番外編 小さな子たちの初めてのお泊り。後編 綴side
時間になり、外へ出ると空気は少しひんやりとしていた。
宿泊合宿用の少し大きめのリュックを背負った二人は、なんだかいつもより少し小さく見える。
学校へ向かう道は、そこまで遠くはない。
その道中、桜は俺の手をいつもより強く握っていた。
学校の校舎が、少し離れた所に見えてくる。
「……ねぇ」
校門まであと少し……というところで、俺の服を引っ張ってくる。
「ん、どうしたの?」
「……だっこ、して」
そんな小さな声。
「近くにお友達がいるかもしれないけど、いいの?」
「べつにみられても、いいもん……」
学校が近づいてきたからか、完全に不安が戻ってきているみたい。
「そっか、おいで」
そう言って手を広げると、桜は俺の首に手を回し、素直に体を預けてきた。
段々と「本当に行く」というのを実感してきてしまったのだろうか。
抱き上げると、桜は少しだけ安心したみたいに息を吐いた。
俺の肩へ頬を押しつけたまま、離れないようにくっついてくる。
その隣では調が悠の手の甲を落ち着かせるみたいにゆっくりと撫で、歩いていた。
――ふふ。調のあれ、魔法みたいに不思議とすごく安心できるんだよなぁ……。
昔、俺も何度かされたことのある、優しい仕草。
「……おうち、かえりたい」
桜はしがみついたまま、俺の耳元で小さく呟いた。
「んー?」
「つづりとはなれるの、さみしい……」
――かわいい。
桜の素直で純粋な言葉に、密かに心臓を撃ち抜かれてしまう。
その頭をぽんぽんと優しく叩きながら、残り少ない学校までの道のりを少しゆっくりと歩いていった――。
◆
校門の前に着いて下におろしてからも、桜はずっと俺の手を強く握っていた。
悠も調と手を繋いで、静かに歩いている。
校門をくぐった先の運動場には、すでに何台かバスが止まっていて、大勢の人が集まっていた。
近付くにつれて、がやがやと音は大きくなる。
子どもの声に加えて、保護者の声も重なっている普段よりも一段と騒がしい空気は、朝の学校とは思えないくらい賑やかで、悠の肩が少し強張ったのがわかった。
調はその背中へ軽く手を添える。
「悠、大丈夫」
それは短い言葉だったけれど、悠は小さく頷く。
「やっぱり、いきたくなぁい……」
桜の方は俺の腰元にひしと抱きついて、離れようとしない。
「……つづりといっしょに、おうちかえる……」
「んー、かえるの?」
「……それも、やぁ……」
桜は本格的に、ぐずり始める。
――帰りたい気持ちと負けず嫌いな性格が、桜の中で拮抗しているんだろうなぁ……。
俺はしゃがみ込んで、桜と目線を合わせる。
「じゃあ、頑張れる?」
「……う、ん」
桜はぐずぐずしながらも、ようやく頷いてくれた。
「児童の皆さんは、そろそろ並んでください」
先生の誘導が始まり、保護者たちの見送りが本格的に始まる。
その声に不安そうな表情を浮かべた悠は、並び始めたクラスの子たちの方を見ている。
「悠、しんどくなったらすぐ帰ってきたらいいだけなんだから、あまり気負わず、気楽に行っておいで」
悠は、目を瞬く。
「うん……いってきます」
調が微笑むと、悠も同じように少し笑った。
「あぁ、行ってらっしゃい」
「つづり、もういっかいだけぎゅーして」
「ふふ。はいはい、おいで」
桜は、最後にぎゅーっと抱きついてくる。
――今生の別れでもないのに……なんて思うけれど、俺もちょっと寂しいのは秘密。
「……悠もおいで?」
桜を抱きしめる腕と反対側の腕も広げ、腕の中に悠を招き入れる。
「ふたりとも、いってらっしゃい」
「「いってきます」」
不安そうな色を残す、ふたりの声。両手で小さなふたつの頭を撫でると、背中の服をきゅっと掴まれる感覚。
「何かあったら、すぐに連絡しておいで」
二人は頷いて、列へと並ぶ。
桜は何回もこちらを振り返り、手を振ってくる。
まるで、俺と調の存在を確認するみたいに。そして俺が手を振り返すと、安心したように笑う。
桜と悠はクラスが違うから、先にバスへと乗り込んだ桜の姿は見えなくなった。
悠も一度だけ振り返ってきて、調と俺は小さく頷く。
「大丈夫」だと伝えるみたいに。
小さく頷き返して、悠もバスへと乗り込んだ。
扉が閉まり、ゆっくり発車していく車体を調と並んで見送った。
「……ふたりとも、泣いたりしないかな」
バスが見えなくなってから、ぽつりと呟く。
「どうだろうな。案外、綴よりもけろっとしてるかもしれないよ」
「はは……そうだといいな……」
今までだって遠方の任務で家を開けることもあったから、こうして離れるのは別に初めてというわけではない。
「まだ見送っただけなのに、何でこんなに寂しいんだろ」
だけど今日は二人が大きくなっていく背中をみてしまったから、少し感傷的な気持ちになっているのだろうか。
「なんだかんだ言って、綴が一番寂しいみたいだな」
そう言って調が、控えめに笑う。
「……かもしれない」
「そうか……お前にしては、珍しく素直だな」
「えぇ……俺、普段から結構、素直じゃない?」
「ふはっ……まぁ、そういうことにしといてやるよ」
そんな会話をしながら、校庭から出る。さっきまで少し騒がしいくらいだったのに、調と二人だけになると落ち着くけれど、とても静かで。
やっぱりそれが、少しだけ寂しい……なんて。
「そんなに寂しいなら、俺と手を繋ぐか?」
「なんでだよ!」
そんな調にしては、少し珍しい言動。だけど気心が知れてるからこそできる、テンポの良い会話。
――調の方こそ、実は寂しいんじゃないの……なんて言葉は、俺の中で留めておいた。
「なんか俺らの方が、そわそわしてるね……」
「そうだな……こんなに心配になるものだとは思わなかった」
調は苦笑する。
本当は泣くくらい不安なら、行かせなくてもよかったんじゃないか――。
無理をしていないか――。
何かあった時、ちゃんと周りを頼ることができるか――。
そんなことばかり、考えてしまう。
「桜と悠なら、大丈夫だよ」
「ふふ。そうだね」
調が言った言葉に、俺は短く頷く。
「ねぇ、調。少し寄り道してから帰らない?」
――たぶんこのまま帰っても、静かすぎて落ち着かないと思うし……。
「そうだな、どこか行きたいところでもあるのか?」
「うん! えっとね……」
そうして学生の時みたいに、ふたりで歩きだした。
目的は、某カフェの期間限定ドリンク。昨年も同じものが出ていて美味しかったから、調にも飲んでほしくて。
店内には人がいっぱいだったからテイクアウトにして、飲み物を片手にアジトまでの道を歩く。
最近はこの日にお休みをとるために、他の日に任務を詰めこんでいたから、久々のゆっくりした時間だった。
だけどいつもより少しだけ、スマホが気になってしまって……。
「綴。連絡が来るには、まだ早いよ」
気がそぞろになっていたのを、調に気付かれた。
「……そうだよね……来てほしいってわけじゃないんだけど、心配でつい……」
「まぁ……確かに俺も気持ちはよくわかるよ」
本音を言えば、楽しく過ごせていたら嬉しい。だけど、無理をして我慢してる可能性もある。
だから、落ち着かなくて。
そんなふうに俺たちのお昼の時間は、少しそわそわと過ぎていった。
◆
それから数時間後、辺りが暗闇に包まれた頃――。
調のスマホに、着信が入った。その音によって、リビング内には、じわりと緊張感が漂う。
調の方に連絡がくるということは、悠の担任の先生。
桜の方なら、俺に連絡がくるはずだから。
「……はい……そうですか、分かりました」
電話の内容まではわからないが、耳へ当てた調の表情が少し変わる。
和は読んでいた本から顔を上げ、燎もスマホを操作していた手を止めて様子を窺っていた。
「はい、すぐお伺いします……はい、失礼します」
調は電話を切ってから、小さく息を吐く。
「学校から? タクシー呼ぶ?」
和のそんな問いかけに、調は静かに頷いた。
「あぁ、頼む。悠本人は大丈夫だって言ってるらしいけど、かなり無理してるみたいで……晩ごはん上手く食べられなかったみたい」
「「あー……」」
燎と和も容易に想像できたのだろう。
「とにかく二人は、準備して」
「俺も悠が帰ってきたら、軽く食べられそうなもの作っておくよ」
和と燎の申し出を有り難く受け取って、着替えるために自分の部屋へと向かう。
いつもの倍くらいのスピードで準備して、財布とスマホ、鍵だけを持って、調と一緒に半ば転がるようにしてアジトを出た。
タイミングよく到着した和の手配してくれたタクシーの運転手さんに行き先を伝え、宿泊施設へと向かう。
――少しでも……一秒でも早く……。
他のどんな事よりも、気が逸ってしまう。
車で二十分ほどの距離がその何倍、何十倍にも感じられ、車内で何度もスマホの画面を点けては……消してを繰り返す。
施設へ着くと、先生が玄関まで出てきてくれていて、俺たちは二人揃って上がらせてもらう。
「すみません、夜分遅くにお電話をしてしまって……」
「いえ、連絡いただいてありがとうございます」
調は、軽く頭を下げる。
「悠は?」
「今は、休憩室にいます」
そう言って悠の担任の先生は、奥にある休憩室へと案内してくれた。
消灯時間が近いため廊下は静かで、遠くから子どもたちの笑い声が少しだけ聞こえる。
休憩室の扉を開けると小さなソファが見えて、そこへ悠が膝を抱えた状態で座っていた。
机の上には、手付かずのお茶。
人の気配に気付いた悠は、顔を上げる。
「……っ」
悠は、一瞬……目を見開いた。
「……悠、迎えに来たよ」
調の声を聞いた瞬間、悠がずっと張っていた緊張の糸が切れたみたいで、宝石のように輝く紫の瞳から、ぽろっと涙が落ちる。
「……ごめ、んな……さい」
悠の声は、掠れていて……。
「謝らなくていいよぉ……悠、頑張ったね」
俺はたまらずそばに寄って、抱きしめる。悠は小さく体を震わせて、俺の背中の服をきゅっと握りしめた。
「よく頑張ったな、悠」
調もそばまで来て、悠の頭を優しく撫でる。
その時――。
廊下の向こうから、ぱたぱたと走る音が聞こえてきた。
「つづり……」
聞き慣れた声に俺は振り返ると、休憩室の入口で立ち止まっている桜の姿。
俺と目があった瞬間、顔がくしゃっと歪む。
「っ、つづりぃ……」
目に涙を浮かべ、駆け寄ってくる。
「おいで、桜」
俺は悠を抱きしめる腕とは反対の手を広げた。
「うぉっ……」
桜はそのままの勢いで、しがみついてくる。
「っ、さみしかったぁ……」
「ん……そっかぁ」
「むしさん……ゃ、だったぁ……」
「怖かったの?」
「……うん、きもちわるかった」
俺は苦笑しながら、その背中をぽんぽんと叩いた。
「……ぼくも、おうち……かえる」
「うん、一緒に帰ろうね」
その言葉を聞いた途端、桜はさらに強く抱きついてくる。
悠はその様子を見ながら、少しだけ安心したみたいに、俺の服をそっと握りなおす。
「悠、おいで。帰ろう」
調がしゃがみ込み、悠に声をかける。素直に調の方を向いた悠の脇の下へと手を入れて、その小さな体を抱き上げた。
悠は調の肩のところへ、そっと顔をうめる。
「桜も帰るなら、荷物取っておいで」
「うん……つづりも、ついてきて……」
「はいはい、わかったよ……」
そう言って小さな手が、俺の手を一生懸命に引っ張ってくる。
いま手を離してしまったら……なんて不安があるのか、いつもより強く手を握ってくる桜。
――そんなに心配しなくても、絶対に置いて帰ったりなんかしないのに。
桜のクラスの部屋へ入ると、もう何人かは寝る準備を始めていた。
敷かれた布団の上に置かれた、俺のトレーナーを見つける。
――ちゃんと、役に立ってたみたい。
俺は少し目を細める。
「……桜、ちゃんと頑張ってたんじゃん」
「うん……ぼく、がんばったよ」
桜は、少しだけ俯いて言った。
荷物をまとめ終えて、俺は桜のリュックを肩へ掛ける。
「忘れ物はない?」
桜は俺の服の裾を掴んだまま、部屋を見回す。反対の手には、俺のトレーナーが抱えられていた。
「……だいじょうぶ」
「ん」
俺はその頭を軽く撫でる。
「じゃあ、帰ろうね」
桜は小さく頷いた。
「……みんな、おとまりするんだね」
部屋を出る前に、桜は少しだけ後ろを振り返る。
ぽつりと零れたような声に、俺は少しだけ目を細めた。
「そうだね」
「……ぼく、さいごまでできなかった」
それは少し、悔しそうな声。部屋を出て、俺は桜の前にしゃがみ込む。
「でも、桜はちゃんと行けたじゃん」
「……うん」
「行くの不安だったけど、頑張ったでしょ?」
桜は黙ったまま、俺の袖をぎゅっと掴む。
「俺、今日の桜は、すごくかっこいいと思うよ」
その言葉に、桜は少しだけ目を丸くした。
「……ほんと?」
「うん、ほんと」
「……かっこいい?」
「それはもう、めちゃくちゃ」
俺が笑うと、桜も嬉しそうにきゃらきゃらと笑った。
「ぼく、これきる!」
桜は大切そうに抱えていた俺のトレーナーを、こちらに渡してくる。
それを素直に受け取って着せてあげると、桜は安心したみたいに、袖をぎゅっと掴んだ。
ぶかぶかの袖に覆われた、両手をのばしてくる。
「つづり、だっこして……」
少し眠そうな声で言う。そんな桜が可愛くて、たまらなくて。
ご要望どおり、そっと抱き上げる。
そのまま静かな廊下を歩き、調たちのところへと向かう。
休憩室の前ではすでに、調と悠が待っていた。
涙はもう落ち着いているみたいだけれど、調は悠を抱き上げたまま。
安心するのか桜と同じように悠も調の服を着ていて、大きなパーカーが悠の小さな体を包み込んでいた。
「帰れそうか?」
「うん、だいじょうぶだよ」
「じゃあ、帰るか」
外へ出ると夜風は少し冷たくて、何人かの保護者らしき人とすれ違う。
腕の中の体温は温かくて、心地いい。
「ぼく……あとなんじであさか、わかんなくて……そしたら、つづり……くるって、きいたから……」
「ふふ、そっかぁ……」
微睡みながらも、俺の存在を確認するかのように話続ける桜。
「……つづり、もっとなで……て」
タクシーへ乗る頃には、桜の呼吸は完全に寝息へと変わっていた。
「……しらべ、つづり」
「ん?」
「……むかえにきてくれて、ありがとう」
車内で聞こえた悠の小さい声。調と俺は殆ど同時に微笑む。
「どういたしまして」
「約束したからね」
そんな俺たちの返事に悠は、ふわりと安心したみたいに微笑み返してくれたんだった――。




