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未完成なイデア  作者: 綴 朔哉


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42/45

番外編 小さな子たちの初めてのお泊り。前編 綴side

現在の時系列から約十六年前。湊、弥が加入する前のお話。


今回のお話は直接、本編には関係ありませんが登場人物の過去を描いたものになります。




 


 


 

 ◆ 


「え、宿泊合宿?」

 リビングでプリントを見た和が思わず声を上げ、ソファに座っていた燎も紙を受け取り、眉を寄せる。

 

「小二で泊まり行事か……」

「最近って、こんなのあるんだな」

「……」

 和の声には何処となく不安が滲み、燎も何とも言えない表情を浮かべ、調の眉間には深めの皺。


 ――まぁ……そうなる気持ちは、俺も痛いくらいにわかる。


 現在、桜と悠は学校から帰ってきて、調が作っていたプリンを食べて仲良くお昼寝中……。

 任務や稽古もなく、葵以外の全員がリビングへと揃っていた。

 

 桜と悠が、それぞれ学校から持って帰ってきた宿泊学習の案内兼出欠確認表のプリントを、燎が指で叩く。 

 

「一泊二日か……」

「正直、心配だよな……」

 和と燎から口々にそんな声が飛ぶ。

 

「うーん……」

 俺たちがここまで悩むのには、理由があって。


 慣れない環境が著しく苦手な桜と、学校や人の大勢いる場所が苦手な悠。

 

 特に悠の方は、学校に慣れるだけでも大変だった。小さい時から積み重ねられたあの子の生い立ちを考えれば、無理はないこと。


 だけど今でも「良い子でいないと」という思考が悠の心を占拠していて、その考えに囚われ自分の感情を置き去りにしてしまう。 

 

 不安を口にするのも苦手で「嫌だ」と言えず、 限界まで耐えようとする。

 

「とりあえずは、本人の意思確認だな」

 手元のプリントにある参加確認欄のところへ視線を向けたまま、調が言った。


「そうだね」

 俺はもう一度、プリントへと視線を落とす。

 

「みんなで楽しく宿泊体験!」

 小さい子向けに描かれた星のイラストと、カラフルな文字。


「……桜の場合は、眠る時が問題かもなぁ」

 現状、桜は俺と毎日一緒に寝てる。


 ひとりで寝る練習も何度か行ったことはあるが、結局……上手く眠れず夜中に泣きながら俺のもとへ来るという結果に毎回、終わってしまう。

 

「……そうだな」 

 調はそんな俺の心情を読み取ったのか、少し苦い顔をした。

 

 その時、ラグの上でお昼寝していた桜が、もぞもぞと動く。

 それからしばらくして薄く目を開けたが、まだ半分夢の中のようだ。


 視線だけきょろきょろ動かして、小さく呟く。

 

「……つづり……?」

「桜、起きたの?」

 俺の声を聞いた瞬間、 桜の表情は安心したみたいに緩む。

 

「だっこして……」

「はいはい」

 俺が近づくと、桜は眠そうなまま両手を伸ばす。

 

「んー……」

「ふふ、おいで」

 抱き上げるとそのまま肩へ顔を埋めてきて、小さな体から伝わってくる温かい体温から、もう一度寝てしまいそうなのがわかる。


「桜は、お泊り学習行きたい?」

 俺の首元にくっついたまま「つづりも、いっしょなら……」とむにゃむにゃしながら言った。


「ははっ、綴と一緒には行けないかなぁ」

 和が笑いながら言ったけれど、それは桜には聞こえなかったみたい。


 だけど桜の言葉によって、空気は穏やかになる。調は桜が起きたことによって乱れたブランケットを、悠の肩にしっかりと掛け直す。


「こうして穏やかに過ごしてくれるのが、一番なんだけどな」

「そうだね」

 この子たちには、ただ幸せに過ごしてほしい。

 

 調が悠を連れて帰ってきてから、約一年。少しずつ普通の生活にも慣れて、こうして気を許してお昼寝してくれるまでになった。 

 それでもまだ俺たちに対して、遠慮をしていることも多い。


 それに夜は時々、怖い夢を見ることもあるようで、魘されることも決して少なくはない。


 悠が抱える不安や恐怖をひとつでも多く、取り除いてあげたい。


 それが、俺や調だけじゃないみんなの願いのうちのひとつ。


 それから少し後、悠は目を覚ました。その頃には和と燎は自分の部屋へ戻っていて、リビングには俺に抱きついたまま眠ってしまった桜と調、悠の四人。


 まだぼんやりとしたまま、悠は自分の足でキッチンにいた調の方へと向かう。


「……しらべ」

 柔らかい髪には少し寝癖がついていて、目元もまだ眠そう。

 

「起きたか」

 そう言って調が頭を撫でると、悠は猫のように目を細める。その姿を見て、調が優しく微笑む。

 そんな静かで、穏やかな時間。


「悠、ホットミルク飲む?」

「……のむ」

 悠は調の服の裾を小さな手で掴み、そばから離れようとしない。

 

「ちょっとまってね」

 そう言って調は牛乳を冷蔵庫から取り出し、小さな鍋を火にかける。


 ――抱っこしてあげたらいいのにぃ……。


 そんなふうにも思ったけれど、あれは調なりの不器用な優しさ。

 そしてそれはきっと、悠もわかってる。


「蜂蜜じゃなくて、いちごのシロップ入れてみる?」

 そう言った調の手には、自家製のいちごシロップが入った少し大きめの瓶。

 最近、調がはまっているフルーツと市販の飴玉をいれるだけで作れる、簡単レシピ。

 りんごや桃、みかんのような王道から、ブルーベリーや無花果といった少し変わり種まで色々と試して作っている。


 桜や悠も喜ぶし、和の糖分補給にも効果的で、調いわく、一石二鳥らしい。


「うん、おれ、いちごがいい」

 悠はここ最近、少しずつではあるが、こうして自分の意見を言えるようになってきた。

 

 それは俺たちにとって、すごく喜ばしいこと。 


 火を止めて、調がマグカップへ温まった牛乳を注ぎ、そこへ赤色の調特製のいちごシロップをいれる。

 きっとマグカップの中は、淡いピンク色で綺麗なのだろう。

 

「どうぞ」

 悠は、そのマグカップを両手で受け取った。


「ありがとう、しらべ」

 ひとくち飲んだ悠は嬉しそうに笑い、そんな様子に調が微笑む。


 二人は俺が座っているソファの方へと向かってきて、隣に悠を座らせる。


「それ、美味しい?」

「うん、おいしいよ」


「これ、綴の分」 

 そう言って差し出されたマグカップからは、ふわっと甘い匂い。


 想像通りの、綺麗な桜色。


「ふふ、ありがと。調」 

 お礼を伝えてから一口飲むと、いちごの香りが広がっていく。

 

 優しい熱がお腹の中へ広がり、ほっとする。


 湯気の向こうで、悠もふわりと微笑む。


「……あまい」

「よかった、今回のも成功だな」

 調が自分の分のマグカップを持って、悠の隣へと座る。


「ねぇ、悠。今日、学校でもらってきたプリントに書かれてた宿泊合宿どうする?」

 何となく、聞くなら今かな……と思った。


 悠は僅かに、視線を彷徨わせる。なんと答えるべきかを考えているような間。


「……がんばってみたい」

 それから少しして、悠は少し俯いたまま小さな声で言った。

 

「……みんな、いくから」

 悠はマグカップを持つ、小さな手をぎゅっと握る。

 

 でもそれは楽しそうだから行きたいわけじゃなくて、皆と同じようにしたい……しなければいけない……良い子でいないといけないから……という悠の中にある一種の……強迫観念みたいなもの。

 

 だけど「頑張りたい」という悠の意思を俺たちが否定するわけにもいかなくて。

 心配は大きいけれど、悠の意思を一番に尊重してあげたくて。

 

 それまで静かに聞いていた調が、マグカップをテーブルに置いて、悠と向き合う。


「悠、ひとつだけ俺と約束できる?」

「え……うん」 

 悠は少し不安そうに、瞳を揺らす。

 

「体が辛くなったり、心が疲れたりしたら、ちゃんと先生でもお友達でもいいから、周りの人に悠の気持ちを伝えること。できる?」

「でも……そんな、わがまま……いってもいいの?」

 

「そういう悠が感じた感情とか体感は、絶対にわがままなんかじゃないよ。その気持ちを誰でもいい、自分以外の誰かに伝える練習をしないといけないんだよ」


「……おれのきもち……?」

「そう。それに辛くてどうしようもなくなったら、夜中でも迎えに行くからね」

 調はそう、はっきり言い切った。


 ――甘やかすな。なんて俺には言うけど、調も十分に甘いと思う。

 

「先生に言って電話してきてもいいし、最後まで絶対にいないといけないわけじゃないよ」

 悠は少しだけ目を丸くした。

 

 調は悠の小さな頭を撫でる。

 

「行けただけで、十分凄いことなんだから」

 その瞬間、張っていたものが少し緩んだみたいに、悠は小さく頷いた。


「ありがと、しらべ」



 ◆


 そうして、宿泊合宿の参加が決まってから数日後の週末。


 俺と調は二人を連れて、商業施設へ来ていた。

 

「つづりと、おかいもの!」

 桜はアジトを出る時から、妙にテンションが高い。

 

 俺の手を引っ張りながら「はやく!」なんて、急かしてくる。

 一方、悠は俺たちの少し後ろで、調としっかり手を繋いでいる。


「はいはい、転んじゃうからちょっと落ち着こうね」 

「だって、おでかけだよ!?」

「お泊りの買い物だけどね」

 

「つづりとだから、いいの!」

 どうやら、それが特別らしい。


 ――たぶん、お泊りのことは深く考えてないんだろうなぁ……。


 きっと当日は大泣きするんだろうけど、にこにこと笑う桜は可愛くて。

 大変なことも多いけれど、こういう顔を見れるだけでそんな苦労が全部どうでもよくなる。


「つづり! 早く!」

「ちょっとまって、順番に買わないとだからね」

 はしゃぐ桜を落ち着かせるために一度、抱き上げると嬉しそうに首元へ抱きついてきて、きゃらきゃらと笑う。


「調、まずはどこから行く?」

 必要なものは、調が持つしおりに記載されている。


 少し大きめのリュックサックやタオル、歯ブラシのセット……折りたたみ傘、レインコート。

 下着や靴下なんかもこれを気に新調するのもありだろうと、昨日の夜に調と話していた。


「まずは、リュックからだな」

 悠と手を繋いだまま、しおりを確認する調の後をついていく。 

 

 売り場へ着いておろすなり、桜は「これ!」 と青地の宇宙柄のものに手を伸ばす。

 

「おぉ、いいじゃん。それ」

「かっこいいでしょ!」 

 そのリュックを桜に背負わせてみる。


「……ちょっと大きくない?」

 思わず、調と目を見合わす。その姿は、リュックに背負われてるみたいにも見える。


 だけど本人は、とても気に入っているようで。


 ――他のものにする気はないだろうな……。


「まぁ……これから先も使うことを考えたら、ちょうどいいかもしれないな」

「そうだね、肩紐を調節したら何とかなるかな……」

 

 ――あっという間に背が伸びて、大きくなるだろうしなぁ……。

 

「悠は? どれがいい?」

「えっと……おれは……」

 俺が隣にしゃがみ込んで聞くと、悠はうろうろと視線を彷徨わせる。


「……どれがいいのか、わかんない」

 悠は自分の服の裾を、きゅっと掴む。

 

「そっかぁ……ん……じゃあ、お星さまが乗ってるこれとか、どう?」

 淡い紺色の小さな星の刺繍が入っているものを指差す。

 シンプルだけど、ちゃんと可愛いもの。


「あ、こっちのもいいかも」

 先程のとは少し違う、ベージュがメイン色でくすみカラーの青や緑が継ぎ接ぎみたいになっているリュックの方も指差す。

 

 どちらも悠に似合いそうで可愛い。


「……おれ、これすき」

 そう言って、紺色の方を指差す悠。

 

「じゃあ、これにする?」

「……いいの?」

「もちろん、背負ってみる?」

「うん……」

 悠はふにゃりと嬉しそうに笑う。

 

「悠も決まったのか?」

 桜の選んだリュックの紐を試しに調節していた調が、そう声をかけてくる。


「みて、調! 悠の選んだのもいいでしょ?」

「ほんとだ、悠もいいの選んだな」

 調が優しく微笑むと、悠も同じように微笑んだ――。

  

 その後は洗面用具や雨具、下着類に着替えと順番に回った。


 大方、揃え終わった頃――。


「ねぇ、つづり。ぼく、おなかすいた!」

「そうだね、ちょうどお昼時だもんね」

 休日の商業施設は、人が多い。


 フードコート前は特に騒がしく、子どもの声や食器の音に行列。


 ――かなり、がやがやしてるなぁ……。

  

 悠の方をを見ると、無意識なのか……調の服の裾を掴んでいた。

 調もそんな悠の様子に、少しだけ眉を寄せている。


「あっちのレストラン街の方に行ってみようか」 

「えぇ……フードコートじゃないの?」

 桜が少し不満そうにする。

 

「俺、落ち着いて食べられるところがいいんだ……だから今日は、あっちにしてもいいかな?」

 桜と目を合わせて伝えると、渋々と言った様子ではあったが、頷いてくれた。


 お店の前について、ショーケースに入った食品サンプルを見ていると、くいっと裾を引かれる感覚。

 

「……ハンバーグある?」

「んー、えっと……あ、あるね」

「じゃあいい!」

 桜が思ってたより素直に受けいれてくれて、安心した。


 メニューも和食中心ではあるが子供用のメニューもあるし、オムライスといった洋食系のものもちらほらあって、木の仕切りによって席も半分くらい囲われている。


 悠と桜をそれぞれ奥へと座らせて一息つくと、悠の肩からも少し力が抜けたように見えた。


 店員さんが温かいお茶を運んできてくれて、それを調が悠の目の前へと置く。


「ちょっと熱いから、気をつけてね」

「……うん。ありがと、しらべ」

「ん」

 目の前で繰り広げられる、そんな自然なやり取りについ、笑みが溢れる。


「桜は、どれにするの?」 

 メニューを開いて、隣りに座る桜に見せると「これ!」とお目当てのハンバーグを指差す。

 

 対照的に悠は、静かにメニューを見ていた。でも、なかなか決められないようで。


 自分の意思を伝えることにまだ苦手意識のある悠は「自らが食べたいもの」というのをどうやって、決めたらいいのか、というのが難しいらしい。

 

「悠、今日は白ご飯と麺だったら、どっちが食べたい?」

 だから俺たちはいつも、悠に対してはこうして少しずつ選択肢にして聞くようにしている。


「何が食べたい?」じゃなくて「どっちがいい?」の聞き方。

 

「……ごはんがいい、かな」

「そうか、ごはんものは……」

 調がメニューを、めくっていく。その中で悠の視線が、一点に留まった。


「それ、気になる?」 

「……うん」

 少し迷ってから、悠は頷く。


 悠が選んだのは、鮭といくらの釜飯。

 

「じゃあそれにしようか。食べたいもの教えてくれてありがとう、悠」

「うん……」 

 そんな調の言葉に、少し安心したみたいに悠の肩が下がる。


「釜飯は少々お時間いただきます」

 それから注文を取りに来てくれた店員さんはそう言って、厨房の方へと戻っていく。


「……じかん、かかっちゃう?」

 悠が少しだけ不安そうに、調の方を見た。

 

「ん? 待てない?」

 調の言葉に悠は、慌てて首を振る。

 

「……そうじゃない、けど……」

 その頭を調が、軽く撫でた。

 

「時間は気にしなくていいよ」

「……でも」

「そうだよ、悠。別に急いでないんだから、ゆっくりしよ?」

 俺もそう言う。

 

「それに悠が食べたいもの食べてくれる方が俺も、調も嬉しいんだよ」

 その言葉がしっかり届いたのか、悠は小さく頷いた。


「……ありがと」

「「どういたしまして」」

 俺と調の声が、揃う。


「あ、つづりとしらべのこえそろった!」

 桜の賑やかな笑い声によって、その場は穏やかな空気に包まれる。

 

 料理が来るまでの間に色々な話をしていたら、時間はあっという間だった。


 桜が頼んだハンバーグプレートには、ポテトやプリンも付いていて、旗まで立ってる。


「わぁ……!」

 目を輝かせはしゃぐ桜を軽く宥めつつ、俺も食べ始めると、悠の釜飯も運ばれてきた。


「熱いから気を付けて食べるんだよ」

 調が釜からお茶碗に取り分けて、悠に渡す。


「……ありがと、しらべ」

 悠はそっと、ひとくち食べた。


「……おいしい」

 調はその言葉を聞いて、少しだけ嬉しそうに目を細める。


「よかった」

 その場には、笑顔が溢れていた。



 ◆


 食後――。


 あとはもうアジトへと帰るだけ。お店を出て、商業施設の通路を歩いていたら、桜が急に立ち止まる。


「……つづり、だっこ」

 そう言って俺の服の裾を、繋いでいる手と反対側の手で引っ張ってきた。


「ふふ。結構、はしゃいでたから疲れちゃったね」

 おいで。と言うと、桜は嬉しそうな表情を浮かべ、首に手を回してくる。


「悠もおいで」

 そう言って調が悠に向かって、手を広げた。


「……え、でも……」

 悠は少し迷って、最終的に遠慮がちに調の首に手を回す。


 桜はすぐに寝た。悠も抱っこされたまま何度か目を擦っていたが、襲ってくる睡魔には勝てなかったようで、調の肩におでこを預けた後、そのまま眠ってしまった。


「悠も寝たな」

「ふふ。思ってたよりも、早かったね」

 最近、成長によって少しずつ重くなってきた可愛い子たちを抱え、俺たちはゆっくりとアジトまでの帰り道を進んだ――。

 

  


 ◆


 帰ってきて準備のために宿泊学習のしおりを見ていると、横から桜が覗き込んでくる。

 

「ねぇ……つづり、きもだめしってなぁに?」


 ――うーん……なんて説明すれば、いいのかなぁ。


 そんな風に考えていた時。ラグの上に座って手伝ってくれていた燎と和が、桜のことを少しからかう。

 

「こわーい、お化けが出てくるんだよ」

「暗い森とか歩いてると、後ろから……うらめしや……ってね」


「……え……やだ!」

 そんな即答に、燎と和が吹き出す。

  

「別にまだ出るって、決まってねぇよ」

「やっぱりおばけいるの!?」

 燎の言葉に、大きな反応を示す桜は和の方に視線を向ける。

 

「知らん。おばけがいるかなんて、行ってみないとわからないよ」

 和は少し悪戯な視線を桜に向けたあと、事もなげに言ってのけた。


「……おばけ……やだぁ……ぼく、いかない……」

 桜は不安そうにしおりを見下ろしてから、抱きついてくる。


「もぉ……ふたりとも、桜をからかいすぎ」

 完全に半泣きの桜は、俺の胸の辺りにぐりぐりとおでこを押し付けてくる。

 俺は苦笑しながら、その頭を軽く撫でた。

 

「ごめん、ごめん……大丈夫だって、桜」

 燎の少し申しわけなさそうな声。

 

「……ほんと?」

「というか、調が怒った時より怖いものなんてないでしょ?」 

 まぁ、僕は調に怒られたことないけど。なんて、和が言う。

 

「確かに、調の方が怖いね……」

 俺が言うと、後ろから調の声。

 

「なんでだよ」

「やば……聞かれた」

 そんなふうにわざとふざけると、桜もつられて少し笑ってて。そんな俺たちの騒ぐ声を聞いて、燎の隣にいた悠も笑ってた。 

 そんな二人の表情を見て、みんな同じように目を細める。

 こういう日が、少しずつ増えていけばいいと思う。

 

 袖を軽く引かれ、桜の方を見ると「耳を貸して」と言われる。

 言われた通り、桜の方へ耳を向けると密々と内緒話。

 

「……でも、おばけいたらでんわしていい?」

「いいよ。怖くなったり、不安になったら、いつでも電話しておいで」

「うん……」

 桜は小さく頷いてから、俺の袖を再びきゅっと握った。


 それから今日買ってきたもの全部に、燎と和が名前を書いてくれて、それを桜と一緒にリュックへ詰めていく。

 といっても、桜は俺の背中に張り付いてるだけだけど。


「桜、夜は寒いかもしれないから、俺のトレーナー持っていくといいよ」

 そう言って、部屋着にしているトレーナーを渡す。

 

 俺や調の服を渡すのは、和から提案されたもの。和が小さい頃に入院していた時、お母さんがよく自分の服を持ってきてくれていたらしい。


 どうしても寂しい時に和は、お母さんの服を抱きしめて眠っていたという。

 大好きな匂いがそばにあれば、辛い時に少しだけ頑張れるって、和は言ってた。


 桜には俺のものを渡して、悠のリュックには調のパーカーを入れておく。


 隣では調と悠も同じように準備をしていた。


 少しでも安心できるお守り代わりになれば、いいなぁ……なんて。

 俺は密かに、そんな願いを込めた。


 ◆


 

 そして迎えた、宿泊学習当日の朝。


 いつもより少しだけ家の中が、早く動いていた。


 キッチンでは調が朝食を用意し、俺はリビングで桜と一緒に出発前の最後の荷物確認をしている。


 ちなみに悠の分は、もうすでにチェックが終わっていて、あとは桜のだけ。

  

「桜、しおりは入れたー?」

「いれたー……」

 背後からくぐもった返事だけは聞こえるけれど、その声に元気はない。

  

 桜は床に座ってる俺の腰の所にぴったりと張りついていて、その体勢から頑なに動こうとしない。

 

「桜、荷物のチェックできたから、そろそろ着替えよ?」

「……やだ……ぼく、いきたくない……」

 

 ――うーん……一昨日の準備の時は、リュック背負ってはしゃいでいたんだけどなぁ……。

 

 予想通りと言えばそうなんだけど、少なくとも昨日までは楽しみにしているように見えていた。

 だけどいざ当日になると、一気に不安が来たらしい。

 

「……つづりとはなれるの……ぃや……」

「うーん……」

「……ぼく……いかなぃ……」

 半分、泣きそうな声でおでこをぐりぐりと擦り付けてくる。

 

「桜、昨日までは楽しみにしてたじゃん」

「……でも……つづりいない、もん……」

 小さくこぼされた、桜の本音。

 

 たった一日だけだとは言え、慣れない場所で俺たちと離れて過ごすのは、まだまだ小さい桜にとってはそれだけで十分な大冒険。


「こっちおいで」

 背中に張り付いたままの桜を呼ぶと、少し遠慮がちに腕の中に潜り込んでくる。

 

 俺が桜を引き取ってから、初めてのお泊り。正直、俺も不安だし、心配。

 こんなに嫌がって泣くくらいなら、休ませてもいいんじゃないか。

 

 そんな気持ちが過る。


「ねぇ、桜。ほんとに嫌だったら、行かなくてもいいんだよ。桜がどっちを選んだとしても、誰も怒ったりしない」

 その言葉は本気。俺は別に、無理に強くさせたいわけじゃない。

 桜や悠だけに限ったことではないが俺も、調も下の子たちには、安心して穏やかに過ごしてほしいだけ。

 ただ、もし……怖くても、行ってみたい気持ちが少しでもあるのなら、それも大事にしてあげたかった。


 桜は俺の胸元に顔をうめたまま、しばらく黙っていたが、くぐもった声でぽつりと呟く。

 

「……いけたら、ぼく……かっこいい?」

「ふふ。すごく、かっこいいよ」

 そんな健気な言葉に、つい口角が上がってしまう。


「……ほんと?」

「うん、俺は嘘は言わないよ」

 涙に濡れた目を、優しく拭ってあげる。

 

「……じゃあ、ぼく……がんばる」 

「ん。しんどくなったら、いつでも電話しておいで」

「……うん」

 まだ不安そうだったけれど、桜はほんの少しだけ自分で前へ進もうとしていた。

 

 一方で悠の方はちゃんと服も着替えて、静かに椅子へと座っている。

 だけど表情は少し固く、膝の上の手がきゅっと服を握りしめていた。

 

 調はそんな様子を、キッチンの方から心配そうに見ている。

 

「悠、朝ごはんちょっとだけでも食べられそう?」

「……うん」

 返事は小さくて、食欲もあまりなさそうだった。


 きっと……迷惑をかけてはいけない。良い子でいないと。そんな気持ちが、悠の中にはあるのだろう。


「悠、無理そうなら行かなくてもいいんだよ?」

 そんな悠へ調は静かに近付いて、声をかけた。その声はとても優しくて、逃げ道をちゃんと用意するようなものだった。


「……いけたら……ほかのこみたいに、ちゃんと……できるかな」

 悠は少し悲しそうに、視線を揺らす。そんな様子に調は、僅かに目を細めた。


「悠、ちゃんとできなくたっていいんだよ」

 調の言葉に悠は、目を瞬く。


「怖かったら周りに頼っていいし、お休みしたって構わない。この間も言ったけど、頑張って行ってみたいって悠が思えて、それを教えてくれただけで十分」


「……おれ、がんばってみたい」

 小さい声だったけど、俺にもしっかりと聞こえた。


「そうか」

 調は優しく笑って、悠の頭を撫でる。

 

「……でも」

「ん?」

「……ほんとに、だめだったら」

 悠の言葉が止まった。


 考えを言っていいのか……と、迷っているような間。

 

 そんな悠を調は、急かさず待つ。

 

 俯いたまま、悠は自分の服をぎゅっと握った。

 

「……むかえに、きて」

 消えそうなくらい、小さい声。だけどちゃんと「助けて」を言えた声だった。

 

 調はそれに対する返答を、一瞬も迷わなかった。

 

「行くよ、絶対に迎えに行く」

 即答――。まるでそうするのが、当たり前みたいに。

 

 悠が調の表情を窺うように、少し顔を上げる。

 

「……わがままじゃない?」

「わがままなわけない」

 調は、その頭を優しく撫でた。

 

「悠が自分のことを伝えてくれて、嬉しくないわけないよ」 

 責める感じは、少しもない。悠はしばらく黙っていたけれど、それから小さく頷いた。

 

「……うん、ありがとう」

「ん、どういたしまして」

 調が優しく笑う。

 

 少しだけ……ほんの少しだけ、悠の表情が和らいでいた――。

 

 

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