俺の帰る場所。調side
その報告が来たのは、突然だった——。
縁に「時間を作ってほしい」と頼んだ次の日。俺のスマホが通知を知らせた。
そこには、件の名前。
——縁?
『人体溶解の新しい被害者が出た。資料を添付するから、すぐに確認をしてくれ』
明らかに急を要するメッセージの後——。
送られてきたのは被害者身元報告書だったのだが、目を通したとき俺は思わず自分の目を疑った。
そこに記載されていたのは、幼い頃に一度だけ見た記憶のある家の住所。
○○県○○市△△町八丁目(詳細省略)
そして被害者氏名の欄に並んだ、見覚えのある二つの名前。
——俺の両親。
何の温度もない文字列に驚きはしても、それ以上の感想も浮かばなくて。
それはあの二人が、俺にとって親ではなかったから。
金輪際、関わることが永遠になくなったことへの安堵のほうが圧倒的に大きくて。
そしてそんな自分の感情にも、驚きもなかった。
添付されていた写真には、折り重なるようにして落ちている二人分の衣服。
一件目、二件目同様の抜け殻。
——随分とあっけない、結末だな。
そんな乾いた笑いが漏れた。あの人たちが無残な死を迎えたのは因果応報で、当然の報い。
事件の発生とは別の不快感を感じながらも、さらにページをめくった先に添付されていた写真に、少しずつ心が乱されていくような焦燥感が込み上げてくる。
食卓、玄関……遠い過去に残された僅かな記憶。
そんな中、とある箇所に目が留まる。
備考、同居者一名——。
被害者夫妻には里子の少女がいたが、その所在は現在不明。
「……里親」
あの二人が俺を売った後に、別の子供を育てていたという事実。
吐き気と共に言いようのない嫌悪感が、突き上げてくる。
載せられていた「家族写真」は俺にはひどく滑稽に見えて。
一見してみれば、なんてことない写真なのかもしれない。
だけど両親だった人たちと、少し離れた位置に立つひとりの少女の間には親子というには、不自然さを感じるような距離感が存在しているようにも見える。
やはりあの家に「家族」なんてものは、存在していなかった。
全部が幸せを装った演技。
俺が知っているのは少なくともすべて、偽りの空虚なものだった。
脳が拒絶反応でも起こしているのか、書かれた内容を上手く処理することができない。
それでも必要なことだけを、すくい取るように資料に目を通していく。
住宅の中にはその少女の衣類や学用品、日用品といった生活痕も確認されていて、戸籍情報にも登録されているという。
そして、その少女の名前が——。
「覚……」
背中を冷たいものが伝っていった。資料を持つ指先には力が入り、心臓が大きな音を立て始めている。
——偶然……なのか。
——それとも……。
段々と、呼吸が浅くなっていく。嫌な予感がして、根拠なんて何もないのに脳内は危険信号を出し始める。
桜が言っていたカフェの店員の少女と偶々、同姓同名なんてことがありえるのか。
偶然にしては、出来過ぎているとしか思えない。
そんな事実が、俺にはどうしても引っ掛かる。
それに実の子供にも愛情を注ぐことのできない人間が、他人の子供を善意で育てるはずがない。
愛情ではない何かがあるはず。
——利益か、命令か……それとも……監視……?
ふと過ったそんな思考を、俺は否定できなかった。
だが今は、あくまでも仮説の状態。憶測だけでは動けない。
もどかしい現状に、手のひらに力が籠る。
「調?」
「……綴」
穏やかな聞き慣れた声に、一瞬で体の力が抜けるのがわかった。
「どうしたの、怖い顔してるよ?」
心配そうな表情を浮かべて首を傾げる綴は、何も言えずにいる俺の手元の資料を覗き込む。
「新しい任務?」
俺はゆったりとした瞬きの後、言葉を発する。
「……これ、俺の両親なんだ」
「え……」
綴の表情はすぐに驚いたようなものに変わり、息を呑むような音が聞こえた。
「俺の事を捨てたのに、里子を預かっていたらしい……」
俺は視線を定める位置を測りかねて、彷徨わせながら見ていたスマホを綴へ差し出す。
「挙句の果てに溶かされたらしい……本当、笑えるよな」
そんな言葉を零す俺に綴は何も言わず、隣へ座って資料に目を通し始める。
リビングには、俺と綴の呼吸音だけ。辺りは静寂が支配している。
「調は、俺のヒーローだよ」
不意に綴が言った。とすん——と座り直した綴の体重によって少し沈んだ座面の分、距離が縮まる。
「調がいなかったら、俺は今ここにいないもん」
その拍子に控えめにふれた肩から、じわりと体温が移ってくる。
見上げた視線の先に見えたのは、優しく笑う綴の姿。
幸せを望むことを諦めていたあの時、初めて見た世界でいちばん美しいもの。そして俺にとって何年経っても、変わることはないただひとつの人生の指標。
俺が自らの何を投げ打ってでも、守りたいもの。
「それは、俺の台詞だよ」
綴の存在は周りを優しく包み込む。いつだってそんな穏やかな空気感が、みんなを安心させてくれる。
そしていつからか、俺の帰りたい場所はこいつの隣になった。
仲間が増えてみんなで笑いあえるアジトが、今の俺にとっての幸せの象徴。
「ふふ。じゃあ、お揃いだね」
そんなふうに言って、綴はふわりと微笑む。そんな笑顔を守るためにも、俺は覚悟を決める。
「綴、ひとつ聞いてもいいか」
俺と綴の間には、僅かな沈黙が流れた。
「いいよ、なぁに?」
言葉としては柔らかくても、綴の表情は真剣なまま。
「この間、桜と一緒に行ったカフェの事……本当に覚えてないのか?」
綴は驚いたように、特徴的な雌雄眼を瞬かせた。
「あぁ、それね……桜から聞いたの?」
どこか気まずそうな表情を綴は浮かべる。
「……もしかしたらね、サクリファイスの影響なのかなって……俺だけ覚えてないから」
俺が頷くと、綴はふらふらと視線を僅かに彷徨わせながら答えた。
——サクリファイス……の影響……?
俺は今まで一度も想定していなかったその言葉に、少し驚いてしまう。
その発想はなかったが、少なくとも俺の持っている情報からすればその可能性は格段に低いはず。
「綴……断定は出来ないが、恐らく現時点でその可能性は低いと思う」
「……ぇ……そうなの?」
綴は驚きつつも、どこか安心したような表情を浮かべた。
——また、相談せずに隠そうとしてたな。
俺は頷きながら続ける。
「……俺は綴の記憶喪失の原因は、件の店員なんじゃないかと考えてる」
「その子が能力者ってこと?」
「あぁ。実際に別の店員に聞いてみたところ、誰も彼女の存在を覚えていなかった」
綴は俺の言葉にぱちりと音がしそうなほど、瞳を瞬かせる。
「で、その店員と同じ名前の子が俺の両親のところへ里子に出されていた……綴は、偶然だと思うか?」
両親は昔、俺を売った時に何らかの形で組織と繋がった可能性は高い。
少女の育ての親と言う名目の監視役だった、なんてことも容易に想像できる。
「確かに……偶然にしては出来すぎてるかもね……」
綴は考え込むようにして、呟く。
「でもね……はっきりとは覚えていないから信憑性には欠けることは理解してるけど、悪い子じゃなかった気がするんだよね」
そんな言葉は、きっと綴の純粋な心。
だけど俺の心は、綴が巻き込まれているかもしれないことが怖くてたまらない。
もし俺の手の届かないところに、連れて行かれてしまったら——。
二度と俺のそばに戻ってきてくれなかったら——。
両親が殺されたことなんて、本当にどうでもいい。
「……お前は優しすぎるよ」
絞り出した声は掠れていて、殆ど音になっていなかった。
だから……俺の前から、いなくならないでくれ——。
そしてそんな言葉は、声として音になることはなかった。
◆
その日の夜——。
「桜、少しいいか?」
「ん、何?」
普段は賑やかなリビングが静けさに包まれ始めた頃を見計らって、俺は桜に声をかけた。
「これ、みてくれるか?」
「任務資料?」
少し不思議そうな顔をしつつも、受け取ってくれた桜は見やすいように印刷しておいた紙の束をめくる。
リビングには、桜が紙をめくる音だけが響く。
「……この子」
写真のページを見た瞬間、桜の瞳が驚きに瞬かれる。
「カフェにいた店員さんだよ……」
桜の声は、少し震えていて。見上げてきた瞳には、不安の色が滲んでいる。
「……やはり、そうか……ありがとう、桜」
たった一枚の写真に映っているこの子が、桜が違和感を抱いた「覚」
そして俺の両親が育てていたという、消息不明の少女「覚」
——ここまで揃えば、きっと偶然なんかじゃない。
「……どうするの、調」
「俺に考えがある」
少女単独の行動なのか、オメガが組織単位で関わっているのか。
現状では、判断がつかない。
けれどもし……意図的に何らかの理由で、綴が狙われているのだとしたら。
心臓に氷を当てられたような、気持ち悪い感覚。
——絶対に失いたくない。
ひとりになったリビングで、俺は報告書を閉じる。
サイドテーブルの端に置きっぱなしにしていた端末へ手を伸ばす。
電源を付け、専用のアプリのパスコードを打ち込む。
『認識、記憶操作能力者および関連事件を特別調査案件として、申請します』
一部のリヒトしか知らないページに、自分の名前を入力する。
任務の緊急度を上げるための申請。俺自身、殆ど使ったことはない。
送信ボタンを押そうとした時、一瞬だけ……指が画面の上で彷徨った。この申請を出せば、もう後戻りはできない。
それでも迷う選択肢は、俺にはなかった。
送信ボタンを押して、画面を閉じる——。
俺は暗くなった画面を見つめたまま、小さく息を吐き出した。
初めて任務に私情を挟んだ。ギフトは生まれながら特殊な能力を与えられる。だがどれだけ絶大な力を持っていたとしても、人間が神になることは出来ない。
だからこそ手を伸ばせる範囲はそこまで広くないし、どうしても守ることのできるものには限界が生じてくる。
この任務の緊急度を上げるということは、優先的に解決するためにリヒト全体で動くということ。
そうなれば、本来受けるはずだった任務が後ろ倒しになり、助けられるかもしれなかった誰かを見殺しにしてしまうかもしれない可能性を多く孕む。
俺はその人たちの生きられる可能性を下げてでも、綴のことを優先することを選んだ。
ギフトを守るリヒトの翠等級としてこの判断は、失格なのかもしれない。
だけどそれでも——。
「……綴は、俺が守る」
あの少女からも、人を溶かす能力者からも……すべて。
綴に何かある前に、危険因子は排除しないといけない。
あいつが穏やかに笑える世界を壊されてしまわないように。
静かなリビングで俺は一人、そう決意を固めた——。




