待つんデスヨ」

「へえ、遠く離れた国でも、似たような風習があるんだな」

「Yes! ご先祖様を敬う気持ちは、世界共通のスピリットの教えデス」


 ソフィアが珍しく真面目な顔で頷いた、その時だった。

 俺のポケットの中で、スマートフォンがバイブレーションを始めた。

 画面を見ると、『着信:竹内塔子』の文字が光っている。


(……嫌な予感がする)


 休日、それもお盆休みの真っ只中に、直属の上司からの電話。

 俺はソフィアに「少し失礼」と断りを入れ、店の外に出て電話に出た。


「はい、中川です。お盆休み中ですが」

『な、中川さんっ! た、助けてくださいぃぃっ!』


 電話の向こうから、総務の白百合こと竹内塔子の、悲鳴のような声が響いた。

 またか。この人は本当に、休日でもトラブルを引き寄せる「災厄の磁石」だ。


「落ち着いてください。今度は何が出たんですか?」

『で、出たっていうか……実家から送られてきた段ボール箱から、おばあちゃんの声がするんですぅぅ!』

「……はい?」

『今、部屋の中で、勝手に掃除機が動き出したり、キッチンで包丁がトントン鳴ったりしてて……! 私、怖くて玄関から入れなくて!』


 どうやら、お盆にちなんだ非常にタイムリーな霊障らしい。


「わかりました。すぐに向かいます。マンションのロビーで待っていてください」


 俺は通話を切り、店内に戻ってソフィアに事情を説明した。


「……というわけで、急な『業務』が入ってしまった。申し訳ないが、ここでお開きにしてもいいか?」

「Oh! ニンジャの緊急任務デスネ! わかりマシタ、私はこの後、銀座で一人ショッピングを楽しんでから帰りマス! お代はご馳走様デシタ!」


 ソフィアは全く気を悪くすることなく、快く俺を送り出してくれた。本当にできた外国人だ。

 俺は板前に会計を済ませ、塔子の住むマンションへと向かった。


 塔子が住んでいるのは、都内にある築浅のオートロック付き1Kマンションだった。

 ロビーのソファで、彼女は膝を抱えてガタガタと震えていた。休日のため、少しラフなTシャツとロングスカート姿だ。


「中川さぁぁん……! お休みなのに、本当にごめんなさい……!」

「構いませんよ。で、お祖母さんの声がする段ボールというのは?」

「実家の両親が、お盆だからって畑で採れた夏野菜をたくさん送ってくれたんです。さっきそれを受け取って、リビングに置いたら……急に」


 俺は塔子と共にエレベーターに乗り、彼女の部屋がある3階へと向かった。

 玄関のドアを開けると、中から「ズガーッ」という掃除機のモーター音が聞こえてくる。


「……竹内さん。ルンバのようなロボット掃除機ですか?」

「いえ、普通のコード付きの掃除機です……」

「なるほど」


 俺は靴を脱ぎ、リビングへと足を踏み入れた。

 そこには、奇妙な光景が広がっていた。


 誰もいないはずの部屋で、掃除機が自律して動き回り、フローリングのホコリを吸い取っている。

 キッチンのシンクでは、スポンジが勝手に動いて溜まっていたマグカップを洗い、流し台を磨き上げていた。


 そして、部屋の中央には、泥付きのトマト、キュウリ、ナス、ピーマンがぎっしりと詰まった段ボール箱が開かれたまま置かれている。


 俺は霊力を目に集中させた。


 ――見えた。


 割烹着を着た、小柄でふくよかな老婆の霊が、せっせと掃除機のノズルを動かしている。

 悪意は全くない。むしろ、慈愛に満ちた穏やかなオーラだ。

 カテゴリーDの微弱な霊だが、その「念」の強さが物理的なポルターガイスト現象を引き起こしているのだ。


『……まったく、塔子はこの忙しいのに、ちっとも部屋を片付けないんだから。こんな狭い部屋で、ちゃんとご飯食べてるのかねぇ。心配で心配で……』


 老婆の霊が、ブツブツと独り言を言いながら掃除機をかけている。


「……竹内さん。あなたのお祖母さんで間違いないですね?」

「えっ!? おばあちゃん、いるんですか!?」


 塔子が俺の背中に隠れながら、段ボール箱の方を見る。


「はい。お盆で実家に帰ってきていたお祖母さんの霊が、この野菜の段ボールに『塔子ちゃんが心配だ』という未練ごと詰まって、宅配便で一緒に運ばれてきたんでしょう。……過保護なご先祖様ですね」

「おばあちゃん……」


 塔子の目から、恐怖が消え、代わりに懐かしさと申し訳なさが入り混じったような感情が浮かんだ。


 俺たちの声に気づいたのか、老婆の霊が掃除機を止め、こちらを振り返った。


『おや? 塔子、帰ってきたのかい。……その後ろにいるのは、誰だい?』


 老婆の霊が、俺をジロリと値踏みするように睨みつける。


『見ない顔だね。あんた、塔子の彼氏かい?』

「違います。職場の部下で、ただの派遣社員です」


 俺は丁寧に頭を下げた。


『派遣? 塔子に苦労かけてるんじゃないだろうね! ウチの孫は昔から真面目で不器用なんだから、悪い虫がつかないか、おばあちゃん心配でねぇ……』


 どうやら、俺は「孫娘に近づく怪しい男」として警戒されているらしい。

 塔子が慌てて前に出る。


「ち、違うのおばあちゃん! 中川さんは、いつも会社で私を助けてくれる、すっごく頼りになる後輩なの! 悪い人じゃないよ!」


 塔子には祖母の姿は見えていないが、俺が視線を向けている空間に向かって必死に弁明している。


『ほう……塔子がそこまで言うってことは、悪い人間じゃなさそうだね』


 老婆の霊が、少しだけ表情を和らげた。


「ええ。竹内さんは、私の知る中で最も真面目で、責任感を持って会社を支えている立派な社会人です。……ただ、少しデスクの整理が苦手なようですが」

「ちょっと中川さん! そこは言わなくていいじゃないですか!」


 塔子が顔を赤くして抗議する。

 そのやり取りを見て、老婆の霊は『ふふふ』と楽しそうに笑った。


『そうかい。塔子は、ちゃんと東京で頑張ってるんだねぇ。……安心したよ。でも、ちゃんと野菜は食べなきゃダメだよ』

「……はい。おばあちゃん、ありがとう。私、ちゃんと食べてるよ」


 塔子が、見えない祖母に向かって微笑みかける。


 その「想い」が通じたのか、老婆の霊の輪郭が、少しずつ淡く、透き通り始めていた。

 安心したことで、現世への未練が薄れかけているのだ。


(……仕上げだな)


 俺はポケットから、愛用の『青い付箋』を取り出した。

 そして、それを素早い手つきで折り紙のように折り畳み、小さな『馬』の形――お盆に飾る「精霊馬」を作った。


「竹内さん。せっかく送られてきた夏野菜です。お祖母さんに、何か作ってあげてください。それが一番の供養になります」

「……はいっ!」


 塔子は段ボールから瑞々しいナスとピーマンを取り出し、キッチンへと向かった。

 包丁で手際よく野菜を切り、フライパンで多めの油で炒め、麺つゆと生姜でさっと味付ける。

 あっという間に、食欲をそそる「夏野菜の揚げ浸し」が完成した。


 塔子はその小鉢を、リビングのローテーブルの上にそっと置いた。

 俺は、先ほど作った青い付箋の精霊馬をその隣に置き、持参していた「白檀の香りがするアロマスティック」に火をつけて、線香の代わりに煙を立たせた。


「――ご先祖様。お盆の迎え火、そして送り火です。どうぞ、この馬に乗って、安心してお帰りください」


 俺が低く詠唱すると、青い付箋の馬が微かに青白い光を放った。


 老婆の霊は、テーブルの上に置かれた揚げ浸しに顔を近づけ、深くその香りを吸い込んだ。


『……いい匂いだねぇ。塔子、料理の腕を上げたじゃないか。……これなら、もうおばあちゃんが心配することはないね』


 老婆の霊は、満足げに微笑んだ。

 そして、青く光る付箋の馬にまたがるような仕草を見せると、窓の外に広がる夏の青空へと、キラキラと輝く光の粒子となって昇っていった。


 部屋の中に立ち込めていた不思議な気配が、完全に消え去る。


「……帰った、みたいですね」


 塔子が、少しだけ寂しそうに、でもスッキリとした顔で空を見上げた。


「ええ。立派なご先祖様でした。あなたが見守られている証拠ですよ」


 俺はアロマの火を消し、立ち上がった。


「さて、業務完了です。私はこれで……」


「あ、待ってください!」


 塔子が俺の袖を掴んだ。


「あの……これ、作りすぎちゃったので。もしよかったら、お昼ご飯に一緒に食べませんか? 中川さん、さっきデートの途中で抜け出してきてくれたんですよね?」


 彼女は少し申し訳なさそうに、テーブルの上の「夏野菜の揚げ浸し」を指差した。


「……デートは寿司でしたが、まだ少し小腹が空いていますね。いただきます」


 俺は再び座り直し、塔子が用意してくれたお茶と共に、揚げ浸しを一口食べた。

 ナスの甘みと、生姜の効いた出汁がジュワッと口の中に広がる。

 お局霊の時に貰ったおにぎりも美味かったが、これもなかなかの腕前だ。


「美味しいですね。実家の味ですか」

「ふふっ、おばあちゃん直伝のレシピなんです。お口に合ってよかったです」


 塔子は嬉しそうに笑い、自分も箸を進めた。

 クーラーの効いた部屋で、少しだけ遅い昼食をとる。

 悪霊との命がけのバトルもない、ただの「ほっこりとした休日」の午後。

 たまには、こういう残業代の出ない除霊も悪くない。


 夕方。

 アパートに帰宅すると、玄関のドアを開けた瞬間に『ミャン!』という甘えた鳴き声が降ってきた。


「ただいま、クロ」


 俺がしゃがみ込むと、黒猫のクロが俺の足首にスリスリと頭をこすりつけてくる。

 俺はクロを抱き上げ、リビングへと入った。


「今日は少し、お節介な幽霊に会ってきたよ」


 クロの顎の下を撫でてやると、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。

 お盆休みも残りわずか。

 ご先祖様に見守られている塔子のように、俺もこの小さな家族を守るために、また明日から時給1200円の労働に勤しむとしよう。


 窓の外では、夕暮れの空にヒグラシの声が響いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ